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松平の離反

 松平元康は、幼少のころから今川義元の膝元で育てられた。

 幼い頃織田に拉致され、人質となった。

 父弘忠は織田の脅迫に屈せず、あくまで今川に忠誠を誓い、その後、今川方に連れ戻された元康をその忠誠の証として膝元において弘忠亡き後も丁重に教育を施した。

 そして元服にあたっては諱に義元の元の字を授けるほどに厚遇した。

 そのまま行けばいずれは今川を支える武将として活躍するはずだった。

 そんな元康はあっさりと今川を寝返り、かつて滞在していた縁をたどって織田信長のもとに馳せ参じた。

 元康の元の字もあっさりと捨てて信康と改名。徹底的に今川に後ろ足で砂をかけたのだ。

 この時、今川氏真の受けた衝撃は計り知れない。

 誰が裏切ったとしても元康だけは裏切ることはないと固く信じていたのだ。

 かの有名な元康サイドから見た話と大きく食い違っているが、これはどちらが真実かはさておくことにする。

 結局は一つの事実から二つの真実をそれぞれが作り上げただけだから。

 この一件は当然のことながら今川家臣団にも大きな影響を与えた、

 元康改め信康が今川を見限ったなら今川の先はそれほど長くないだろうと今後を見極めようとするもの。

 氏真の猜疑の目をどうかいくぐるか逡巡するもの。

 多種多様にその対応に追われた。

 そして、本格的に今川を見捨てようとする動きも加速した。


 そろそろ供養の依頼も減って、次郎法師は静かな日々を送っていた。

 父を亡くした痛みは今も胸の底に沈んでいるが、それをこみで生きていかなければならない。

龍潭寺から派遣されてきた僧侶たちもこの頃は落ち着いてきたという。

 戦死は戦国の習い、いつまでもくよくよと悲しんでいることもない。

 そして、松平家の離反の噂も聞こえてはいたが、その噂がどう動くか次郎法師は知らなかった。

 ただ、離反できた松平家を羨む気持ちもある。

 今は別の噂のほうが次郎法師の関心を引いていた。

 直親の妻が懐妊しているという。

 もし男の子が生まれたら。

 むろん井伊の家としてはそれは望むところだ。新しく井伊の人間が増えることは喜ばしい。

 それを自分が産めなかったことは多少なりとも心中は複雑だが、それでも何か重荷から解放されるような心持になるところもある。

 別の場所に庵を構えている母はどう思っているのだろうか。

 次郎法師は庵を出て山に分け入った。

 父に花を手向けながらそのことを語りかけようと思った。



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