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家の重み

 女達が笑いさざめくのを見ていた。

 撫子、露草、杜若、文目を染め抜いた鮮やかな小袖をまとった女たちが次郎法師の前を埋め尽くす。

 その向こうに騎馬姿の父がいる。

 女たちの背後からその姿を見送る。

 少しずつ遠くなっていく父と父にしたがう隊列を見送っていた。その姿が見えなくなるまで。

 威風堂々そんな言葉を体現したような行進だった。

 母が小さく手を振って見送る。

 そんな光景が脳裏に浮かんだ、しかし眼前にあるのは異臭を放つ白木の桶

 その桶の名を首桶という。

 白木の底はしみ込んだ地で赤黒く染まっている。

 そして首桶の前では母が力なく座り込んでいる。その目に光はない。そして焦点すらあっていない

 桶の中では父の首が朽ち始めているのだ。


 士農工商という言葉がある。工商が一括になるのはわかるが、何故士農が一緒なのかというと、元々同じだったからだ。

 ほとんどの兵士は戦のない時は農作業をしていて、戦の時にだけ兵役に就く。そのため

通常、戦は農閑期に行われる。

 義元が旅立ったのは五月、農繁期も真っただ中だ。

 であるからまともな使える兵が少なかった。二万という数だけをそろえたが実際どれほど戦えるものがいたのかは定かではない。

 しかし動員できる兵がいないのはあちらも同じこと、故に勝てると義元は確信していた。

 織田領内に入れば順調に砦を落とし、織田領内の中心へと攻め行く。

 破竹の勢いそのままに。

 そして桶狭間にと進む。

 桶狭間という紛らわしい名前にもかかわらず、その場所に谷はない。

 きれいな稜線を描く山があるだけだ。

 その山を八部どおり登った場所に今川義元は陣を構えた。

 その時暗雲が立ち込めた。

 突然の暴風雨にさらされたのだ。

 そしてその暴風雨に隠れて織田の軍勢が攻め寄せてきた。

 義元の誤算はまず織田が、農作業をしない純粋に戦うだけの軍団を作り上げていたこと。そして当時最新鋭の兵器、火縄銃をふんだんに持っていたことだ。

 銃はその殺傷力だけでなく大音量を立てる。

 その音は馬を暴走させる。

 銃声に負けないよう調教された馬が現れるのはこれよりはるか後の話だ。そして獣が普及するにしたがって甲冑に金属を多用するようになったが、それも後の世の話だった。

 織田にこれほどの銃があるという事実は今川にとって以外過ぎた。

 信秀信長親子は商業政策によって相当な富をため込んでいたのだが、その事実を知ってはいなかったのだ。

 そして暴風雨により視界がふさがれる。地の利は織田にあった。

 その混乱のさなか、義元は打ち取られた。

 どれほど時がたったものか義元の訃報を聞いた井伊直盛はその場で腹を切った。最後に首は小野に任せるなとだけ言い残して。


 次郎法師も母の横にへたり込んだ。

「父上は義元に殉じて腹を切った」

 抑揚のない意味を感じさせない言葉の羅列だった。

「腹など切らずに生きて帰ってくだされば」

 直親がそう呟く。

「なぜ、直盛が腹を切ったかわからぬか」

 皺んだ顔に沈む目は赤い。それでも力を失わない直平の言葉に打たれたように次郎法師は顔を上げた。

「此度の戦、勝って当然と皆思っていた、それがこの負け戦よ、戦に絶対はないというが、ここまで見事に負けるとはな」

 直平は吐き捨てるように言う。

「そうなれば、今度は裏切り者を探し出す、そ奴に負け戦の責めを負わせるためにな、だが、義元に殉じた直盛を疑うものはおるまい、そしてそうすることで、直盛は井伊を守ったのだ」

 曽祖父は拳を固く握りしめた。

 父は家族を守るために死んだ。

 胃の腑のあたりに重いものが沈む。

 吐き気を催す腐敗臭がこれを現実だと語る。

 家のためとはこれほどまでに重いものかとあらためて次郎法師は思い知らされた。



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