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Sweet&Bitter  作者: みずの
夜も昼も
90/152


 少しでも陰鬱な気分を払拭するためにと気分転換に駅ビルに寄った。好きな雑貨屋さんで新商品を眺めたりCD屋に立ち寄ったりしたけれど、そんなことですぐに重い気持ちが晴れるわけもなかった。それでも家に帰ってじっとしているよりはマシだろうと思う。何軒目かに立ち寄った本屋では、平台に置かれたファッション誌を何となくパラパラとめくっていた。



 私の気持ちは飽和状態になってしまっていて、もう自分の感情がぐちゃぐちゃで整理ができない。前を向こうと決意して今朝家を出たはずだけれど、先生の顔を見たらそんなにうまくいくわけもなかった。

 …加えて、「彼」と学校で再会して、昔付き合っていた事実を本城先生に知られることになって…。「それ」を聞いてもピクリとも表情を変えなかった先生に、また傷ついては落ち込むの繰り返しだ。



「…はーぁ」

 『忘れる』ということは、こんなに難しいことだっただろうか。先生のことを忘れようとすればするほど、胸は痛んで目的とは逆方向に向かっている気がする。

 そう思ってため息をついた時、後ろでクスリと笑みが聞こえてきた。

「…でかいため息」

 その声にパッと振り返り、私は「…あ」と声を漏らす。そこに立っていたのは、他でもない例の「元カレ」だった。



「久しぶり、和美」

 声を聞くのは1年と数ヶ月ぶりだ。別れたのは入学前の春休みで、その後連絡を取ったとしても専らメールだったから。しかも先生と付き合い始めてからは、そのメールも一度も交わしたことがなかった気がする。



 柔らかい声と笑顔は相変わらずで、瞬時に懐かしさがこみ上げた。微かに笑みを口元に浮かべたけれど、うまく笑えただろうか。

「…蓮くん」

 教師姿の彼は、鞄を片手にニコリと笑って返した。






「夏休み終わる頃に急な辞令が出てさ。和美の学校だったからびっくりした」

 駅ビルを出て家への帰り道、並んで歩きながら蓮くんはそう言った。

「…教えてくれれば良かったのに」

 言うと、また笑う。

「祥太郎には連絡しといたけど…聞いてない?」

 そんな言葉に、私は思わず眉を寄せた。

「…あいつぅ…」

 家に帰ったら文句を言ってやりたいくらいだった。蓮くんがうちの学校に来るという事実を前もって知っていたら、もう少し気持ちの準備の仕方もあったのに…。



「あれ、俺があの学校に行ったら何かマズイ事情でもあった?」

「…っ、そんなことは…」

「あぁ、今彼氏が同じ学校にいるとか?」

 確かにそれじゃちょっと和美としては気まずいか、と続けて、蓮くんは苦笑いを浮かべる。…「今」彼氏がいるわけでもないし、恐らく蓮くんとしてはそれがまさか教師だとは思いもしていないのだろう。




「…いないよ、今彼氏は」

 ため息まじりに呟いたけれど、蓮くんは何をどう思ったのか「あぁ、そう」としか言わなかった。私としては当然それ以上の事情を説明する気も意味も感じられず、代わりに話題を変えた。



「ところで蓮くん、今日は実家に帰るの?」

 自然と私と並んで帰っている蓮くんに、そう尋ねる。教師になったと同時に、彼は家を出たはずだ。今では2駅だけだけど離れた町に住んでいて、実家に帰ってくることも稀になっておばさんが嘆いていたっけ。

 そう思い出しながら言うと、「あぁ」と小さく頷いて返した。

「正確に言うと今日は『白石さん家』にお邪魔することになってる」

「え!? うち!!?」

 何で、と言いかけたけれど、事情は瞬時に理解できた気がした。それほど遠くではないところに住んでいるとはいえ、今まで蓮くんはほとんど戻ってこなかったんだ。

 その彼が私と同じ高校に教師として赴任してきたとなると、うちの両親が黙っているとは思えない。歓迎やら「お帰りなさい」やらの意味を込めて、蓮くんを呼んだに違いない。



「和美と同じ学校になるのも何かの縁だから、夕飯でも食べにおいでって」

「……ごめんね…」

 うちの両親は普段は忙しくてあまり家でゆっくりしていないタイプだけれど、仕事がない時はやたらと人を呼びたがる。私とは違って、賑やかなことが好きなんだ。蓮くんのご両親もそれは同じで、そんな4人がお互い子連れで集まる…なんてケースは昔から多かった。ただ、蓮くんが家を出てからは一度もなかったので口実にしたかったに違いない。



