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九 マモノのエサ

 「きみがマモノのエサだって?」

 リックは思わず声を荒らげた。その言葉に、ほかのみんなもびっくりしてノラを見た。

 ノラは大声に驚きはしたものの、すぐに笑顔に戻った。戸惑い、顔を見合わせるみんなのようすを、ニコニコと眺めている。どうして笑っているのだろう、リックの心は不安でぞわぞわと震えた。

 ノラはまた、ノートに鉛筆を走らせる。リックは辞書を引く。

「マモノはわたしを食べる。でも従わない」

 ノラはほほ笑む。だけどどこか、悲しそうに見えた。

 そんなことってあるのか。リックは愕然とした。マモノにとってはただのエサ、食べるだけ食べて、見返りはなにもない。

 納得もしていた。昨夜、マモノたちは倒れたノラに群がっていた。もしノラがマモノ使いだったなら、マモノたちに命令して、安全なところまで運んでもらうこともできただろう。

 マモノは小さいけれど力持ちだ。あれだけの数がいればたやすいはずだ。でもノラにはできなかった。

 マモノ使いではないから。

「マモノが、そんなことをするなんて」

 あんまりショックで、声が震えた。いつのまにかうつむき、足下にじゃれつくマモノを見下ろす。

 ノラとぼく、どちらも人間なのだ。なのにぼくには懐いて、ノラからは一方的に奪っていくだけ。そんなの、ひどいじゃないか。マモノと人は対等な関係でいられると思っていたのに――いや、マモノが懐くのは人間だけじゃない。

 ブタのチロを思い浮かべる。

 チロはどうして逃げ出したりしたんだろう。ううん、なんとなくわかっている。あそこにいてはいずれ殺されて食べられてしまうと、チロは気づいたのだと思う。親や兄姉たちが、一頭、また一頭と去っていくのを、チロはどんな気持ちで見送っていたのだろう。

 セドじいさんは、チロは寿命で死ぬまで飼うことにしたと言っていた。そのとき、リックはただただ喜んだ。チロに、よかったね、と声もかけた。だけどチロは目を伏せて、黙っているだけだった。

 ノラがまた、ノートに書いてよこした。

「安心して、元気を分けてあげているだけ」

 リックが読み上げると、女の子たちはホッと胸をなで下ろした。それもそうだ、マモノたちが食べているのはノラの元気だ。ノラ本人を食べてしまうわけではない。

 だけど安心してだなんて、そんなの無理だ。元気をあげたらとても疲れてしまうんだもの。ましてややっと元気になったばかりのノラが、こんなにたくさんのマモノに元気をあげて、平気ではないはずだ。

 リックはノラをじっと見つめた。あんまり見つめたものだから、ノラは恥ずかしそうにうつむいた。

「ところで」

 オリーブのお母さんが心配そうに切り出した。

「ノラちゃんのことなんだけれど、男の人しかいないおうちでは大変じゃあないかしら」

 この言葉に、ケイシーとドリーはキョトンと首をかしげ、オリーブとリックは小さくうなずいた。

 これは、本当だった。深夜にエノおばさんに助けを求めたのは、ノラが女の子だとわかったからだ。今朝も、ノラはトイレに行きたかったのに、もじもじと恥ずかしそうにしていた。リックが気づけなかったのは、言葉がわからなかったからだけじゃあないと思う。

 安心して頼れる相手が、きっと必要だ。そりゃあぼくのことを頼ってくれたらうれしいけれど、ノラはどう思っているかな。

 おじいさんも戻ってきた。オリーブのお母さんは、さっきと同じことをおじいさんに言った。おじいさんは頭をボリボリとかいて、そうだねえ、と呟いた。

「しかし、彼女を泊めてくれるお宅があるかね」

「わたし、ノラといっしょの部屋でもいいわ」

 オリーブが手を挙げて言った。

 この島のたいていの家では、赤ん坊のうちは両親と同じ部屋、もうすこし大きくなったら子ども部屋に、きょうだい仲良く押しこまれる。オリーブの家もそうで、長いことお兄さんと二人で一つの部屋を使っていたのだけど、少し前に部屋を分けた。

