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 あの後すぐに、アコに引きずられるようにして家に帰った。


 保健室で目を覚ました時には3時だった。

 お昼ご飯の時間なんてとっくに過ぎていて、傍でずっと看病していてくれたらしい黄島君とアコに申し訳ない気持ちで一杯で。黄島君が出ていった後すぐにアコにはお昼ご飯、いやおやつを奢ると主張したのだけれど、病み上がりに無理はさせられないからと断られてしまった。

 その内二人には何かお礼をしようと心に決めて、ふらふらしながらもどうにか我が家に辿り着いたのがつい先程(保健室にいた時は体調もすっかり落ち着いていて平気だったのにぶり返してしまったようだ)。

 自室は二階。階段を上った先にある。アコに支えられ、いつもよりずっと時間をかけてゆっくり足を動かして、やっとのことで登り切り、そうしてベッドに倒れ込む頃には既に日が傾き始めていた。


「ううーん、冬より日が長くなってきたとはいえ、まだまだ夜は冷えるねえ」

「そうだね……って、アコ、帰らないの?」


 横になって布団を被る私の隣でアコは箪笥を適当に漁り、寝間着を取り出して私の方へ持ってきた。


「こんな状態のネコを放って帰れるほど薄情じゃありません。ほら着替えて。今日おばさんいないの?」

「うん、友達と夕飯食べてくるんだって聞いてる。帰るの夜になるんだって」

「そっか。まあ、アコ遅くなっても平気だし、おばさん帰ってくるまで一緒にいてあげるよ」

「ん、ごめん……」

「謝らないでよーやだなぁ。好きでやってるんだから」

「うん。ありがと」

「ふふ、今日は素直ではないかー。よしよし、折角だからアコお姉さんが何か作って進ぜよう。お米とか卵とか使っていい?」

「いいけど、え、いいよそんな」

「食欲無い?」

「え、うーんと、無いわけじゃないけど、そういうことじゃなくて」

「お腹空いてるんなら丁度良いじゃん。アコね、最近料理練習してるから良かったら感想聞かせて欲しいんだ」

「あ、そうなの……?」

「うむ。良い機会だし、腕前披露して差し上げましょ」


 待っててね、と朗らかに笑って階下のキッチンへと向かうアコを視線だけで見送った。

 まだ微妙に熱っぽくて頬が熱い。

 頭の中身がとろとろに溶けたみたい。

 上手く頭が回らなくて何も考えたくなくて、だから、ゆっくりと瞼を落とす。

 ほんの少し何も考えずにぼーっとしようと思っただけだったのに、視界を覆う黒にすぐに意識が溶けていく。


 真っ黒い色は嫌。

 同じ黒だったら、どうせなら、もっと明るい黒が良い。

 良く晴れた日の、夜の空みたいな。

 暗くて、でも暗すぎない、黒というよりはくすんだ灰色か濃紺の空の色。


 ――会いたいな。


 次に目を開けたのは、丁度、お盆に水と一人用の小さな土鍋を乗せたアコが部屋に入ってきた時だった。


「……あれ、アコ早いね? もうできたの?」

「一時間以上経ってるよぉ。寝てたんだねゴメン、起こしちゃったかな?」

「ううん、丁度さっき起きたところだったの」


 体調は万全、は言い過ぎだけれど、もうだいぶ戻っている。

 元々気付いたら乙女ゲームだったなんて状況で気が張っていたのと、夢見のせいで寝不足気味だったことに加えて、慣れないことに頭を回しすぎたせいで倒れたのだろうし。うん、新羅先生の所見通りだ。


「多分ね、今日のって知恵熱だと思うの」

「倒れたこと言ってる?」

「うん」

「知恵熱で倒れるとでも?」

「ううん、だから、高校始まった緊張と、知恵熱。それからほら、新羅先生も言ってたけど、私朝から寝不足でふらふらしてたじゃない」

「それで倒れるって……いや、無いわけじゃ、うん。ある、あるけど……ううーん、一応納得してあげてもいいけど、でも明日ちゃんと病院行きなよ」

「え、でもレクリエーション合宿」

「休みなさい」

「だって、行かないと後が大変なのに」

「休みなさい」

「……………はい」


 有無を言わさぬアコの眼力に、頷かざるを得なかった。

 いや、よく考えてみれば、これは合宿という特殊状況下で起こり得る恋愛イベントを回避できたという認識でいいのだろうか。

 でも、ただでさえグループを形成した女子の輪に入れず、施設紹介の時も輪から外れたところにいたのに、……その上更にレクリエーション合宿まで不参加となると、攻略フラグの前に確実にぼっちフラグが立つのだが。

