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 放課後といっても、今日もまだ授業が始まっていないため、一年生は午前中で放課で。

 現在時刻は13時を回った辺り。

 お手伝いを始めてから一時間半が経った程度の時間だ。

 途中でお腹が空くかと思ったのだけれど、白一色の清潔な保健室は独特の薬品臭がして、空腹を覚える前に気分が悪くなってしまった。もともと薬や香水などの香りに敏感で、三十分も経った頃には頭痛がしていたので、我ながら軟弱だとは思うけれどでもここまでの一時間半は良く頑張った方だと思う。少し息を吐こうと手を止めて、気付かれないように深呼吸をする。

 ほんの僅かな呼吸音はしかし、静寂に包まれたこの空間に存外大きく響いてしまっていたようで。

 改めて作業を再開しようとしたところで、薬品棚の整理をしていた先生が手を止めてこちらを窺っているのに気付いた。


「ああ、すみませんこんな時間まで。お疲れですよね。それともどこか具合が?」

「あ、いえ、そんなことはないです」

「なら良いんですけど――それじゃあ、お手伝いはこの辺で大丈夫ですよ」

「え?」


 申し訳無さそうに眉を下げながら微笑む新羅先生は、手に持った何かの瓶を手早く棚の奥に押しやり、ガラス張りの引き戸をさっと閉めてから腰を折って頭を下げた。

 丁寧でゆったりとした所作に、ゴムでくくっただけの長い髪が肩から滑る。さらりと落ちた細く艶やかな髪質は、毎日丁寧に手入れをしている私よりも綺麗に見える。……男性、なんだよね。疑ってしまいそうになる。


「今日はありがとうございました。わざわざ来て頂いて」

「いえ、そんな。それに、まだ途中じゃないですか」


 床に座り込んでプラスチックの薬箱に入った市販薬(ラッパのマークの腹痛薬やら貴方の風邪に狙いを決める錠剤やら)の期限の確認をしていた私は、下げられた頭に慌てて立ち上がりながら答えた。

 そう、まだ全然途中である。目の前にはチェックの終わっていない湿布や軟膏のぎっしりと詰まったケースが4つ並んでいて、これらを放ってここで切り上げるのは憚られた。


「ここまでやって頂ければ後は一人でもすぐに終わりますから」

「でも――」

「いいんです、それに元々これって蒼井先生にお願いしていたお手伝いなんですよ。それを生徒に押し付けて、あの子ったら」

「え?」


 大の大人、それも恐らく年上の蒼井先生をあの子扱いしおったよこの人。

 いや、それも気になるけれど、これ単に先生の仕事を押し付けられてたんかい。

 初耳なのだけれど。驚きなのだけれど。もし本当だとしたら蒼井先生に対する高感度がダダ下がりだ。上げる気もない高感度がマイナス転化だ。蒼井先生の呼び名をナニガシ先生に固定してやる。胸中でだけ。


「そうなんですか?」

「そうなんです。猫咲さんが遅刻したのを良い事に何やかや適当にそれっぽいことを言って押し付けただけです」


 はい、ダダ下がりました。マイナス確定ですナニガシ先生。

 勤勉で実直そうでぶっちゃけキャラが薄そうな担任教師という印象しかないナニガシ先生だったが流石乙女ゲー、キャラの個性は強いようだ。っていうか本当にか。ちょっとあの、真面目に次から先生に対する印象を変えさせて頂くぞ。いや、それすら相手の策略の内なのか、私に興味を持たせようという攻略対象トラップなのか。


「え、ええと、本当に?」

「はい」

「でも、用があるなら断ってもいいって仰られていましたよ」

「ふふっ、騙されちゃ駄目ですよー、あの人はそういう人です」


 にこりと清々しすぎて逆に迫力のある笑顔そう言い切る彼――新羅先生は、紛うかたなき攻略対象であった。


「なので、途中で切り上げても蒼井先生は文句も言わないでしょうし言わせません。改めて後で蒼井先生にお手伝いしてもらいますから」

「はあ、まあ。新羅先生がそう仰るのなら、すみませんが今日は帰らせて頂きます」


 新羅しらぎイツカ。二十代前半の、白衣を纏ったふんわりした人。パッケージにいた、攻略対象。

 それ故にできることなら関わりたく無いのだが、……関わりたくないのだが、ぶっちゃけ言えば、美人なのだ。

 パッと見女性に見える美人なのだ。

 腰まである柔らかな長い白髪、柔らかな物腰、柔らかな口調。白魚のような手はまったく男性を感じさせないし、肌の色だって雪のような白である。

 お声の方も、そんじょそこらの男性CVの美人系攻略キャラではなく、ハスキーな女性CVの超絶美女を想像して頂きたい。していただけただろうか。そう、その美人。そのままその美人が自分は男性だと言っているのを想像して頂きたい。正しくそれが、彼なのだ。

