蛇の目玉(じゃのめだま)
つんと冷たい、秋の夕暮れのことです。
一人の少年が川でもがいておりました。
この少年は、もともとは石を探していたのです。めずらしい小石を探しては見せ合うことが子ども達の間ではやっていましたので、だれも持っていない石を見つけてやろうと一人で山に入ったのでした。そうして川の大岩をわたり歩いているうちに、うっかり足をすべらせてしまったのです。
さほど深い川ではありませんでしたが、少年は身体を打ちつけたために身動きがとれずにおりました。そうしてずるずると急流に引きずられていくうちに冷たさも重なり、ついにはどうにも思うように動けなくなってしまったのでした。
もがいているうちに、少年は赤い光が目に入ることに気がつきました。あわててそちらを見やると、すぐそばの木の枝に小さな白いへびがまきついていて、ルビィのような目でじっと少年を見つめていたのでした。
「助けてくれ」
少年はけんめいにたのみました。
「お願いだ、へびよ。望みがあるなら何でもきくから」
へびはしばらく黙っておりましたが、やがてちろちろと舌を伸ばしながら言いました。
「お前が、私の、婿、なるなら。
助けて、やる」
「約束するよ、助けておくれ」
少年はどうにも助かりたい一心でしたので、深く考えもせずに約束をしました。
へびはそれを聞くと、喜んでシュウシュウ笑いました。
「約束、だ。
お前が、大人、なるまで、証し。
蛇の目、玉、わたして、おく」
気がつけば、少年は川辺に横たわっておりました。
どうやって助かったのかは分かりませんが、こごえきっていたはずの身体はぽかぽかしていて少しもぬれていないのでした。
これは夢だったのかと少年は思いました。そもそもへびと話しなどできる筈がありません。
起き上がろうとした少年は、にぎりしめた手の中に何かあることに気がつきました。
開くとそれは、クルミほどの大きさの小石なのでした。ルビィのような色をしていて、芯には金の年輪模様が細長く伸びています。
不思議なことがあるものだと少年はおどろきましたが、次の瞬間にはこんなにすばらしい石が手に入ったことに夢中になってしまい、もうすっかり先ほどのことは忘れてしまったのでした。
それから月日がたち、少年はりっぱな若者となりました。
青年となった今、あの日のことはすっかり忘れていましたが、石はお守りとして肌身はなさずに持ち歩いておりました。
青年はだれにも石を見せたことがありませんでした。あまりに美しかったために、欲しがられでもしたら大変だと考えていたからです。
晴れた日に時間があれば、青年は片目に石をあてお日さまにかざすようにして中をのぞきます。真っ赤なルビィのほのおの中に金の年輪がとろとろとゆれ、見つめていると毎回不思議な光景を見せてくれるのでした。そしてそれは、青年を何とも言えずなつかしい気持ちにさせてくれるのでした。
さて、青年の働く町工場には若いむすめが数人おりました。そして、そのうちの一人がこの真面目な青年のことを好ましく思うようになり、いつしか彼を目で追うようになりました。
それにしても風変わりな若者なのでした。晴れた日の休み時間はいつも姿を消し、戻ってくる時は何ともふわふわした足取りなのです。ですがその顔は何かを考え込んでいるふうで、だれかが話しかけてもしばらくはあいまいな返事ばかりしているのでした。
むすめは彼が何をしているのか知りたいと思いましたので、ある日の休み時間にそっと後をつけてみました。
青年は工場の裏に出ると、周りに人気の無いことを確かめてから、胸のポケットから小袋を取り出しました。そして中から何かを取り出して目にあてると、あとはそのまま上を向き、じっと動かぬままなのでした。
むすめは毎日青年のあとを追いました。そして彼が毎回ポケットの中のものを見ているだけなのを知ると、今度はだんだんと何とかして中身を探れないだろうかと考えるようになっていたのでした。
青年は、山の中を歩いておりました。
道なき道をえんえん歩き続け、やがて木々の連なりがすっぽりとぬけたところにほこらを見付けました。緑がすれ合う音に混じって、ちりん・・・・・ちりん・・・・・・と鈴の音が耳に届きます。青年はほこらにと近付くととびらに手をかけました。なぜだか急に中をのぞきたい衝動にかられたのです。
「やっと、きた」
ふいに頭の中に声がひびき、いつの間にかそばに一人の女が立っておりました。白と紅色のかさねに金の鈴の輪を身につけた、地につくほどの黒い髪を持つ女です。
「まって、た」
