エルの顔
428だ。
ふえた……。
明日も頑張ろう。
ガスマスクを借りた俺の目は本来の視界を取り戻した。
風に叩かれる事で、多少は見え難く成っただけだと思っていたのだが、相当に邪魔をしていたようだ。
眉を絞り細くして、その上で泪が止まらない状態はやはりに見えていなかったのだと思い知らされる。
今はその風はガスマスクのレンズを叩くだけだ。
ハッキリと開かれた目は遠くまで見通せる。
そして、エルが言っていた車を見付けた。
遥かに遠い場所だが、グングンと近付いてくる。
それはキューベルワーゲンで、その乗員もこちらに気付いた様でなにやら騒いでいた、オープンカーなのでそれも丸見えに見える。
こちらの速さに驚いている? それも有るだろうが、明らかに指を差して見えるそいつ等は慌てていた。
そして、服が黒い。
親衛隊の制服かどうか迄はわからないが……それっぽくも見える。
単純に俺がそれを思い込んでいるだけかもしれないが。
怪しいとしか思えない。
そこには証拠は何一つとして無いのだが……だ。
しかし、今はそれに構っている暇は無い。
と言うか……アンを狙う奴等なら逆に構ってもらはなければいけないのか。
俺達を見て。
追い掛けてこい。
キューベルワーゲンの脇を猛スピードですり抜ける。
向こうもこちらに向けて走っている……ほぼ全速だろう。
その相対速度は300キロ近い筈。
流石にその速度は、すり抜ける瞬間にお互いを引き寄せようと力が働いた。
空気の流れってヤツだ。
バイクのバランスがそちらに振られた。
狭い舗装路から外れるわけにはいかないと身体を倒して重心を傾ける。
このスピードでは未舗装路は自殺行為だ。
どうにかギリギリでそれを回避はしたのだが……その慌てたせいで奴等の確認は出来なかった。
目線をそちらに向けるとバイクもそちらに動いてしまう。
人は無意識に視線の方向に体重を掛ける様に出来ているらしいからだ。
車に吸われる様にバイクが動くのにその同じ方向を向けば大きくそちらに逸れてしまう。
詰まりは土と草が剥き出しのそこに突っ込むってことだ。
なので俺には選択の余地は無い。
後は着いて来いと祈るだけだ。
速度差でそれも不可能では有るのだが。
スレ違ったのはその1台だけだった。
一時間近くを最高速を維持した俺は、王都の正面に迄到達していた。
後方からは誰も追い掛けて来ない……来れない?
街中は流石に少し速度を落とした。
それでも100キロから以下にはしたりはしないが。
活気の無い人通りも少ない街ではそれでもじゅうぶんだ。
幾つかの交差点を抜けて走ると、後ろのエルが騒ぎだす。
『違う違う、今の所を右だよ行き過ぎ』
『おっと、そうか?』
と、答えると同時にブレーキを掛ける。
リアブレーキを右足で踏み、次にフロントブレーキを握り込む。
その同時に左手のクラッチを握り、ブレーキを握ったままの右手でアクセルを軽く摘まんで一煽り、その状態で左足のギアを蹴り込んで下げる。
それを連続でおこない次々とギアを落としていく。
それは儀式の様なもので、それをしないとすぐにフロントのグリップが失われる。
エンジンの軽い2気筒のバイクの宿命だ。
それはもっと車重の有るハーレーでも同じ。
元々のバランスがフロントの方が軽いからだ。
4気筒のバイク乗りが一番に驚く違いでも有る。
しっかりと速度を下げて、左足を前に放り出す。
地面に踵を滑らせてバイクの傾きを感じながら、アクセル操作で車体を回転させた。
そして、そのまま加速。
交差点を曲がる。
ある程度の速度で曲がる時は、足は出さない。
内側の足の踵で今度は車体を挟んで押すようにしてバランスを取る。
そうすると自然と膝が外に向いて、世間で言う所のハングオンってやつに成る。
意識するのは踵で、膝が出るのはその結果だ。
そこを間違うと、バイクが曲がり切らずに飛んでいく事に成る。
駄目なバイクはそれでも適当に曲がるから間違っているヤツもいるが……見ていて危なくてしょうがない。
『次は左で、すぐに右』
エルが指示を叫んでいる。
それではまるで俺が方向音痴の様では無いか?
