表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演 2
83/152


 夏休みを残すところ一週間となったあの日、私は諒子さんの家で昼過ぎまで泣いていた。声すら出ない。ただ、涙が次から次へと溢れる。こんなに静かに…それでもずっと泣き続けたことが今まであっただろうか。



 正直、その後どうやって帰ったのかは覚えていない。諒子さんと修司さんに車で送ってもらったのだろうけれど…あまり記憶になかった。後で気になったのは、これほど散々迷惑をかけておいてその時お礼をきちんと言えたかどうかというところだった。




 記憶が曖昧なのは、あの日の帰りだけじゃない。それから一週間、夏休みが終わる最終日までどうやって自分が過ごしたかあまり覚えがなかった。ただ、部屋からほとんど出ずに何も考えずにボーっと過ごしていた気はする。何かを考えようとすれば、自分はまた泣いてしまうと分かっていたからだ。




 由実たちやそれ以外のクラスメイト、中学時代の友達なんかからメールが入ることも少なくなかった。遅れ気味でもとりあえず元気を装って返事だけはしたけれど、そのどの誘いにも乗る気にはなれない。だからここ一週間まともに誰かと会話をした覚えもなかった。




 あの日から毎日、先生からは何度も着信があった。鳴り続ける携帯電話を半ば虚ろな目で見やるけれど、それに出る気もなかった。そんな気力はなかったからだ。

 だけどこのままでいいはずもなくて、私は、8月31日に鳴った電話にようやく手を伸ばした。



 明日からは学校が始まる。

 どうしても顔を合わせるのだから、電話を無視し続けるわけにもいかないと思った。




「…はい」

『……白石』

 1週間ぶりに聞く先生の声は、たった数日なのになぜかすごく懐かしく感じた。耳元で低く響くそれに、ぎゅっと胸が締め付けられる。それだけで思わず泣いてしまいそうになったのは、気のせいじゃないはずだ。




「…ごめんなさい、電話、全然出られなかった」

『………いや』

 先に謝られるとは思っていなかったのか、先生は少しの間の後にそう小さく呟いた。

「………」

 そして続く、沈黙。何をどう話していいのか迷っているのか、先生は電話の向こうで少し息を吐いたようだった。




『虫のいい話だと思われるだろうけど…』

 やがて先生がそう切り出したのは、どれくらい経った頃だっただろう。今の私にはとてつもなく長い時間に感じたのは確かだ。



『会って、話したいことがある』

「………」

 即答できなかったのは、なぜか。


 まだ私の中で躊躇してしまう何かがあるのか。



 …でもどちらにせよ、もうあの日に「答え」は決まってしまっていた。




「私…ずっと、先生の口から聞きたいことがあったんです」

 電話を持つ手に少し力を込めて、そう切り出す。黙って聞いている先生に、そのまま続けた。



「由香子さんと会ったこと、会ってどう思ったのかってこと…。それ以外にも、色々」

 一度言葉を切ると、途切れたその一瞬の間に気を抜けば涙が出そうだった。



「言い訳でも、何でも良かった。ただ、安心したかった。先生の口から聞けるなら…きっと、嘘でも気休めでも良かった」

『………』

「でも、…もう無理なんです」

 あの日と同じ言葉を、私は静かに…だけどはっきりと口にする。俯きがちにベッドに腰かけて、眉間に力を込めた。




「今から何を聞いても…もう、先生が由香子さんのところに行ったっていう事実だけで…」

 その現実だけで、押しつぶされる。きっと不安は拭えず、何を聞いても意味を為さないと思う。




『…そうだな』

 低い声が、吐息まじりに同意を返した。




『結局ここんとこ…お前の無理した笑顔しか見てなかった気がする』

 先生の声が、どこか自嘲気味に響いた。まるで、それが自分のせいだとでも言うように。

『……ごめん』




 あの日由香子さんを追いかける時に聞いた、最後の言葉。できればもう二度と聞きたくなかったそれと同じものを告げられて、私は胸の痛みに耐えるように目を伏せた。






 先生から、電話は切らなかった。

 だから私から携帯の電源ボタンを押す。プツッと途切れた音を立てたそれは、今の私たちの関係を模しているようにも思えた。







 あんなに大好きだった人と、一緒にいられたのは結局2ヶ月ほど。それでもその短期間で色々なことがあって、幸せを感じられることもたくさんあったはずだ。だからきっと、無駄なんかじゃなかったはずだ。もう、一緒にいられないとしても…。



「…さよなら、先生」



 小さな呟きを漏らして、私は携帯電話を放るようにベッドの上に投げ出す。




 17歳の夏、私が好きな人との別れを選んだのは、太陽が照りつけるような…まだ残暑の厳しい日だった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