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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
72/152

12


 炎天下の中移動したのは、学校の裏にある木陰の多い公園だった。遊具の一つもないけれど、まだ日は高いので遊んでいる親子も数組見られた。けれどそれでも隅にあるベンチの辺りへ移動するとあまり人気はなく、日陰があって静かなものだ。



 促した私に、由香子さんは黙ってついてきた。ただその間も、頬には微かな笑みをたたえたまま。それがどこか不気味にも思えて、私はバレないように何度か息を飲んだ。



 この公園の隅を選んだのは、他の人に話を聞かれないだろうと思ったから。あと、どこかお店に入って落ち着いて話をしたい相手でもなかったから。…それと、そうして馴れ合うつもりなんて全くなかったから、だ。




「お話って…何ですか?」

 ベンチに座った由香子さんは、私の言葉を聞きながら日傘を畳む。自分の座る位置に陰ができているのを確認してから、それを横に置いた。

「前置きなしで、言ってもいいかしら」

 やわらかい声音が、トーンとは裏腹にたくましい言葉を告げる。控えめさのかけらもない言葉に、私は鋭く目線を上げた。



「なんでしょうか」

 私は彼女のようにベンチには座らず、斜め前辺りに立つ。…それはまるで、あの時初めて本城先生と会った時のようだった。

 そう、あの時も…場所はこの公園だった。ベンチも、同じもの。私の立ち位置も同じ。

 ただ違うのは…相対するのが先生ではなく彼女だということ。意図してここへつれてきたわけではなかったはずなのに、何故か因縁めいたものを感じてしまった。



 本当は、由香子さんの言葉なんて促さなくても分かっている。だけど、私は息を飲んで返る答えを待った。




「ユキと…別れてほしいの」

 当然想像していた通りの言葉を、愛らしい由香子さんの唇が紡いだ。だけど自信がある。そんな彼女の不思議な魅力に魅了されないのは、きっと私ぐらいに違いない。…私は、そんなことでごまかされない。



「答えは、わかりきってると思いますけど」

 自分でも驚くほど冷たく挑発的な言葉が、口をついて出た。





 友達やなっちゃん、修司さんたちはいつも私を「イイ子」だと言ってくれる。性格が良いとも言われるけれど、私は自分では決してそうは思わない。…むしろ、敵だと見なした相手には露骨に敵対心を出してしまうくらいの我の強さはあると思う。……そうじゃなきゃ、今だって由香子さんにこんな態度で接しないだろう。



「そんなに睨まないで」

 苦笑い気味に言う彼女の言葉に、ピクリと眉を持ち上げる。恐ろしいほど冷静な彼女の言動は、全て今の自分の神経を逆撫でしそうなくらいだ。微かに浮かんだ微笑すら、この時にはイライラさせられる。



「あなたの答えは分かりきってるけど…でもね、よく考えてもみて。あなたからじゃないと、ユキはきっと別れられないでしょ?」

「………どうして」

「だって、生徒に手を出してしまった責任があるもの。あなたに飽きて別れたいと思っても、別れ話を切り出してあなたがとんでもない行動に出れば被害を被るのはユキの方でしょう」

「…責任とか被害とか…そういう関係じゃないですから」

 唇を噛み締めながら、私はそう低い声を出す。地を這うようなそれは、それでも由香子さんには大した効果はなかった。



「そう思ってるのはあなただけだとしたら?」

「…っ」

 ……本気で、腹が立つ。さすがの私でもカチンと頭のどこかで音がした気がした。この人に、一体先生と私の何が分かるというのだろう。





「……あなた、まだユキと寝てないでしょ」

「な…っ」

 急なその発言が、こんな清楚な人のどこから発せられたのか私は思わず耳を疑った。一瞬声を失い、私は口をパクパクさせて瞬きを繰り返す。すると彼女は、またクスリと小さく笑った。



「図星?」

 ……いくら私でも、彼女の言う意味が言葉通りの意味を成さないことは分かっている。だからこそ「一緒のベッドで寝たことあります」なんてセリフは意味がないことを知っていた。

