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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演 2
82/152

3 side:Syuji


 しばらくしてようやく落ち着いた和美ちゃんを、諒子は自分の家に連れて行くと言った。この状態じゃ一人にするには不安だし、家の人にも必要以上に心配をかけるだろう。ソファに座らせたままの彼女の代わりに家に電話をした後、諒子は「ちょっと」と言うように俺に顎で別の部屋を示した。



 リビングに残る2人に声の届かない位置まで移動して、諒子はボソボソと言う。

「貴弘は自分一人でここに残るって言ってるけど…あんたもここに残って」

「…そのつもりだよ」

 軽く頷いて、俺は小さく息を吐いた。今の貴弘だけでユキに対面させるわけにはいかない。そこは諒子と俺の共通の意見だった。

「じゃあお願いね。…ちゃんと止めてよ?」

「まぁ一発ぐらいは大目に見ようかな」

 苦笑い気味に言った俺に、諒子は呆れたように冷めた目を向ける。「…これだから男は」とかなんとか、文句を口の中で転がしていた。




 そうしてリビングに戻って和美ちゃんを立たせると、憮然とした面持ちのままの貴弘に一声だけかけて部屋を出て行く。車の鍵を持たせたので、俺と貴弘は帰る時には徒歩になるだろう。




 その頃に見上げた時計は、もう22時になる頃だった。




 ユキが出て行ったのが夕方らしいので、もう5時間ほどはたっているだろう。

 そもそも由香子さんとの約束の場所がどこかも俺には分からないし、往復してもどれくらいかかるのか見当もつかない。

 だから、何時に帰ってくるのかなんて分からない。夜のうちに帰ってくるという保証もない。



「…貴弘、一回出直した方がいいんじゃない?」

 そう声をかけた。だけど貴弘は、当然首を縦には振らなかった。俺とも目を合わせないようにしているかのように、少し顔を俯かせて黙ったままだ。



 いつまでそうしているつもりなのか…。たとえば、ユキが今日朝になって帰ってこなかったとしても? その可能性だってないわけじゃないんだ。





「……の、せいだ」

 やがてポツリと、そんな声が聞こえた。

 か細いそれは室内がこれほどの静寂に包まれていなければ聞き逃してしまいそうなほどだ。


 その声が、つまり貴弘が呟いたものだと気づいて、俺はそちらを振り返る。エアコンもつけずに窓を開けただけの状態で暑いはずなのに、貴弘の顔はどこか青ざめているようにも見えた。




「…俺…は、白石が一年の時からユキのことを好きなのを知ってた」

 そう言う声は、どこか震えそうにも聞こえる。貴弘の言葉は、和美ちゃんにも聞いたことがある。1年生の時から、和美ちゃんは貴弘に相談に乗ってもらってたって…。彼女がどれだけ貴弘を信頼しているのか、容易に分かる気がする。



「それで、その背中を押し続けてきた。うまくいけばいいと思ってた。でも、本当は……」

 眉間の辺りに手の甲を当てながら、貴弘は顰めた顔のまま仰向く。何かの痛みに耐えるような顔を、俺はじっと見据えていた。



「それは、白石の為なんかじゃなかったんだ」

「……え?」

 思いもよらない告白のような言葉に、俺はわずかに目を瞠る。こちらを見返しはしないまま、貴弘は眉をひそめて目を閉じていた。



「ただ、俺は…あいつなら、ユキを変えてやれるんじゃないかと思ったんだ」

 全ては、和美ちゃんを応援しようと思ったわけじゃなかった…?いや、もちろん健気な彼女を応援したい気持ちはもちろんあったのだろうけれど。それよりも先に、貴弘が心配していたのは由香子さんを失くして4年も傷ついたままだったユキの方。そのユキを変えてくれるんじゃないかと、和美ちゃんに期待したということか。



「…やめさせりゃ良かった」

 ポツリと呟いた貴弘が、全ての力をなくしてしまったかのように壁にもたれたまま手足を投げ出す。糸を切られた操り人形のようにダラリと脱力し、弱々しく続けた。

「…あの時…、俺が止めてりゃ白石がこんな形で裏切られることはなかったのに…」

「……」

 貴弘のせいじゃない、とは、言えなかった。もちろん本音ではそう思ってる。だけど、今何を言っても貴弘には無意味な慰めでしかないような気がしたからだ。




 ……こういうことか、ユキ。



 お前が、今の和美ちゃんには何を言っても無駄だって言ってたのは…。



 こちらがどれだけ本当のことを口にしても、相手の耳には入らないってこともあるんだ。今なら、その意味が分かる気がした。






 言葉を返せずにいた俺につられるように、貴弘もそれっきり黙りこむ。そうして長い間、2人で部屋の隅と隅で向かい合うように座り込んでいた。何時間微動だにしなかっただろう。


 玄関のドアが音を立てたのは、もう空が明るくなり始めた頃だった。




******



 ドアを開いた瞬間に中にいる俺たちに気づいて、ユキは目を丸くした。だけどそれも一瞬のことで、すぐに事態を把握したようにいつもの表情に戻る。…ユキのこういう頭の回転の速さが、俺は昔から好きだ。



「どこ行ってたんだよ」

 それまで座ったままでいた貴弘が、ゆらりと立ち上がる。重い腰を上げながらそう尋ねると、ユキは靴を脱いでこちらに入ってきた。貴弘の横をすり抜けて、俺の前を通りすぎて…そのままソファにドカッと腰を下ろす。その横顔は、当然だろうけれど疲れているように見えた。



