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Sweet&Bitter  作者: みずの
夜も昼も
91/152


 その週は土曜日が休みで、私は約束通り諒子さんにミスコンの衣装選びに付き合ってもらっていた。ただどんなものがいいかの物色と打ち合わせのようなもので、実際に買うのはまた検討してからだ。そうして何軒かのお店を回った後お茶をしようと入ったカフェで、並んでケーキセットを頼む。



「で、臨時で赴任してきた成川蓮がお前の元カレなんだって?」

 …ただし、その向かい側になっちゃんが座っているのは甚だ疑問だ。



「…何でそんなことなっちゃんが知ってんの」

 ガトーショコラを運んだフォークの先を口元に当てたまま、私は目を細めて目の前の彼を見やる。

「それより何でそもそも貴弘がここにいんのよ」

 隣で諒子さんも、訝しげに眉を寄せてそう言葉を重ねた。



 細かいことは気にするなと返事をしたなっちゃんは、素知らぬ顔でホットコーヒーを啜る。それをしばらく眺めた後、諒子さんは少し意地悪そうに笑った。

「ははーん、今理沙ちゃんが実家に帰ってるからあんたヒマなんでしょ」

「…大きなお世話です」

 図星だったのか、なっちゃんは口を歪めてそう答えるとフイとそっぽを向いた。



「で、なっちゃんがなんで蓮くんが私の元カレだってこと知ってるの?」

 嫌な予感がして尋ねると、なっちゃんは平然と「江口と松浦に聞いた」と答える。予想通りに出てきた由実と智子の名前に、私は開いた口が塞がらなかった。

「そういう話をしてんのをユキサダに聞かれた、どうしよう。和美に悪いことしちゃったって俺のところに相談に来た」

「……そんなの由実のせいじゃないのに…」

「俺もそう言っといたけど」

 カップをテーブルに戻して、なっちゃんは小さく肩を竦める。



「そもそも、ユキにゃもう関係ねぇ話だろ。今お前と付き合ってるんだったら当然気になるかもしれねぇけど、あいつにそんな権利やらねぇ」

「…まだ怒ってんの、貴弘」

「当然です」

 諒子さんの言葉にはきっちり敬語で返して、なっちゃんは更に顔を顰めた。



「で? その元カレって何なの? 和美ちゃん」

 諒子さんはアイスコーヒーにミルクを注ぎながらそう話をこちらに戻す。その問いを受けて何と説明しようか迷っている間に、なっちゃんが頼んでもないのに事情をかいつまんで話した。


 一連のその話を聞いた諒子さんは、元々大きな目を少しだけ丸くする。

「和美ちゃんの元カレが学校に…!? そんな偶然あるのね! …で、どんな人なの?」

 感想を漏らすよりもそう質問してくる辺り、諒子さんは私の「元カレ」に興味を持ったらしかった。ストローでコーヒーをかき混ぜるその彼女の仕草を横目で見ながら、私は「うぅーん」と首を捻る。一言で説明するには難しかったからだ。



「強いて言うなら、『漫画から出てきましたー』って感じの王子様みたいなキャラ」

 またもや返事に詰まっていた私の代わりに、なっちゃんがそう答えた。当たらずとも遠からずな表現だ。

「へぇ! 和美ちゃんてそういうのタイプなの? ユキと付き合ってたから、結構悪そうな男が好きなのかと思ってた」

「『悪そう』って…諒子さん」

 苦笑いをして曖昧に返事をし、私は手にしていたフォークをお皿の上に戻す。確かに、言葉にするとしたら蓮くんと本城先生は全く逆のタイプだ。



「貴弘から見ても『王子キャラ』なの? その人」

 尋ねられたなっちゃんは、椅子の背もたれに尊大に背を預けると小さく肩を竦める。

「なんていうか…メガネかけたインテリ風で、でも物腰は柔らかで…非のうちどころのないタイプですかね」

「男からもそう言われる『男』ってあんまりいないわよね」

「言うなれば、完璧が歩いてる感じ。そういうところでもユキとは正反対ですよ」

 あいつは欠点だらけだ、と付け足したなっちゃんは、まだそんなことを言う。だけどそれは子どもが拗ねているだけのようにも見えて、私も諒子さんも諌める気にはならなかった。



