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Sweet&Bitter  作者: みずの
番外編「ryoko」
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「ジントニック」

 私の隣に座りながら、ユキがマスターにそうお酒を注文する。それから私に向けて少しだけ唇を持ち上げて意地悪く笑った気がした。

「珍しいな、ここに来るの。お前はてっきりこの店避けてるんだと思ってたけど」

 普通なら言いにくいだろうことをズバリと言い当て、それでもユキはそ知らぬ顔だ。

「…あんたホントにかわいくない。それより、私これでも2歳も年上なんだからもっと敬いなさいよ」

 ちょうどマスターが、そこで私にスクリュードライバーを出してくれる。それに軽くお礼を言ってから、口をつける前に唇を尖らせてみせた。



「昨日貴弘にバッタリ会った時は、ちゃんと敬語だったし『諒子さん』って呼んでくれてたわよ」

 まだお酒を飲んでもいないのに酔った時のようなテンションで絡んでしまったのは、恐らく拗ねたい気持ちがどこかにあったからだ。それを感じ取ったのかどうか…ユキの隣に座ろうとしていた女の子が、鞄を手にしたまま彼の服をクイと引っ張った。



「先生、あっちにメグミさんたちがいるから挨拶してきていいですか?」

「あぁ」

「じゃあ行ってきます」

 ニッコリ笑って言う彼女は、私にもペコリと会釈をして踵を返して行った。



 ……ん?ちょっと待って……。



「…ねぇユキ、あの美人さんあんたの彼女?」

 尋ねると、ユキは胸ポケットから煙草とジッポを取り出しながら「まぁな」と小さく答える。

「で、『先生』って…!!!? あんた生徒に手出してんの!? つうかあの子高校生!? それとももう卒業した元教え子!?」

「いや、今担任してるクラスの生徒だよ」

 まくしたてる私にそう答えたのは、ユキじゃなくカウンターの向こうのマスターの方だった。何が嬉しいのかマスターはニコニコしている。

「本当なら未成年は立ち入り禁止なんだけど…。まぁ和美ちゃんは幸いというか、高校生に見えないし」

 確かに、スラッとした長身に細身の体はモデルのようで、顔立ちも恐ろしいぐらいに整っている。多分、その辺の芸能人よりそれらしいと思う。大人っぽくて高校生に見えないくらいだ。



