汝、腐った隣人を愛せよ。
また思いつきのまま、書きました。
汝、腐った隣人を愛せよ。
この一文が書かれているのは、引っ越しの際に市役所から貰った冊子の1P目。これ以外にも、県境にある看板とか、民家の壁に付けられた看板とかにも書かれているし、駅前に行けば、市役所の人間がこの一文が書かれたビラを配っている。
この市には、いや日本、……世界中に腐った隣人がいるから。
腐った隣人……平たく言えば、ゾンビだ。しかし、映画やゲームに出るような人を襲うゾンビではない。
生きている人間と同じように、感情や表情も出るし、会話も通じる。しかし、腐っている。
1人、2人といった数ではなく、その数は日々増えていく。だが、墓地にいる火葬以外での死体は蘇っておらず、あくまでその場で死んだ人間が、ゾンビとなる。
事故で、自殺で、他殺、老衰等々、死んだ瞬間、ゾンビとなって甦る。いろんな理由で人が死ねばゾンビとなるのだから、今では生きている人間と変わらず、外に出ればゾンビが見られる程に増えている。
最初こそは、ゾンビが現れれば人はパニックになった。当然だ。映画やゲームでゾンビが人を襲う。という常識のようになっているそれは、人々を恐怖に陥らせる。現実にはゾンビなんていない。という事も頭にあったって、実物が現れれば悲鳴の一つ上げたって仕方ないだろう。
銃社会の国では、ゾンビが現れれば、それこそ弾切れになるほど銃をぶっ放したし、日本のような国では、誰もが悲鳴を上げ逃げ出す。
やっとそれが落ち着いたのは、現首相と最近亡くなったばかりの元首相が握手している画を見て。現首相の方は、表情は笑顔のまま固まっていたし、動きもぎこちなかったが。
[皆さん、落ち着いてください。ゾン……んんっ、この方たちは、危険ではありません。こちらに対して危害を加える気は無いのです。どうか、落ち着いてください]
[安本クん。もウ少シ、上手く言エないかネ?]
[は、はは……]
テレビを見て、ヤラセだ、映像編集だと騒ぐ人間もいるにはいたが、確かにゾンビはこちらに対して何もしない。そんな認識がジワジワと広がっていけば、人々は安堵しながらも、どこか警戒を解かずゾンビたちを遠巻きに見ていた。
政府からゾンビへの対応や、新たな憲法を発表していく頃には、ゾンビたちは『腐ューマン』と呼ばれるようになった。
何も心配することはない。安堵と同時に、反動が起こったのか、腐ューマンに対して狩りが行われるようになった。主に若者たちが行っているそれは、ゾンビ相手に傷害罪も殺人罪も適用されない。といった考えから。
「おら!死んでっから、痛くねえだろ!?」
男の一人が、少女の腐ューマン相手に蹴りを入れる。万が一でも大人の腐ューマンを狙うのは怖い。という実に小者らしい考え。男の仲間たちは馬鹿笑いし、エアガンを打ち、石を投げつける。周囲の人間は止めに入るでもなく、見て見ぬフリをしてその場から立ち去っていく。
「臭えんだよ、お前ら!大人しく墓に入ってろっての!」
「汚え。靴汚れちまったじゃねえか!」
「バーカ。だから道具使えばよかったじゃねえか」
「うっせェよ」
「ッ」
仲間の1人が、何かに気付いたのか凝視しているのを見て、他の者もそちらへと向く。
オオオォォオオオオオオォオオオ……
勢いよくこちらへ向かってくる塊。所々で蠢くソレは、腐ューマンの集団だ。
1人1人が険しい顔をしているのを見た若者たちは、持っていた物を落とし、その場から逃げ出す。どこまでもどこまでも追ってくる集団に、若者たちは警察署に逃げ出す。入り口に立っていた警官が入り口を閉め、騒ぎに気付いた他の警官たちも窓という窓を施錠するが、腐ューマンはガラスを叩いてくる。
「何なんだ!?」
「腐ューマンは人を襲わないんじゃなかったのか!」
「おい!お前ら何したんだ!?」
「し、知らねえ!俺ら、何もしてねえ!」
やがて機動隊や自衛隊が出動し、騒ぎは政府の方まで届く事態となる。
やはり腐ューマンは危険なのでは……?と、顔を強張らせる安本首相に、元首相である川口はニッコリ笑顔を見せてやる。
「問題無いヨ、安本クン。ダが、私は急がセタ筈だったネ?君の対応ノ遅サが、この事態ヲ招いたんだヨ」
「…………」
「腐ューマン同士は、繋がってルんだヨ。どこノ誰かガ危害を加えラレれば、スグに他ノ腐ューマンに伝わル。怒りヲ共有し、原因を絶てとイウ衝動に走り、行動スル。……私モ、行きたイんだがネ?」
カタカタと震え、肘置きを力強く掴む。何の汁か分からない黄土色の液体が指先から流れるのを見て、安本はゴクリと唾を飲む。
こんな騒動は、腐ューマンが現れた頃には無かったはずだ。生まれたばかりの腐ューマンは、コレに当たらないのだろうか?そんな事を考えている間も、立派な机に置かれた電話や懐の携帯は鳴りっぱなしだ。
「安本くン。私たちは原因を絶テレば、それでイイ。……わかるネ?」
遅れた対応のツケを、今払え。
そう言われた気がした。
「……」
安本は鳴りっぱなしの携帯を出し、通話ボタンを押す。
「……私だ」
こんな決定をして、許されるのだろうか?しかし、決断しなければいけない。悪いのは、ソイツらじゃないか。そうだ、余計な事をしやがって……
騒動の発端となった若者たち……しかし、護るべき国民である。……だけれど。
「……を、彼らに引き渡せ」
[!?で、ですがッ]
「いいから、言う通りにしろ!……被害が!大きくなる前に!」
勢いで電源ボタンを押し、安本はやってしまったと顔を覆う。
何て事を。私は今、何をした?
