Before1
私は非常に機嫌が悪い。
理由はただひとつ――
「若樟さん。いつも読んでいるあのシリーズの新刊なら、近くの本屋より、駅前の方で買った方が良いよ」
――ストーカーよりも性質の悪い、この男の所為だ。
「ねぇ、一つ質問して良いかな。今日は誰にも外出、しかも隣町まで行くことを話していないはずなんだけど」
「だって明日からは二日間雨が降るし、買うなら今日しかないでしょ?」
「でしょ、じゃないでしょ」
高校二年の半ば頃、些細なことだったのだろう、きっかけは忘れたが、いつの間にかこの男が私に張り付くようになっていた。友人に聞いたところ、彼は人当たりの良い性格のお陰で、同学年内ではあるが多少は人気があったらしい。言われてみればそうだが、その手の話に疎いうえ一学年違う私には、ストーカーまがいの行為をする頭のおかしな奴にしか見えなかった。そして、その評価は「大学受験動機を『若樟さんが通っているから』と面接で豪語するほど頭がおかしな奴」にグレードアップしているとは、彼は知らない……はずだ。
「新刊の発売と言っても、二週間前の話よ? とっくに買っているとは考えなかったの?」
「先週はテストがあって、勤勉な若樟さんなら普段通り過ごしていても合格は出来る。でも、あくまで客観的話で、主観的位置にいる若樟さんなら『不合格になる可能性はある。同じ二週間耐えるにしても、読みかけの状態で再試験を受けるより、買わずに一生懸命勉強して一発合格する方がマシだ』と考えるだろう。あとは全科目が返ってくる日時とその週の天気予報を抑えれば良し……な感じで来てみましたが、如何でしょう?」
「警察署に出頭しろ」
「ですよねー」
軽やかに笑う彼。気にした素振りも反省の色も見られない。こういう爽やかさの所為で、やっている事は予知能力じみた尾行だとしても、どうしてもストーカーには思えないのだ。
「これがイケメン超法規って奴か……。サブカルチャーもいい加減自重すべきよ」
「自尊心や自己抑制能力の低下は看過できない問題ですよね」
「お前が言うな」
こんなやり取りを何度――いや、何年してきただろうか。好きでやっている方は何年やろうとも楽しいことには変わりないだろうが、巻き込まれるこちらの身になってほしい。
「何を仰るんですか、若樟さん。原型を留めていないものになれる訳がないでしょう? まぁ、精神力のある若樟さんなら、この程度で持たないなんてことはないでしょうけど」
と、彼は言う。気を利かせて言ったのだろうけど、傍から見れば皮肉めいた言い方になっている。腹立たしくもなるし、「貴様は何が目的でストーカーもどきをしているんだ」とも言いたくなる。しかし、私はぐっとこらえる。実を言うと、彼自身、言葉選びが苦手――いわゆる口下手である事を気にしているのだ。本人は頑なに認めないが、数年の付き合いをしていれば、それぐらい私でも分かる。とはいえ、彼とは違い、私は大人。立派な成人女性なのである。相手の短所で遊ぶほど子供ではない。
「君こそ、ストーカーであるのなら、意地でもなりなよ」
「そもそも僕はストーカーではありませんし、それに、あくまで若樟さんが『好き』であって『なりたい』とは微塵にも思っていませんから」
「それ聞いて安心したわ」
彼は徒に人を騙すような人間ではない。その言葉に嘘はないだろう。警察署に行く手間が省けて安心した。
「で? 駅前?の方が良いんだっけ?」
「明日までキャンペーンがやっていますよ。今なら特製ブックカバーを若樟さんにプレゼント」
「標的絞っちゃったら意味ないでしょうが」
特製ブックカバーか。把握済みの上で教えてくれたのだろうけど、カバーを付ける派の私には嬉しい話だ。布製であれば、尚、有難い。
「じゃその本屋に行き先を変更――したいけど、やはり、君も付いてくるんだよね」
「時間と警察が許す限り、あなたの傍にいる自信があります」
「そんな自信、犬に食わせておきなさい」
真剣な眼差しを向ける彼。警察に差し出さないまでも、監視役をつけるべきか――お?
休日らしくざわめいていた街中が、突然、一層騒がしくなった。