 多分、私の顔は真っ赤になっていたと思う。どうしてこの人にそんなことを言われなきゃいけないのかという憤怒と、一般的な意味での羞恥心とで。




「それが証拠。もうユキはあなたと別れたいと思ってるはず。…そうでないなら、教師としての義理と同情で付き合ってるだけ」

「……先生は…そんな人じゃないっ」

 やっと搾り出した反論は、私の中の苛立ちを全て含んだ響きを持っていた。

「大体、あなたの言うことが図星だとしても、それは先生が……」

「大事にしてくれてるから、って?それはないわ。あなたも聞いてるでしょ?ユキの手の早さ。好きで付き合ってるなら尚更よ」

「それは昔の話でしょ…っ」

 悠然とベンチに座ったまま私を見上げる由香子さんを、眉間に力を込めて思い切り睨み据える。

「あなたが知ってる先生と、今の先生を同じだと思わないで!先生には、あなただって知らない4年間があるんです!」

 声を荒げて言うと、由香子さんは初めて表情から笑みを消した。まっすぐ私を見据え返す目に、怒りに似た光が灯る。



「4年が…何よ」

 小さく言う彼女は、手近の日傘を持つ手にググッと力を込めた。

「あなたは若いから分からないかもしれないけどね…人間、ハタチを越えたらそう簡単には変わらないわ」

 どこかさっきまでの余裕を感じられない声音に、彼女は自分で気づいたのかそこでハッと目を瞠る。それから、取り繕うようにさっきまでの微笑みを口元に浮かべた。




「あなたとユキが出会った時のことを、当ててあげましょうか」

 話を切り替えるようにそう言った彼女は、知っているはずはないのにまさにそのベンチで笑う。

「どんな出会い方をしたかまでは分からないけれど…きっとその時、ユキは精神的に参ってたんじゃない?」

 言われて、思い出すあの日の情景。今いるまさにこの場所で…吸わない煙草を手にしたまま、泣きそうな目で桜を見上げていた先生の横顔。

「…これも図星みたいね」

 由香子さんは私の表情を伺うようにして覗きこんでから、また笑った。



「もしかしたら、そのユキを悩ませてた原因は私かしら。私がユキのことを忘れたまま他の男と結婚して…傷ついてた?」

「…っ何が言いたいんですか!」

 認めたくはなかった。認めたら、先生がこの人のことを想っていたことを肯定してしまうから。真実は分かっているはずだけれど、今は認めたくない。



「そのユキを、和美ちゃんが慰めでもしたんじゃないかと思って」

 まるで見ていたかのように、由香子さんはそう続ける。この人の底知れぬ怖さのようなものを垣間見た気がして、私は背筋を冷たいものが駆け抜けるのを感じた。



「ユキね…結構あれで精神的に弱いところがあるの。私と付き合い始めたきっかけも、そんな感じだったから」

 小さく笑う彼女の言葉に、私は漠然と思い出す。

 そう言えば…適当な人付き合いばかりしていた先生の心の底の傷に、気づいたのは唯一この人だったはず。だからこそ、先生も心を開くことができて彼女を好きになったはずだった。



「だからきっと、私を失くした傷をあなたで癒そうとしただけ」

「……めて…」

「今はもう、その傷が癒えてあなたと付き合ってるのは残った同情でしかないの。今私からの連絡を避けてるのも、あなたに悪いと思ってるからで…」

「やめてください!」

 叩きつけるような私の声に、彼女は一瞬口を噤んだ。しかしそれは言葉を失くしたとか、そんな殊勝なものではない。私に打撃を与えることができたことから生まれる、少しの余裕だ。



「…何であなたに…そんなことが分かるんですか…」

 目線を逸らし気味に言った私を、彼女の方はまっすぐ見据えているのが分かる。そうしてまたクスッと笑みを漏らすと、「だって」と高めの声が続けた。



「ユキが本当に今でも好きなのは、私だから」

「……そんなこと…っ」

「本当よ。その証拠に、結局ユキは私に会いに来てくれたもの」



「………え…?」




 目を見開いて零した声が、私の唇から落ちた。激しく反論しようとしていた口からは、驚きの余り何も出てこない。



「昨日の夜、ようやくユキが私に会う気になってくれたの」

「……嘘…」

「嘘じゃないわ。あなたからの着信も、全部気づいていてもユキは一度も出なかったもの」

「!……」



 それが嘘だとはさすがに思えなかった。私が何度か昨夜先生の携帯に電話したことと、それに先生が出なかったことは、本人以外知らないはずだから。




『先生、昨日何回か電話かけたんだけど…忙しかった?』

『昨日は帰ってそのまま寝ちまったから…気づかなかったな。悪ぃ』

 さっき交わしたばかりのはずのそんな会話が、鮮明に思い出される。その時の先生の落ち着いた声を思い出せば思い出すほど、私の頭の中は逆に真っ白になっていくようだった。



 そして思い出す、茜と話していた時に自分が考えていたこと。

 私は今の状況を、『私の知らないところで2人が会っているわけでもないし、今気を揉んでも仕方がない』と思っていた。


 …でも、現実は……。






 焦点の合わない目を見開かせたまま動けなかった私に、由香子さんが「和美ちゃん?」と白々しく声をかける。

 その透明感ある声すら今は聞きたくなくて、私はそのまま耳と同時に自分の心も閉ざしてしまった。







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