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ノエルにどんな顔をして会えばいいのかしら。
一夜明けたいまでも頬にはノエルの唇が触れた時の感触が残っている。あの一瞬を思い出すたびに、胸の奥がそわそわして、顔が赤くなってしまうのよね。
だってあのご尊顔が触れてきたんだもの。
それに、私のことを心配しているからと言って手を繋いだり抱きついたりしてくる時とはちがう、いままで見た事のない表情で一気に距離を縮めてきたものだから、正直言って驚いてしまった。
なんというか、男って顔を見せてきたから。
いや、ノエルは男の人なんだけどさ。普段はそんな顔を見せてこないから、どう反応したらいいのかわからなかった。
みんながいるからそういう演技をしているのだろうけど、心臓に悪いわ。
どうしようもなくムズムズしていた気持ちは、昨晩ベッドに入ってから散々転げまわって内なる感情を暴発させたおかげでいくぶんか落ち着いている。
きっと大丈夫。
ノエルを見ても動揺したりはしない。だって、ノエルだもの。
そう言い聞かせてみんなが集まる食堂に向かった。
食堂にはノエルとジスラン様がすでにいて、アロイスとイザベルも座って彼らと話していた。
ノエルは私が入るなりすぐに気づいてくれて、立ち上がると執事よりも先に椅子を引いて座らせてくれる。
「おはよう、レティシア。よく眠れた?」
「ええ、まあ、お陰さまで」
「それはよかった」
目の前にいるのはいつもと変わらない微笑みを向けてくれるノエル。
こっちはドキドキしてベッドで転げまわっていたというのに、相手はけろりとして何事もなかったかのように接してくる。
ノエルに踊らされていたように思えてしかたがない。やはり魔性の黒幕だわ、なんて毒づいてしまう。
目が合った瞬間は胸の奥から変な音が聞こえてきそうになっていたけど、一緒に話しているうちに落ち着きを取り戻した。
ノエルは昨夜、お兄様やジスラン様と一緒に楽しく話していたみたい。話に熱中したためか、お兄様は体調を崩して起き上がれなくなってしまったらしい。
体が弱いお兄様は夜更かしするとすぐに体調を崩してしまうから夜遅くまで飲むのは控えていたんだけど、それを忘れてしまうくらい夢中でノエルと話していたようね。
寝込んでいるお兄様に声をかけてからお屋敷を出て、薬師たちの工房へと出発した。
◇
昨日と同じ工房にお邪魔して、薬師たちに挨拶をする。
生徒たちのために特別に用意してくれた職業体験用のスペースへ行くと、工房長のロジエさんに連れられて薬草の保管庫へと向かう。
保管庫の扉が開いた瞬間にガルデニアの香りが辺り一帯に漂う。ちょうど一年前のこの季節にも嗅いだ香りだ。花をつけたガルデニアから作る回復薬は、さぞ効果が高いものになるだろう。
ロジエさんはガルデニアを一つ取ると、生徒たちに説明を始めた。
「君たちは回復薬を作ったことがあるそうだね。今回は実際に騎士団に納品している回復薬の作り方を教えるから頑張ってついてきてくれたまえ」
そう、一年前に採集したガルデニアで作った回復薬は実験だったから効果うんぬんについては触れていなかったが、これからこの工房で作るとなると商品になるため、ただ作るだけではだめなのだ。
一定の効果や品質を維持した薬を大量に作ることが求められる。
それが製品としての回復薬だ。
「この時期に採れるガルデニアは魔力が高いから、私たちが薬に注ぐ魔力は抑えないといけないんだ。……そうだな、ちょっと手元を見たいときに光を灯す時と同じくらいの魔力でいい」
ロジエさんがそう説明すると、サラが元気よく手を挙げる。
「効果が高い方がしっかり回復できていいと思うんですよね? それなのにどうして魔力を調節して弱めるんですか?」
「安心して使ってもらうために品質を整えているんだよ。ばらつきがある薬だとちゃんと回復できるのか不安で飲めないだろう? 使う人の気持ちに配慮するために整えているんだ。もちろん、今日みんなに作ってもらう回復薬とは別に強い効果を発揮する回復薬があるんだ。それを作る時には魔力を多めに入れるよ」