たまたま家に返る道を覚えていないだけなのに。
屋敷に飛び込んだ俺は、小屋のマンセルに叫んだ。
『アンが襲われている……敵は戦車を持ち出した」
それを聞いて飛び出してきたマンセル……と、元国王だった。
『あんた、何でここに?」
「あんた呼ばわりは無いじゃろう……車のメンテナンスを頼みに来ただけじゃ」
背後を指差している。
小屋のガレージで今まさにその赤色のアルファ75のボンネットを閉めるローザが居た。
「前回に見て貰った後が頗る調子が良かったのでな、気になる所も有ったので来たのじゃ」
なんだか悠長に話し続ける元国王は無視して続けた。
『今すぐ戦車は出せるか?」
頷いたマンセルとローザ。
すぐに動き出した。
「乗り手が足りん!」
「冒険者達に相談してくる」
叫ぶマンセルに答えて裏に走り出すローザ。
「何の騒ぎだ!」
叫んでいるのはヴェルダン・ヴィルフェルム伯爵、ここの当主だ。
二階の窓からこちらを睨んでいた。
「アンが……シャロン・アンが何者かに襲われている」
俺も叫び返す。
「なに! アンが」
ジジイの背後からまた別な男が顔を出した。
来客中だったらしい。
普段は騒いでも怒らないジジイが怒る筈だ。
そして、その背後の男はアンの父親。
国防警察軍の長官だった。
何故ここにとは聞きたいが、タイミングは丁度良い。
事の経緯を話す。
その最中も背後話し声は止まらない。
エルが元国王と話している様だ。
「その傷……見せて貰えない?」
「良いけど……」
エルと話すもう1人の女の子。
「これなら、治せるでしょう?」
「ふむ……傷や怪我は治せるが……この症状はたぶん無理じゃぞ」
女の子は何時も元国王の側に居るマリーだとは想像が付く。
だが。症状ってのはなんだ?
やはりエルには後遺症が出ているのか?
あまりに気になったので、俺は話の途中で振り向いた。
エルの顔がおかしかった。
鼻と口が前に飛び出している、そして毛むくじゃらだ。
それは人では無くて狐の顔。
「なんで!」
エルを捕まえて。
「いつからだ!」
「リハビリを始めた時から……少しづつ」
目を伏せたエル。
だからそれを隠すためにズッとガスマスクをしていたのか。
誰にも知られないように……。
俺に心配を掛けないようにか?
「この子の能力に変身てのが有るのでしょう?」
俺に聞いてくるマリー。
「人間に成るだけの変身の筈だ」
頷き、答える。
「それが暴走しているのね……変身は2つ身体そのモノを変えるのと、見た目だけをそう見える様にするのと2つ有るけど、この子は後者のタイプね」
「それがわかるのか?」
俺にはその違いがわからない。
「私は大錬金術師よ、魔素の変化も見てとれるは……この子の場合、魔素が溢れてそれが先祖帰りの姿に見せているのよ」
「なら、その魔素っての抑えれば良いのか?」
少し考え始めたマリー。
「貴方の考えている様には……たぶん無理ね」
「じゃあどうすれば……」
俺はマリーの肩を両手で掴んだ。
小さな女の子……だけどゾンビだ。
その触れた肩はやはりに冷たい。
「魔素の暴走で……死にはしないよな?」
それにはただ唸るだけ。
「わからないのか?」
「頭の傷が切っ掛けのスキルの発現なのだけど……そのスキルが魔素の消費量が少な過ぎて……基礎スキルの方の能力が成長し過ぎたせいでの魔素の増加を越えられない……」
ブツブツとわけのわからない事を呟き出したマリー。
「とにかくじゃ、その傷はワシが治そう……その先はまた考えれば良いじゃろう?」
と、そこまでをマリーに告げた元国王。
急に振り返り、母屋の窓に向かって叫び出した。
「煩いぞ……少し黙っておれ!」
それまで、俺が話の途中で止めたことでエライ剣幕で怒鳴り散らしていたヴェルダン・ヴィルフェルム老がその声をピタリと止める。
そして情けない声音の叫びを上げた。
「元国王!」
「だから煩いと言っとるんじゃ……邪魔するな」
もう一度叫んだ元国王。
それを脇で見ていた俺はジジイに同情するしかない。
あまりに可哀想で、そちらを見る事も出来ない。
しっかりと確認していなかったジジイの自業自得では有るとは思うが……この状況は確かに……マサカだよな。