「一人で気兼ねなく使えてうれしい、と言っていたじゃないの」

「男と女じゃ違うわ」

 目を丸くして言うドリーに、オリーブは当たり前とばかりに返す。

「妹ができるみたいで、うれしいわ」

 楽しそうに手を叩く。ノラを歓迎してくれたことに喜びつつ、けれどそう簡単にいくだろうか。リックが尋ねる。

「でも、ノラはカウミル語がわからないよ。オリーブもシーフィシュ語がわからないでしょう。大丈夫?」

「それは‥‥でも、きっとなんとかなるわ。それにリックだって、シーフィシュ語がわかるわけじゃあないでしょう」

「ノラさんは、どうしたいだろうね?」

 おじいさんがノラを見る。ノラはおじいさんがなんて言ったのがわからなくて、目をぱちくり、首をかしげた。

 リックが辞書を引きながら、ノラへの質問をノートに書く。文法はこれでいいだろうか。挨拶や自己紹介は勉強し始めたときに最初に覚えたから書けたけれど、うまく伝わるかな。

 ノラに見せる。ハラハラした。

「ここでは彼女と暮らす。どう?」

 彼女、という単語を指さし、次にオリーブを示した。ノラはオリーブをじっと見つめて、やがてなにか言った。だけどやっぱり、だれもわからなかった。

 ノラがノートに鉛筆を走らせる。

「どこでもいい」

 ノラの表情がこわばる。オリーブが手を伸べるとちょっとだけほほ笑んだけれど、今にも泣き出しそうに見えた。

 うろたえるリックに、ケイシーが言う。

「ノラはわたしたちがどんな話をしたかわからないのよ。わたしだったら、そんなふうに言われたら、ここにいてはいけないのかしらって思っちゃうわ。ここにいてもいい、ノラが選んでいいって教えてあげて」

 リックは慌てて、ノートに書き足した。

「この家は女の子がいない。ノラが安心して暮らせるか心配」

「ノラがこの家がいいなら歓迎」

「友だちになりたい。みんな」

 ノラの目が輝いた。みんなの顔を順に見て、うれしそうに笑うと、ノートに大きな字でなにかを書いた。そして大発表をするときみたいに、バッと掲げた。

「わたしもみんなと友だちになりたい」

 リックが読み上げたとき、みんな笑顔になった。ドリーが大笑いして言った。

「もう、すっかり友だちだと思っていたわ」



 ノラのことはあっというまに村中に知れ渡った。エノおばさんが会う人会う人に話したし、ケイシーとドリーの家族は、ちっとも帰ってこない娘を迎えに来たときに知った。

 シーフィシュ国の調査隊はいやな人たちだった。だから最初は、ノラもきっと悪い子だろうと言う人が少なくなかった。だけど実際にノラを見ると、だれもがそんな考えを捨てた。

 ノラはいつもニコニコしている。だけどどこか自信なさげで、おどおどとしていた。まだ子どもだということも、たった一人で置き去りにされてしまったことも、村人の同情を集めた。

 それから、マモノのエサだということも。

 森のマモノに長いこと悩まされ続けた村人たちは、マモノをよく思っていない。リックもそうだった。それでもリックに懐いたマモノがみんなを手助けしてくれて、彼らに対する印象はずいぶんよくなった。だからなおのことショックだった。

 ノラは当たり前みたいにしている。

 ノラはオリーブの家で過ごすことになった。やりとりのためにノートと辞書を貸した。

「退屈したらいつでもここに来るといいよ。シーフィシュ語の本がたくさんあるからね」

 おじいさんが言ったのを、リックがノラのノートに書いた。ノラは喜んでうなずいた。それから毎日、オリーブたちといっしょにリックの家へ来るようになった。

 ノラが来ると、マモノたちは大喜びでノラに飛びつく。リックは一所懸命止めようとするけど、マモノはお構いなしだ。マモノから見ると、ノラはごちそうなのかもしれない。

 せめて、なるべくぼくからごはんを食べてもらうようにしよう。リックは今まで以上に、ごはんをよく食べ、よく寝た。もちろん食べて寝てばかりじゃ元気にはなれない。休んでばかりいるよりも、エノおばさんのところで働いたり、好きな本を読んだりしていると、力が湧いてくる気がした。