回復薬は通常、等級をつけて販売されている。そのため、軽い傷を治すために使う低級の回復薬だと安くなり、重度の怪我でも治せるものになるほど高い値がつくのだ。
「だから薬師たちはまず、薬草の状態を知ってから作る工程を調節していくんだ。薬草との対話も必要な能力だよ」
ロジエさんは説明を終えると、生徒たち一人一人にガルデニアが入った籠を渡していった。
工房に戻ると薬草を取り出して、薬草の状態の見方を丁寧に教えてくれる。
根元の色が鮮やかなほど新鮮だとか、葉の艶や触り心地でどの季節に採れたものかがわかるなどといった専門知識を惜しげもなく教えてくれた。
生徒たちが教えてもらっているすぐ近くでは工房の薬師たちが忙しなく働いていて、大なべに材料を入れては大きな棒でかき混ぜている。手際よく薬を作る様子を、ディディエがじっと見ていた。
◇
回復薬の製造体験が終わると、お次はロジエさんについて行って街の診療所に移動する。治癒師の診断をもとに薬を配合して患者に処方するのも薬師の仕事だ。
ロジエさんは薬師のために設けられている調合室へいくと、持ってきた調合道具や薬、そして材料を広げ始めた。
生徒たちが興味津々な眼差しで見守る中、次々と治癒師から渡されたメモを元に薬を作っていく。
こういった仕事をする際には医学の知識も必要で、治癒師の中でも限られた人しかできないそうだ。
やがて夕方になり、今日の職業体験を終えた。
お屋敷につくとお母様がみんなのためにお茶の準備をしてくれていた。夕陽を眺めながら庭園でお茶を飲んでいると、ディディエと目が合う。
「モーリアさん、職業体験してみて夢は決まったかしら?」
ディディエは躊躇いがちにこくりと頷いた。
「は、はい。先生のおかげで自分のやりたいことがわかりました」
「嬉しいわ。教えてもらってもいい?」
「あの、……王国騎士団の治癒師になって、陰ながらこの国の人たちを支えていきたいです」
消え入りそうな声だけど、はっきりとした気持ちを伝えてくれた。
ディディエの答えは意外だった。実は、ディディエは薬師にはならないかもしれない、と心のどこかでは予想していたんだけど、それはゲームだと卒業後に魔術師団に所属していたからだ。
もしかしたら、ジスラン様と話したことでディディエの未来が変わったのかもしれないわ。
治癒師になろうとしているディディエは、ゲームのシナリオから抜け出したことになるんじゃないかしら?
「せっかく薬師のみな様に会わせていただいたのに……ごめんなさい」
「いいのよ。あなたの夢が見つかるように力になったんだもの。為になれたのなら嬉しいわ」
いずれにせよ、”自分の魔力を活かして人の役に立つ”というディディエの夢が叶えられる選択であるのには変わりない。
私に気を遣ってしょんぼりとしてしまったディディエに、ノエルが声をかけた。
「別にどちらかを捨てなくてもいい。薬も作れる治癒師になればいいんだ。オリア魔法学園の三か条に"失敗を恐れず創造せよ"と書いてあるだろう? 君が先駆者になるといい」
すると、ジスラン様も会話に加わる。
「そうだよ。治癒師であっても薬をつくられるようになったらいざという時に役に立つはずだ。騎士団の治癒師はなんでもできないといけないから覚悟してね? 再来年、君が新人として来てくれることを祈っているよ」
そう言ってディディエの肩を叩くと、ディディエの表情は明るくなっていった。
「っありがとうございます!」
気弱そうな印象を与えていた彼の瞳が、今は強い意思を宿している。
みんなをここに連れてきて良かった。そう思う反面、まだまだディディエのイベントが残っているから気を抜けない。
この休みが終わり学校が始まれば、ついに始まるだろう。
どんなことが起こっても、私はディディエを、そして生徒たちをバッドエンドから守ってみせる。
決意を胸に、ソフィーが淹れてくれた香り高い紅茶を飲んだ。
【医務室】
白を基調とした部屋で、ベッドが幾つかならんでいる。
ディディエの体調が悪いときはいつもフレデリクがここに連れてきて寝かせている。




