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桜子1 サエ1

――渇きに餓えたらくだのために、私が知る限りの明日の魔法少女について。

  桜子1


 天使に会った。学校の帰り道、私の前の少しだけ地面から離れたところに、小さい車輪の様な閃光のあとからその姿は現れた。天使は陽の光を背にしながらも全身から白い輝きを放ち、翼は光芒のように全部をはっきりと見ることができないほど眩かった。私がそれを光りの加減による幻視のようなものと思わなかったのは、天使が現れたとき、路の反対側から猫が飛び出して来たかと思うと、私の傍で急停止し、車輪の様な閃光から朧な人の形が覗きはじめた空間を見上げ、短い声を発して反転し、来た時よりも早く走り去る姿を見たからだった。


 それから天使が話し掛けてきた。


「ごめん、ごめん、驚かせちゃったみたいだね」


 私は振り返った。


「君だよ、君」


「きみ?」私は自分の声が耳元で、ぼおっ、と響くのを感じた。


「こっちだよ、」白い光が揺れる。蝋燭の灯が揺れるような、液体が動くような微かな視覚的歪みがその光を象っていた。「あ、ごめん、ごめん、眩しかったんだよね。気を抜くとすぐこうなっちゃうんだ。すこし待って」


 そう言うと、風船が萎むような具合に白い光が弱まっていった。それでも天使の姿にも、その下の地面にも影はない。


「これで、見やすくなったかな?」


「女、の子?」天使はまるで、光そのもののようだった。


「天使だよ。天使は、天使。人間が言うところの雌雄はないよ」


「しゆう?」私は天使の言葉をいちいち聞き返すことしかできない。彼、又は彼女の声が目の前の空間から発せられていると信じられない気持ちがあるからだろうか、無意識に時間を稼ごうとしていたのだと思う。


「あー、だけど、人間の描く天使には大人の女性だったり、ちんこ丸出しの坊やだったりするものもあったかな。この世界の動物としての機能はともかく、人間の側にとっての意味的な機能はあるのかもしれないね」


 私は耳元か、目の前の光からか分からない声が言う、人間、という表現が気になって、それ以外がよく飲み込めなかった。天使はそんなことには構わず続けた。


「僕、私は、君に近付くための姿をしているのかな。だとすると、僕は君に近い状態の女の子なんだろうね」


「やっぱり、女の子なんだ」


「うん、そうだ」


「私には、そんなに近くないと思うけどね」


「そう? とっても可愛いと思うけどな」


私は天使の軽い物言いが少し面白くなってきて、「それって、自画自賛?」


「天使だからね!」天使は素晴らしい笑顔で答えた。その様、ではなく、天使自身であるから、特別な表現など必要ないのかもしれない。何か言いたい気がして、ところが思い付きの発想が自分で可笑しく、ふっ、と笑った隙に言葉を見失っていた。


「笑うと、また素敵だね」


「そう? どうも」


 気がつくと、天使の光はさらに弱まっているようだった。今では、天使の全体が見える。顔や肌の色は白いのか、光のためにそう見えるのか区別できない。身長は私と同じくらい。癖のある短い頭髪が僅かに金色掛かって見えるけれど、それは背後の陽の光による効果のようにも思われる。何より、身体と衣装の境目が殆ど分からない。白いワンピースのような服か身体、スカートか身体の一部かも分からない裾が、風の方向に関係なく常に揺れ動いている。さらに身体の後ろ側に一対の翼があり、色は白か透明で、はじめに想像していたよりもずっと大きく、広げると身体の二倍程になるかもしれない。


 そんな天使の姿は、私に近付くためだと言った。私がそれについての疑問を口にしたかは分からない。もしかすると、無意識に呟いていたかもしれない。或いは、天使は私の感じることを読み取ることができるのだろう。


「そうそう! そんな君に、お願いがあって、僕は降りてきたんだ」


「……」私は天使を見詰めた。


「君には、素質があるんだ。だから僕は君の前に現れることができた」


「素質?」


「そう、素質。天使の力を使う素質。魔法を使える素質が君にはある」


「天使なのに、魔法なんだね」私は直ぐに言わなければ良かったと思った。


「まあね」


これは、彼女を増長させる。


「天使の力を借りた奇跡と、魔法という呼称へ対応する現象に、君たちは見分けを付けられないだろう?」


「そう、かもね」


 直ぐに天使が言葉を挟むと思った。畳み掛けるように捲し立てる、それが彼女のやり方なのだろうと、そう思っていた。ところが、彼女は何も言わなかった。微笑み、と思われる表情で私を見詰め返している。天使の表情、姿、纏う雰囲気は正しくそのもので、私は優しい気持ちがどこからか沸いてくる感覚を覚えた。天使の放つ光が柔らかく、まるで慈愛が注ぐ夜明けのように自信に満ち溢れ、あらゆる恐れや不安を除いてくれる様な陶酔感と共に、身体が温かく包まれているのがわかった。私は天使から目が離せなくなっていた。


