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Sweet&Bitter  作者: みずの
番外編「ryoko」
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 目を覚ました修司は、一瞬ここがどこか分からなかったのかボーっとした目を何度か瞬きさせた。やがてゆっくりと覚醒したのか、すぐ傍にいる私を見て少し複雑そうに笑う。

「おはよう」

 言って、長い指で茶色い髪をかきあげると欠伸を一つ漏らした。



「…疲れてるの?」

「ん? ……いや」

 軽く首を捻ると、修司は手首につけたままだった腕時計に視線を落とす。その文字盤を確認すると、この後予定があるのか…まだ少しは時間に余裕があったらしく、安堵に似た息を零した。



「用事?」

「…うん」

 何の、とは聞けなかった。今の自分にその質問をする資格があるとは思えなかったし、修司が答えてくれるとも思えなかったからだ。だから…代わりに立ち上がりかけたその手を掴んでいた。



「話したいことがあるの…」

「………」

 手首の辺りを掴まれて、修司はこちらを振り返る。だけどその目を、私は直視することはできなかった。少し逸らし気味に、返る言葉を待つだけ。



「……分かった。まだ1時間くらいは余裕あるから」

 ベッド脇に座り直した修司は、小さく息を漏らしながらそう言った。

「あ、でもちょっと待って、電話だけしないと。今日かけるように言われてるんだ」

 そう言って、ポケットから携帯電話を取り出す。この後の用事の相手にかと思ったけれど、どうもその会話を聞いていると違うようだった。



「昨日はごめんね、ありがとう」

 いつもより幾分か優しい口調の修司。電話の向こうから漏れ聞こえてきたのは、明らかに女の声だった。何を言っているかまでは聞こえないけれど、若い女の子だということだけは分かる。

「朝起きたら電話してって言われてたからさ…今大丈夫?」

 私に構わず、修司はそんな会話をしていた。



 …私がいるのに……こんな時に、何?

 怒りにも似たような空しさが胸中を駆け巡ったけれど、そんな私に次の瞬間修司は「ん」と自分の携帯を差し出してきた。



「…え、何…?」

 困惑してその電話と修司の顔を見比べる。だけど修司は答えないまま、軽く肩を竦めながら立ち上がった。そしてそのまま窓を開けてベランダに出て行く。

 私が誰かと電話している時の、修司の癖だ。気を遣っているのか、会話を聞かないように席をはずす。



「……もしもし、お電話かわりました」

 ワケが分からないままでも常識的な態度で接してしまうのは職業病に近いと思った。まだ二日酔いで鈍い痛みを訴え続ける頭を抑えながらそう言って電話に出ると、向こうの相手は少しだけ息を飲んだようだ。



『あの…おはようございます、急にすみません。私、白石和美といいます』

 その名前に、聞き覚えがあった私は少しだけ目を見開いた。そうだ…確か、昨日…。

「和美ちゃん…って、ユキの彼女の…?」

『…はい…朝からすみません』

 謝るのは私の方だ。恐らく昨日私は、あの後ユキに絡むようにお酒を飲んでいたはず。彼女だってユキと一緒にいたかっただろうし、私に気を遣ってくれていたというのに。

「いえ…こちらこそ、昨日はごめんなさい」

 素直にそう言うと、和美ちゃんは電話の向こうで微かに笑ったようだった。その笑みの漏らし方が何故かこちらが安堵してしまうもので、漠然と「やっぱりイイ子だな」と思わされる。



「あの…何か…?もしかして私昨日、酔ってあなたの前でユキに何か……」

『え!? いえいえ!』

 嫌な予感を感じつつ、ためらいがちにそう尋ねると逆に彼女が驚いたように声を上げて否定した。ホッと胸を撫で下ろし、私は吐息を漏らす。さすがにこの年でユキ相手にないと思いたいけど…私には大学時代酔っ払ったせいで貴弘にキスをしでかした前科があるからだ。