 複雑な心境で、土鍋の中身を口に運ぶ。

 味噌の優しい味と卵のふわふわ感が美味しい。簡単なようだけど生米からしっかりと炊かれていて、時間を掛けて作られているのがよく分かる。

 名前通りの猫舌である私は熱々の粥をなかなか口に入れられないけれど、何とか少しづつでも食べることができているのはアコが熱の伝わらない木製のスプーンを用意してくれたからで、その辺りの気遣いにもただただ感心してしまう。

 いつの間にこんなにできる子になっていたんだ、アコ。

 いや、元からできる子だけども、改めて実感。アコすごい。


「アコ、美味しい」

「ほんと? 良かったー、口に合わなかったらどうしようかと思ってたんだぁ」

「ううん、お世辞抜きで美味しいからこれ。良いお嫁さんになれるよ」

「うへー、べた褒め! あのネコが! アコを! 叱ってないどころかべた褒めしてるよ珍しい」

「言ってて悲しくならない?」

「ちょっとなる。でもでもほんと珍しいし、それに嬉しいよ。ありがとネコ!」

「ふふ、うん。こちらこそありがとう、アコ」


 お粥を食べながら少しアコと話して。

 食べ終わった頃に、インターホンの音が響いた。

 玄関に向かったアコの背を見送りそのまま扉の方を向いていると、すぐに母が部屋に駈け込んで来る。


「ネコちゃん、大丈夫?」

「うん。お母さん、いつもより早かったね」

「アコちゃんがメールしてくれたのよ。ネコちゃんが具合悪いって」

「あ、そうなの」


 いつの間にアドレスを交換していたんだろうこの二人。

 というか、いつから?

 私の恥ずかしいアレやコレの話がお母さん経由で伝わっていそうで怖いのだけれど、その辺どうなのかしらアコさん――なんて思い、そして気付く。


「って、あれ?」


 駈け込んで来たのは母だけで、アコの姿が見当たらない。


「お母さん、アコは?」

「ああ、用事があるから後はお母さんに任せるって言って慌てて帰ってっちゃって」

「え、そうなの?」

「きちんとお礼したかったのに」


 残念そうに頬に手を当て溜息を吐く母を横目に、私は閉口。

 遅くなっても大丈夫って言っていたのに、まさかの嘘? え、アコさん……え、それじゃ物凄く迷惑掛けたよね私。

 申し訳ないやら有難いやらで、ベッドサイドの携帯に手を伸ばし、メールで簡単に感謝の言葉を伝える。

 ……ちゃんとしたありがとうは、次に学校で会ったときに面と向かって言おう。うし。


「ネコちゃん、アコちゃんにちゃんとお礼言っておいてね」

「言われなくてもわかってるってば」

「はいはい」

「具合大分良くなったし一人で大丈夫だから、もういいから、ほら」

「はいはい」


 我ながら酷い娘だとは思うけれど、困ったように笑う母に食べ終わった土鍋を押し付けてドアの方を指す。

 具合が悪い状態だったらきっと甘えもしただろうけど、落ち着いて楽になった今、伏せった姿を見せるのは気恥ずかしいのだ。思春期の乙女心なのだ。分かってください。


「何か要るものあったら言ってね。それと、明日はきちんとお医者様に見て貰いましょうね」

「はいよー、っと。……ごめん母さん」

「いーえ」


 素直にデレる気遣いも忘れない私に、母は微笑を浮かべ、土鍋を片手に部屋を出ていった。

 …………ああ、明日はお医者様か。

 レクリエーション合宿、……そんなに行きたいわけじゃ決してなかった、というかむしろ面倒くさいとばかり思っていたけれど。

 行けないとなると行きたいし、それに。


「病院、行くのかぁ」


 重たい溜息、一つ。




----------


 視界に広がるのは、清潔で静謐な白の世界。

 視界も、臭いも、能面の笑みを貼り付けた医師も、どこもかしこも必要以上に、まるで漂白されたみたいな白色を連想させる。どうにも座りが悪く、人もまばらな待合室の椅子の上で少し身じろぎをする。

 いつも今みたいな午前中の早い時間から診察待ちの患者で混み合っているのに、今日に限って変に空いているのも余計に私を落ち着かなくさせる。


(来たくなかったんだけどなぁ)


