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ある物語の始まりの日

 この物語は基本的に軽いノリです。が、場合によっては残酷な描写、差別的な表現が使用されます。そういった表現に忌避感、嫌悪感を持つ方はご注意ください。

「――ちょっと、待ちなさいよっ!」


 神山の裾野に喧しい声が響く。

 ここは島の中心にそびえる天を裂かんばかりの山――《神山》と、その南に広がる平野部との間に存在する森を掠めるように伸びる道。《神山》の外周をぐるりと一周する、一見するとただの獣道のように見えるこの道は、実の所この島の東西南北を繋ぐ数少ない道、主要七街道と呼ばれる街道の内一つである。

 そんな由緒正しき街道に、先程から響くのは神の住まう地とあがめられる霊山の麓にはおおよそ相応しくない喧しい声。どうやら先を歩く数人に対して、それを追いかける少女が向けらたものらしい。

 先を歩いていた人影は、しばらくの間喧しい声を無視していたのだが、いい加減無視することも出来なくなったようだ――何しろ、街道には他に通る者の姿はなく、その声が誰に向けられているかなど初めから明白だ。

 このまま無視を決め込む事も可能だろうが、いい加減無視しているのも限界だった。

 先を歩く人影の内一つが振り返り、深く深くふっっっかぁく、これ見よがしに盛大なため息をつき――


「だぁら、別に付いてこいとは一言たりとも言ってねぇだろうが!」

「何それっ?! あたしの事除け者にするつもりっ!?」


 ため息交えの言葉に、途端少女は憤慨を露わに眦をつり上げた。

 ほとんど獣道と言っても良い周囲の風景に相応しく、動きやすさ一点張りのズボンと一枚布を織っただけの服をベルトで止めた簡素な衣服。靴など知らないといわんばかりに土に汚れた素足のままの足。背中に背負った使い込まれた弓といい、一見少年じみた出で立ちをしているが、丸みを帯び始めた体つきと前面に押し出された野性味の中に混じる可愛らしさのある顔立ちが、辛うじて彼女が少女であることを主張している。

 鮮やかな深緑色に染め上げられた髪はつむじでポニーテールに纏め上げ、先程から少女の動きに合わせ揺れている。不機嫌を隠そうともしない夕日色の瞳で、少女はようやく振り返った少年を非難がましく睨み付けた。

 対するは、同じく旅装束の少年――同じく飾り気のない丈夫さに重きを置いた実用性一点張りの衣服。簡素な革の胸当てや丈夫だが軽そうな靴、ジャケットの下から覗く、腰の後ろに回した剣の使い込まれ具合が、彼の旅人として踏んできた場数を物語る。少年と呼ぶにはやや年かさのいった、しかし青年と呼ぶにはまだ若干の幼さが残る顔立ち。緋色の鉢巻きで押さえつけた癖の強い髪は赤土を思わせる色合いをしている。

 癖の強い髪をわしゃわしゃとかき回し、鳶色の瞳に浮かぶ呆れの感情は、少女から向けられる非難の眼差しを受けても変わらない。

 変わらないどころか、むしろますます助長されてすらいる訳で――


「お前除け者って言うけどなぁ、そもそもオレら別に組んでたって訳でもねぇし。だいたいお前、別に当事者って訳でもねぇだろ」

「関係ないって言いたいの!? ふざけないでよ、あたしだってあの場所にいたのよ! 気になるの!」

「気になるって……オイオイ、好奇心ってか?」

「そんなんじゃないわっ! あんな事があったのよ、その子の事心配するに決まってるでしょ!」


 ずびしと少女が指差す先にいるのは、年の頃ならようやく二桁になるかならないかの女の子。とても旅をする人間の装いとは思えない草木染めの素朴な上着と足下まで覆うロングスカート。腰の下まで届く癖のない髪は、見事な黄金色。子供らしく大きな瞳は蒼穹を思わせる空の蒼。

 質素な衣服に反しどこかの令嬢と言っても通用しそうなほど愛らしい顔立ちの女の子だが、反して身に纏う雰囲気はどこか現実味がない。もし事情を知らない第三者に対し、彼女は名工が作り出した精巧な人形であると説明した場合、すんなりと信じてしまうだろう。