「で、お前はどうなんだよ? 元カレの出現でちょっとはヨリ戻す気になったりとかは?」

「蓮くんと? …まさか」

 中学時代、蓮くんのことを本気で好きだったかと言われれば疑問が残る。だから今ここで彼と再会したからと言って、やり直す気持ちになるわけもない。先生と別れたことによる傷を癒すだけの拠り所にするつもりも、そもそもあるわけがない。だけどそれをここで言うのも相手に失礼な気がしたので、私は言葉を継ぐことを止めておいた。



「でもそれだけ完璧な元カレが更にかっこよくなって目の前に現れたら…ちょっとドキっとしない?」

 諒子さんが、そう尋ねる。問われた意味をしばらく考えてみたけれど、それでもやっぱり自分にはあり得ないことだった。



 昔から…少しだけ感じていた「違和感」がある。



 蓮くんは確かに、誰からみても完璧だった。

 優しくて強くて、包容力もあって…まだ子どもだった私をそれでも大きく包み込んでくれていたと思う。曲がったことは嫌いで、正しいことをはっきりと言える人。頭も運動神経も良くて、女の子が憧れるような甘いマスクで…彼氏として不満があったわけもない。



 ただ、当時から誰にも言えなかった、そんな蓮くんに感じる小さな違和感。漠然としすぎていて、はっきりと認識するには頼りない。でもその感情に名前をつけるとすれば…きっと、「恐怖」という言葉が合うのだと思う。完璧すぎる故に、たまに何故か彼が怖くなることがある。



「私…正直もう、自信がないんです」

 完璧で優しい人を「怖い」とは言えるわけがなく、全く別のことを口にした。なっちゃんと諒子さんが、その言葉に同時に顔を上げてこちらを見る。

「蓮くんと学校で再会して初めに思ったのは、懐かしくて嬉しいとかドキッとしたとか…そんなものじゃなかったんです。昔の彼氏との再会を先生に見られたくなかった、ってことだけだった」

「和美ちゃん…」

「先生とははっきり別れたつもりで、ちゃんと諦めるつもりだったのに…。でも結局、蓮くんと話してもどうしても先生と比べてしまう自分がいるんです。それは、クラスの男子を見ていてもそう。『先生だったらこうなのに』とか、そんなことばっかりで」

「……」

「諦めるつもりだったのにここ数日、結局考えるのは先生のことばっかりで」

 諦められる自信が、自分にはもうない。

 このままでいいはずはないと分かっているし、開き直る勇気もないのに未練だけが取り残される。



 目を細めて、諒子さんが私を労わるように見つめているのが分かる。

「そんなの当たり前よ、和美ちゃん。まだ別れて数日しか経ってないんだから…」

 背中に添えられた手が慰めてくれるように優しく上下して、その温かさに涙が出そうだった。だけど、正面でなっちゃんは厳しい顔を更に歪める。テーブルの脇で長い足を組みなおして、不機嫌そうに眉を寄せた。

「自信がなかろうがなんだろうが、お前は立ち直らなきゃならねぇんだよ。ユキのことはさっぱり忘れてな」

 言ったなっちゃんの言葉に、諒子さんが「…貴弘」と諌めるように呼ぶ。

「そうするのに新しい恋愛が必要なら、他の男にだって目を向けるのもいい。ただ、今と同じ場所でずっとグダグダすんのだけはやめろ」

「……でも…」

 言いかけた私を、なっちゃんは更に表情を歪めて正面から睨むように見た。その迫力に一瞬息を飲んだ瞬間、彼の口が非情な言葉を継ぐ。

「あの時…お前を置いてあの女のところへユキが行った時」

「…」

「あいつは結局、朝まで帰ってこなかった」

「……っ」

「お前だってそれがどういうことかくらい分かってんだろ!?」

 ダン、とテーブルに手をついたなっちゃんの言葉に、周りの数人が振り向く。それでもそれに構う余裕なんてあるはずもなく、私はただ何も言い返すこともできなかった。自分でも無自覚のうちに、一筋の雫が頬を伝う。