顔を歪め、引きつらせた声を出す安本に、川口の明るい声が掛けられる。
「それでいいのサ、安本クン」
違う方に向けられる目玉。カパ。と開く口の中で、赤黒い舌が蠢く。
「腐ューマンは、人を襲わない。……汝、腐った隣人を愛せよ」
川口の笑い声が部屋に響く。安本は、顔を覆ったままだった。
◇◇◇◇
「汝、腐った隣人を愛せよ……ね」
新しい場所に越してきたハツは、市役所から渡された冊子を流し読む。
人間が発端の、腐ューマンが起こした騒動から短くはない月日が経ったが、人々の頭から忘れられることはない。規制されることも無く騒動の終わりまで報道され、悪いのは原因となった若者たちだ……と、雑誌やテレビのコメンテーターも過剰なまでにバッシングしていた。
最近では、建前は上手く付き合っているようで、何が腐ューマンの逆鱗に触れるか分からない人間たちは、ビクビクしながら生活している。
腐ューマンは自分たちが危害を加えられなければ、至って大人しい。犯罪を犯すなど、皆無だった。その点でいえば、人間よりもよっぽど善人な存在だ。
「せんセい。分からナイ所ガ、アルんですが……」
愛せよ。と言われても、相手は腐っている相手だ。臭いが気になるという者もいれば、腐った手で触られたくない。という者もいる。居住区は人間と腐ューマンとで分けられたし、腐ューマン達も自分たちの体の事は解っているから、マスクや手袋、厚着は自ら進んでしていた。
ハツが教師を務める高校も、例外なく腐ューマンが通っていた。人間の親たちからは、何も言われない。それらしい事は、厚紙に包んだかの如く分かりにくく言われることもあるが。
クラスは、人間と腐ューマンとで分けられている。ハツの担当は数学。
「え?どこ?」
「……アノ。この、問3ナンです、ケド」
「ああ、これね。ここの公式を使うんだけど……--」
最初は、酷い臭いに危うく教室内で戻すところだった。他の教師たちも、腐ューマンのクラスに入る時はマスク着用を義務付けられているかのように、忘れることはない。
ハツは、目の前の女生徒を盗み見る。
制服から覗く首回りは傷だらけで、腐り始めている。顔の右上部分は潰れ、右目も無くなっている。そんな彼女は、生前はイジメを苦に自殺した……死のうと思った理由が、腐ューマンになれば、もうイジメられないから。と。
腐ューマンになったばかりは、元クラスメイト達からの心無い言葉や嫌悪を含んだ目で見られ、悲しそうにしていた。それでも、段々と明るくなっていった。腐ューマンになっても、学校に通いたいと言った彼女の両親は泣いていたが、今では前と変わらない態度で娘に接しているようだ。
そんな彼女も手袋をはめている。中身が滲み出ないようナイロンの手袋をはめ、その上に可愛らしい手袋で二重にしている。
「わかった?」
「ハイ。センセい。アリガと、ございマス」
ニコ。と笑う生徒の顔を見て、ハツも笑顔を返す。
腐ューマンについては、この高校に就任してから初めて接した。その前は遠目から見る事はあっても、係わる事など無かったから。
良い子じゃないか。とても。
接しているのが学校限定ではあるが、ハツにとっては目の前の子達は、とても良い子にしか見えない。
「また何か解らない所があったら、訊きに来なさい」
腐ューマンの中には、自分たちは腐っているから。と、触ってほしくないという者もいる。思春期の子達なら、尚更それが顕著に表れていた。
だからハツは目線を合わせ、ジッと真正面から見る。
「……はイ」
照れ臭そうに笑う彼女に、ハツは自然と口端を引く。
教室を出て廊下に出れば、そこには人間たちしかいない。別に腐ューマンの生徒が出てはいけないとは言われてはいない。排泄をすることもなければ、食事をとる事も無い腐ューマンの生徒たちが休み時間にする事は、勉強だけ。この勤勉さが人間の生徒たちにもあれば……と、校長は時々こぼしている。
「汝、腐った隣人を愛せよ……ね」
(隣人は、すぐそこにいる)
登場人物
【腐ューマン】
一般的にゾンビと呼ばれる者達。
普段は人間を襲わないが、同士に危害が加えられると……
【ハツ】
高校の女教師。
いつもやる気が見られない態度に見られるが、本人はいたって真面目。