 それほどまでに彼女から感じられる気配は希薄で、人形のよう無機質だ。

 証拠に女の子の目には感情らしきものは浮かばず、ただぼんやりと周囲に向けられている。――元々大人しかったとはいえ、以前は子供らしい豊かな感情を持っていたことを知っているだけに、二人が女の子に向ける眼差しには愁色が混ざる。

 が、そんな思いを押し留め少年はため息一つ。


「お節介かよ……」

「何よ、悪い?」

「いーや、別に」


 非難の視線を、傭兵の少年は肩をすくめてやり過ごす。

 猟師姿の少女の思いは、傭兵の少年も解らないでもないからだ。




 傭兵の少年や猟師姿の少女とは異なり、女の子の出で立ちは旅人と言うには相応しくない。

 それもそのはず。彼女は行商で各地の街を渡り歩くでもなく、少年のように護衛としてそれに同行するでもなく、少女のように猟のため凶暴な獣が生息する人の生活圏外へ足を運ぶこともしない――する必要のない、ただの村娘だったのだから。

 《神山》の懐に抱かれた小さな山村。人が多く集まる街のような活気こそ無いが、素朴で暖かな営みのある場所。

 あまりに奥地であるため、《神山》を参拝するため足を運んだ者が訪れることもなく、斜面に存在する僅かな平地に村を作り、周囲に広がる畑と《神山》からもたらされる恵みに寄り添い、ひっそりと生きる人々。

 のどかを絵に描いたような、まるで時間の流れ全てから切り離されたような村で、彼女は生まれ育ち、そして先人達と同じよういずれ伴侶を迎え子を育て――連綿と繰り返される営みの中で生きてゆく。


 ――その、はずだった。


 ずっと続くと、信じて疑うことの無かった――疑うことすらなかった――日々が潰えたのは、唐突。

 あるモノの手により、村は壊滅。村人は彼女以外の全てが死亡し、偶然村に居合わせていた傭兵の少年達に保護された。

 惨劇にも関わらず、彼女は奇跡的に外傷らしい外傷を負っていなかった。

 しかし、生まれ育った村の壊滅。そして見知った人々の無残な亡骸は幼い少女の心を打ちのめすには十分すぎた。

 自己防衛なのか、それとも凄惨な光景に耐える事が出来なくなったのか――事件以来、彼女は言葉と感情を無くしてしまった。



 ――今から、半月ほど前の出来事だ。




「けど、だったらオレも一つ言わせてもらうぜ。お前わかってんのか? この子の状況がこの先どう転ぶともわからねぇ……ヘタすりゃ、最悪一生このままだって事も有り得るワケ。それをこの先全部、面倒見ようって覚悟がホントにあるのかって話し」


 ため息と共に向けられる、容赦ない一言。

 それは正論であり、少女の身を案じるのであれば否応なしに向き合うこととなる現実。砕けた、というよりも乱暴な口調とは反対に鳶色の瞳は鋭く、真摯。普段の軽いノリとは全く異なるが故に、猟師姿の少女は思わずたじろぐ。


「それは……でも、まだ治らないって決まった訳じゃ!」

「ああ、そりゃそうだ。……で? そうは言っても治せる当てもねえんだろ。それとも何だ、お前この状況を何とか出来るってか? ……打つ手無し、が正直なところだろ。だったら、一時の感情で中途半端に手出しするのも考えモンだっつの。中途半端に手出しされて、いざって時にほっぽり出されちゃたまんねえよ」


 まるでイヌも追い払うよう、ぞんざいに手を振る傭兵の少年。突き放したような言動に、改めて問われたことに打ちのめされている少女は気付いていないが、これは傭兵の少年が精一杯気を使った台詞でもある。

 そもそもが、少年の方も村を焼かれた女の子の身を案じる義理など無いのだ。それでもこうして手元に置き、どうにかできないかと模索するあたりお人好しが故なのだろう。


「……でも」

「でももへったくれもねーよ。いい加減、お前も諦めろっての。見ろよ、あんだけしつこかったあのチビだって諦めて――」



「だーれがチビだってっ?」



「は? ――って、うぉわっ!?」


 俯く猟師の少女に容赦ない言葉を向けていた傭兵の少年は、思わぬ所から現れた人影に驚きの声を上げた。

 何しろなんの前触れもなく、いきなり目の前に逆さになった人の顔が落ちて・・・きたのだ。これには誰であろうと驚くというものであろう。

 傭兵の少年の反応に満足したのか、驚かした当の本人は体を支えていた街道の上に伸びる枝から足を外し、すとんとまるでネコのよう見事に着地する。小柄な少年――と言うよりは、男の子と言った方がしっくり来るだろう小柄な人物。着地が上手く決まったことがよほど嬉しいのか、少年はえへんと誇らしげに胸を張った。