「わたし、」


 私を見詰める天使の眼は、微笑みながら今にも泣き出しそうなくらい潤っていた。


「わたし、」


「わたし?」天使が優しく私の言葉を促す。


「わからない」


 それからまた、沈黙があった。天使は、あくまで私の言葉を待っているらしい。迷いが私の思考を刺激したのか、私は咄嗟に思い出したように、


「あなたは私に何を、頼みに来た、の?」


「君に、戦ってほしい」天使がやや声を低くして言った。


「戦う?」


「そう、戦う。魔物、怪物、化物、言い方は何でもいいけど、悪魔みたいな、君や君の周りの人間や、この世界の住人へ害を及ぼす存在と」


「あなたは、戦えないの?」


「できるなら、僕がそうしたい。だけど、できないんだ。それは彼等と同じになってしまうから」


「あの、わたし、」私は口をぽかん、と開けて間抜けな顔をしていたと思う。


「仕方ない。あまり時間はないけれど、今日は止めておこうかな」


「あの、」


「ううん、気にしないで。ただ、素質がある子はそんなに見つかるものじゃない。君の魅力を見過ごせなかったんだ。」天使は翼を一回羽ばたかせた。「きっとまた会おう」


「……うん」私は、その場で彼女の願いを受けいれてしまいそうだった。


 天使はもう一度羽ばたいた。小さな車輪の光が溢れ、やがて眩さの中に消えていた。消える直前、天使は見上げるように顔の向きを変えた。天使が私から視線を逸らしたのが分かったとき、私はとても息苦しいような、胸が締め付けられるような感覚を覚えていた。


 天使は消え去った。私の家へ続く路が金色の光に照らされていた。家へ帰り着くと、幼い妹が出迎えてくれた。それが私の気持ちを落ち着かせた。今日、天使に会ったよ。そういう私を妹が見上げ、円らな瞳を輝かせながら、てんし? と繰り返した。妹を抱きかかえて奥の部屋へ入ると、明るい台所で仕事へ出掛ける前の母が夕飯の準備をしていた。居間と食卓は薄暗く、その奥の台所にのみ照明がついている。窓から射す午後の光が空間を横切って、入口と台所を分断している。桜子? おかえり。ゆーちゃんも、起きたの? 母は私と妹の方を見ずに言った。私は妹を降ろして、母を手伝うために台所へ入る。もう直ぐ、父親も帰ってくると母から聞く。妹が、自分にも仕事を与えてくれと私の足にしがみついてくる。私は踏み台を取りに流し台の前を離れる。妹はついて来る。踏み台を持って台所に戻る。妹は駆け足でずっとついて来る。食器棚の下の引き出しを開け、そこから箸やスプーンを出してテーブルに並べるよう妹に言う。黙ったまま、首を縦に大きく振って妹は応えた。私は流し台に放り込まれた調理器具を片付け始める。もうその辺でいいから、ゆーちゃんに食べさせてあげて、と母。分かった、と私。母が出掛けようと玄関へ出た所で父が帰ってきた。父は着替えるとすぐに食卓についた。夕飯は三人だった。妹は食べるのが遅い。一緒の私もなかなか食事が終わらない。お風呂へ行きなさい、と父が言う。さーちゃんと? と妹が尋ねる。父は空になった食器から順に台所へ運び、私が仕掛かりだった片付けを引き継いだ。食事中、だんだんと不機嫌になっていった妹は、湯船に浸かった途端に覚醒し、狭い浴槽内で盛んに手足を動かした。洗髪で頭に湯を掛ける時、甲高い声で叫ぶのが彼女の癖だった。風呂から出ると父が洗濯物を畳んでいた。風呂場で活発だった妹は熱が冷める速さで元気を失い、酔っ払いのようにふらふらしている。時々、彼女にしか見えないモノに語りかけているのか、奇声を発す。しかし、眠気が増すにつれて間隔は広くなっていた。私は妹の頭を膝にのせ、彼女の歯ブラシを彼女の顔の上にかざす。彼女は反射運動か、自動化プログラムが組み込まれているのか、瞼を半分閉じたまま精一杯口を開く。歯を磨き、口をすすぎ、妹はねむたくない、と小さな声で繰り返す。父が妹を抱きかかえると、彼女の瞼は固く閉じられていた。私はコーヒーと戸乳を半々にしたカップを持って自分の部屋へ行った。学校の課題を開きながら、天使は、他の人にも見えていたのだろうか、あの時、たまたま近くにいたのが私だっただけではないのだろうか、他の場所から、あの時の私や天使は見えていたのだろうかと考えた。天使の姿はよく思い出せた。それは記憶の中の存在であっても、うっとりするような姿だった。