「こんな時間まであの女と一緒だったのか。それともキョーハク通り死んだか?」

「……」

 揶揄するような口調の貴弘の皮肉に、そこでようやくユキが目線を上げる。ピクリと眉を持ち上げて、貴弘を睨み据えるその目は違う人間だったら怯んでいただろう。



「何とか言えよ!お前…っ、白石がどんな気持ちで…」

 大股で俺の前を抜けて、貴弘は怒鳴りながらユキに近づく。そしてそのまま、ガッとユキの胸倉を掴み上げた。ソファに座るユキの長身さえ、腰が浮いてしまうんじゃないかというぐらい引っ張る。それでもユキは、どこか冷めたような冷静な目でただ貴弘を見据えていた。


「俺は…」

 やがてユキが、いつもより少し低めの声で言う。

「白石に話さなきゃならねぇことはある…けど、お前に弁解して許しを請うようなことはしてない」

「…てめぇ…っ!」

 ガッと鈍い音をたてて、貴弘の右拳がユキの頬に叩きつけられた。思わずその嫌な音に眉を寄せた俺は、だけどユキが無抵抗なのはわざと殴られたんだと気づく。貴弘もそれに気づいたのか、余計に激昂したようにもう一度拳を振り上げた。



「…貴弘っ」

 その手を、俺は後ろから掴む。

 ユキはというと、貴弘のもう片方の手に胸倉を掴まれた態勢のままで俺たち2人をどこか他人事のように見つめていた。

「俺が見逃せるのは、一回までだよ」

 放っておけば何度ユキを殴るか分からない。そう悟って、俺は言いながらその腕を掴む手に力を込めた。ググ、と音がしそうなほど握ると、貴弘はようやく少し落ち着いたのか、怒りのあまり震えていた拳から徐々に力を抜く。

 それに気づいて俺も手の力を緩めると、貴弘はもうユキに殴りかかろうとはしなかった。その代わり、悔しそうに唇を噛み締めてからまた重く口を開く。


「お前…分かってんだろうな」

 拳は下ろしたと言っても、怒りの矛先が変わるわけじゃない。目の前のユキを睨むように見下ろして、貴弘はかけている眼鏡を押し上げた。

「お前があの女の元に行ったことは、白石だけじゃねぇ…」

 一度そこで言葉を切った貴弘を、ユキは目を逸らしもせず聞いている。

「俺への裏切りでもあるんだからな…!」

 言い捨てて、貴弘は俊敏な動作でもう一度拳を繰り出した。

 もう殴らないだろうと思っていた俺は隙を突かれて、今度は止められなかった。

「…貴弘っ」

 非難するように顔を仰ぎ見ると、貴弘は悪びれた様子もなく「…帰る」と踵を返す。

 それから、

「お前との腐れ縁もこれまでだな」

 鼻であしらうようにユキにそう言って、さっさと玄関ドアを開けて出て行ってしまった。



「………」

 殴られた頬はもちろん痛むだろう。そこを手の甲で抑えながら、ユキはソファに身を沈めたまま目を閉じた。眉を寄せて固く閉じられるそれを見て、俺は小さく息をつく。

 キッチンに戻って手近のタオルを冷たい水で濡らすと、それをユキに手渡した。

「………悪ぃ」

 呟いたユキのその言葉には、タオルのことだけじゃなくて色々な意味が含まれている気がした。



「和美ちゃんは、諒子と一緒にいるよ」

「………」

 俺の言葉を黙って聞きながら、ユキは冷えたタオルを頬に押し付ける。唇の端からは、薄っすらと血の色が滲み出ていた。




「このまま何も言わないで、本当に別れるつもり?」

「……」

 ユキの沈黙は、肯定とも否定とも取れる。だから、分かる気がした。



 きっとユキは、和美ちゃんが「無理」だというなら強引に押し切ろうとはしないはずだってことが。



 それは、自分のしたことがそれだけ相手にとって傷つけることだという自覚があるから。

 でもそれじゃあまりにも…。



「和美ちゃんがかわいそうだよ、ユキ」

「………」

 それでも、ユキは何も言わなかった。俺と貴弘にですら、その胸の内は明かさないということだろうか。…いや、ただユキはきっと、自分が本当に考えていることを一番に話すべき相手が、俺でも貴弘でもないということを知っているだけだ。




「……俺も帰るよ」

 今のユキには何を話しても、貴弘や和美ちゃんと同じで無駄なだけだ。

 そう思って、俺はそう言って踵を返す。

「和美ちゃんの様子だけ、後で連絡する」

「……修司」

「ん?」

「お前は…殴んねぇのか」

 ユキのいつもとは違う弱々しい雰囲気のその問いかけに、俺は思わず目を丸くした。

 そしてそれから、思わずフッと笑みを零してしまう。大学時代によく女の子たちから「俺様」なんて言われていた奴のセリフとは思えない。



「まぁ…しょうがない」

 わざと笑いながら言って、俺は靴を履きながら答える。

「俺は貴弘の気持ちは分かるし、和美ちゃんの味方でもあるけど…」

 一度言葉を切って、俺は肩越しにユキを振り返った。

「それ以前に、お前のことも信じてるからさ」



「……」

 言うと、ユキは言葉をなくして目を瞠る。

 それにもう一度笑うと、「じゃあ」と片手を挙げて俺は玄関のドアを開けた。




 さて、とりあえず諒子の家へ向かうか…。

 そう思ったけれど、この時間じゃもしかしたら和美ちゃんは眠れなくてもようやく落ち着いてきた頃かもしれない。今朝は仕事が休みだし、昼前に行くことにして俺はとりあえず自分の家の方へ足を向けた。






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