 動きやすい半袖のシャツと長ズボンの下にある体つきはほっそりとしていて、あまり体力があるようには見えないが、先程の動きからその身体能力や推して知るべし、だ。

 腰の下まで届く深い青色の髪は三つ編みにまとめられ、少年の動きに合わせ揺れる様子はさながらネコの尾を連想させる。髪と同じく深い青色の瞳は大きく、顔つきも全体的に少女を連想させる可愛らしい目鼻立ちをしている。が、そこに浮かぶイタズラ小僧然とした光がせっかくの少女性をぶち壊し、彼の第一印象を「可愛らしい」から「悪ガキ」へと豹変させていた。


「大、成、功っ! まったくもー、これ位で|《変化》(へんげ)しちゃってさ、驚きすぎだよー?」


 からからと無邪気な、それでいて小憎たらしい笑顔を浮かべる少年。海色の髪の少年が言うように、咄嗟に飛び退いた狼の体にはある種の変化が現れていた。

 癖の強い髪に混じって突き出た赤土色のピンとはねた獣耳、腰の辺りには逆立った同じ色の尾。身構える腕にも同じ色の毛並みが表れ、心なしか爪も鋭くなっている。トドメとばかりに、口元からは牙まで覗く。

 半人半獣――そう呼ぶには、いささか獣の成分が少ないが――の姿は、この島の住人達の間で《変化》と呼ばれる能力を発現させたときに見られる外見的な変化だ。


 《変化》とはこの島に住む者であれば誰でも有している力。今傭兵の少年がそうしたように、この島の住民達は一人一人がそれぞれその身に獣の力を宿す。《変化》はそんな力を表面化させた常態を差す。

 《変化》後の常態の彼等は個人差はあるものの、基本的な身体能力などが底上げされ、体の一部分に獣の特徴を発現させるといった事は共通している。

 《変化》によって変化する範囲や宿す獣の力などは個々によって千差万別だが、原則として《変化》する事の出来る獣が変わる事はまず無い。ごくごく希にそう言ったケースがあるらしいが、そういった事は本当に希でしかない。

 尚、《変化》によって宿す獣の種別によって大まかにだが呼び分ける場合もある。

 オオカミやウマなど、陸で暮らす生き物の力を宿す人を陸の人――|《陸人》(ルディ)。

 鳥やコウモリなど、空を飛ぶ事の出来る生き物の力を宿す人を空の人――|《空人》(シエロ)。

 魚やワニなど、水中で暮らす生き物の力を宿す人を海の人――|《海人》(オセアノ)。

 これらの呼び分けには明確な定義はなく、例えば陸と海と、両方で活動できる獣の力を宿す場合は|《陸人》(ルディ)と|《海人》(オセアノ)の両方を当てはめる事が出来るし、翼があってもダチョウのように飛ぶことの出来無い鳥の力を宿す人は大抵が|《陸人》(ルディ)を名乗るが、場合によっては|《空人》(シエロ)を名乗る事もある。

 つまりはまぁ、酷くあやふやで不明瞭な――使いやすいときに使いやすい方を使い分けている大雑把な区分でしかないのだが。


 話が逸れたが、つまり《変化》とは彼等にとっては一種の戦闘状態である。勿論魚の《変化》を持つ者が陸地で下手に《変化》しようものなら、戦闘能力が大幅に下がる――などという事例もあるので、一概に全てがそうだとは言えないのだけれど。

 ともあれ、傭兵の少年が咄嗟の事に《変化》したのは流石の反応なのだ。未熟な者の場合、《変化》するだけに多少の時間を必要としてしまうため、彼のように素早く《変化》する事が可能な者は相当の経験を積んでいると言える。