 読むのはもちろん、『惑星調査隊 ノラの物語』だ。

 ノラが助かったのはミケ隊長のおかげだった。ずっとノラのことを見守っていてくれたのだ。魚に食べられてしまったノラを助けるために、魚を捕まえるよう夜の星の住人に頼んだのもミケ隊長だった。

「きみみたいなやつは、一度失敗したほうがいいと思ったんだ。だけど思いのほか大ごとになっちゃって、ちょっとばかり焦ったよ」

 ミケ隊長はカラカラと笑った。

 ずっと夜の星から戻ったノラは、誓ったとおり、惑星管理センターの官長や管理官に謝った。自分の力を過信していた、これからは心を入れ替え、まじめに任務に取り組みます。

 官長も管理官も、快く許してくれた。

「だれだって失敗はするものさ。大きな失敗も一度や二度はあるだろう。その失敗からなにを学ぶか、次にどう繋げるかが大事なんだ。きみはきっと、立派な調査隊員になるとも」

 長官がそう言ってくれて、ノラは喜んだ。

 ルール違反の罰で、ノラはしばらく惑星調査へは行けなかった。そのあいだ、勉強し直した。惑星調査のルールから始まり、旅行許可の出た星、未開の星、そして渡航禁止になった星のことも。

 次にノラが行くことになったのは、渡航禁止とされた星の一つ、青い星だった。

 リーダーは今回もミケ隊長だ。チームメンバーを初めて集めた日、隊長はびしりと言った。

「この星は非常に危険だ。命が惜しい者は隊から外れてくれ」

 静かな、けれど厳しい声が、よく響いた。緊張。ビリビリと鼻先がしびれる。

「知っていると思うが、青い星にはこれまで何度も調査隊が送られた。しかし未だ、一人も帰還していない。この船に乗ったが最後、二度と戻れないと覚悟してほしい」

「どうしてそんな星を、なおも調査しようというのです?」

 だれかが言った。ミケ隊長はしばしためらい、ゆっくり、深くうなずいて答えた。

「わたしはもう定年だ。最後に、大事な人を探しに行きたい」

 ミケ隊長の返事を聞いて、場はざわめいた。公私混同だ、道連れにするのかなどと批判する人もいれば、きっと探し出しましょう、今度こそあの星を解明しましょうと賛同する人もいた。

 ノラは? もちろん後者だ。夜の星ではミケ隊長に助けてもらった。恩返しをしたい。あの青い星から初めて帰ってきた隊員だなんて、とってもすてきじゃないか!

 青い星に行くのは、ミケ隊長、レオ、タンタン、そしてノラの四人となった。出発は一週間後。それまでに荷造りと、もしものときのために家族や友だちにお別れをしておくようにと、ミケ隊長は促した。

 ノラはもちろん、言うことを聞かない。

「ぜったい帰ってくるもの、お別れなんかじゃないよ」

 でも、ちっとも怖くないわけじゃあなかった。



 リックが夢中で読んでいるのを、ノラはじっと見つめていた。手には例の、リックが翻訳しようとしている本を抱えている。なのに視線はリックの手元に注がれ、顔は興味津々とばかり輝いている。そのことにリックが気づいたとき、ノラは表紙に描かれた調査艇を指さして、興奮気味に言った。

「ノラ!」

 ノラが叫んで、リックの心が跳ねた。ノラも、ノラを知っているの? ああそうか、もともとシーフィシュ語の本だものね。これはぼくのお母さんがカウミル語に翻訳した本なんだよ。そう伝えようとノートを取ろうとして、ノラは続けた。

 抱えていた本を掲げる。

「ノラ!」

 ノラの指は、表紙の猫を示していた。

執筆済みの章はすべて投稿しました。

今後は二週間に一度のペースで更新していきます。

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