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Sweet&Bitter  作者: みずの
降っても晴れても。
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5 side:Kazumi


 朝から…いや、昨日菅原先輩と会話をした後からずっとこらえていた涙が、留まることを知らずに流れだした。眉間に皺を寄せて無理をしてでも我慢するつもりだったのに、それもダメだった。本城先生に呼ばれて、至近距離でその顔を見て…。

 「どうした?」なんて心配するような優しい声をかけられただけで、堪えきれなくなってしまった。



 一番、泣きたくなかった人の前で。



 しかもそれを、逃げるように振り切ってしまった。




 優しい先生の顔を見た瞬間に、思い出したのは菅原先輩のことだったから…。もしかしたら先生は、教師としてではない顔なら実は彼女に見せているんだろうか、とか、あの時菅原先輩とは付き合っていないと言ったのはやはり嘘だったんだろうか、とか。色んな想いがグルグルと頭の中を回って止むことはなかった。



「白石!」

 中庭で一人佇んで隠れるように泣いていると、そんな私をあっさりと見つけてしまった人がいた。慌ててこちらへ駆け寄ってきて、都築先輩は驚いたように目を見開いている。

「どうかしたのか?こんなとこで…」

 いつも優しい先輩は、こんな時でも本気で心配してくれるような目をしていた。弱っている時に人の優しさは染み入るもので、私は更に涙が大きく零れるのを実感する。



「誰かに何かされた?」

 聞かれて、大きく首を横に振った。…でも、いくら優しくしてもらっても本当のことなんて先輩に話せるわけもない。ただ首を振り続ける私に、先輩もそれ以上何かを聞きだそうとはしなかった。代わりに、親が子どもを宥めるように頭を優しく撫でてくれる。その手の大きさと温かさに、私はそれまで押し殺していた声をあげて泣いた。





 泣きはらしたひどい顔で部活に戻れるはずもなく、気を遣ってくれた都築先輩が実験室にあった私の鞄を取ってきてくれた。どうやら本城先生にも何らかの言い訳をしてくれたようで、そのまま下校許可が出たようだ。親切にしてくれた都築先輩に改めてお礼を言い、私は学校を出る。沈みきった気分で家に帰れるはずもなく、私は何かに縋りたい一心で自宅とは別方向へ向かった。



 学校の最寄り駅から、2駅分電車に乗る。降りて行き慣れた道を歩いて行くと、15分ほどしてから住宅街にある一軒の戸建の前で立ち止まった。小さく深呼吸してから、インターホンを押す。それ越しな応対ではなく、直接開いた玄関のドアから「はーい」と智子が顔を出した。そしてそこに立ち尽くしている私の顔を見て、驚いたように目を瞠る。


「えっ、和美!?どうしたのその顔!?…っていうか今部活中じゃ…」

 言いかけた智子に、うわぁっと声をあげて再び泣き出しながら抱きついた。驚きながらも何とか受け止めてくれた智子が、「とにかくあがって」と背中をさすりながら中へ促してくれる。連れられるまま玄関にあがると、そこには2つの人影があった。

「和美…?」

 智子と同じように驚いた顔をした、由実と茜だった。どうやら智子の家に遊びに来ていて、ただならぬ私の声を聞いて出てきてくれたらしい。



「とりあえず、私の部屋に行こう」

 智子が私の手から鞄を取り上げながら、そう言う。小さく頷いて、揃って二階への階段を上がった。




******



「そう、そんなことが…」

 話を聞き終えた智子は、深いため息と共にそんな言葉を漏らした。一通りの話を終えた頃には、もう時刻は18時を回っていた。私の顔を見ただけで、泣いている理由を本城先生絡みだと察した智子が「もう話してもいいんじゃない」と言ってくれたこともあって、私は由実と茜にも今までの話を全て話すことができた。智子の時もそうだったけれど、私は何かきっかけがないと自分の話をするのが苦手なのだ。



