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Sweet&Bitter  作者: みずの
夜も昼も
87/152


 早めに目が覚めたので、始業式の朝は早くに学校に着いた。既に登校してきている生徒は部活の朝練がある人たちばかりだ。校内はまだ静かなもので、私は教室へ向かう前に教科棟の方へと歩いた。




 確か、風紀委員が今日から1週間ほど登校指導をするからなっちゃんは早めに出勤すると思う。そこに一緒に立つかは分からないけれど、まさか生徒に任せるだけ任せて自分は来ないなんてことはないだろう。そう思って私は、数学準備室の方へ足を向けた。



 コンコン、と小さくノックをすると「はい」と思った通り低めの声が返ってくる。

「おはようございます」

 ドアを開けてそーっと顔を出した私を見て、なっちゃんが少し目を丸くしたのが分かった。



「随分雰囲気変わったなぁ」

「そう? 弟にもそう言われたけど」

 アップにした髪に触れながら、私は少し照れ笑いを浮かべる。



 そんな私の様子を見て、なっちゃんはフッと微かに笑みを漏らした。

「元気そうだな、思ったより」

 何のことを言っているのかは尋ね返さなくても当然わかった。だから、唇を持ち上げて少しだけ笑う。

「落ち込んでばかりもいられないよ」

 言うと、「強いなお前」とどこか感心したような声が返ってきた。




「そういやお前、ミスコンに出る時の衣装は自分で用意しなきゃいけねぇんだって?」

 それ以上その話をするのもどうかと思ったのか、話題を変えてなっちゃんはそう尋ねる。風紀委員の活動場所へ向かうのか、Yシャツの上に腕章をはめながら言った。

「うん、そう。でも何を着ればいいか検討もつかなくて…」

「うちのクラスの真山は思い切って水着で出るかって言ってたぜ」

「……ノリノリだね、F組」

「優勝狙いだからなぁ。…まぁ水着で出たら盛り上がるか大外しするか両極端だろうけど」

 苦笑いを浮かべるなっちゃんにつられるように、私も同じような表情をする。



 …さすがに私には、水着で出るまでの勇気はない。去年ミスコンに出ていた人はどんな格好をしていただろう。ドレスやらコスプレやら、それぞれ個性的だった気もする。



「今度の休みに諒子さんに一緒に選んでもらう約束してるんです」

 諒子さんならアパレル会社の店舗を一店任されるほどの人だし、何よりおしゃれだ。自分ではどうしていいか分からないので、協力してもらおうと夏休みが明ける前にお願いしておいた。何より、あの時迷惑をかけたお礼をまだ直接は言えていないから、会いたかったのもある。

「そうそう、それ。理沙が拗ねてるぜ」

 携帯やらをポケットに入れながら、なっちゃんはそう言うと小さく肩を竦めた。



「え?」

 聞き返すと、「修司からそれを聞いたらしい」と続ける。それから理沙さんの真似なのか、高い泣き声を作った。

「『和美ちゃんが私には相談してくれなかった~。私も行きたいのにぃ~』って」

「えぇ!?」

 全然似ていない物まねをして、なっちゃんは笑う。

「いや、あの、もちろん理沙さんにもお願いしたいところだったんだけど…買い物とか、もうお腹も大きい理沙さんには迷惑かなって思って…」

 慌てて弁解じみた言葉を羅列すると、なっちゃんは一層おかしそうに笑った。

「冗談だよ。理沙だって本気で拗ねてねぇよ」

 その言葉にホッと安堵の息を漏らして、私は胸を撫で下ろす。もちろん、本来なら理沙さんも誘いたかった。だけど予定日を後2~3ヶ月後に控えた妊婦さんを、自分の都合で付き合わせるには気が引ける。



「ミスコンかぁ…多分一番気合入ってんの修司だろうなぁ」

 身支度を整え終えたなっちゃんは、なにやら机に置いてあったファイルを手にした。そしてそのまま数学準備室を出ようとするので、私もそれに続く。

「? 修司さん?」

 首を傾げながら廊下に出てなっちゃんの隣に並び、その高い背を見上げた。

「あいつデジカメ買い直すらしいぜ、お前がミスコン出るから」

「えぇぇ!!? ホントに来てくれるんだ!?」

 最近、法律事務所に転職して朝から夜遅くまで働いていると聞いていたのに…。多忙なはずなのに、わざわざ貴重な休みに文化祭まで来てくれるらしい。



「…なんか…ホントにお父さんみたい、修司さんって」

「お前…そこはせめて『兄』にしとけって」

 なっちゃんがそう言うので、私は一層おかしくて笑ってしまう。

「そうそう、それと同じこと前に……」

 本城先生にも言われた、と続けそうになって、私は自分が自然に出しかけた名前にハッと我に返った。そして思わず口を噤んでしまう。自分で口にしそうになった名前に、一瞬で色んなことを思い出して胸がズキンと痛んだ。