「…貴弘…っ、何もそこまで言わなくても……。ごめんね、和美ちゃん。貴弘は和美ちゃんのこと心配して…」

 諒子さんがフォローを入れるように、慌ててそう取り繕うように言う。だけど、そんなことは分かっていた。いつだってなっちゃんは私を思って言ってくれているんだから。



「…っ」

 でも、あふれ出した涙が止まらない。それはきっと、なっちゃんに言われた言葉が悲しかったからじゃない。ただあの日の胸の痛みをはっきりと思い出してしまったからだ。




******



「あら、今日は早かったのね」

 夕方には帰った私に、キッチンで夕飯の用意をしていた母がのんびりとそう言った。今日はどうやら普段は忙しい母も仕事が休みのようだ。鼻歌まじりに鍋の中の物をかき混ぜている様子は、一週間のうちで見られることは数少ない。



 「…うん」とだけ曖昧に答えて、私はそのまま階段を上る。ここ数日の上がったり下がったりし続ける自分の胸のうちに、疲れきっていたから会話をするのも億劫だった。



「あ、待って和美」

 そんなこちらの様子に気づいているのかいないのか…どちらかは分からなかったけれど、母の少しのんきな声が私を呼び止めた。階段を数段上がったところで振り返ると、母がお玉を手にしたまま私を見上げる。

「悪いんだけど、今からこれ成川さんの家に持っていって」

「…? どうしたの?」

 母が指差したのは、言うまでもなく今向き合っている鍋だ。その中身をキレイな深皿に盛り付けながら、母は続ける。

「和美と祥太郎には言ってなかったんだけどね、ここのところ蓮くんのお母さん体調悪いことが多いのよ」

「…え?」

 初めて聞く話に、私は思わず目を見開いた。聞き流すような話でもない気がして、数段上がりかけていた階段からリビングのフロアに戻る。そうして下りてきた私の前で忙しく動きまわりながら、母は煮物やらお手製の漬物やらといったものを持ちやすいように袋に入れた。

「この前うちに来た時は大丈夫だったみたいだけど…今日またちょっと寝込んでるみたいなのよ」

 少しはしゃぎすぎちゃったのかしら、と母は心配そうに首を捻った。



「…大丈夫なの? おばさん」

「うん、病院で薬はもらってるみたいだからね。でもたまに起き上がるのも辛い時があるって」

「……そう…なんだ」

 いつも明るくて優しいおばさんだけど、確かに昔から体が丈夫な方じゃなかった。ここのところ悪化したのだと言われても想像に難くない。



「結局、蓮くんが少しの間戻ってくることになったみたいだけど」

「…えっ?」

「ほら、今も蓮くんはすぐ近くで一人暮らししてるわけだけど、それでも仕事してると帰ってくることも稀だったでしょう? お母さんのことも心配だし、和美の学校ならアパートからよりこっちから通った方が近いから、臨時で赴任してる間は実家から通うことにしたんですって」

「…そう…なんだ…」

 この前会った時は、誰もそんな話はしていなかったのに…。そう思いながら曖昧に相槌を打っていると、母は準備を終えた大きな袋を私にズイと差し出した。

「蓮くんなら料理もできるだろうけど、やっぱりね。助け合える時は何かしたいじゃない」

 そう言いながら手渡してきた物を受け取ると、ズシと結構な重みがあった。そう思うなら自分で行ってくれればいいのに、とは、思ったけれど口にはできない。母の中では、私は未だに蓮くんに懐いている幼稚園くらいの頃のイメージのままに違いない。