「和美がユキサダを…っ!?」

 由実はひどく驚いていたけれど、特に毒づくこともなく真剣に聞いてくれた。いつも穏やかで優しい茜は、特に何も言わずに私を心配するような目で耳を傾けてくれる。それだけで、なんだかひどく安心できたのも事実だ。



「でもさぁ、何なの菅原!感っじ悪いあのギャル女!」

 イライラした様子で、由実はまるで自分のことのように私の代わりに怒ってくれる。それをなだめるように片手を挙げて、智子は「うーん」と唸るように眉を寄せた。

「まぁギャルはおいといてさ、和美」

「…ん?」

 話を聞いてもらって落ち着いてきたせいか、私はようやく止まり始めた涙をタオルで拭く。真剣な眼差しをした智子の方を向き直ると、厳しい表情で私を見た。


「それで和美は、そのギャルの言うことを信じるの?」

「…それは…っ」

 私だって、信じたくないのが本当だ。だけど菅原先輩の言うことは正しくて……本城先生が私に本当のことを言わなくてはいけない義理はない。あの時、私に話してくれた先生の目が嘘をついていたとは思いたくないけれど…、それでも、先生が真実を話してくれたという保障はないんだ。

 菅原先輩と付き合っているにしろいないにしろ、先生には「付き合ってない」と答える選択肢しかないはずだ。…そんなことも分からずに、疑いもせず真に受けてしまっていた自分が恥ずかしくもあった。



 そんなことを考えていた私の頭の中まで見たみたいに、智子はもう一度大きく吐息を漏らした。

「ギャルの言うことが本当かどうかなんて、今は関係ないんじゃないの?」

「え……」

「確かに、ギャルと本城が本当に付き合ってたらショックだと思うけど…。でもね、本城が本当のことを和美に話す義理がないのと同じように、ギャルだって本当のこと言うとは限らないよ」

「……」

 すっかり冷え切った紅茶を一口啜って、智子は「ね」と同意を求めるように首を傾げる。



「それより今問題なのは…気にかけてあげたのに目の前で泣き出された挙句逃げられた本城の方だよね」

「……っ」

「分かる?本城は何も知らないんだよ?何も分からないまま、そんな態度取られたら傷つくよきっと」

「智子っ」

 何も言えない私の代わりに、ずっと黙っていた茜がそう智子を呼んだ。

「和美だって今辛いんだから…」

「辛いから言うの!辛かったら人を傷つけてそのままにしていいわけないでしょ!?」

 いつも大人な智子が、珍しく声を荒げて言う。その言葉はグッと胸に突き刺さり、一瞬息が苦しくなった。


 …確かに、そうだ。先生は私が先生のことを好きだとは知らない。菅原先輩との会話なんて、もちろん知るはずがない。そんな先生から逃げ出すなんて…先生はどう思っただろう。



「まぁ、確かに…弱ってる時にそれは傷つくかもなぁ」

 行儀悪く胡坐をかいて座っていた由実が、ボソリと呟くように口を開いた。

「?」

 茜と智子が、首を捻って由実を振り返る。その視線を受けて、由実は頭をかきながら続けた。

「いやさ、今日昼休み中に男子とサッカーしてて怪我したから保健室行ったらさ、ユキサダがいたんだよね」

「何しに?」

「ん?風邪気味だからって薬もらいに来てた」

 智子の問いに、由実が答える。

「……」


 …そう言えば…あの時の先生は、少しだけ声が掠れていたような気もする。それ以外はいつもと変わらない様子だったから、気に留めなかったけれど。



「謝ってくれば?」

「えっ?」

 智子だけでなく由実まで、急にそんな無謀な提案をしてくる。思い切り驚いて目を瞠り、私は思わず由実を真正面から見つめ返してしまった。

「だってさ、確かユキサダの家ってこの辺じゃなかったっけ」

「そうそう。具体的な場所は知らないけど、私もうちの近くだって聞いたことある」

 智子も頷いて、由実の調子に合わせている。


「むむむ、無理無理っ。家まで押しかけるなんて…そんな無謀なことはできないよ」

 ただ謝るというだけでも尋常じゃない勇気が必要だというのに、家までなんて迷惑がられそうなことはできない。するとそう言うことも分かっていたのか、智子も由実も「だよね」とあっさり引き下がる。

