蠢くモノ、潜む者
―――かつておぞましい実験が行われていた白い空間に、100名を越す人間が集められていた。
そこはある条件を持った者ならばたとえどんな場所からでも一瞬で辿り付ける空間であり、英霊であるイェーガーの編み出した秘術の1つである。
諜報組織の長となった彼女、サン・ドゥニは頭を垂れたままかれこれ1時間は跪いている。
普段は人を小馬鹿にしたような利口ぶった顔をしている彼女も、今はただ酷く怯えた犬の様に縮こまっていた。
背後にいるサンの部下たちも同様で、どこか忙しなくしている者、辺りをきょろきょろと見回す者もいる。
この諜報組織を所有している、真の主を今か今かと待っているのだが、現れないのだ。
この長大な異空間の中、サンは自分が今生きていることを感謝していた。
一時は冒険者として鉄の7にまでランクを上り詰めていたサンも、今ではこの諜報組織【鴉の木】の長である。
堕ちたのか昇ったのか、サンには分からないが、それでも良かった。
あの世にもおぞましい実験に耐え、生き延び、今も尚この胸の心臓が鼓動している喜びに溢れている。
そしてその感情を与えてくれた主にもまた、尊敬や畏怖等の入り混じった感情を抱いている。
しかし、それ以上にあるのは忠誠である。
サン達にも分からなかった。
アレだけの事をされておきながら、深い忠誠を主に向けているのである。
洗脳でもされたのではと疑った者もいたが、洗脳したのならばまずこの不思議な感情など浮かびもしないだろうと最終的に落ち着いた。
保有しているスキルも増えたが、どこもおかしな点はない。
結局の所、ただの思考遊びであった。
偶然、任務中に暇を持て余した彼女たちがふとした疑問を口に出したときだけに起こった、小さな泡である。
「―――待たせたかしら?」
彼女たちの支配者が現れた。
銀髪碧眼の美少女―――髪が中途半端に短いため美少年とも思えるが間違いなく性別は間違いなく女である―――がやや気だるげな表情でただ1つしかない椅子に座った。
「お嬢、オレ様の分は?」
「自分のがあるでしょう。
勝手に出しておきなさい」
「へいへい」
当然のように答える彼女、クリスティはやや呆れの混じった返答をする。
その後ろで控えている赤い男もまたどこからともなく椅子を取り出すとゆったりとその椅子に座る。
「―――いえ、お気になさらずに」
サンは短く答える。
平民出身であるサンは貴族令嬢であるクリスティに対して口の聞き方が分からないため、なるべく不快にさせない様に考えたのである。
クリスティの噂は知っていた。
いわく、『魔力放出不全症』で貴族社会で蛇蝎の如く嫌われている。
いわく、天才的な剣の才能を持つ冒険者でバルトリム王国冒険者ギルド支部が有する秘蔵っ子。
いわく、英霊を召喚した者。
言い出せばきりがないが、大きく言ってその3つが主流である。
サンとしては他人の事にそこまで興味がなかったため信じる以前に聞き流している程度だったが、これからはそういう訳にはいかないのだと再認識させられた。
「そう、ならいいわ。
報告を始めてちょうだい」
クリスティが開始の宣言をする。
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全ての報告を聞き、クリスティとイェーガーは侯爵家本宅の一室に戻ってきていた。
クリスティとしては今回の報告会に大した期待をしていなかった。
まだ1月も経っていないのだ、そう重要な情報が埃を叩くかのように出るとも思っていないからだ。
しかし、そこは数の力なのか、確かにクズ情報といってもいい情報ばかりだったが、その中に貴重な情報が紛れていた。
「セイヴァール帝国がこの王国に使者を遣すなんて、一体どういった風の吹き回しなのかしらね?」
大方理不尽な降伏でも勧告してくるのかと思ったが、今回はそういった意図は無いとの情報も上がってきている。
「さあねぇ、オレ様は帝国になんぞ興味ねえしぃ。
いつも通りムカつく奴は排除しちまえばいいんじゃねえの?