「…行ってきます」

 諦めたように肩を下げ、私は着替えもしないまま帰ってきたばかりの玄関を出た。




******



 どれくらいぶりかに成川家のインターホンを押した。「はい」とそれに対応したのは、母の言葉通り蓮くんだった。



 名乗ると、「開いてるよ」と声が返ってくる。それもほんの1,2年前までと全く同じで、何だか懐かしくも感じたけれど浸るようなものではなかった。



「お邪魔します」

 玄関のドアをそろそろと開けると、ちょうどリビングの方から蓮くんが出てくる。

「どうかした?」

 学校で見るよりラフな格好をした蓮くんの姿は、当たり前だけれど昔の通りで少しだけホッとする。

「お母さんがこれ持って行ってって…おばさんの様子どう?」

「…あぁ…今は父親が病院連れて行ってる」

 ありがとう、と付け足して袋を受け取る蓮くんの言葉に、私は安堵の息を漏らした。

「私、おばさんの体調が良くないなんて知らなかった」

「余計な心配かけるのもどうかと思ったから。…でも、助かるよ。ありがとう」

 受け取った袋を少し掲げて見せて、蓮くんは笑う。なっちゃんとのさっきの会話があったからか、そんなソツのない完璧な笑顔でさえも何故か違和感を感じた。



 先生の時は…たった少し唇の端を持ち上げて笑うだけでも、胸がしめつけられるように嬉しかったのに。



「……っ」

 そんなことをふっと考えてしまった瞬間、また先生と他人を比較している自分に気がついて愕然とする。



「どうぞ? せっかく来たんだし、上がったら?」

 スリッパを出しながら、蓮くんはこちらの様子に気づいた素振りもなくそう言った。その言葉に顔を上げ、私は慌てて首を横に振る。

「あ、ううん…今日は帰るね。おばさんによろしく」

 ニッコリ笑ってみせたけれど、うまく笑えたかは分からなかった。蓮くんには、全て見透かされている気さえするからだ。それは先生やなっちゃんにも感じることはあるけれど…だからと言って今のように恐怖に似た何かを抱くのは今目の前にいる「彼」だけだった。



「…もしかして警戒してる?」

 いたずらっぽく笑って、蓮くんは首を傾けた角度でこちらを見やる。深い色の瞳に見据えられると言葉がうまく出てこなくなりそうで、瞬時に目を逸らしてしまった。

 それが間違いだったということまで一瞬で認識はできていなかったと思う。



「…ちが…っ、ただ、……えぇっと…ほら、蓮くんの彼女に悪いし…」

 咄嗟に思いついた言い訳を口にはしたけれど、苦しかっただろう。完璧にどもってしまったし、逸らした目が自分でも後ろめたさを物語っている気がした。



 だけど、そうして口をついて出た言い訳もあながち間違ってはいないと自分に言い聞かせる。もし自分が蓮くんの彼女の立場だったら、いくら今ではただの幼馴染だとは言っても他の女が家を訪れるのを快くは思わないはずだから。



 でも…。




「…ふっ」

 何がおかしかったのか、蓮くんが堪えきれずに笑みを漏らした。口元を手で覆って、それからこちらを向く。その笑みの意味を考えているうちに何故か体は硬直していて、思うようには動いてくれなかった。

 そんな私に向けて伸ばされた蓮くんの指が、サイドに少し垂らされた長い髪に触れる。



「もしかして、和美も信じた?」

 からかうような笑みを浮かべながら言って、蓮くんの指が私の髪を滑り下りた。

「あんな嘘」

「…っ?」

 弾かれたように顔を上げようとしたけれど、うまくはいかずに目を見開くしかできない。



 蓮くんの触れる箇所が冷たく凍っていくような感覚に陥ったのに、私の足は意に反してすぐに動くことはなかった。






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