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手当てが終わった後、子供たちを尼僧と待たせて、彼女は王の許へと来た。王は立ち上がって、彼女を迎えた。
「貴重な包帯を分けていただいて、とても助かった。ありがとう。それで、先程の話なのだが、私は子供たちから離れられない故、お断りしたい。王のお心遣いには感謝している。心広く、慈悲を知る王に、神の祝福のあらんことを」
彼女は最後に両の指を組み、目をつぶり、王の幸いを願う文句を唱えると、また彼を見上げた。
「あなたたちにも、せっかくここまで来ていただいたのに、すまない」
「シア、あなたは」
「シスター・シアだ」
彼の言葉を遮り、わずかに眉間を険しくして、彼女は主張した。
言い直さないかぎり、話を聞いてもらえそうにない雰囲気を感じ取り、彼はしかたなく従った。これ以上、彼女をシスターなどと呼びたくはなかったのだが。
「シスター・シア。あなたは自分の立場がわかっているのか。あなたはここにいるべきではない。一刻も早く、我が王都へ移るべきだ」
「私の前の身分を慮って言っているのなら、今は関係ない。滅びた国の王族など、平民と同じ。それに、私は神の僕だ」
「地上の王は、そうは考えない」
「ならば、それはそれだ。すべては神の思し召しのままに」
彼女は右の掌を上に向けて掲げてから、その掌を心臓の位置に押し当てた。神の御意志を己の命の上に頂く仕草だった。
「ふざけたことを、言うな」
王は、突然わきあがった激情そのままに、鋭く彼女を窘めた。
彼女が目を見開き、体を強張らせても、すぐに怒りを収められなかった。
この娘は、どんな死でも、神の御心として受け入れると言ったのだ。
冗談ではなかった。そんなものは、まやかしだ。
神が何をしてくれるというのだ。淫蕩にふけり、神の名の下に権力を振りかざす破戒僧どもの一人にでも、罰を当ててくれたことがあるのか。
神など何の頼りにもならない。神は人を守ってなどくれない。
殺すも、守って生かすも、それを望み、行っているのは、人だ。そんな世で、己で己を守ろうとしない者に、どんな未来があるというのだ。
神に願うだけで望む未来が手に入るなら、彼や家臣たちが、日々呻吟し、時に命すら懸ける必要などないはずなのだ。
王は、それらを彼女にぶちまけてやりたかった。
が、そうしなかった。
彼女は心底、神を信じている。神が、人の始祖に授けた教えに従わんとしている。それがどれほど尊い志であるか、似非信心に苦しめられている彼には、眩しく感じるほどによくわかっていた。
彼は彼女の怯えの混じった視線を閉ざすために、己の目をつぶり、一つ深く息をついた。それでやっと、平常心を取り戻す。
そして、再び彼女を見据えて、静かに話しかけた。
「大声を出して、すまなかった。だが、己を助けぬ者に、神は手を差し伸べてはくださらないのではないか? 私には、あなたが目先に囚われ、己の使命を真摯に果たそうとしていないように思えるのだが」
彼女は彼の言葉を受けて目を伏せた。しばらく考えをめぐらせているようだった。
けれど幾許もなく、すっとまなざしを上げ、真っ直ぐに彼に向けてきた。
「そうかもしれない。しかし、私は、私の一存でここへ連れてきたあの子達を守る義務がある。……あの子たちは、我らファルスの王族がいたらなかったばかりに、戦乱に巻き込まれ、挙句に目の前で親を失っている。私がいなければ、怯えて夜も眠れぬのだ。私は何があろうと、あの子たちを見捨てる真似はできない」
王は、毅然とした彼女の姿に見惚れた。
天使と見紛うその姿の中に、彼女が最早関係ないといったはずの王族の矜持がはっきりと見え、その優しさに裏付けられた強さに、心打たれずにはいられなかったのだ。