プロローグ
またいつもの朝が来た。
女房が死んでからというもの、一日の生活はほぼ決まった形となった。
朝は、女房が大事にしていたカーネーションに水をやりながら、いつもの光景を心待ちにする。
「おじいちゃんこんにちは!」
「はい、こんにちは」
近くの小学校に通う子供たちと挨拶を交わす。
盆と暮れしか返ってこない一人娘の孫よりも、よっぽど身近に感じられる存在である。
「今日の給食はね、カレーなの!」
「そうかいそうかい、よかったねぇ」
「うん!いっぱい食べるんだ!」
…と言っても、このように会話を交わしてくれる子供たちはそう多くない。
高学年の男の子たちは挨拶をしても
「うるせーじじい!」
と返してくる。
それも微笑ましいものだが。
登校時間直前。
数分前は活気に溢れていた通学路が閑散とする中、心ここに在らずという具合に歩く子供たち。
「こんにちは」
と、挨拶をしても
「……」
何も返してはくれない。
私は、そういった子供たちが一番心配なのである。
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やっと朝が来た。
いつもより1時間も早いけれど、着替えて食卓に向かう。
「おはようお姉さん、望悠起きてる?」
「起きてるよ、今朝は機嫌がいいみたいね」
「んーおー」
望悠は私の妹。障碍はあるが、姉の伽奈さんのおかげでだいぶ楽しくやっていると思う。
「というか、いい加減お姉さんはやめてよ藍」
「もう慣れちゃったし」
実は、伽奈さんは本当の姉ではない。
でも、このことは思い出したくない。
「……」
「ごめん、朝から嫌な思いさせたね」
「大丈夫」
「……さ、お母さんとお父さん起こさなきゃ」
……暇ができてしまった。
「あーぅ」
「どうしたの望悠、今日はすごいご機嫌だね……」
あの時はこんな会話なんてできなかった。
殴られ、蹴られ、体中痣だらけになり、なけなしの食事をする。
喋る元気なんてなかったし、ましてや勉強することなんてできなかった。
あんな男と結婚した母を憎むこともあった。
でも母は私と望悠に優しくしてくれた。
一番つらかったのは母だったのに。
それなのに……私は母を守れなかった。
「藍、望悠、おはよう~」
「ほら今日から異動なんだからシャキッとしなさいシャキッと、またネクタイ曲がってるじゃないもう……
おはよう、藍、望悠」
「えーぃ」
「うん、おはようお母さん」
この人は咲江お母さん。
実のお母さんではないけれど、私と望悠を助けてくれた。
助けてくれたのは稔お父さんもだけど……適当なところは直してほしい。
「じゃあいってきまーす!」
「伽奈、お弁当持ったー?」
「うん、今日は忘れてない!」
「いってらっしゃーい!」
伽奈さんは近くの看護学校に通っている。
望悠を世話しているうちに、本気でその道を目指したいと思ったらしい。
「どうした藍、今日は随分と早いじゃないか」
「なんか目が覚めちゃって」
お母さんの自慢の朝ご飯を食べながら他愛もない話をする。
普通の人には平凡で幸せなこの瞬間も、私は一層幸せを噛み締められる。
「いってきまーす!」
「「いってらっしゃーい!」」
家族に挨拶をして、いつもの場所で友達と待ち合わせ。
勉強のこと、来月の球技大会のこと、夢中で話しているうちに学校に着いてしまった。
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「ほら正斗、朝よ起きなさい」
また、朝が来てしまった。
「はぁい」
仕方ないから起きる。
今日もまたやられるのだろう、そう考えると行きたくなくなる。
そんなことはお母さんにはおくびにも出せないけれど。
「あなたー?起きたのー?」
お母さんの名前は恵美。お父さんの名前は健吾。
最近さらに仕事が忙しいらしい。
「ごめんな正斗、今日もお父さんお母さん遅くなるんだ」
「大丈夫よ、正斗は偉いもの。またあのお肉冷蔵庫に入ってるからね」
「うん大丈夫。お母さんお父さん仕事頑張ってね」
「ああ、いつもありがとな、正斗」
食卓でいつもの会話。別に不満なんかない。
僕を育てるために仕事を頑張ってくれている。
