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その日、王は国境近くの森の中を、馬に乗って進んでいた。
他よりは地面が踏みしめられ、周囲の枝などが切り落とされているために、辛うじて道らしきものに見えるものを、先導の騎士の後に続いて辿る。
その顔はすさまじく仏頂面だった。時々なにやら呟き、ひどく顔をしかめたかと思うと、舌打ちまでしている。
忌々しくてしかたがなかったのだ。
これから向かうのは、近くの街道沿いの町からも、まだ森の奥に引っ込んだ、古い小さな教会だった。
そこに、彼の妃となるべき女性がいるという。
その名をアレクシア。昨年滅びた隣国、ファルス王国の第十二王女だという。
ファルス王国が健在だった頃は、たいした後ろ盾のない、いるのかいないのかわからないような身分の王女だったが、他の王族が全員殺され、滅びた今では、どんな力も持たないただの小娘であっても、最後の正統の後継者だ。
ファルスを滅ぼしたセテス公国が血眼になって探している大物が、自国に逃げ込んで密かに匿われていたのは、頭の痛い失態だった。
「だが、まあ、いいんだ、そんなのは」
ハミル王は空を恨めしげに見上げて呟いた。
他の誰にも知られていないのなら、最悪、殺しても、やはり誰にもわからない。その存在は闇から闇に葬ることができる。
しかし、それができない理由があった。
なぜなら、彼女は、さる人物の孫だったのだ。それも、グロスタ教の次期法王と名高い、東方大司教アレクシード猊下の。
神の僕であり、妻帯できないはずの坊主にどうして孫がいるのか、それはものすごくおかしい話だ。おかしいが、彼らに妻や子供が何人もいるのは、『神の思し召し』の下に、密かにまかり通って、最早常識の範疇にすらなってしまっている。
王は、今こそ声を大にして世界中に言ってやりたかった。生臭坊主どもの淫行を見て見ぬふりをするのはやめたらどうかと。
けれど、神の法の番人に楯突いたらどうなることか。たとえ一国の王だろうと、たちまち破門され、神へと至る門を閉ざされるに違いない。それは、とんでもなく不名誉なことだった。
結局、グロスタ教団の許す王しか王位に就けず、そうである以上、国の行く末もまた、教団の望みに左右されてしまう現状があった。
王は実に苦々しい気分だった。坊主どもをまとめて滅ぼせない以上、とにかく彼は、なにがなんでもこれから王女の許へ行って、求婚しなければならないのだ。
もうそれはしかたない。誰でもいいから連れてこいと言ったのは自分だ。大臣たちが叔父である猊下に相談するのも当然で、こうなった責任の半分は、自分にもある。それはわかっていた。
だがしかし、だがしかしだ。
王は苛立たしげに息を吐き出し、どうにもできない激情に、掴んだ手綱を握る拳に力を込めた。
どうして私が、よりによってシスターなんぞを口説かねばならないんだ!?
相手は神の花嫁になりたい女だぞ? 恋敵は人間ですらないのだぞ? そんな相手を、いったいどうやって口説き落とせと?
王妃になりたくてしかたのない、打算まみれの愚かで従順な女に縋りつかれる予想をしていたのに、どういうわけか、いつのまにか、自分に縋りつく役目がまわってきてしまっている。
彼はそれが一番気に入らなかった。
王は真っ赤な髪を風に煽らせて逆立てて、ぎりぎりと歯噛みしながら、見えてきた教会の尖塔に輝く星飾りを、射落としそうな勢いで睨みつけた。