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「ねえ、キミ」
さあて帰り支度をするかーと貰ったプリント類を鞄に詰め込んでいると、不意に幻聴が聞こえた気がした。
「ねえ」
幻聴だ。
それも私以外の誰かに向けられた幻聴だ。
幻でなおかつ私にかすりもしない声だ。
「ええと、猫咲さん」
ああう、おいばか何故名を呼んだ。
……名を呼ばれてしまっては、答えないわけにはいかないだろう。
「何でしょうか、ええと、赤城君?」
にっこりと微笑めば、赤城ナントカ君は一瞬呆けた後、ハッとしたように私に向かって頭を下げた。
「えっと、朝はゴメン! その、オレ全然前見てなくて。 痛かったよね?」
「ううん、そんなでもなかったです。 本当にもう気にしていないので、大丈夫ですよ」
諭すように笑顔で赤城君に話しながらも、何でコイツ私の名前知っているんだろうと考える。
クラス全員が自己紹介する、入学直後の例の儀式はなかったのに。
ああ、そういえば一番最初だからと、出席番号表と座席表を配られたんだっけ。
余計な……じゃない、マメな奴だなナニガシ先生は。
「猫咲さんが気にしなくていいっていうなら、うん、気にしないことにします」
「はい、ありがとうございます」
いちいちいいのに。
コイツも大概真面目だなぁ。
「あのさ、オレ、赤城メジって言うんだ。龍神の持ち上がり。猫咲さん外部でしょ?」
そういえば、龍神学園は中高一貫校らしい。
私は高校からの外部受験組で、そういう人は『外部生』、逆に中等部からの内部進学組は『持ち上がり』と呼ばれるとのこと。ちなみにこの辺も先程、改めてという形でナニガシ先生からさらっと説明を受けている。
私は予備知識0だから、外部生も持ち上がりも知っていて当然な知識だけにとっても助かった。
持ち上がりの生徒と外部生の割合は半々くらいだそうなので、私一人が奇異の目に晒されるわけじゃないのは安心だ。
「ええ、西中出身です。猫咲ネネコといいます。よろしくお願いします」
「うん、よろしくー」
さっきまでの申し訳無さを引き摺らずにニカッと笑う、赤城ナントカ改め赤城メジ君。
赤城君のその態度には好感を持てるけれど、乙女ゲーの攻略キャラという補正が入るとどうにも素直に喜べない。
仮にも攻略キャラなのだから性格の悪い子ではないと思う。
思うのだけれど、ううーん。
うん、やっぱり私には気を抜いて接する事はできない。
赤城君との二言三言の会話の後、挨拶を交わして、私は教室を後にした。
あ、赤城君以外の人と話、してないわ。
グループ形成する前に女子の輪の中に入れるといいんだけれど。
ワックスで磨かれた小奇麗な廊下を歩いていると、反対側から誰かが歩いてくる。
別のクラスの一年生かな――と思ったのだけれど、すぐに違うと気付いた。
「猫咲ネネコ」
ああ、この人。
私の心の中の忘れたいリストに名を連ねている人物が一人、生徒会長様だ。しっかり覚えている辺り自分の輝かしい頭脳が恨めしい。
しかしマジで、歩けばイベント話せばフラグ。
流石主人公。すごく泣きたいです。
というか何故生徒会長様まで私の名前を知っているんですか、座席表ですか?
「はい。 ええと、先輩どうして私の名前を――」
「蒼井清心と赤城メジには心を許すな」
「座席表?」
「失礼する」
「あ、え……ええー…?」
思わず私、素っ頓狂な事を言ってしまった気がするが、生徒会長様はそれだけを言い捨てて私の横を普通に通り過ぎていった。
というか、え?
今の何?
何フラグ?
心を許すな、って何?
どうした、中学二年生の病なのか?