 が、そんな反応もただからかっただけの悪戯坊主のがわからしてみれば、過剰反応でしかないのだった。


「――っ、な、くぉらかいっ! おまっ、いきなり何しやがるっ!」

「ん、人のことチビとか、なんか悪口言ってるみたいだったからちょっと脅かしてみたっ」

「脅かしてみた、じゃねえだろっ!? つかてめ、一体全体どっから湧いて出やがったっ?!」

「湧いたとか、人のこと虫か何かみたいに言わないでよねー。失礼だなぁ。そんなの勿論、待ち伏せしてたに決まってるじゃないか♪」

「その時点ですでにおかしいだろ、お前っ!」


 猛然と向けられる罵倒もなんのその。海と呼ばれた男の子――もとい少年はけらけら愉快そうに笑いながら、柳に風と受け流す。

 なんとか反論の言葉を探す傭兵の少年だったが、この海と名乗る少年には出会ってこのかた口で勝てた試しがない。何を言ってものらりくらりとかわされることは目に見えている。

 ――の、だけれど。

 年下に言いたい放題というのは、年長者としてのささやかなプライドを傷つけるには十分すぎ、文句の一つも言いたくなるのは必然で。恨みがましい眼差しの一つや二つはついつい向けてしまう。

 それが余計に女々しくて、海からしてみれば格好のからかいのネタになるのだけれど。


「文句があるなら、どーぞ受け付けるよ?」

「誰がわざわざてめぇの得意分野で戦うかってんだ」

「えー、何それ。じゃあ暴力振るうつもり? 力ずくだなんて穏やかじゃないなぁ」

「どの口がぬかすか」


 いざ暴力沙汰になれば、自分よりもよっぽど荒事に向いている癖に。と言外に示すも、しれっと流される。


「それよりもさー、ろう、キミさっきふうもぼくも無関係だろって言ってたけどさー。それを言うなら、キミはどうなのさ?」

「は?」


 唐突な問い掛け。よもやそんな事を問われるとは予想すらしていなかったのか、狼と呼ばれた傭兵の少年は首を傾げた。

 そんな狼の反応が面白いのか、海はくすりと可愛らしい顔ににつかわしくない小悪魔然とした笑みを浮かべる。


「は、じゃなくてさ。だってさ、キミだってあの村の住人じゃないじゃん。無関係って言うなら、それこそぼくら、みーんな同レベルだよね」

「いや、オレは一応依頼を受けでだな……」

「そっかー、君傭兵だもんね。報酬もらって動くのは基本だもんねー」


 合点がいったというように大仰に頷く海だが、その仕草がいちいち子供っぽくて人をおちょくっているようで、狼の神経を逆なでする。

 わざとからかってやがるか、と口を開きかけ狼の鼻先に、いつの間にやら子供っぽい柔らかな指先がびしっと突き付けられていた。


「でもさ、その報酬ってどこから出るのさ?」

「あ? 何言って……」

「だってさー、狼に依頼してたのってどうせあの村の人でしょ? もういないじゃん。報酬だって、確かこういうのって後払いが基本で……って、まあ長期の依頼ならある程度は前金もらってるかもしれないけどだけどさ。それにしたって、それだけでこんな状態になっちゃった女の子の世話をやこうだなんて、普通は考えないよね」


 「あっやしーよねー」と、まるで無邪気な子供そのものの仕草で狼を見上げ――


「あっ、もしかして報酬貰えなかった腹いせにしょうをどっかの奴隷商にでも売り飛ばしてお金にするつもりじゃ!」

「ちょっとマテ誰がそんなことするかっ!」


 あんまりな物言いに、思わず声が大きくなる。先程までも十分騒がしかったが、それ以上の騒音に周囲で羽を休めていた鳥たちが一斉に飛び立った。

 無礼どころか名誉毀損も極まりない海の発言だが、実際そういった事態は十二分に考えられる。

 奴隷商には自力で生活していく事の出来無い者が、最低限の命の補償を求めて我が身を売る。そうする事で諸々の自由はなくなるが、商品としての奴隷を買った方も労働力を無駄にしたくはない。そのため少なくとも生きる事だけは保障されるからだ。

 しかしこういった最終手段によるもの以外にも、奴隷として取引される者は存在する。親を亡くした子供や拐かしてきた子供を売り払う不届き者も、悲しい事に少なからず存在している。どんな世界にも闇があるのは、ある種の必然である。

 特に、感情を無くしているとはいえ見目がよい晶のような子供は、ある一部において需要もある。だから海の言葉は至極真っ当なのだが――疑われた方はたまらない。


「どれいしょう?」


 幸か不幸か、二人の会話を横で聞いていた風は海が口にした言葉の意味がわからないらしく、こてんと首を傾げている。暢気に揺れる緑の髪、彼女が無知な田舎者である事に狼は初めて感謝した。

