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Sweet&Bitter  作者: みずの
夜も昼も
88/152


「かぁずみぃー!!」

 パラパラと生徒が登校し始めた頃、後ろからかけられたそんな声と共にドンと背中を強く押された。廊下にある水道で手を洗っていた私は、「いたっ」と眉を寄せて振り返る。ハンカチで手を拭きながら、「何すんのよ」とそこに立っている由実に抗議した。



「昨日のメール、何!? どういうこと!?」

「え? …あぁ…」

 歯切れの悪い返事をして、私は首を竦める。そんなこちらの様子に由実は更に目を鋭く光らせた。ただし、気を遣ってくれたのか声のトーンだけはワンランク落とす。

「『別れた』って…どういうこと!? しかもその後、理由聞いても返事くれないし!」

「…ごめん、とりあえず報告だけでもと思って…」

 ボソボソと返して、思わず苦笑いを浮かべてしまった。



 先生と別れたのはほんの昨日のことだ。だけどとりあえずいつも相談に乗ってもらっている3人には報告はしておいたほうがいいと思い、事実だけはメールで送っていた。ただし、そうなるに至った経緯はまだ話せる状況じゃなかった。しかも長すぎてメールで書く内容じゃないだろうとも思う。



「また落ち着いたら話すよ」

「……大丈夫なの、和美は」

「うん、何とか」

 思ったより元気そうだと思ったのか、由実は少しだけ安心したらしく深いため息をついた。この分だと茜や智子にも相当の心配をかけているんだろうなと思う。



 だけど、どう話すべきか迷う。

 由香子さんのこと、先生のこと…事実だけを話すなら簡単だ。でも、またそれを口にしているうちに涙が出てくるんじゃないか。強がっていたって、そんなにすぐに好きだった気持ちがなくなるわけじゃないんだから。




 話せるようになったら話すという私の言葉に由実は納得してくれた。そしてそれからは昨日のテレビの話とか、そんなどうでもいいような話題をわざと振ってくれる。

 気を遣わせているのが申し訳ない気もしながら、私はそんな由実と並んで教室へと向かった。その途中の廊下で、何事かを騒いでいる男子たちに出くわす。

「相澤ってさぁ、本城のこと好きだって噂あったよなぁ?」

「あーでも、なんかさっきの見たら…なぁ」

 すれ違いざまに聞こえたそんな声に、私だけでなく由実もハッと顔を上げた。



 名前を聞くだけでドキンと跳ね上がる胸。しかも話の内容がどうも聞き逃せないようなものだった。気にならないわけがないけれど、聞き返す勇気もなかった。でもそんな私の隣で由実が立ち止まる。



「何なに、相澤先生がどうしたの?」

 うちのクラスの男子たちではなかったけれど、由実がいつもサッカーやらバスケやらをやっているグループらしかった。



「おー由実」

「いや、それがさっきさぁ」

 男子たちは口々に軽い挨拶を返し、そのうちの一人が少し内緒話でもするかのように声を落とした。



「相澤が本城のこと好きらしいって噂、お前も聞いたことあんだろ?」

「あるね」

 男子の言葉に軽く頷く。私はというと、そんな由実の隣で彼の声にただ興味ない素振りをしながら耳だけを傾けていた。

「それなのにさっき、相澤が別のメガネのイケメンと歩いててよ。その顔がなんつーかこう…もう蕩けそうな乙女顔で…」

「ふーん…実は彼氏がいたとかじゃないの?」

 なんだ、と言いたそうに由実が唇を尖らせながら言う。恐らく私のために聞いてくれたのもあるんだろうけれど、思ったより面白い情報でもなかったこともあってつまらなさそうだ。



「そりゃねぇだろ。だって校内でだぜ?」

「え、生徒!?」

「いや、見たことねぇけどスーツだったから教師じゃねぇの? 新しく来た先生とか」

 メガネのイケメン教師と言えば、うちの学校にはなっちゃんと美術の苑崎先生くらいしかいない。それ以外にかっこいい教師なんてものがいれば生徒の間でも有名で、彼らが「見たことない」はずもない。そうだとしたら、確かに彼らが言うように新しい教師が来たのだと考えられる。