「ええと、そもそも、どういう設定なわけ?」
多分、生徒会長様と、それから蒼井先生と赤城君は、恐らく十中八九まず間違いなく竜人だろう。
うん、パッケージにあったし、友達も熱く語ってたから間違いない。
けれど、どうして私が攻略対象の彼から他の二人に対する謎の忠告を受けるのだろう。
ひょっとして、私、というかこのゲームの主人公にも何か胡散臭い設定があるんだろうか。……というか今更だけど私が脇キャラという可能性は無いのか。いやイベント起こりまくったけど可能性として。
「そういう話もちゃんと聞いておけば良かったかな」
現状考えても、判断材料が0なのだから如何に私の輝かしい頭脳を以てしても、大した予想も立てられまい。
もう少しゲームが進んでから、じゃない、時間が経ってから考えようか。
私は頭を振って、校舎から脱するべく歩を早めた。
とりあえず、今は帰って全てを忘れてただ遊ぼう。ゲームでもしてさ。
まだ夢オチであることに期待しているけれど……現実の竜人とフラグを立てるより理想のドラゴンちゃんと殺戮デートに出掛ける方が萌えます。
本当に、本当にありがとうございました。
どういう設定なのかは知らないが、帰る場所は普通に私の家だった。
「ただいまー」
「ああ、お帰りなさい」
「さっきメールあったけど、今日もお父さん遅いから先にご飯食べててだって」
「分かったわ。でも私に直接メールしてくれればいいのに、もう」
「あはは、娘にヤキモチはやめてよお母さん」
「違うわよネコちゃんったら」
玄関も、廊下も、キッチンもリビングも全てが見慣れた私の家だ。
というか、町自体、いつもの見慣れた私の町だ。
ただ、町外れの空き地だった場所に竜神学園が建っている。
それだけで、それ以外はそっくりそのまま私が十七年間生きてきた場所と全く変わらない。
「それじゃ、いつも通り夕飯は七時だからね」
「はぁーい」
母も、父からのメールもいつも通りだ。
いつも通りすぎて、ふと、思う。
「それじゃお母さん、ちょっと部屋でアコと電話するから」
「はいはい、邪魔しないから時間になったら来て頂戴ね」
「はいはーい」
母の声を背に受けつつ、階段を上った先の自室へ向かう。
遊ぶ予定はキャンセルだ。
私は、私にゲームを貸し付けた元凶である友人、龍ヶ崎アコのほえほえ笑顔を頭に思い浮かべながら、携帯を手に取った。
結論から言うと、アコはいつも通りのアコだった。
『ふええ、ネコひどいよお! せっかくおんなじ高校通うのに一人で先に帰っちゃうなんて! アコ探したんだからね!!』
私からアコを紹介するならば、電話口だろうが対面だろうが私的空間だろうが公衆の面前だろうがリアルに「ふええ」などと口走る上、一人称が自分の名前の天然ちゃん、といったところで説明としては妥当だと思う。
こう言うと貶している風にしか聞こえないが、うん、実際貶している。
逆にアコに私を説明させると、斜に構えていてやる気がなくて、中二病を変な風に拗らせて上から目線のくせに高二病にもなり切れない半端な社会不適合者だそうだ。
こう言われると貶されている風にしか聞こえないが、うん、実際貶されている。
それでもって、私とアコの友人としての関係を一言で纏めると、上記のような言い合いのできる関係といったところだろうか。
「あー、悪かったゴメンね。てかアコどこにいたの?」
『二組! 隣のクラスになったじゃない』
「あー……そう、なんだ?」
『アコはネコのクラス真っ先にチェックしたのにぃ。うーうーネコちゃんの薄情者ぉー』
「だからゴメンってば」
情報その一、アコも同じく龍神学園に通っている。
私の記憶の中のアコは、私と同じく高校二年生だった筈である。
小学校は一緒だったが、中学校で別の学校に通うことになり、でもお互い寂しくなって高校は一緒に通おうと二人で同じ場所を選んだ。
その認識と現状は一致する。
ただ、選んだ先は龍神学園などというキラキラネームの私立高ではなく、普通の公立高校だった筈なのだが。
『でもでも、ネコが龍神に来てくれて嬉しいよ。分からないことは何でも聞いてね!』
「へ? ああ、うん?」
『学食とかね、どのおばちゃんがオマケしてくれるか教えてあげられるし!』
「あー、はは、ありがと。クラス別れちゃったけど、お昼は一緒に食べようね」
『うんうん! すっごい楽しみだよお』
「うん、そりゃ良かった。私も楽しみだよ」
ちなみに私は母が張り切ってらっしゃるので、弁当派になりそうです。
それはまあいいや。
情報その二、口振りからしてアコはどうやら中等部から龍神学園に通っている。
高校二年生の私の記憶では、確かアコは残念系天然の法則に従い勉強だけは異様に出来るため、都会の方の私立の中学校に通っていた。しかし、その経歴が龍神学園中等部の特待生という形に変化している。
まあ、成績が良いのに変わりはないため、高等部でも特待枠を維持しており授業料は免除なんだと。羨ましくなどない。
と、ここまでの情報は現状認識の為の材料としては必要不可欠だが、重要度としては低い。
重要なのは次。
『でも、さ、ネコ……急に竜の出てくる乙女ゲーム貸してって言われても、アコそういうの持ってないよ』
うん、これ。
これだ。
情報その三、……ええと、どうしよう。
アコは、このゲームを知らなかった。
『あっでもでも、人外好きなネコちゃんにオススメなゲームだったらね、鬼とか動物とかそういうのがあるよ』
「それイケメン吸血鬼とかケモ耳生えたイケメンとかでしょ」
『うんそうだよーあっもしかしてネコちゃんも知って――』
「却下」
アコに口を挟ませる隙を与えず、通話終了。
そういうのはもう金輪際お断りだアホタレ!