 でなければ手の早い風の事だ、反論など聞く耳を持たず、言い訳する間もなくビンタの一つや二つ――で済めばよいが、ヘタをすれば矢の一つや二つ――が飛んできていた事だろう。そんなモノはごめん被りたいというのは普通の意見だ。

 内心ほっと胸を撫で下ろすのも束の間、背後から視線を感じ、狼は恐る恐る振り返る。

 そこにいるのは、先程から三人が繰り広げる口論に入る素振りをまったく見せなかった長身の青年。狼同様簡素な旅装束、烏の羽を思わせる艶やかな黒髪を背中まで伸ばした出で立ちは一見女性と取ることも出来るだろうが、彼は歴とした男性だ。証拠に体に女性らしい丸みなどははなく、細身ながらもしっかりと鍛えられた体つきが見て取れる。長身と精悍な顔立ちが相まって大人びた雰囲気を醸し出している。

 いつもは穏やかな感情を見せる髪と同じ濡れ羽色の鋭い瞳は、しかし今は批難の感情と共に向けられている。


「えーっと……もしもしこくさん?」

「……そんな事を考えていたのか?」

「いやンな訳ねぇだろ?! ンな不埒な事考えてたらそもそもあんたに声かけねーしっ! 悪ふざけ! こいつのタチの悪ぃ悪ふざけだよ悪ふざけ!」

「やー、ぼくとしては結構本気なんだけどね?」

「なお悪いわっ!!」


 しれっと言ってのける悪戯小僧の頭に向け、容赦なく拳を向けるも軽く躱される。

 追撃をしようと手を伸ばすものの、そちらもきっちり躱してくれる。まるで背中に目でもついているかのような見事な動きに、無駄に運動能力の高いとため息一つ。


「ったく……」

「……冗談?」

「ああ、そうだよっ。っとに、タチの悪ぃガキだぜ」


 イマイチ解っていないふうな黒髪の青年に対し、ぞんざいに言葉を返す狼。年上の人間相手にやや不遜とも言える行動だが、黒髪の青年は気にした様子もなく「そうか」と素直に頷いた。

 騒がしいやり取りだが、この程度の口論はここしばらくの間に日常化している。そのため、黒も特に気に止めることはしなかった。



「で、おまえらいつまで付いてくる気なんだよ?」


 まともに相手にしてられないとは思いつつも、そうぼやく狼の声にはめんどくささだけではなくここまで付いてきた風と海の二人に対する心配が混じる。

 最も、一人はそう言った事に対する感覚がとことん疎く、一人はそれをからかうネタにするのでものすごく不毛な行動なのだけれど。


「一緒に行ってもいいの?」

「ンな訳ねーだろ。そんなこたぁ一言たりとも口にしてねぇ。つーかオレが帰れと何度言ったと。……どっか行くにしても、当てがあんのかつってんだよ」

「何それっ」


 憤慨する風に、今度こそ狼は構ってられないとばかりに背を向けた。


「あ、こら待ちなさいよ!」

「だーかーらーっ、待つ義理は無いつってんだろ……」


 再びこぼれるため息。

 まったくもう何度こんなやり取りを繰り返したことか――あの日から半月程、この手の会話がなかった日はないのだが、狼にはまったくもって風と海の二人が何故ここまで食い下がるのか、その理由がわからない。

 ――確かに、あんな事・・・・があった以上気にならないというのは少々アレだ。

 とはいえ、わざわざ自分から危険に近付くようなマネを、一体全体何故取ろうとするのか――


「狼ってさー、なんでぼくらのこと勝手にお荷物だって決めつけよーとするかなぁ」


 と、そんな声が上がり狼の思考は中断される。


「勝手にって言うなら、そもそもてめぇらが今まで追っかけてきたこと自体が勝手だろうが」

「むぅ、ああ言えばこう言う」

「どっちがだ」


 尚もしつこく食い下がる海に向けるのは、いつものように呆れた言葉。これだけ言われてもまったく気にした様子がないあたり、この海という少年も風という少女もたいがいに諦めが悪いと思う狼だった。

