来訪者
今日も相談事を受け付けている。
相談事は多岐にわたり、それを裁くのも難しい、相談者と苦心惨憺で解決策を探ることも珍しくない。
そうこうしているうちに直親の婚礼が終わったという話も聞いた。
しかし今はそんなことにかまけていられないくらい忙しい。
こうして訪ねてくる人が絶えないのも自分が井伊家の人間だからと思うと妙な気になってくる。
すでに井伊家では用無しになっているような身の上なのに。
本日の議題は田んぼの境界線争い。
これは次郎法師が勝手に決めていいことではない。本家のほうで話を通さなければならないだろう。
「困ったね、お花ちょっと本家のほうに話を通してくれないか聞いてきてくれる」
「私どもで何とかなるでしょうか」
「手紙を書くよ」
硯と墨を用意しているとまた来客が来た。
削げたような頬をしたどこか堅苦しい姿をした武家の男だった。
「次郎法師様お久しゅうございます。松下にございます」
玄関で一礼すると男はお花の先導で部屋に入ってきた。
出家の住まいということで、畳も置いていない板敷に藁座を進める。
「家のほうで何か?」
井伊の家に仕える一人だ。それがわざわざ訪ねてきたということは実家で何かあったのか。
お花が白湯を持ってきた。
お茶などという贅沢品はない。茶はこの時代に中国から入ってきたばかり、ほとんどが輸入品であり、栽培も細々とはじまったばかりだ。
話に聞けども見たこともない。
「次郎法師様、貴女様は決していいから見捨てられたわけではありません、そのことお考え違いになられませんように」
そう言って深々と頭を下げる。
「このたびの直親様との破断、どれほど気に病んでおられるかと思われますが、どうかお聞き入れくださいますように」
「そう言われてもな、髪を下した時点で、亀殿との婚儀はないと思って居った。いまさらのことだ」
「次郎法師様」
深々と下げた頭を見下ろして次郎法師は呟く。
「私は今の暮らしが気に入っておるよ」
松下は床に頭をこすりつけんばかりに頭を下げる。
「寛大なお言葉に感激のあまり言葉にもなりませんが、どうかわれらの願いをお聞き入れくださいませ」
「何を願うというのです?」
何度も繰り返される願いという言葉にお花が怪訝そうな顔をする。
「次郎法師様、どうか直親様のお力になってくださいませ」
次郎法師は言われて困る。
「私に何ができます」
今、飼い殺しにも等しい身の上だ、何かできるという身の上では決してない。
「今なさっておられることです、領民の話を聞き指図をする、そして知りえたことを直親様にどうか教えて差し上げてください」
「ええと、それはどういうこと?」
松下は居住まいをただした。
「あの方は長くこの地を離れておいででした、そのためこの地の情報を知る手段がない、ですから次郎法師様にその手段となっていただきたいのです」
次郎法師はしばらくだまりこくって松下を見ていた。
「貴女の曾爺様は決してあなたをないがしろにしたわけではない、ただ何よりも井伊谷のことを愛しておられるそのために貴女様に苦痛を強いることすらしてしまう。しかし貴女様もまた井伊の家の子、井伊谷を案じる心に間違いはないでしょう」
「松下、頼みがある、実は領地争いの仲裁を頼まれている、そのことで家に頼んでほしい、私が決めるわけにもいかないからな、今後とも、そのようなことがあれば家との仲介頼んでよいか?」
「かしこまりましてございます」
松下は再び深々と頭を下げた。