「何よりうちの常連さんたちとすぐに仲良くなっちゃったからねぇ。皆も和美ちゃんに会いたいみたいだし」

「…いやいやいやマスター、それもどうなのよ…」

 商売人として、それはどうなのか。そう思ったけれど、マスターの気持ちもその常連たちの気持ちも分かる気がしたのでそれ以上は追求しなかった。



 だって、高校生とは思えない気の使い方。

 私が落ち込んで拗ねていることがわかったから、ユキと2人にしてくれたに違いない。しかも自分が「他の人に挨拶をしたいから」という理由づけで…。



「イイ子そうね」

 グラスに口をつけながら言うと、ユキは煙草に火を点けてから「ふん」と鼻であしらった。




「最近新しい彼女ができたのは聞いてたのよ。まさか高校生だとは思わなかったけど」

「そーかよ」

「…あいつ、そんな話はするのにね…自分のことは話してくれないんだもん」

 そう言うと、ユキは前を向いたまま煙草の息をフーッと長く吐き出す。それから「今更だろ」という顔で、肩を竦めてみせた。



「修司が自分の話をしないのなんて昔からだろ」

「……そうよね…」

「それでもあいつは肝心なことは必ず言う」



 …そんなことは私だって分かってる。でも……。



「でも、私…あいつがここを辞めた話も、辞めようと思ってる話も聞いたことなかった」

「…何? あいつ辞めたのか?」

 私の言葉を受けて珍しく少し驚いたような顔をしたユキは、私とマスターを見比べるように交互に見た。

 出過ぎないように配慮してくれたのか、マスターが小さく頷いて答えるだけ。昨日のことらしいから、まだユキが知らなくても不思議はない。



「仕事辞めるって…そんなに簡単なことじゃないでしょ? それも事後報告なんて…」

「……言わせなかったんじゃねぇの、お前が」

「!? …っ」

 一瞬言葉をなくしたのは、ユキが私の一番痛いところをついたせいだ。本当なら責任転嫁して、気づかずにいたかったこと。



「仕事が忙しくて周りも見ずに走り続けてきて…お前が修司を一度でも振り返ったことあったかよ」

「…っそれは…」

 確かに、それは自覚があることだ。修司の優しさに甘えていた…必ずついてきてくれていると信じていたから。

「修司が何でこの仕事を選んだか…お前知らねぇだろ」

「……?」

 夜の仕事の方が…割が良いからじゃないの…?

 加えて、ジャズ好きの修司にはうってつけの店のはずだ。



 そう思ったけれど、隣で煙草を吸うユキの前でマスターが微かに笑って見せた。

「諒子ちゃんは朝早くから夜遅くまで働いてて…時間があまり取れない生活をしてるだろう? 同じように修司が昼間忙しく働いたら…それこそ2人共家に寝に帰るだけで、ろくに会えないと思ったんだろうなぁ」

 マスターの言葉に、私は大きく目を見開く。妙な緊張感からか喉が渇きかけたけれど、手近のグラスに口をつける気にはなれなかった。

「諒子ちゃん、前に言ってただろ? ストレスが溜まった時にジャズ聴くと落ち着くって…。だからだよ。修司は多分…ずっとここで、仕事で疲れた諒子ちゃんが来るのを待ってたんだと思うよ」



 でも…私は、一度もここに来ることはなかった。

 ジャズを聴きたい気持ちよりも、この仕事を選んだ修司に不満があったから。なのにあいつは…私がいつか疲れて休みたくなった時に、戻る場所を残してくれていたんだ。



「…っ」

 涙が溢れそうになる。

 視界がぶわっと歪みかけたけれど、それを必死で押し殺した。




 私は…夢をなくしたようにただ毎夜働くだけの修司に嫌気がさしていた。でも実際は、彼が何を思い、そうしているのかは全く知ろうともしていなかった。

 修司が何を考えているのかよりも、自分の仕事ばかりを優先した結果だ。




 …なんてつまらない人間なのだろう、と思う。

 くだらない人間なのは、何も考えずに夜の仕事に走ったように見えた修司じゃなくて、私の方だった。仕事をするだけしか能がなくて、彼氏の考えていることも理解しようとしてこなかった自分の方だ。




「……」

 手にしていたグラスのお酒を、今度こそ勢いよく呷る。



 ユキが「おい」と制するのも聞かず、マスターにおかわりを頼んだ。




******



「……?」

 気がついた時は、薄いクリーム色の見慣れた天井が目に映った。一瞬どういう状況なのかも飲み込めず、ただいつも通り朝を迎えただけなのかと思った。


 だけど目を開いた瞬間に感じたただならぬ頭痛に、大学の時に味わったきりの二日酔いを自覚する。そういえば昨日、あの後ユキを道連れに結構飲んだっけ…。そう思い出しながら、頭を抑えながら私は何とか上体を起こした。




 …あれ…?



 でもそうだとしたら…どうして今ここに…。




 疑問に思いかけたけれど、その答えはすぐに得られた。私が体を起こしたベッドにもたれるように、眠っている修司の姿がそこにある。恐らく、私が潰れた後にユキが呼んだんだろう。




「……」

 二日酔いのせいだけではない頭痛を感じて、私は眉根を寄せた。だって、どの世界に一方的に別れを告げた彼氏に酔い潰れて介抱させる女がいるというのだろう。自分の身勝手さと浅はかさにうんざりしかけて、思わずため息が漏れた。




 静かな寝息をたてて眠る修司は、どこか疲れているようにも見える。久しぶりに見るその寝顔に、胸のどこかが軋んだ気がした。



「…修司…」



 もう一度…今度こそ手を伸ばしたら、その腕を掴むことができるだろうか。




 それとも……。







 覚悟を決めたように小さく息を飲みながら…私は、ゆっくりとその髪に自分の指を伸ばした。






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