「なんなの、相澤はユキサダがなびかないからそっちに路線変えたのかな」

「いや、意外に同僚キラーなんかも…」

「キラーって…本城は落とせてねぇじゃん」

 揶揄するような声で誰かがそう応じた時、廊下の向こうが少しざわついた。



 何事かと振り返れば、ちょうど噂の張本人がこちらに向かってくるところだった。始業式だからかいつもより高そうなスーツを着て、いつもよりキレイにしている相澤先生。その目は明らかに「女」の色が濃く、男の人なら簡単になびいてしまいそうな雰囲気。ただし、女から見たら「媚びている」ようにしか見えないだろうけれど。




 その隣には、確かに彼らが口にしたように一人の男の人がいた。相澤先生に何かを説明され、メモを取りながら時折頷き返し、並んで歩いている。



「……っ」

 その男の人の姿を見て、私は全身が瞬時に固まってしまうのを感じた。目はこの上なく見開かれ、指先すらうまく動かない。そんなこちらの様子に気づいたのか、その男の人がゆっくりと顔を上げて私を見た。




 少し色素の薄い髪に、線の細い体。

 整った顔立ちに、メガネの奥は人の良さを表しているように優しい。一瞬で人を惹きつけてしまうような、魅力的な人だ。その証拠に、すれ違った生徒たちが皆振り返るのは初めて見る顔だからという理由だけではないだろう。



 170後半くらいの身長に、グレーのスーツが映える。




「…れ…」

 目を瞠ったまま、私は無意識に声を発していた。だけどすぐにハッと我に返り、慌てて口元を抑える。由実が「…和美?」と訝しげに私を見るのと、目の前の彼がスッとこちらから視線を逸らすのが同時だった。



「成川先生、どうかしました?」

 相澤先生が、いつもより高めの声で問う。成川と呼ばれた彼は、「いえ」と柔らかく笑って再び手にしたメモ帳に視線を落とした。




******



 幻を、見ているのかと思った。

 この時ほど自分の目が信じられないなんてことはなかったかもしれない。



「……」

 始業式が終わった後、壇上に上げられたあの教師は教頭先生の紹介と共に頭を下げた。どうやら男子たちの予想は当たったらしい。夏休み中に急に入院することになってしまった英語の三山先生の代わりに来た、臨時の教師のようだ。




「和美、大丈夫?」

 私の様子がおかしいのは、まだ気分が浮上しきれないからだと思ったらしい智子が心配そうに声をかけてくる。

「…うん、大丈夫」

 始業式後のHRで本城先生を見て胸を痛めなかったわけではないけれど、何とか私はそう答えた。今は、先生のことよりも朝受けた衝撃と驚きの方がやっかいだった。



 その日は始業式と簡単なHRで終える。あっという間に放課後になり、私は部活のない智子たち3人と下校しようと昇降口に向かっていた。途中、智子が用事があるという音楽準備室へ寄る。音楽室があるのは教科棟の中でも最上階で、一番静かな人気のない場所だ。



 用事を終えて「さぁ帰ろう」という頃になって、珍しく由実が低い声で「和美」と私を呼びとめた。

「…何?」

 聞き返すと、由実は心配そうだけれど、どこか難しい顔をしてそこに立っている。




「何か隠してるでしょ」

 由実の言葉に、私の胸は一瞬ドキっと跳ねた。

「朝から様子がおかしいもん」

 続けた由実は、珍しく鋭い。だけど茜は首を傾げ、智子は眉を顰めていた。

「由実、和美が昨日本城と別れたこと知ってるでしょ? 和美だって今辛いんだから、無理に聞かなくても…」

「違う。和美が隠してんのはユキサダのことじゃない」

 はっきりとそう言い切った由実が、まっすぐこちらを見つめる。教科棟は静かなもので、他に誰の声もしない。

 先生たちも、恐らく今は昼食を摂るために食堂や職員室に行っているんだろう。物音のしないそこに響くのは私たちの足音だけ。階段を下りながら、私は諦めたように小さく息をついた。