 関わりたくないが見ていたい私の中のミーハーさが、判断を鈍らせ己の首を絞めている。それは分かっているのだが抗えないのだ。

 綺麗なお姉さんを見たくない高校生女子などいるだろうか、いやいない(お姉さんじゃなくてお兄さんだけれど)。


「猫咲さん?」

「っ、はい」


 小首を傾げ私の顔を覗き込んでくる新羅先生にびっくりして思わず変な風に声が裏返ってしまった。


「もしかして具合が良くないんですか? すみません、今日はもう帰ってゆっくり休んで下さい」


 確かに気分はすこぶるよろしくないが、すみません今のはただその美麗なご尊顔に見惚れてぼーっとしていただけでございます。

 と、正直に口にすればドン引かれること確実な本音は胸にしまって、私は控えめに微笑んだ。


「体調は本当に大丈夫ですが、そうですね。すみませんが今日はこれで失礼します」


 勿論、内心は機嫌良く口笛吹いてる系のにやけ顔ではあるが。




 廊下に出た私は、扉を閉めて息を吐いた。

 気を抜けないのは仕方ない。慣れるしかない。ただ乙女ゲームの登場人物がいる学校なだけだ。いるだけで、自分には関係ない。

 そう言い聞かせて自分を誤魔化してはいるものの、やはり疲れてしまう。

 流し読みとはいえ、ネットを流れていた時にこの手のお話も読んでいた私は、どうしても自分が主人公であるという可能性を捨てきれず、警戒してしまう。

 脇キャラなら脇キャラって分かりやすく説明してほしい。なるべく早く。胃に穴が開かない内に。

 ともかく、これで攻略対象全員と接触したということになる。

 まだ二日目なのに。なんというハイペース。

 この先まだイベントやら何やらあるのかな、そういえば明日から二日間はレクリエーション合宿だっけか。

 考えながら軽く辟易していると、スカートのポケットに入れていた携帯電話が振動した。


「あれ、メールだ」


 差出人はアコ。

 件名は『もう帰った??』。


『ネコまだ学校にいる?

 アコも用事があって学校にまだいるんだけど、帰ってないなら一緒にお昼食べ行かない?

 あと三十分くらいかかるから、お腹空いて死んじゃいそうなら先帰っててもいいし!』


 ちなみに、アコには朝のロングホームルーム中にメールでこちらの用事の事を報告してある。

 その時に聞いたのだが、アコは担任の先生に、黄島君の風紀委員の仕事を手伝っていたと説明して遅刻については誤魔化したらしい。ずるいアコずるい。黄島君も何も言わなかったなんてずるいずるい。

 そういえば黄島くん、高等部始まったばかりなのにもう委員会に入っているとか色々おかしい。あとでその辺も聞いてみよう。

 閑話休題。

 ともかく、朝メールしたときには『それじゃあアコは先に帰ってるね!』と返信が来たのだが、どうやらアコも何かしら用事があってまだ学校にいるらしい。

 正直お腹空いてないし、お腹空いても死んじゃわないし、三十分なら余裕で待てる時間だろう。

 思い、すぐに返信する。


『死なない。待てる。終わったらメールして』

『ありがと! じゃどっかで時間潰しててね!』


 用事という割に即レスはできるようだ。良いんだろうか。

 それにしても、時間を潰せと言われても――施設の案内で回った場所は一通り把握したが、行きたい所はあっただろうか。強いて言うなら図書館だけれど、それなりの規模と蔵書数であったため、下手に足を踏み入れたら時間を忘れて吟味をしそうであるし。

 とりあえず散歩をしてみようかと思ったところで、ふと気が付いた。

 ――旧校舎。

 朝のやりとりもあって、正直何かしらイベントが起こる気しかしない。

 近付かないのが賢明だ。旧校舎は止めておこう。


 止めておこうと思った。

 それが賢明、の筈だ。賢明であるのに。


 何故か胸がざわざわする。

 どうして。

 これが主人公補正の超直感力なのだろうか。 


 何故だか旧校舎が気になって、気になりだしたら止まらなくて。

 胸がざわざわするのみならず体の力が抜けて膝ががくがくする上に何故か二の腕が痒いという謎の不調に見舞われる。

 どうしたんだ、私の体。


 何かに導かれるように、気付けば私の足は、自然と校舎裏――旧校舎への通り道へと向かっていた。


 校舎裏を歩いてしばらく行くと、道に出た。

 剥き出しの地面。よく踏み固められた土の道は人が五人は並んで通れそうな幅で、左右には木。森というよりか、林だ。

 鬱蒼と生い茂っているわけではなく、よく手入れがされていて、程よく木々の間隔の空いた雑木林。よく見れば採光のための伐採の跡もあり、注ぐ光に包まれた緑を見ているだけで、気温が高いわけでもないのに校舎裏を通っていた時よりも空気が暖かく感じる。