そんなこと、分かっている。分かっているはずなのに。
置いて行かれている気がする。
……僕は学校でいじめられている。
石嶺と、遠藤と、馬場に。
僕は勉強はできるほうだけれど、運動は苦手。
そのことをいいことに。
先生に言おうと思った。でもそれで仕返しをされたら。
友達に言おうと思った。でもそれで友達もいじめられたら。
お母さんお父さんに言おうと思った。でも仕事が忙しいし。
迷惑かけたくない。そう思うと言えない。
「いってきます」
「「いってらっしゃーい」」
家族に挨拶をする。
僕は早く家を出るけれど、あいつらに会いたくないから回り道をする。
こっちの道はあいつらは使わない。
いつも、楽しく話す同級生がいる。クラスメイトの鹿屋さん。
成績も一番で、友達もいる。
……僕は、何か間違ったことをしただろうか。
そう思っているうちに、学校に着いてしまった。
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あぁ、朝が来た。
「首痛い……」
昨日遅くまでやっていたからだろうか。
寝不足気味で首も痛い。
「六歌ー、起きたわねー?」
「起きたー」
起きたらまずFulitterで『おはよう』と投稿する。
「相変わらず一瞬だなぁ」
すぐさまリフリークとライクが飛び、『おはよう』という返信が何個も送られてくる。
「こいつらストーカーを本職にでもしてんのかよ」
皮肉を呟きながら着替え、朝ご飯を食べに行く。
「六歌、昨日遅くまでなにやってたんだ?」
「宿題。やり忘れてたから」
もちろん嘘だけど。
この柊人という父も、台所で忙しそうにする桜という母も、私の裏の顔は誰も知らない。
「あんまりパソコンやりすぎないでね、目が悪くなるわよ」
「わかってるよ」
もうすでに目は悪い。最近友達にメガネを貰った。
別にうちの親は口うるさくないから、適当にあしらっておけばいい。
毎日部屋で歌ってるのが聞こえないくらい馬鹿でかいんだよこの家は。
「いってきまーす」
形だけのあいさつを言い、スマホ片手に学校に向かう。
「それにしても朝からパスタ食べさせるか普通」
独り言の毒の強さとは裏腹に、『今から学校向かいます♪』と投稿する。
これも一瞬で200リフリーク。
『行ってらっしゃい!』『頑張ってね!』『気を付けてね!』
保護者かこいつら。
まぁ何はともあれ、人気があるのは嫌なことじゃない。
前に歩く男子たちも、家では私の歌を聴いているのだろうか。
そう思うと何とも言えない感情で満たされる。
早く歌いたい。
でも、学校に着いてしまった。
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「ほら!夢叶!起きて!」
「あー?」
「今日からお母さん出張だから!またお婆ちゃんのとこに行きなさいよ!
朝ご飯作ってあるから!ちゃんと食べていくのよ!わかったわね!」
「あーもうわかったようるさいなぁ」
朝が来ちまった。
「パンでいいのに」
味噌汁に鮭に昨日の残り物。かーちゃんが作る飯はいっつもこんなもん。
「正直飽きた」
お婆ちゃんが作る飯もつまらないものばかり。俺は肉が食いたいのに。
「今日は何しよっかなぁ」
あいつにすることを考えながら、家を出る。
「よう夢叶!」
「今日も一人かよ」
「うっせえお前ら」
友達と今日の作戦を練りながら学校に行く。
途中で学校近くのじじいに「こんにちは」と言われた。
今はじじいの相手なんかしてられない。
「うるせーじじい!」
と返してやった。
「靴にパン詰めてやろうぜ!」
修一が提案するが、
「つまんねえよそれ」
耕太が却下する。
「それだったら靴もあいつもびっしょびしょにしてやろうぜ」
「いいなそれ」
「そうしようぜ!」
……別にあいつが悪いってわけじゃない。
でもなんかウザい。見てるとムカつく。だからやる。
弱いからじゃないと思う。名前がどうこうじゃないと思う。
よくわからない。
「おーい、早く来いよ夢叶!」
あいつをからかって時間を潰すだけの、退屈な学校に着いた。
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「渚ちゃん、起きなさい」