「今日、相澤先生と一緒にいた男の先生…」

 言いかけた私の言葉に、由実が「うん?」と頷きながら続きを促す。

「成川先生、だっけ? 若いしイケメンだってもう女子たちが騒いでたよね」

 智子もそう言いながら、興味津々な目をこちらに向けた。


「何、和美? あの先生が気になるの?」

「…そういや和美、あの時あの先生のことじっと見てたよね」

 智子の問いに被せるように、由実が言葉を継ぐ。



 …そう、幻を見ているようだった。

 だから思わず、食い入るように凝視してしまったんだ。




「……成川、蓮」

 さっき教頭先生が紹介していたフルネームを、私は静かに繰り返した。




「中学の時…私が、1年くらい付き合ってた人」

 当時のことを思い出しながら、私は小さく…だけどはっきりと告げる。その瞬間、3人が飛び上がりそうなほど「えぇぇぇ!!!?」と大声を上げた。悲鳴にも似た声だった。



「和美が前に言ってた…中学時代の彼氏…!!? 近所の大学生で、昔からかわいがってくれてたっていう…」

 幼馴染というには年が離れていた。だけど近所に住んでいたので、彼には弟の祥太郎と共によく面倒を見てもらった。親同士が仲が良かったし、互いの家を行き来することも多かったからだ。



「成川先生が、和美の元カレ…!!!!!」

 思わずと言った感じで大声でそう言った由実に、私は「しぃっ」と唇に指を寄せた。慌てて自分の口を抑えた由実だけれど、智子が階段を下りながら肩を竦める。

「大丈夫でしょ、今の時間、こんなとこ通る人いないって………、…っ」

 言いかけた智子が、階段を下り終えてすぐそこの角を曲がろうとして言葉を飲んだ。



 そこに、あちら側からやってきた人影があったからだ。その人物を見て、私たちは4人共驚いてしまう。絶句すると同時に思わず立ち止まってしまい、息を飲んだ。




 …このタイミングだと、絶対聞かれた…。



 愕然とする思いで、私はショックのあまり自分の視界がまるで白黒になってしまうような気分に陥る。




「ゆ、ユキサダ…」

 やっとの思いで金縛りのような状態を抜け出して声を発したのは、由実が最初だった。




 そこにいた本城先生は、歩みを止めるわけもなくそのまま私たちとすれ違おうとする。だけどその瞬間、由実が私のフォローでもしようとしたのか先生の白衣をガシっと掴んだ。



「ちょっと待って、ユキサダ…! 今のは…!!」

「早く帰れよ、お前ら」

 由実の言葉を遮るように、先生は唇を少し持ち上げてそう言う。

 いつもは冷たい無表情であしらったりするのに、この時笑った先生の表情に逆に違和感を覚えてしまった。




 そしてそのままスッと離れ、私たちが来た階段を上がって行ってしまう。




「…ごめん、和美…」

 由実が真っ青な顔になりながら言う。先生の後ろ姿を見送っていた私は、やがてゆっくりと頭を左右に振った。



「由実のせいじゃないよ」

「でも…!」

「それに、先生に聞かれたって関係ないと思う」

 私は正直、本音を言えばこの学校に来た「彼」が元カレだなんて本城先生には知られたくなかった。だけど、先生にとってはそれはきっとどうでもいいことだ。



 私が、昔誰と付き合っていようが…。そしてその元カレと、先生が近くにいる「学校」という場所で再会しようが。別れた今、そんなことは本城先生が気にかけるはずなんてこれっぽっちもない。




「……っ」

 分かっているはずなのに、どうして胸がこんなに痛むんだろう。



 理解できたのは、私の方はどうしたって先生を「どうでもいい」なんて思えるはずがないということだけだった。






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