「『前に』?」

 閉ざした言葉を不思議に思ったのか、なっちゃんが繰り返す。それに曖昧に笑って返して、「ううん何でもない」と首を振った。




 ちょうどその時、だった。正門に向かうらしいなっちゃんと、並んで教科棟の1階を歩いていた。

 そこに廊下の反対側から一つの影がこちらへ向かってくる。その姿を見つけると、より一層胸がドクンと跳ね上がるのが分かった。



「……っ」

 思わず息を飲んだ私の目線に気づいたなっちゃんが、同じように前を見て目を細めたのが分かる。怜悧なその瞳が、不機嫌そうな色を放った。




 こちらへ向かってくる本城先生は、私やなっちゃんの方は見ないままいつもの歩調で歩く。化学準備室は私たちの後方にあるから、すれ違うことは避けられないだろう。




「……」

 約一週間ぶりに見る先生の姿に、胸がどこかで震えるのが分かる。先生はまた髭を生やし始めたのか、顎にあるそれは数ヶ月前までのようだった。それ以外はいつもと何ら変わらない。電柱のような長身に、真っ白の白衣。




 なっちゃんが、すれ違う前に目線を逸らした。窓の外を向いて、先生の方を見ないようにする。

 私はというと、同じようにするわけにもいかなくてすれ違いざまにペコリと頭を小さく下げた。

「おはようございます」

 会釈をしたのは、本城先生の表情を見ないように。それと、私の表情を見られないように、だ。



「おはよう」

 小さく返事をして、先生はそのまま行ってしまう。勇気を持って挨拶をした瞬間の顔を見られずにすんだようで、私はホッと息をついた。顔を見られたくなかったのは、私の感情までバレてしまいそうだったから。

 教師と生徒という立場に戻った今、挨拶すら交わさないというわけにはいかない。

 だけど、その顔を見られたら私がまだ本当は先生が好きだということがバレてしまいそうで。その姿を見ただけで、こんなにも胸が痛んでしまうくらいなのだから。



 後ろで化学準備室に入ったのか、ドアがパタンと閉められる音がした。それを確認してから、私は隣のなっちゃんを見上げる。

「なっちゃん、先生のことまだ怒ってるの?」

 私のために怒ってくれているのは明白だけど、あんなに仲の良かった2人が未だに口もきかないのが少し悲しい気がしてそう尋ねた。

「当たり前だろ。2発殴ったぐらいで収まるかってんだよ」

「な…殴ったの!!?」

 あの時は私は泣いて泣いて、自分のことで精一杯だった。だから、先生となっちゃんや修司さんの間にどんなやり取りがあったのかは全く聞いていない。



「修司が止めなかったら後10発は殴ってる」

 ふん、と鼻を鳴らして言うなっちゃんの言葉に、私は心の中で本気で修司さんにお礼を言いたい気分だった。




「私の為に怒ってもらえるのはありがたいけど…」

「お前のためじゃねぇよ。俺があいつを許せねぇだけだ」

 曲がったことが嫌いななっちゃんらしいセリフ。多分、一番正義感が強いのはなっちゃんだと思う。それが分かったから、私はそれ以上言うのをやめた。




「なっちゃん、実は今朝会いに来たのはちゃんと報告したかったからで…」

 話を改めるように口火を切ると、なっちゃんは「何の」と問い返したりはしなかった。気かなくても、何のことか分かっているからだろう。




「私、あれから先生と話す勇気もなくて…だけどこのままじゃダメだと思って、昨日やっと電話に出られたの」

 昨日のことなはずなのに、どこか遠い昔のような気さえする。

 辛い思いを抱えていると…どうして時間の流れはこうも遅く感じるのだろう。



「その時…ちゃんと別れたよ」

 告げた私に、なっちゃんは「そうか」と返事をしただけだった。それきり、お互いに黙り込んでしまう。



 そうしているうちに、正門へ向かうなっちゃんと分かれる場所に辿り着いた。

 無理してでも唇の端を持ち上げて笑い、私はなっちゃんに手を振って背を向けた。







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