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教会に近付くと、どこからともなく教団の聖騎士が三人現れ、行く手を阻まれた。しかし、話は通っていたらしく、すぐにそのまま教会へと案内され、司祭長と引き合わされた。
グリンダと名乗った司祭長は、ハミル王にとって、ほどよく年老いた穏やかな尼僧だった。ほどよく、というのは、つまり、彼を結婚相手や不倫相手として見ないという意味である。
彼は僧侶の禁欲などというものを端から信用していない。それが守られていれば、彼が今、こんなところにいるはずもないからだ。
とりあえず、この司祭長は、彼に媚薬を盛って監禁したりする人物ではなさそうだと判断した。となれば、彼にだって常識はある。至極真っ当な態度で接した。
自己紹介から始まり、近辺の治安などの世間話の後、司祭長が言った。
「それでは、アレクシア様を呼んでまいります。少々こちらでお待ちください」
「いや、それには及ばない。こちらから出向こう」
王は司祭長に有無を言わせぬように、即座に立ち上がった。しかし彼女は、古びた小さな教会とはいえ、さすが一つの教会を任されるだけの度量の持ち主だった。やんわりと、だが毅然と反論する。
「ですが、ただいま洗濯中で、そのような場に貴方様をご案内するわけにはまいりません」
「彼女のいる場所に私が入ってはならない道理はなかろう。これからの人生を共にする人ならばよけいに」
王は意識して人好きのする笑みを浮かべて言い切った。
そう。だからこそ、彼は普段の王女の様子を知りたかったのだ。人間、限られた時間と場でならば、どんなふうにでも取り繕うことができる。そうではない、彼女の本性を見ておきたかった。
もちろん、王妃としての体裁を整えるくらいには、そういった技量を持ってくれていてかまわなかった。が、だからといって、醜い心持ちの女に騙されるのはごめんだった。
司祭長は、しばらく椅子に座ったまま王を見上げていたが、一つ頷くと、わかりました、と言った。立ち上がりながら、ただし、と注意をうながす。
「洗濯場には、御供の方は遠慮くださいますようお願いいたします。中へは、王お一人で。よろしいですか?」
「いいだろう」
「では、どうぞこちらへ」
司祭長は先に立って部屋を出た。
教会の裏手の、井戸に近い小さな建物が洗濯小屋だという。
王は中に声をかけようとした司祭長を、微笑をのせた視線一つで止め、開け放たれたままの入り口に一人で立った。
中は薄暗く、明るい外から入った彼には、すぐにすべての見分けはつかなかった。
べっちゃ、ぐっちゃと泥を捏ねくりまわすような音と共に、人影が動いている。
「あ、騎士殿、もう来たのか。すまない、もう少し待ってもらえるか」
その人影は、息を切らしながら涼やかな声で歯切れよく言うと、動きを速めた。
しばらくすると、王にも、その人物がどんな姿で何をしているか見えるようになってきた。
黒い尼僧服を膝の上まで捲り上げて腰辺りに縛りつけ、真っ白な細っこい足を露わにして、盥の中で足踏みしている妙齢の女性。
王は、目を見開いて、その足を凝視した。その足から目がそらせなかったのだ。
「よし、できた! 盥をひっくり返すから、手伝ってくれるか?」
額の汗を拭いながら、彼を手招きする。目と目が合う。その溌剌としたまなざしに、彼の心臓が止まった。
優美としか言いようのない輪郭。眉は優しく弧を描き、その下に無垢な瞳がきらめく。鼻筋は高すぎず低すぎず慎ましやかに聳え、無邪気さを宿した唇が魅力的な声を紡ぐ。
ここに、天使がいる。
と、彼は思った。
「おや? そのサーコートは聖騎士団のものではないな。鷲はこの国の紋章だったか。なんだ、私を捕まえに来たのか?」
「いや、違う」
彼は、なんだかぐらぐらする頭で、必死に短い言葉を絞り出した。うまく考えがまとまらないし、声も出ない。
「ああ、では、手伝いにきてくれたのだな!」
彼女の声に喜色がのった。
「国境沿いの難民キャンプから親を亡くした子を引き取ってきたのだが、どうにも人手が足りなくて困っていたのだ。この国の王はいいお方だな。苦難にある者に、細やかな気配りをしてくれる。おかげでキャンプでもたいした混乱はなかった。あ、すまない、まだ名乗ってなかったな。私はシア。これからよろしく頼む。あなたの名は?」
「ハミル、だ」
彼女に図らずも褒められ、どぎまぎしていた彼は、辛うじてぶっきらぼうに名乗った。
「王国を守る栄えある騎士殿にこんなことを頼むのは申し訳ないのだが、どうも私では力が足りず、ぜひ力を貸して欲しいのだ。お願いできるか?」
「ああ。もちろんだ」
「では、この盥を持ち上げて、水を払ってくれるか? 私が中の洗濯物を押さえているから」
王はふらふらと呼ばれるままに彼女に近付いた。傍に立てば、可愛らしい額が彼の顎の辺りにあり、生き生きとした瞳が親しげに細められる。
その瞬間、息ができなくなり、彼はどくどくと疼く己の心臓の上に、そっと掌を当てた。
「さあ、頼む」
さっとしゃがんで、彼女は洗濯物を押さえた。
そして王も彼女に指図されるまま、唯々諾々と盥の縁に手をかけたのだった。