女は青年を見て、うれしそうに笑いかけました。
だきしめようとして気付けば、彼は布団から手を伸ばし、空をつかんでいたのでした。
何とも不思議な夢だったと青年は思いました。そうして枕元を手探りして、にぎりしめたものを明けの光の中でじっと見つめました。
ルビィのようなその石は、あの女の目と同じ色なのでした。
青年はますます赤い石に夢中になりました。
石は相変わらず目に当てれば不思議な光景を見せてくれましたが、そのうち段々と、あの夢のほこらの様子をも青年に見せるようになっていきました。ほこらの横には、時折あの赤い目を持つ女がたたずんでいます。そして青年のことが見えているかのようにこちらを見つめているのでした。
青年はしんぼう強く待ちました。毎日石を持ち歩き、眠る時にはにぎりしめ、その時が再び訪れるのをじっと待ちました。
ですから、かつて歩いた山の中に再びたたずんでいることに気付いた時、青年ははやる心をおさえるのに大変な苦労を要しました。彼はゆっくりと進んでいきました。この日が来ることは確信しておりましたので、ほこらに出た時も、女が出てきた時でさえも、おどろいたりはしませんでした。
「やっと会えた」
青年はそう言って、女をゆっくりとだきしめました。シュウシュウという笑い声が聞こえました。
それから二人は、毎夜異なる夢の世界で逢瀬を楽しみました。それは雨が取り囲む岩戸であったり、木もれ日の美しい森の中であったり、ほの青く光る建物であったりしました。この石が見せる夢は万華鏡のようだ、と青年は思いました。
町工場の人々は、どんどんやせ細ってゆく若者のことを心配しました。
「ちゃんと食べているのか」
「あまり眠れていないんじゃないのか」
皆口々に声をかけますが、青年は聞こえていないかのように返事もしません。そうして誰とも話さぬようになりましたので、皆もだんだんと青年に近寄らず忘れたようになっていきました。ただ一人のむすめをのぞいては。
きっと彼が弱った原因は、いつも見ているものに関係があるのだろうとむすめは思いました。ですから数日後、工場で青年がふらふらと倒れかけたのを見て絶好の機会だと思いました。
彼女はかけよると、青年の身体を助け起こしながらも胸ポケットに手を伸ばし入れ、こっそりと中のものを取り出しました。青年はふらついていたせいか気が付かないままでいました。
むすめはその足で、そっと外へ出ました。
彼女の手には小さな袋がありました。ひもをゆるめて手のひらに落としたところ、飴玉がころりと転がり出ました。いえ、飴玉と思ったのは一瞬で、よく見ればそれは燃えるように赤い宝石なのでした。
「きれい」
むすめはつぶやき、石をつまむと青年と同じように日の光に透かすようにしてのぞきこんでみました。
初めは、きらきらと赤い光がすけているだけでした。ですが、だんだんと金色の芯がとけ始め、やがてその中に何かが混じり始めたのです。
燃える金糸の中にたたずんでいたのは、一匹の白蛇でした。
白蛇はじっとこちらを見つめています。石と同じ色の目は、むすめに対する憎しみにあふれていました。
「もう、少し、だったのに」
いまいましげなつぶやきが、むすめの頭にひびきました。
とたんに、炙られたようなひどい痛みがむすめの目をおそいました。
ぎゃあっと叫んで、むすめは手をはなしました。
かしゃりと何かが割れたような音がしました。
悲鳴を上げてのたうちまわりながらも、むすめはただれていない方の目で石の行方を追おうとしました。ですが、コンクリの床にはじけたはずの石はどこにも見当たりません。
悲鳴を聞いてかけつけた人々により、彼女は病院へ送られることになりました。
「石、石、赤い石は、どこ、どこ」
むすめは目を押さえながらも、うわ言のようにつぶやき続けていました。
言葉を聞いた人々は辺りを見回しましたのですが、結局、どこにも彼女の言うようなものは見あたりませんでした。
そうして、むすめの片目は、それきり二度と光を取り戻すことはありませんでした。
青年はまるで憑き物が落ちたかのように、すっきりとした顔で工場に出るようになりました。彼の頭から、あの赤い石のことはきれいさっぱり消えてしまっていたのでした。
青年は真面目に働き続け、やがて所帯を持ちました。
毎日がおだやかで幸せに過ぎていきました。
ですが、ごくたまに、彼はふと何かを思い出しそうになるのです。
それは妻が眼帯を外し、こちらを見つめた時。
そのつぶれた目のすき間から、何かがちかりと光る気がするのです。
それはまるで、紅い火を思わせるのでした。
<了>