 最も、お互い平行線なのでどちらもどちら、といったところなのだろうけれど。


「じゃあ多数決だっ」

「はぁ?」


 突拍子もない海の言葉に、狼はつい間の抜けた声で返す。


「旅は道ずれ世は情け、だよ。三人よりも五人、人数いっぱい居た方が賑やかで楽しいし」

「いやマテ、どんな理由だよそれ。なんでそう言う話しに」

「賑やかな方が楽しいって思う人ー」

「だから人の話聞けよおまえっ!?」


 狼の抗議など歯牙にも掛けず、海は無邪気な少年の顔のまま、ぱっと手を上げる。小さな体で精一杯手を伸ばし主張する姿はなんとも微笑ましいモノがあるが、こんな状況では微笑ましすぎて逆にふてぶてしい。

 そんな海の手に続くよう上がる、もう一つの手。二人の会話を聞いていた風が、海の真似をして手を上げていた。その育ち故に一般的な常識全般がごっそり欠落している風ではあるが、そうする事で何らかの主張が出来るという事を、どうにも直感的に感じ取っているようだ。

 最も、確信できるだけのしっかりとしたものがないので、しっかと自己主張しつつその内心には不安があるのだが。

 とはいえ、当然狼にはそんな風の内心など読み取れるはずもなく。よって目前に突き付けられたのは、同行への賛成二票という結果に。


「あー……、反対の方が多いことになるぞ、これ」

「え、晶はこんな常態なんだし数に入れない方向でしょ?」

「いやいや」


 確かに心ここにあらずな常態の少女にこんな判断を求めるのは酷である。当然の処置なのだが、しかしなんだってこんな都合のいい言葉をぽんぽんと吐き出せるのかと、軽い目眩を覚える狼であった。


「不服? むー、やっぱり我が儘だぁ……じゃあこうだっ」


 呆れる狼にいったい何を思ったのか、海はててっと晶の元に走り寄ると、黒とつないでいない方の手を取ってえいと持ち上げる。


「これで三対二っ!」

「いや無茶苦茶だろそれ! ンな無理矢理、無効に決まってンだろ」

「んー、じゃあ半分賛成票ってコトだよね?」


 にこりと、言質は取ったとばかりに笑う海。しまったと思うものの一度口にした言葉は元には戻らないわけで、

 だが――


「……だとしても、どのみちダメだっつの。さっさと帰れってんだおめーらは」

「えー」


 そう、例え晶を数に入れなかったとしても二対二では結局今までと何ら変わらない。付いてくることに反対する二人と、半ば押しかけで付いてくる二人――という構図が、結局そのままに反映されているだけだ。


「えーもへったくれもねぇっての。テメェから言いだしたことだろうが」

「だったら半々なら、結局今まで通りじゃないかー」

「そっちが無理矢理多数決とかやり出したんだ、ダメだったときのリスクくらい負えっての」

「横暴だー、無理矢理だー」

「それ、お前にだけは言われたかねーよ」


 話しはこれで終わりだと言わんばかりに、まるでイヌでも追い払うかのよう投げやりに手を振る。そんな狼の姿に海は勿論納得するはずもなく、むぅっと頬を膨らまして食い下がった。


「ね、黒も賑やかな方がいいと思うよね?」

「ンでそこで黒に話し降るんだ……」


 だからだろうか、普段はぶーたれて文句を言われつつも素知らぬ顔で追いかけ、それこそどんなにまこうと足跡を消し去っても、微細な痕跡から追跡し、あまつさえ先回りまでするという実力行使をせずに黒へと話を振ったのは。

 そんな海の諦めの悪さに、狼はやれやれとため息をこぼす。もし同意を期待して話しかけたのだとすれば、それはとんだ人選ミスだと言わざるを得ない。この黒という青年はあまり積極的に人と関わる方ではない、有り体に言えば他人に対して関心が薄い、ように思う。そう長い付き合いではないものの、狼は普段の寡黙な様子から黒の事をそのような人物なのだろうと判断していた。

 最も、他者の事情に無闇に踏み込まないあたり、狼にとっては好ましい事でもあった。もし海や風のように好奇心で他人の事情に首を突っ込むような人物であれば、狼の心労は今頃倍増していたことだろう。