 四月の頭。

 今日は気温的には春と言い切るには少し寒いくらい。けれど、風に揺れさわさわと音を奏でる葉、光に煌めく緑は十分に春を感じさせてくれる。

 舗装されていない道は一歩ごとにローファーに包まれた足に土の柔らかな感触を伝えて、それが心地良いといえば良いのだけれど、雨が降ったらぬかるんで大変だし、そういう日にまで靴を泥だらけにして見回りをするのかなテンション絶対下がるから風紀委員にはなりたくないなーとふわふわとした頭の片隅で考えながら歩いて。


 しばらく歩くと、開けた場所に出た。


 年代を感じさせる二階建ての木造校舎を見上げて、木造の校舎なんて小学校の遠足で行った郷土資料館の写真でしか見たことがなかったから、物珍しさにしばし見惚れてしまう。

 校舎はあまり大きくなくて、玄関を起点にぐるりと一周してみたらすぐにまた同じ場所に戻って来てしまった。

 玄関扉には当然鍵が掛かっている。

 なんとなく、どこか入れる場所はないかと探すけれど、校舎を一周してみてもフィクションのように都合の良く開いている窓や、入れそうな非常口なんて無かった。当然だ、ここには風紀委員が見回りにくるというし、そういったところはしっかりとしているのだろう。

 残念に思いつつも、ふと、もう一度校舎を見上げ、


「あれ?」


 二階の窓が一つだけ、パッと見閉まっているように見えるのだけど――違和感を感じて、目を凝らす。


「あれれ?」


 フィクションのように都合の良い窓を、見つけてしまった。

 あそこ、二階の端。あの窓一つだけ、鍵が壊れているのではないだろうか。


 確かに二階であるし、普通に考えたら届きそうもない位置なのだけれど、丁度窓のすぐ下に松の木が植えられている。

 あの木、登って。

 屋上から下まで伸びているあそこの排水管、雨樋なのにやけにしっかりした管、掴めそうだし。

 掴んで体勢整えて、それから窓枠に手を掛ければ――入れるんじゃないかな。


 思考の端で、制服を着た私が必死に声を上げている。

 行っちゃ駄目だ、行ったらフラグだイベントだ。

 うん、分かってる。でも。

 その更に奥の奥で、叫び声が聞こえるのだ。

 声をかき消すように大声で叫んでいるあれは、誰なんだろう。

 何を言っているんだろう。聞こえない。

 小さな女の子。白いボロボロのワンピースを着た。

 小さな、――?


 少し、ほんの少し窓の様子を確認するつもりで松の木の方へ歩み寄ろうとしたその時、


「なにやってんだテメエ」


 背後から低い声がした。

 ハッとして振り返れば、不機嫌そうな眉間の皺がまず目に入った。次に、金色の髪。


「黄島、くん?」


 朝会ったばかりの彼は、私を睨みつけていた。


「朝、ここが立ち入り禁止だって聞いたよな?」


 鋭く睨む視線に込めた感情は、旧校舎へ近付いた私に対する憤りだろうか。

 ――それは、違う。


「ええ……でも、立ち入り禁止なのは校舎内だけなのでは?」

「そうだが、不良とか変な生徒が溜まらないようにすんのも仕事っつったろ。無闇に近付かれんのも迷惑だ」


 余計な仕事を増やす私への怒りだろうか。

 ――それも、違う。


「すみません……」


 言葉を重ねれば重ねるほど、彼の瞳が揺らぐ。

 旧校舎へ来たことを咎めている? それもまた違う、気がする。

 彼の視線はもっと違って、まるで何かを見定めているようだと漠然と思った。

 何か、とは何を?


「で、何しに来たんだ?」


 ――理由?


「朝の話で少し気になってしまって、アコの用事が終わるのを待っている間ヒマですし、一目見てみようと思ったんです」


 ――そういえば、あんなに近付きたくないと思ったのに。

 どうして私は今ここにいて、こんなにここが気になってしまっているのだろう。

 まして、中に入ろうだなんて。


「…………、そうか」


 でも、黄島君はそれで一応は納得してくれたようだった。

 ほっと胸を撫で下ろすけれど、もやもやとした気持ちが残っていて気持ちが悪い。

 胸がざわざわする。

 さっきまでは平気だったのに、また膝ががくがくするような気が、する、し、


「まあ、見て満足できたんなら校舎に戻っ――って、オイ!?」


 黄島君の焦るような声が聞こえて、いきなりどうしたんだろうと思った瞬間、世界がぐらりと傾いて。

 視界一杯に映る空の青、眩しさに目を細めて、瞼を閉じて。

 それから。

 まるでテレビの電源を切ったように、思考も感覚も何もかも、私と世界を繋ぐ全てが唐突に途切れてしまった。


 


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