「まぁ行くのは無理でもさ、次学校行ったら…えっと、月曜?謝った方がいいよ」

「…うん…分かった」

 言葉ではそう言いながらも、なかなか決心がつかないことは明白だった。土日の休みのうちに何とか覚悟を決めようと思い、私はうなだれ気味に頷いた。




******



 由実と茜より、智子の家を早く出た。私の家が一番遠いからというのも理由の一つだけれど、由実たちが気を遣ってくれたようでもあった。私に一人で考える時間をくれたのかもしれない。



 駅までの道を、トボトボと歩く。もう辺りはすっかり真っ暗になっていて、歩く人は駅からこちらに向かってくる…つまり私と逆方向へ向かう人がほとんどだった。携帯電話が鳴ったのは、暗い住宅街を歩いていた時だった。着信は母親からのもので、ディスプレイに浮かんだ名前に首を捻りながら通話ボタンを押す。

「はい。どうしたの?」

『あ、和美?』

 電話の向こうの母の声は、ひどい鼻声だった。


『今日、鼻炎がひどくって……ドラッグストアで薬買ってきてぇ』

 元々アレルギー体質の母は、一般の人が悩む花粉症の時期以外でもひどい時がある。それほどひどいなら病院に行くなり市販薬を常備するなりすればいいのに、どこか無頓着なところがあって…。こうして学校帰りにお使いを頼まれることも少なくはない。


 了解の意を伝えて通話を終わらせ、私はそのまま駅の方へ向かう。住宅街を抜ける頃に、確か夜遅くまでやっているドラッグストアがあるはずだった。そこへ寄り道することに決めて、携帯電話を鞄へしまう。



「あったあった」

 闇の中に光る看板を見つけて、私はその中へと吸い込まれるように入っていった。静かな住宅街の入口に立っているせいか、今の時間にはそれほどお客さんもいないようだ。広い店内に何人かの会社帰りのサラリーマンがいて、すれ違いながら私は鼻炎に効く薬がある場所へ向かった。



「……え」

 店内の奥の方、母がいつも使っている薬を見つけてそちらへ向かおうとしたところで…。私は見知った人影を見つけて、大きく目を見開いた。


 私の小さな呟きが聞こえたらしく、その人物もこちらをゆっくりと振り返る。

「…先生」

 鼻炎薬を置いた隣の、風邪薬を並べたコーナーで、本城先生も私を見て目を瞠った。



「……なんだ、今帰り?」

「……はい」

「不良」

「…うっ」

 マスクをした先生が、そう言って小さく笑う。確かに寄り道をしてはいるけれど、「不良」と言われるほど遅くないし…とかなんとか心の中で言い訳しながら、私は先生の手にしたものを目に留めてしまった。

「風邪…ですか?声もひどいですね」

「ん?あぁ、部活の途中からひどくなってきやがった」


 午前中はまだ元気そうに見えたから、本当に急になんだろう。労わるような目で先生を見つめながらも、私は学校でのことを思い出していた。



 先生は、驚くほど普通だった。


 まるで、私が泣いていたことも、先生から逃げ出したこともなかったかのように…。


 でも、謝らなきゃ。


 智子たちとした約束のことを思い出して、私は鼻炎薬を取りながら「…先生」と小さく呼びかけた。


「ん?」

 何種類かの風邪薬を見比べながら、先生はこちらを見ないまま先を促す。その横顔を見上げて、私の方は目を逸らしてはいけない気がした。体の横につけていた拳を、勇気を振り絞るようにギュッと握る。