  サエ1

 光を見た。遠く丘の中腹辺り、坂道の途中か公園のような場所だった。しかし、後からユミもケンも分からないと答えた。あれ、何か光っていない? そういう私の言葉が、すぐには二人へ届かなかった。いつの間にか開いた距離を駆け足で詰めようとした。私と二人は遠かった。ねえ、あれ、見て? 私は叫んでいた。自分の声がよく聞こえた。僅かに残った桜の花弁が音もなく、くるくると錐揉みしながら私たちの間を過ぎ去った。私はもう一度二人を追いかけた。直ぐに追いついて、


「ねえ、あれは何?」


「びっくりした!」ユミが振り返って「サエ?」


「あそこの丘、何か光ってない?」


「光?」ケンが低い声で言う。


 もう一度確かめようと私も視線を移した時、その光が弱まっていき、やがて消えるところだった。最早、私にも分からなかった。気のせいだったのだろうかと私は考えた。それでも、その光はとても印象的だった。二人に上手く説明できないことを気持ち悪く思いながら、私は、その光が決して見間違いではなかったと信じつつあった。訳の分からない自信が何を頼っているのか、それを見出せないまま、私は二人との隔たりを決定的に感じた。よろけたと感じた私が寄りかかることを許された実体を伴う何かは、私が生み出した妄想だったのかもしれない。とても子供っぽい妄想だと思った。果たして、二人が分からなかったのは、私が遅かったからなのだろうか。私はかえって不安だった。


 私たちはそれぞれの家へ帰るために交差点で別れた。私は二人に対し、またね、という自分の声が耳の奥で隙間風のように響く嫌な感覚を覚えていた。二人と別れてから家まで距離があった。光の見えた丘を背に、緩やかな坂を下っていく。商店街を抜け、石壁が続く路を進み、交差点を曲がると海が見える。背の低い、古い家々の集る住宅街の、敷地の角に逞しいガスバーナーからの炎のように伸びる椿が立つ木造二階建てのアパートは、地下水を含んだ土は黒く柔らかいが、海へ向かう下り坂の途中で、日当たりがよく、梅雨の時期を除けば湿気が溜まることもない清々しい場所にある。一階の角部屋へ近付きながら鞄から鍵を取り出し、家へ入る。光が見える。部屋の照明は点いていない。窓から差し込む西日が斜めに、部屋の半分を塗り分けている。その中に、お母さんがいた。仕事へ行く用意をしているらしい。


