私が送る話 パート③
私が中に入ると、一瞬にして喧騒が収まった。
後ろからついてきた騎士もその落差に驚いたようだ。
調理場にいる者たちから恐怖と哀れみに満ちた視線を向けられる。
彼らはどうやら相当可哀相な目に合ったらしい。
「しすたー?」
そんな中、場違いにもほどがある呆けた声がした。
その声の方に全ての視線が集まる。
ソラはきょとんとした顔で首をやや傾げている。
孤児院に来た当初は小さくガリガリに痩せて黒く汚れていたが、今は私が見上げるほどの身長で濃い青の髪は邪魔にならないよう結ばれ、ワインレッドの瞳は至極不思議そうな色をしている。
やや褐色の肌と真っ白なシェフ服とのコントラストが眩しいと思える。
「そうだよ。料理人ってソラのことだったん」
「シスターだっ!!」
「げふっ」
どうやら最近の若者は会うとぶつかって押し倒す、というのが挨拶だと思っているらしい。
誰だ、コイツ教育したの。
…私か!!
「重たいんだけど」
「やべぇ、シスターだ。どうしているんだ?俺に会いにきてくれたの?てか相変わらずめっちゃいい匂いするよな」
「嗅ぐな!犬か!」
「シスターの犬なら喜んで引き受けるけど?」
ソラは私を押し倒し、髪の匂いを嗅ぎ始める。
私がソラに料理を作ってから懐かれ、料理を教えたら尊敬され、今では惚れられている。
「とりあえず立とうか。死にたくなければ」
「うん悪い」
私が拳を作ったのを見るとソラは即座に立ち上がって私を助け起こした。
周りを見れば、目玉が零れ落ちそうなほど目を見開いて驚愕している。
騎士は少し状況が分からないらしく困ったような顔をしていた。
ソラは基本的に調理中は人が変わる。
邪魔すれば包丁を飛ばすし、味見しようとしたりつまみ食いしようとすれば指が飛ぶ、とまで言われていた。
私だけはそんなことはされなかったが。
「シスター、いんちょーも来てんの?」
「うん。まぁね」
「へぇー。まぁ当然だよな。いんちょーシスターのこと愛してるし。何か進展あった?」
「んー、特に何も?」
「つまんねぇ。いつ結婚すんの?」
「ねぇ本人の前でそういうこと言うのどうかと思うんだ」
不思議なのは、私のことを好きだというような態度なのにヴェルトのことを邪険にしないどころか応援しているところだ。
こうして平然と聞いてくるし。
まぁ、ソラは私のことを本当は好きじゃないのかもしれないけど。
「…テメェら!手ェ止めてんじゃねぇぞ!焦がしたらぶっ殺すからな!」
「は、はいぃ!」
ソラは手を止め私たちを茫然と見ていた料理人たちに叱責を飛ばした。
それからくるりと私に向き直る。
「シスター、俺頑張ってシスターに飯作るからさ、シスターが俺に飯作ってくれよー」
「でもアリアさんから許可貰わないと」
「調理場じゃ俺の独断でいいってさ。だから大丈夫だ」
「まぁいいけど。何がいい?」
「シスターが作ってくれるなら何でもいい」
「それが一番困るって言ってるでしょ。材料は?」
「えーっと…」
私に甘え出したソラを料理人たちはチラチラと横目で見る。
ソラはそれを意に介さず私にベタベタとくっ付いて料理の邪魔を始めた。
「作りにくい」
「相変わらずシスターって手際良いよな。そのくせ魚捌くのは苦手だったりさぁ。俺、院の料理長になろうか?」
「見習いから脱出して世界一になったらね」
「じゃああと十年くらいか?」
「さぁ?」
私はソラの邪魔を避け、野菜と魚を捌き、下拵えをしていく。
私の料理に、数人の料理人が目を向けてくる。
彼らは最初はそれほど関心がなかったものの、私が下拵えを終えるころには食い入るように見てきた。
ソラはそれに満足そうな顔をして、私から離れて自分も調理を始めた。