お嬢とオレ様たちがやってきたことと変わんネエヨ」
そう、イェーガーと出会う前からクリスティのやってきたことと変わらない。
邪魔があれば排除するし、壁があったら破壊して通り、阻めば躊躇無く殲滅する。
血生臭い生き方をしてきたクリスティにとって、それは日常である。
「……いっそそっちの方が清々しいわよね。
まあ出てきたのが帝国が誇る最強部隊、黒蹄騎士団の団長さまだもの。
用心するに越したことは無いわ。
別にセイヴァールと戦争したって物量からのゴリ押しとかされたら大抵の国は捻り潰されて磨り潰されるのがオチだし。
正味な話、イェーガーを使えば楽かも知れないけど個人的にそんなのつまらないし、却下ね」
クリスティの手前勝手な理由ではあるのだが、イェーガー頼りな一辺倒の戦い方ではただでさえ歪んだこの状況が更に歪んで先の読めない自体が多々起こるだろう事を危惧しているのである。
九割区分九厘は心配していない、大抵のことはイェーガーが力尽くでどうにかしてしまえるだろう。
そう、最後の最後でどんな異常事態が起きるか分からない以上、なんでも力尽くというのは得策ではないのだ。
何よりスマートではないというのも理由の1つかもしれない、クリスティはカラカラと笑う。
「帝国が何をしてこようと関係ないわ。
この王国を甘く見ているのだとしたら、それはそれで一興。
結局のところ、私はこの件で直接何かを仕掛けることも無いということね」
実際の所クリスティに何かをする権限があるわけでない。
貴族の子女でしかないクリスティが国同士の関係に口を挟むなど以ての外である。
―――そう、あくまで直接的な関わりをしなければいいのだ。
そのような手など、吐いて捨てるほどにあるのだから。
「…早く魔導騎士になりたいわね」
ポツリと呟くクリスティの言葉に、イェーガーは何も答えない。
言った所で虚しいだけだし、どうせ近いうちになるのだからどうしようもないのだ。
イェーガーとしては、退屈な日の無い、皮膚が焼け付く様な日常を待望していた。
そのためにも、火種はいくらあっても足りない。
「―――時間もあるし、色々とやってみようかねえ」
不穏な言葉を口にするイェーガーに、クリスティはうっすらと目を細くした。
イェーガーのその軽口1つでロクでもない方向に転がるのを身を以って経験しているのだ。
「…好きになさい、イェーガー。
私の楽しみを邪魔しない限り、命令はしないから。
止めもしないわ…というか、楽しいことするのなら混ぜなさいよ、つまらないわ」
とはいえ、身を以って経験した後悔以上に結果が愉快すぎて痛快すぎて、度を越した性悪となったのはイェーガーも嬉しい誤算だったようだ。
卑劣な奸計も、悪辣な所業も、凄惨な光景も、その全てを法悦の日常へとその身を浸していく快楽を覚えてしまったクリスティからすれば、秘めたる目的がなければ永遠にその愉悦の海に漂いたくなるほどに染まりつつあった。
イェーガーとクリスティはこの小さな情報を一体どんな脚本を書いていくのか、楽しそうに計画を練り始める。
大枠を作り細部も緻密に計算をしていく。
起点からと到着点をはじめから決めておけば大抵の計画はどうにかなってしまうのだとクリスティは思っていたため、何も疑わずに計画を練り上げた。
「―――出来たわ」
楽しそうな感情が毀れているが分かるほどにクリスティの声は弾んでいる。
「ははっ、お嬢すげえな。
魔導騎士になれなかったらそれで生活していけるジャン?」
軽口を叩くイェーガーの言葉にもクリスティの感情を揺らすことはない。
―――ここにまた1つ、惨劇悲劇の類を生み出す悪書が完成した。
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月のない夜の中、イェーガーは1人夜空を漂っていた。
クリスティと練り上げた計画の第一段階を既に始めようとしていたのである。
超高度からのこの距離ならば、誰にも邪魔をされることなく事に及べるのである。
『悪意よ集え 災厄よ集え 絶望よ集え 悪鬼よ集え 厄獣よ集え 害悪よ集え』
イェーガーの両手に夜よりも尚暗いナニかが集い始める。
『万象これ一切を四方に分け転じ実とする 混沌輪転っ!!』
限界まで膨れ上がり、空気を隔絶とさせるその黒い闇は4つに分かれるとどこかへ飛び去ってしまう。
「…まぁこんなとっかね。
出力は6割くれえだし問題ねえだろ。
あとは野となれ花となれってなぁ」
それよりよぉ、とイェーガーは呆れたような口調で呟く。
―――いつの間にか、手に魔剣が握られている。
どこからともなく魔剣を抜くと、イェーガーはそのまま背後に向かって振り抜いた。
「―――それで隠れたつもりかよ、興醒めだぜいッ!!」
剣閃が目標を捕らえた瞬間、それは魔剣を抜けていく。
思わずイェーガーは顔を顰めた。
反撃がこない、その上気配が完全に絶たれたのである。
最初からここまでの気配断ちをすれば奇襲の成功率が上がっていたのにも拘らず、相手はそのまま離脱した。
明らかにこちらの能力を見切ろうとした上での戦略である。
「…へぇ、魔力も完全に隠蔽してやがんな。
こりゃまあ追跡はオレ様でも骨が折れるか…仕方ねえ、今回は見逃すとすっか。
どうせ止められる奴なんてそうそういねえんだ。
精々足掻くんだな、道化め」
そう捨てゼリフを残し、イェーガーは屋敷へと戻っていく。
既に日は変わっている、宿屋に戻ってイェーガーはクリスティがいつまでも寝ずに論文を書き続けているので、気配遮断スキルを大いに活用した奇襲を行い、クリスティを気絶させる。
ベッドに連れて行くイェーガーはまるではしゃいで床で寝ていた子供をベッドに連れて行く親のようで、見る者がいれば笑い出してしまいそうな光景であった。
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