「もう、行くの?」私は鞄を肩から外しながら言う。


 お母さんは膝立ちになりながら、「うん」


「今日は早く上がってくるから」


 私は自分の部屋の扉を開けながら、うん、と応える。それから言葉を探して、


「お祖父ちゃんって、明日だっけ?」


「明後日」


「ああ、」制服の上を脱いでハンガーに掛け、「ご飯どうすればいい?」


「一応、昨日の残りがあるよ? 嫌だったら好きに作って」


「はーい」、私は自分の机の上の作り掛けの赤いスポーツカーのプラモデルに目を遣りながら、残り物を温め直している自分の姿を想像していた。


 私はよくプラモデルを作る。組み立てるだけではなく、塗装もする。それが好きか、趣味かと問われると分からない所があるけれど、多くの時間を費やしてきたことは間違いない。ただ、プラモデルが趣味という人と話が合ったことはない。モデルの話し、キットの型の話し、塗料の話し、塗装や組み立てに関する様々な技巧的な話しの殆どについていけないし、塗装や組み立てに関しては他者と会話すること自体が煩わしいことも多い。昔、お父さんの勧めでプラモデルの展示会に参加したことがあった。私の作品は比較的高めに評価された。しかし、未熟な点が多かったのは事実だった。目の肥えた来場者達の多くがその点を見逃すはずがなかった。ところが、その作品がお父さんではなく、お父さんの影に立つ、連れて来られたような私によるものであると知ると、口頭での批評は九割好意的なものに変わった。今となっては、それが世辞や建前であると理解できるが、私は自分の心許無い作品を前に強い不快感と不審を抱いた。何より、「今後に期待」という、欄外の特別賞のような評価を与えられ、スタッフからカードを貰ったことによって、この時の事をより強く印象付けられた。それでプラモデルを作らなくなったわけではないが、あまり他人に見せたくないと感じるようになっていた。何より、完成させたモデルは、思い入れのある幾つかを除いて長く保存することがない。何を作ったかもしばしば覚えていない。時には、今自分が作っているものがどういう物なのかさえ知らないこともあった。


 着替え終えて机の上の散らかりを端に寄せていると、お母さんの、行ってきますという声が聞こえた。私の、行ってらっしゃい、という声を最後に家の中は静かになった。


 私がプラモデルを作り始めた切っ掛けはお母さんにあった。お母さんは昔、家で仕事をしていた。内職と呼んでいたそれは、土産物の小さな人形に塗装を施すものだった。沢山の小さなフクロウの人形に、一つ一つ同じ色を塗る。一様に並べて乾燥させ、さらに色を重ねて小さな筆で模様を描き込んでいく。再び乾燥させ、一定の数ずつ束にして僅かなお金と引き換える。お金は回収に来た人からその場で渡され、一緒に次の人形の束を渡される。酷く退屈で、時間が掛かり、何よりお金にならない仕事で、時間の無駄を感じたとお母さんは時々振り返るが、まだ幼かった私には、それがとても面白そうに映った。当時の私は遊び心からお母さんを手伝いたいと言ったはずだった。その時、お母さんがこれは仕事だから、これを上手く作れるようになるまでは、手伝わせられないと言って渡してきたのがプラモデルだった。それは当時家にあった数少ない装飾品類のひとつで、テレビの傍の透明なケースに入った昔の飛行機のモデルと同じものだった。それはお母さんが昔作ったもので、これが作れるから、この仕事を任されているのだと私に話していた。始め、私はそのプラモデルを完成させることさえできなかった。それを見たお母さんは次のモデルを私に渡した。その繰り返しが続いた。お母さんとその事についてどんな話をしたかあまり記憶にないけれど、私はいろいろな事を言い、お母さんは私との会話が増えたとも言っていた。ただ、私が作っているモデルには決して触れなかったし、いつしかお土産塗装の内職を辞めてしまってからも、時々新しいキットを買ってきてくれた。頻度は少なくなったが、それは続いていて、今ではそれがお母さんの精神状態と深く関わりがあるのだろうと感じられることがあった。私はプラモデルのモデルと同じくらいに、お母さんの事を知らないと思うことがある。お母さんが作ったモデルは今の家にはない。それでも、お母さんが今までに作ったプラモデルは沢山あるはずだった。昔の展示会にて自分の作品と共に、当時のお父さんと肩を並べる写真をアルバムの中に見つけたことがあるし、幼い私を抱くお母さんの写真に、作りかけのプラモデルが広げられた机が映っているもの、私が生まれる以前のもっと古い日付の写真には沢山のモデルがショウケースに並べられている、今の家とは違う場所が写っているものもあった。プラモデルのみを映した写真さえあり、モデルはいずれも美しく組まれ、鮮やかに塗装されていた。お母さんの技量が高かったことは間違いない。今では、それらのモデルは一つも残っていない。そして、今のお母さんはプラモデルを作らない。お母さんが自分でプラモデルを作らなくなったのはお父さんがいなくなった少し後くらいからだと思われ、憶測では、内職を始めた切っ掛けもその辺りにあったのだろう。或いは、お母さんがプラモデルを始める切っ掛けが、お父さんだったのかも知れない。


 学校の課題を片付けようとしていると、外は暗くなっていた。夕飯を温め、風呂に入り、机の前に戻ってきて、机の端に押し退けていたプラモデルの続きに掛かった。昨日塗装した部品はすっかり乾いていた。色を足すか、他の部品と組み合わせるか、チラシの裏に色鉛筆でイメージを描きながらぼんやりと過ごした。テレビから聞こえてくる音以外、家の中は静かだった。


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