私とアリアさんの分を作っているらしい。
下拵えと言ったって野菜は茹でた後で水に浸けるものは浸けて色を保つとかそう言う程度のもので、特に難しいことはしていない。
「ふむ…ソラ料理長の手腕は貴方の手解きですか…?」
「え?」
中年の料理人が私に質問をしてきた。
「す、すみません!お邪魔をしてしまって!!」
「え、ああ、いえ。気にしないで下さい。ソラは子供たちを躾るためにあんなに乱暴ですけど私はそういうわけじゃないので」
「そ、そうですか」
「先程の質問ですが、彼に料理を教えたのは9歳から13歳までで、それ以降は彼はアルテルリアの王都の店で見習いをしているはずですよ」
「…もしかして、お知りでない?」
「?」
「ソラ料理長は弱冠15歳でアルテルリアで最上の料理人の名を獲得し、陛下がお連れするまでアルテルリア王の料理を作っておられました」
「…えぇ?」
「ソラ料理長は先日からこちらで料理長をしていますがそのうち出て行くと…」
「…ちょっとソラ!後で話あるんだけど!」
私の声に怒りが含まれていることに気づいたのか、ソラがびくりと肩を震わせ恐る恐るこちらを振り向いた。
ソラが周りの料理人にどうして喋った、という視線を送ったが私はそれを視線で黙らせる。
ソラは小さく弱々しい声で「はい…」と答えた。
私はそれから時々質問に来る料理人たちに答え、ソラの料理を作った。
国力はアルテルリアが一番だが、服装や料理の文化で先端を行くのはセェルリーザだ。
特にアリアさんが即位してからは他に追随を許さず、洗練された文化は他国への貿易で少しずつ広められている。
ついでに、フローゼルクは治水と建設で有名で、曜然国は宗教で有名だ。
お互いがお互いに得意なものを輸出するからこそ5つの国が均衡を保っていられるのだ。
…あ、東国は輸出どころか国交してなかったか。
「…で、次はフローゼルクに行くと」
「はい…」
「料理人として有名になってたのを秘密にしていたのは私たちを守るためだと」
「うんそ…え?」
「驚かせたいとか分かりやすい嘘吐かない。ソラの出身を探られてヴェルトに辿り着いたら困るからでしょ」
「…シスター!やっぱり俺シスターについてく!」
「世界一になったらね」
料理が終わり、私は調理場の外でソラを正座させていた。
ソラの言い分では、世界各地を巡って料理の修行をし、世界一になったら院に帰ってくるらしい。
今まで有名になっていたのを黙っていたのは驚かせるため、とのこと。
ソラは馬鹿じゃないから、ヴェルトの異質さには当然気付いていたんだろう。
「そういえばアルテルリアではヴェルトに会わなかったの?」
「あー…いんちょーって王城では飯食わないんだよね。それに王様もまさか俺といんちょーが知り合いなんて思わないでしょ。俺一応王都の外から来たってことになってたし」
「なるほどね…はぁ、これからは院出て行った子たちの動向も把握しておこうかな…」
「俺らの代の奴らならギルド入ったのが2人と騎士団に入ったのが2人だったはず。2代目以降もギルドと騎士団と他に商売やってるやつもいたな」
「…なんか凄いな…」
「シスターといんちょーがいつ建国しても大丈夫なように俺ら腕磨いてるから」
「建国!?いやいやいや!」
「えー?シスターたちが建国したらこの世界征服しそうだな。もし建国したら俺ら呼んでね」
「しないっつってんだろ」
ソラは嬉しそうに笑ったが、私は溜め息を吐いた。
こいつら本当に私たちの孤児院で育ったやつらだ…
「あ、いんちょーだ!」
ソラは立ち上がって、私の後ろから歩いてきたヴェルトに抱きつきに…突撃しに行った。
「いんちょー!」
「ぐふ…」
私はそれを見て、ソラに犬の耳と尻尾の幻覚を見た。