 重たい溜息、また、一つ。

 昨日から数えて一体幾つ溜息を吐いただろう。もしも溜息で本当に幸せが逃げるのならば、きっとそろそろひと月分は幸せを逃してしまったに違いない。

 ああ、そんなことを考えている合間にも、ほら、頭痛が酷くなってきた。

 いけないいけない、あまり考え事をせず、今日はぼーっとしていた方がいいだろう、きっと。


「猫咲さん、診察室へどうぞ」

「あ、はい」


 名を呼ばれ、立ち上がる。

 今日は流石に、もうふらついてはいない。しっかりとした足取りで移動し、診察室の扉を開ける。


「よろしくお願いします」

「はい。猫咲さん、久し振りですね」

「ですね」


 顔馴染みの女医に軽く挨拶し、診療してもらう。

 ひやりと冷たい聴診器が胸に当たる度、息が詰まりそうになるのを必死で堪えながら。


「猫咲さん、リラックスリラックス」

「すみません、分かってます……っ、」

「また力入ってる」

「あ、すみません」

「相変わらずねぇ」


 聴診器は小さい時からずっと苦手で、つい力んでしまう。くすぐったいのも多分にあるのだが、どこか息苦しく感じられて。

 彼女はそれをずっと昔から知っている、長い付き合いのある人だ。

 瀬木先生。

 ショートカットの艶やかな黒髪とふっくらとした唇、グラマラスな体付きという男子の夢が具現化したような、美人で気の利く優しい女医さん。おまけに着ているスーツは常にミニスカート、インナーのキャミソールは胸元ギリギリ。けしからん太腿と豊満な胸を惜しげなく晒す美熟女で、私好みの良い先生ではあるんだけれど、それでもやっぱり付き合い以上の事は全然知らない人。

 だから、くすぐったさに身を強張らせていなくとも、目の前にすれば緊張してしまう人。


「はい、おしまい。もう体調大分良いみたいだけど、ネコちゃんお熱出やすいから、念の為解熱剤多めに入れておくわね」

「先生、私もう子供じゃないんですけど……」

「あらうふふ、ごめんなさいね猫咲さん、ついクセで」


 高校生となった現在も、気が付けば小さい子扱いされてしまう。中学に入学した年に「もう小さい子じゃないんだものね」と言って呼び方や接し方を改めてくれるようになったから、普段は口調を大人に対するそれに直してくれているけれど。

 でも本当は、大人扱いされて『猫咲さん』なんて呼ばれることにこそ違和感がある。

 だって、私は小さな頃から全然成長していない。


「初恋の人、まだ好きだったりするの?」

「勿論です」

「ずっと会えてないのに?」

「はい、というかいっそ会えてないからこそじゃないかって気がしてますが」

「ああ、逆に燃え上がっちゃうやつね」

「そーですそーです」


 初恋の人の話題。

 ここに来ると、たまに振られる話題。いつもではないにしても、ずっと、何度も。さりげなく他の会話に混ぜるように、はたまたふと思い出したように。

 この話題が振られ続ける意図は何となく分かっているし、どんな答えを求められているのかも、分かっている。

 でも、私にはそれを返してやることはできない。ただの意地だと言えば、そうなのだけれど。


「新しい恋はまだしてない?」


 新しい恋。

 私に恋なんてできるんだろうか。

 新しい恋なんてしたいとも思っていないし、する気も起きない私なんかに。


「……残念ながら。それに、初恋の人は永遠の理想ですから多分気になる人ができてもきっと比べちゃいます」

「重たいわよーそれ」

「あはは、愛とは重いものなんですよ」

「いやだぁそこで開き直っちゃう? 全くもう、困った子ね」


 困った子。


 彼女の中で、私はまだ小さい時のまま。それは、時々まだ子供扱いされることからもよく分かる。

 けれど、ということは、やっぱり私はまだ瀬木先生にとって『困った子』のままなのだろうか。

 ううん、そんなことはない。

 彼女の今の言葉にそんな意図は無かったのだから。

 ――そう否定しようとして、でも。ああ、そうか。


「……猫咲さん? どうしたのいきなり黙って」


 声を掛けられて、すぐに我に返る。


「あ、ぇ、えと……いえ。何でも、ないです」


 体が咄嗟に反応できず、上手く呂律が回らなかったけれど、何とか言葉を絞り出す。


「そう? ……まだ体調悪いの?」

「いえ。本当に何でもないんです」


 浮かべた笑顔は、笑顔になっていただろうか。

 不安げに私を気遣う瀬木先生に何度も大丈夫と告げて、逃げるように診察室を後にした。




 



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