「いや、俺も久々に祥太郎にも会いたいし」

 笑う蓮くんの横顔は、相変わらずだけれどやっぱり少し大人っぽくなったようだった。7歳も年上の人にこんな言い方、おかしいのかもしれないけれど。




「…蓮くんは…」

 ふと再び違う話題を振ろうとして横を仰ぎ見た。

 だけどその瞬間、蓮くんの顔がフッと厳しいものに変わる。そう思ってその視線を追おうとした瞬間には、彼はもう次の行動に移っていた。大股で地面を蹴り、前を横切ろうとして走っていた子どもの体を「危ない!」と咄嗟に手を伸ばして支える。

「…っ?」

 大通りでもないし車が通ったわけでもない。何事かと思って目を見開いた私だったけれど、それでもすぐに事情が理解できた。


 その子どもが走って行こうとした先には、その子に気づかず携帯で誰かと電話したまま歩いている一人の男の人がいた。子どもはその人のすぐ脇を横切ろうとしたのだけれど、その男の人の手には火がついたままの煙草。歩いているためにその手は自然と前後に振られていて、その子がそのまま無邪気に走って行ったら目の高さにそれがあった。



「…すみません…っ」

 追いついてきた子どもの親が、蓮くんからわが子を引き取りながら頭を下げる。「いいえ」とニコリと笑った蓮くんは、「無事でよかったです」と付け足した。

 だけど、それだけでは終わらなかった。そのまま子どもに笑顔で手を振るとパッと踵を返す。携帯電話で話している男の人を追いかけて、その肩をトントンと叩いた。




 初めは何事かと眉間に皺を寄せた男だったけれど、落ち着いた口調で事情を説明した蓮くんにやがてペコペコと頭を下げる。慌てて足で煙草の火を消したけれど、それをそのままに行こうとしたところでまた蓮くんに注意されていた。

 いつもの癖なのだろう。言われて気づいて、その煙草を拾い上げるともう一度頭を下げながら去っていく。



 素直に聞き入れてくれる人で良かった。逆恨みというか、逆ギレするような人も今のご時世少なくないだろう。

「…良かった、分かってくれる人で」

 こちらへ戻ってきた蓮くんに向かってホッと胸を撫で下ろしながら言ったけれど、本当は私は知っていた。


 蓮くんは、こういう時人より「うまい」。

 相手の性格がどうこうより、あの声音で静かに話されると大抵の人間は逆に怒るなんて気がしなくなる。上から目線で偉そうに注意するわけでもないのに、逆らえない静の威圧感があるんだ。だからこそ彼は、教師が天職だとさえ私は思う。



 相変わらずの正義感。

 だけど蓮くんはいつでも正義を振りかざすだけの人じゃない。正義感の強いだけの人間なら、この世にいくらでもいる。ただ彼は、非難するだけでなくきっちりと説得をする辺り他の人とは違うんだ。




「…相変わらず嫌い? 煙草」

 再び歩き出した横で、苦笑い気味にそう尋ねる。蓮くんが煙草を吸っているのは一度も見たことがない。いや、それどころか嫌煙家だったはず。

「嫌いだね。人に迷惑をかけるだけの代物だよ」

 肩を竦めてそう言う彼の言葉に、私は少し遠い目をする。



 そんな会話の最中に思い出したのは、煙草を吸うのが絵になりすぎる本城先生の姿だったからだ。




******



 久々に我が家を訪れた蓮くんに、うちの両親はとても嬉しそうだった。彼のご両親ももう既に到着していて、大人たちは一足先にお茶の時間を楽しんでいたようだ。そこに蓮くんが加わると、彼はすぐにうちの両親から質問攻めにされていた。

 一人暮らしをしてからどうなのか、とか、教師の仕事はどうなのか、とか。それらを横目に、私は一旦着替えるためにリビングを抜け出して部屋へ向かう。



 2階への階段を上がると、そこに祥太郎が立っていた。入れ替わりでこれから階下へ向かうのか、既に制服から私服に着替えている。



「おかえり」

 声をかけれて、「ただいま」と小さく返す。それから階段を下りようとした腕をグイと引っ張って、そのまま祥太郎の部屋に連れ込んだ。

「いて! いてぇって姉ちゃん! 何だよ!」

 抗議する祥の声を完全に無視して、私は半ば乱暴に部屋のドアを閉める。

「あんたねぇ! 蓮くんが私の学校に来るって知ってたなら、何で教えてくれなかったのよ…!」

「何でって…」

 引っ張った腕を放すと、祥太郎は本気で痛かったのか眉を顰めてそれを自分の方へ引き戻した。



「別に、関係ないじゃん? もう蓮くんとは終わってるんだし?」

「…あのねぇ…!」

「それに、蓮くんからその連絡もらったの1週間前くらいで。話そうとしたけど、姉ちゃんずっと篭りっぱなしだったからさ」

 悪びれる様子もなく、祥太郎は平然とそう言う。一週間前…そう、きっと先生の部屋から泣いて帰ってきた辺りだ。それなら確かに、祥太郎がそんな話を私に切り出せなかったのも分かる。