『あの…実は、諒子さんにお話しておきたいことがあって…』

「…うん。なぁに?」

 遠慮がちな彼女は、何と切り出していいか少し思案したようだった。ほんの一瞬の間の後、「あの」と改めて切り出す。



『そこに修司さん…います?』

「え? …あ、ううん。外に出てるけど…何、聞かれちゃマズイ話?」

『いえ…あ、はい…』

 どちらなのかはっきりしない答えを言いながら、彼女は少し困ったように笑った。

「大丈夫だよ、今聞こえる範囲にはいないから」

 言うと、「すみません」と小さく言う。何だか謝られてばかりで、逆にこちらが恐縮してしまいそうだ。



『昨日…諒子さん、酔ってる時に「修司さんが浮気してる」って仰ってて…』

「え!」

 驚いて声を上げた私に、和美ちゃんは「…やっぱり、覚えてないですよね…」と小さく呟いた。



『職場の後輩の方が、噂してるの聞いちゃったって…。修司さんが女の子とイタリアンレストランで楽しそうに食事してた、って』

「……私…そんなことまで愚痴ってたんだ…」

 恐らく、ユキの胸倉を掴みながら文句でも言っていたに違いない。簡単に想像できるその光景に眩暈すら覚えながら、私は自分に呆れ返ってしまいそうだった。



『昨日は諒子さん酔ってらっしゃったので…そこで言っても仕方がないかと思ったんです。諒子さんが今日目が覚めたらちゃんとお話したいと思って、修司さんに連絡いただけるようにお願いしました』

「……?どういうこと?」

『あの…その修司さんがイタリアンレストランに一緒に行ったの、多分私だと思うんです…』

「……え?」

 思わず眉を顰めて、私は携帯電話からの声に耳を傾ける。話がまだよく分からず、恐らくこの上ないくらいに怪訝な顔をしていただろう。



『私…2ヶ月ほど前に、修司さんにイタリアンレストランに連れて行っていただいたことがあって…。あ!あのそれも…私が先生にフラれたりして、修司さんが励ましてくれようとして…』

「……」

『だからあの…もしそれだったら、浮気とかじゃないんです!修司さん優しいから…私にすごく気を遣ってくださってて』

「……うん…」

『あの私…正直、修司さんにはいつも話を聞いてもらうばかりで…今回も、修司さんに彼女がいたって初めて知ったくらいで…。だからそんな私が言えることじゃないんですけど……修司さんは、浮気とかするような人じゃないと思うんです』

「………うん」

『昨日、諒子さんを迎えに来た修司さんを見て…ステキなカップルだなぁと思いました』

「………」

『だから…あの……』

「うん、分かった」

 言いにくそうな彼女の言葉を制して、私は小さく頷く。

「ありがとう、和美ちゃん」

 少し笑みを漏らして言った私の声に、彼女は安心したようにホッと息を漏らした。ほとんど話したことのない、10以上も年上の私と話をするだけでも緊張していたのだろう。

 それ以上は何と言っていいかわからず困っていそうだったので、あえて言葉を遮った。彼女の気持ちは、痛いくらいに伝わってきたから。それと同時に、彼女がどれほど優しい子なのかも。



「…ねぇ、和美ちゃんさぁ」

 だから思わず、尋ねてしまう。

「何でユキと付き合ってるの? 和美ちゃんだったらもっとイイ男いっぱいいるでしょ」

『え!? いえ…!』

 笑いながら言うと、電話の向こうで彼女は本当に困ったような声を出した。その反応がまたかわいくて、私は今度こそ声をたてて笑ってしまう。



「…ありがとね、和美ちゃん」

 改めて言うと、彼女は最後まで恐縮しまくりだった。丁寧に挨拶をした彼女と通話を終わらせ、私はその修司の携帯電話を閉じる。そして大きめの窓を開けると、修司に「はい」と電話を差し出した。



「和美ちゃん、何だった?」

 電話をズボンのポケットに戻しながら、修司はそう尋ねてくる。部屋に入ってくると後ろ手にその窓を閉めた。

「…女同士の話」

「ふぅん?」

 短くごまかすと、修司はそれ以上追及したりはしなかった。代わりに、ローテーブルの前に腰を下ろす。この部屋に来た時の、修司の定位置だ。



「で、話たいことって?」

 そう尋ねる修司の前に、お茶も出さずに私も座る。今度はまっすぐ見つめ返して、私は小さく深呼吸した。

 面と向かって話をする勇気を…和美ちゃんにもらった気がする。

「…全部話していい?私が今、考えてること」

 小さく言うと、修司はあの顔でいつもの苦笑いを浮かべた。



「覚悟はできてるよ」

 私の言うところの意味とは少し違う意味合いで、修司はそう呟く。




 その顔を見据え、私はもう一度覚悟を決めるように息を吸った。






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