「さっき…学校で、すみませんでした」

 言うと、まさか謝られるとは思っていなかったらしい先生が、驚いた顔でこちらを振り返った。

「ちょっと、色々あって不安定になってて…泣いてしまいました」

「……」

 言葉を濁しながらも何とかそう言うと、先生は少し笑ったみたいだった。マスクで口元は見えなかったけれど…目が、そんな優しい光を灯していたから。


「まぁ、お前ら高校生も色々大変だもんな」

 進路とかテストとか、と付けたして、先生は呟くように言う。

「相談したくなったら来なさい」

「…はい」

 いつもとは似つかわしくない教師らしいセリフで、先生はそんなことを口にした。




 …教師、なんだなぁと思わされる。


 手を伸ばしても届かない存在なんだと、現実を突きつけられる気分だ。




「先生、風邪薬だったらこっちがおススメですよ」

 再び沈みそうになる考えを払拭するかのように、私は改めて明るくそう言った。先生が迷っていたうちの一つを指差して、私は先生の方を振り返る。返事がすぐに返ってこないことを訝しげに振り向くと、その瞬間に私は大きく目を見開いた。


「先生!」

 思わず、大声を上げてしまう。ガクン、と崩れるように力が抜け落ちた先生は、その場に膝をついた。その異変に駆け寄って支えようとして、私は驚いてしまう。


「あつ…」

 多分、相当熱がある。触っただけでそれが分かるほどだった。学校からここまでくる間、そしてさっきまでの会話の間…ずっと無理をしていたんだろうか。



「…大丈夫だ」

 熱のせいで一瞬眩暈がしたからだったのか、先生はすぐに立ち上がろうとする。気を失ったわけではないらしいことにホッとして、私はその大きな身体を支えようとした。

「先生、私家まで送りますから…タクシーで帰りましょう」

 多分先生は歩くのも辛いだろうし、私だって男の人一人かついで帰れるわけもない。先生の家もこの辺だと言っていたから、運転手さんには悪いけれどワンメーターで帰れるだろう。



 特に反対にも合わなかったので、私は表通りでちょうど走ってきたタクシーを停めた。




******



「………」

 タクシーの運転手さんに住所を告げ、先生はすぐに黙りこんでしまった。もう話す気力さえないのかもしれない。意識がないわけではないけれど、熱で混濁しているのかもしれなかった。



「お嬢ちゃん、おじさんが運んであげようか」

 親切な運転手さんが、目的地に着いてから辛そうな先生を見て同情したのかそう申し出てくれた。先生の部屋はアパートの2階らしく、確かに私が階段を連れて上がるのは無理がある。ありがたいお言葉に甘えて、先生が言う部屋まで運転手さんが手を貸してくれた。



 何とか寝室のベッドに先生を寝かせてから、スーツの上着とネクタイだけをはずしてあげる。本当は熱があるなら着替えさせた方がいいのだろうけれど、恋する女子高生にこれ以上は無理というもので…。先生の体に布団をかけ、買ってきた冷えピタを貼り薬を飲ませ、ようやく私は一息つく。

 それからようやく、我に返った。夢中だったとはいえ、先生の部屋に入ってしまっていることに…。



「……」

 グルリと見渡せば、先生の生活の匂いがする。2DKのアパートは一人暮らしには贅沢な気がしたけれど、中も整然と綺麗に片付けられていた。男の人の割に意外に小まめなんだなぁ、と感心させられて、ふふ、と笑みが零れる。



「……?」

 それから、はたと気づいた。


 思い出したのは、昨日の菅原先輩の言葉だ。

『男の人らしいっていうか…部屋が超汚くてさぁ』

 …どこが……?いや、それ以前に…。



『ユッキーさぁ、高級マンションに住んでるんだけど』

 入ってきたのは明らかに築何年も経っている、どこにでもありそうなアパートだった。

『甘い物も超嫌い』

 シンプルなキッチンの隅に、明らかに甘そうなチョコレートなんかが置いてある。


 そして何より、毎週末女の人が通ってきているとは思えない部屋だ。



 しばらくの間茫然としていた私も、やがてそれが何を意味するのかを認識する。



「…先生…」

 一瞬でも、あの時の先生の言葉は嘘だったのかと疑った自分が恥ずかしかった。それが菅原先輩の作戦だったにしても、ハマリかけた自分が情けない。


「先生、ごめんね…」

 熱のせいで呼吸の荒い先生の寝顔に、私はポツリと呟きを漏らした。





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