 話が逸れた。ともあれ、だからして黒にこのように我が儘を言ったところで、到底彼からの同意など得られるはずもないだろう――と。


「……好きにすればいいだろう」


 案の定、黒は普段とさして変わらぬ淡々とした口調で応え――


「ほらな、黒もこう言ってんだし――って、はぁ?!」

「やた、これで三対一っ!」


 鼓膜に届いた思いもよらない言葉に我が耳を疑う狼とは正反対に、海は嬉しそうに飛び跳ねる。


「え、と?」

「ん、だから同行の許可が下りたってことー♪」

「ほんとっ?」

「ホントもホントさっ」


 いつの間にやら海は風の手を取って無邪気にはしゃぐ。会話に付いていけず、イマイチ事態を理解していなかった風だが海の言葉を素直に信じたようで、戸惑いと共に嬉しそうな感情を浮かべていた。

 そんな二人の姿は実に子供らしく微笑ましいものなのだろうけれど、それはあくまで傍観者の立場から見た場合の話しだ。

 これが一転我が身に降りかかり、子供の我が儘に振り回される当の本人からしてみれば、たまったものではない訳で。


「オイ黒、何言ってんだよっ?」

「……?」

「狼ってば、おーじょーぎわが悪いぞー。さっきぼくには結果は素直に認めろとか言ってた癖にー」

「うぐ……」


 思わず寡黙な青年に抗議する狼だったが、そんな狼に対しすかさず茶々を入れる悪ガキが一名。結果は結果、素直に認めろとつい先程偉そうに講釈している手前、ここで黒の前言を撤回させる事など出来るはずも無い。

 言いよどむ狼を無視し、いやにんまりと勝ち誇った笑みを浮かべる海。


(このガキ、解っててさっきの言わせやがったな――っ!)


 今更ながらその事に気付いた狼であったが、覆水盆に返らず。もはや後の祭りだ。

 そんな狼の横ではこの状況の引き金を引いたと言っても過言ではない人物、黒が相変わらずの無言のまま眼前のやり取りを見つめていた。その顔は状況にあまり興味がないと言うよりは、例えるのならばいったい何故そんな話しになっているのか不思議がっているようにも見える。

 これはもしかして、彼に対する人物評価が間違っていたのではないか――果てしなく嫌な予感をひしひしと感じながら、狼は最早二人の同行を断り切れないという事を嫌というほど思い知った。

 そもそもが、元々同行を許してすらいないのに各々が取れるあらゆる手段を用いてついて回ってきたのだ。先のやり取りで言質は取れたと胸を張って付いてくる様子がありありと目に浮かぶ。

 本人的には、すこぶる不本意だが。

 だから――


「あぁもう――勝手にしろ勝手に!」


 狼にはもう、半ばやけくそ気味に言い捨てるしかなかった。


「やったぁー」

「その代わり、何があっても知らねえからな? つかテメェの面倒はテメェでみろよ?」

「何いってるのさー、そんなの当たり前じゃん。ね、風?」

「え? うん、そりゃ勿論よ」


 苦し紛れに向けた憎まれ口は、ものの見事にスルーされる。いや、風は天然だが海の方はわかっていっているのだろう。


(本当に、このガキは……っ!)


「って言うかさ、ぼくや風ってちゃんと自分の事って出来るし、証拠にこうやって君達の後付いてきてたしー……そもそも、三日前くらいは野営の時の食事、ぼくらが狩ってきたの使ってたよね?」

「あー、あー、ンなの覚えねーよ」

「何よ、シラ切るつもり?」

「ちょっと前のこと覚えてないなんてー……若ボケ? え、何それ危なくない?」

「うぉい誰がボケだ。お前、人が言い返さねぇからって好き勝手言ってんじゃねえよっ!」


 言いたい放題の二人に言い返すも、事態の沈静化には繋がらずむしろ火に油。相変わらず、いや以前にも増して喧しい声が静かな街道に響いた。




 ――これが、始まり。


 この後訪れる激動の時代、その節目とも言うべき数々の事象。それに立ち会う事になる少女と、その友達の旅。

 彼等の旅がこの先何をもたらすか、どんな意味があるのかなど何も知らないままに、半ば強引に始まったそれは行く先々で様々な騒動を引き起こす事になる。

 けれど今は誰もそんな事を想像などせず、ただある者は無邪気に喜び、ある者は呆れある者はこれからの行動に思いをはせる。

 それは何処にでも起こりうる、有り触れた光景の一つで――


 ――それでも、この日この時、この場所で。

 少年少女の旅は、始まった。

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