「それより、なに仲良く一緒に帰ってきてんの?」

 少し真剣みを帯びるかのようにトーンを落とした、祥太郎の声。「…え?」と聞き返すと、ため息まじりに祥太郎は目線を逸らしてすぐそこにあった私の部屋のラックに腕をのせた。

 けだるそうに体を傾けて、再度顔を上げたかと思うとわずかに顎を仰向けて挑発的にも見える。

「蓮くんとだよ。何考えてんの」

「何って…駅で会ったんだから、仕方ないでしょ?うちに来るって言ってるのに別々に帰るのもおかしいし…」

「姉ちゃんってそういうとこ本当に無神経だよな」

 言われた意味が瞬時には理解できず、私は思い切り怪訝な表情を浮かべた。分からないなりにも、もちろん褒められたわけではないことは認識している。



「別れて一年半くらいだっけ? 相手がまだ姉ちゃんのこと好きだったらどうすんの」

「…何言ってんの?」

 続けた言葉に、私はようやく祥が何を言っているのかを理解した。呆れたように肩を落とし、吐息を漏らしながら自分より数センチ高い位置にある弟の顔を見つめ返す。




「蓮くんがまだ私のこと…とか、そんなのありえないよ」

 別れる前からお互い忙しくて、ほとんど会えてなかった。それでもけじめとして持ちかけた別れ話に、彼は抗うことも嘆くこともなかった。ただ、「分かった」と了承してくれただけ。

 その後も用事があればメールをしていたけれど、もし彼が私のことを想っていたならもっとドロドロしていたに違いない。そう思って言った言葉に、今度こそ祥太郎は呆れた目をして息をついた。



「やっぱり分かってないね、姉ちゃん。フッた側の姉ちゃんがそうでも、相手もそうだとは限らないだろ」

「……」

「フラれた側は、いつだってそんなに簡単に割り切れるものじゃないんだよ。乗り越えたつもりでも、再会すれば感情が蘇ることだってある」

「…………っ」

「…姉ちゃん?」

 言いたいことを言った祥太郎だけど、突然反論もやめて口を噤んだ私の顔を訝しげに覗きこんだ。私はというと、思わず噛んだ唇の痛みで、胸の痛みをごまかす。俯いた目に映った手で、拳をギュッと握りこんだ。




 …先生も…結局は「そう」だったんだろうか。

 4年前に由香子さんに突然忘れられて別れることになってしまって、結果としてフラれてしまって。

 それでもそれを乗り越えたように思えたけれど、やはり彼女に会えば昔の想いで胸がいっぱいになったんだろうか。



 だから…置いて行った? 私を…。




「姉ちゃん」

 再度呼びかけられて、私はハッと顔を上げた。それ以上余計なことで頭を悩ませたくなくて、私は身を翻す。

「言いたいことはそれだけ?」

 背を向けてそう尋ねると、祥太郎は何かを言いかけたようだったけれど口を閉ざしたようだった。恐らく、私に何を言っても無駄だと思ったんだろう。




 昔から、そもそも祥太郎は私と蓮くんが付き合っていること自体を快く思っていなかった。祥太郎だって蓮くんのことは兄のように昔から慕っているから、嫌いなわけではない。ただ、私が本気で彼のことを好きじゃなかったことに気づいていたからだ。




 話すことはそれ以上なかった。だから、私は勢いよくその部屋のドアを開いた。

 自分の部屋に戻って着替えて階下に下りなきゃいけない。あまりにもたついていると、両家の両親から文句を言われそうだからだ。だけどそう思って開いた扉の向こうに、佇む一つの影があった。



「……蓮くん…」

 ちょうどノックしようとしていたところだったのか、軽く握った拳を宙に浮かせていた彼はその手を引き戻しながら苦笑いを浮かべた。

「ごめん、皆が『遅いから呼んでこい』って言うから来たんだけど…」

 どうやら話を聞かれてしまったらしい。

 一瞬息を飲んだ私だけれど、何かを言い訳するのもおかしい気がした。だからろくに言葉を継げなかった。それでも先に、蓮くんの方が再び口を開く。

「祥」

 柔らかい声音で呼ばれて、私の後ろで祥太郎が目線を上げて彼を見据え返したのが分かった。



「相変わらずのシスコンだなぁ」

 揶揄するような言葉は、それでも冗談まじりのものでバカにする響きは含まれていなかった。どこか感心したように呟いてから、蓮くんは口元に微笑みを浮かべる。



「俺さ、今、結婚を前提に付き合ってる彼女がいるんだ」

 続けた彼の言葉に、祥太郎だけでなく私もわずかに目を見開いた。

「…あ、あぁ…そうなんだ」

 取り繕うようにとりあえず返事だけした祥太郎に、蓮くんは再びフッと笑みを漏らす。

「だから余計な心配しなくていいよ」

「……」

 祥太郎は、特に何も答えなかった。



 蓮くんはそれを気にした様子もなく、私の頭に手をポンと軽く置くと踵を返して元来た階段を先に下りて行った。






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