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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あゝ不条理

作者: 北郷一人

お奉行様からほど近い中町に、鈴屋という屋号をあげた医者がいた。恭介という名の医者は誠実でよく働き、勘定も相手の事情を鑑みてまけてくれる事もあった、その土地では名前の通った男だった。


ある時、恭介は中町から少し行ったところにある、金持ちの家の娘の嫁ぎ先に往診に向かった事があった。娘の夫が病を患い、床に付いてしまったのだという。その年は流行り病があって、恭介もてんてこ舞いの大わらわだったのだが、その娘の親には幾分か借りがあったものだから、あんまり後回しにもできない。


その家に向かって娘の夫を診るに、やはり件の流行り病であった。けれど、厄介な流行り病と言えど、薬を飲んで安静にしていれば二三日で治るのだった。

恭介はその薬を娘に渡し、使い方を事細かに説明して(やはり借りのある家の娘であったことが影響してか、ただでさえ丁寧な恭介の説明は余分に丁寧で親切な説明であった)、その家を去った。


しかし、その数日後、再びその家に呼ばれたのである。一向に夫の様子が良くならないというのだ。

往診に向かった恭介は驚いた。なるほど確かに良くなっている気配は無い。恭介が診てきた中でこのような事例は一度と無かった。仕方のない恭介は以前にも渡した薬を同じように渡して帰るほかなかった。


その後も同じように呼ばれては、良くなる兆しのない娘の夫を診て薬を渡し、を繰り返した。その間にも熱心に恭介は偉い医者の元へ訊ねに行ったり、様々な西洋書物から参考になるものはないかと昼夜関わらずに勉強をしていた。

しかし、果たしてその努力は実らずに、娘の夫は息絶えてしまったのである。悲しみと自分の無力さに肩を落とす中、恭介は町の人のこんな噂を聞いたのだ。

「藪医者恭介、金だけ貰って人殺す」

それは次第に中町だけではなく、恭介が往診に向かうことのあった隣町にも広まっていった。それに比例し、恭介の仕事はみるみるうちに減っていってしまった。


ある時、恭介が八百屋へ買い物へ行くと、

「藪医者恭介に売れるようなものはないざんす」

八百屋の女将はそういうなり、恭介を店へ近づけようとしなかった。

またある時、恭介が隣町まで買い物へ行こうと貸し馬屋へ行くと、

「藪医者恭介に貸せるような馬はないざんす」

貸し馬屋の大将はそういうなり、恭介を店へ近づけようとしなかった。

次第に恭介は中町の人々から見放され、見る見るうちにやつれて痩せ細ってしまった。が、それを見ても町の人は、

「藪医者恭介に売る恩などないざんす」

と言わんばかりに恭介の心配などしなかったのである。


しばらくして、鈴屋が贔屓にしていた薬屋が哀れに思い、娘の家を見に行った事があった。その時、捨てられていたものの中に大量の薬が入っているのを見た。

薬屋はそれを恭介に伝えると、恭介は動くのがやっとの身体で薬屋に付き添われながら娘の所まで出向いた。

「なぜ薬を使わなかったのだ」

「だって、説明が長くて覚えていないのですもの」

なんという事か。良かれと思って事細かに説明した事が逆に災いしたというのか。これには恭介も薬屋も口をあんぐりと開けて呆然とするしかなかった。


真相がわかったとはいえ、町の噂が消えることは無かった。次には、娘は「薬を飲まないといけない診察をするほうが悪い」と言い出すのだ。町の人々は口々に新しいこの文句を口にするようになった。なぜならば、人々も皆この娘の家に借りがあったからである。


幸いにして恭介の家の裏手には、小さいながらも畑があり、細々としてはいながらも、そこで作った野菜を食べて辛うじて生きることは出来ていた。が、相変わらずの町の調子にうんざりして気を病みかけていたのである。


ある晩、恭介の家の裏手で騒ぐものがあった。

何事かと思い、恭介が駆けつけて見るに、そこには荒れ果てた畑があった。犯人の悪党はすでに遠くまで走り去っており、口々に「藪医者恭介に食うもんはないざんす」と言うのである。遂に恭介は発狂した。


他の町の人々にも娘による不評が湧き始めた。娘は人々のちょっとした失策を大仰に騒ぐだけではなく、自らの過失までもを人々のせいにしたのだ。

「八百屋の花さん、腐った野菜で金儲け」

「貸し馬の銀さん、暴れ馬で人殺し」

恭介を虐げた町の人々が次々に同じような目にあいだした。その途端に町の人々は恭介への負い目を感じ出したのだ。

いくら借りのある家の娘とはいえ、皆で団結すればどうということは無い。やがて娘は町から追い出されるに至った。

それを遂げると人々は恭介の家へ向かった。

「恭介、すまなかった」

人々が口々に謝罪の言葉を口にするが、家の中からは帰ってくる言葉はない。

あまりの静けさに、人々は「さては腹を立てた恭介が居留守を使っているに違いない」と思い、玄関の戸を開く。

その時、戸の向こうから聴こえたのは、なにか甲高い虫の羽音。一緒に腐臭が漂ってくるではないか。

よもや、と思った人々は慌てて家の中に飛び込み、今の襖を開く。はたして、そこに居たのは茶色に変色した大きなてるてる坊主だったのである。

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