「えー学校行きたくないー、今日休むー」
また朝が来ちゃった。
「そんなこと言わないでー、私だって渚ちゃんと一緒に居たいけど、渚ちゃんは学校、私も仕事に行かなくちゃいけないのよ?」
「わかったよママ」
ママが先月買ってくれた高級ベットを仕方なく出る。
「肇さん起こしてくるわね」
「ママ、今日の朝ご飯は?」
「黒毛和牛のソテーよ、デザートもあるからね」
料理が上手いママで本当に良かった。
学校の給食なんかより遥かに美味しい。
「紀子ちゃん、瑠梨ちゃん、渚ちゃん、おはよう~」
気の抜けた声でしゃべるのはパパの肇。
「朝練あるから行ってくる」
瑠梨姉ちゃんは軽音楽部でボーカルをやっている。
音楽のことはよくわからないけど、正直上手いとは思わない。
「なんか最近瑠梨ちゃん元気ないわね」
「バンドってやつがうまくいってないんじゃないか?」
「夜に少し聞いてみるわ、……って渚ちゃん時間よ」
「やばっ」
慌てて家を出る。
まぁ別に勉強なんかしなくてもいい。
私には天から授かった『綺麗』という才能がある。
絶対にモデルになると決めた。
そのためにはどんな努力もする。
「はぁ……なんで勉強なんかしなくちゃいけないの」
少し憂鬱になっていると、学校に着いてしまった。
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「起きろ!!大希!!!」
また一日が来た。朝から父親・剛の怒号が響く。
「……」
何も言わず布団から出る。
「まったく……魁はとっくに起きて朝学に行ったというのに」
また兄貴と比べられた。その度に兄貴が嫌いになる。
「大希~ご飯できてるから食べなさーい」
母親の恭子は唯一の俺の味方。
でも泣きつきたくはない。
俺にだってプライドはある。
「もう時間ないぞ!早く食え!」
父親は俺に最後の文句を言い残し、家を出てった。
「チッ」
母親に聞こえないように舌打ちをする。
これだけで勝ち誇ったような気持ちが沸いてくるのがたまらなく嫌になる。
「いってきまーす」
「いってらっしゃい!がんばってくるのよ!」
母親のその言葉で少しだけやる気が出る。
通学中は、脳内で愚痴を言いながら歩く。
途中で知らない爺さんにに声をかけられた気がするが、俺なんかに話しかけて楽しいんだろうか。
さっき出たやる気も近づくうちに消え失せ、学校に着いてしまった。
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今日もまた、朝のドアを開ける。
「はいみんな席について!出席とるわよー」
今まで騒いでいた生徒は仕方なくと言わんばかりに席に着く。
「相川茜さん」
「はい」
いつもの時間が始まる。
ただ出席をとるだけではない。一人一人顔をみて、変わったところがないかをみてあげる。
「……、石嶺夢叶くん」
「はーい」
この子はいわば問題児。ムードメーカーでもあるが、周りは迷惑している。注意しているのだが、聞いてくれない。
「……、粕田正斗くん」
「はい」
この子は真面目ないい子。だが少し内気で、最近元気がない。気にかけてはいるのだが、話してはくれない。
「……、鹿屋藍さん」
「はい!」
この子は委員長。しっかりしていて面倒見もいい。だが複雑な家庭を持っているので、たまにナーバスになってしまう。
「……、倉本渚さん」
「はーい」
この子は人気のある子。素敵で大きな夢を持っているが、世間知らずな部分が多々あり、成績もそぐわない。
「……、来島大希くん」
「……はい」
この子は勉強が苦手な子。やる気も出ないようなので、最近手を焼いている。よく悪知恵が働く。
「……、武井六歌さん」
「はい」
この子はいたって普通の子。ではあるが知識が偏っている部分があり、何かを隠している気がしている。
「……、和久井奏さん」
「はい」
「全員いるわね。じゃあ朝礼に行きましょう。今日は新しい先生が来るのよ!」
生徒がざわめき出す。
この学校に先生が入るのは数年ぶり。
気持ちが上がるのも仕方ないだろう。
でも私には、これから何か大変なことが起きる気がしてならなかった。