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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
71/152

11


「和美ぃ、ごめんね付き合わせて」

 申し訳なさそうに言う智子が、レジの方から戻ってきながらそう言う。男物の小物を売っているその店内で、手近のパスケースを眺めていた私は、その声に顔を上げた。目が合った智子は、今買ってきたばかりの袋を少し掲げながらすまなそうに笑う。



「ううん、大丈夫だよ。どうせ今日ヒマだったし」

 答えながら踵を返して、智子と並んで店を出た。ショッピングモール内に並んだそのお店は、智子の彼氏の裕貴くんとよく来る場所らしい。



「ヒマ…って、本城と一緒にいたんでしょ?」

 尋ねる智子が、少しだけ目を丸くする。

「うん、いたけど…ちょうど先生が仕事を思い出したって言って学校に戻るところだったから、どうせそこで別れることになってただろうし」

「そっか、邪魔したんじゃなかったんなら良かった」

 どこかホッとしたような表情を浮かべる智子に、私は逆に少し眉を寄せて横目で彼女を見る。その視線に気づいた智子は、「…何?」と少し引き気味に首を捻った。



「それより、智子の方が問題だよ。裕貴くんの誕生日が今日だってこと忘れてたって…ひどくない!?」

「…うっ、いやぁ…付き合いもこう長くなるとね…」

「言い訳しない!待ち合わせ、間に合うの?」

 部活のはずだった裕貴くんと急に今日会えることになったらしい智子だけれど、なんと今日が彼の誕生日だということを思い出したのは待ち合わせの約束をした後だったらしい。

「うん、大丈夫大丈夫。プレゼントも和美のおかげでいいの買えたし、何かお礼にお茶でも奢るわ」

「ケーキ付けてくれたら裕貴くんには黙っててあげようかな」

「……足元見るなぁ」

 冗談で言った私の言葉に、智子もふざけて嫌そうな顔をしながら応じる。それでも智子は自分のおススメだというケーキ屋さんの方へ向かって歩き出した。




 智子が裕貴くんとよく来ると言っていたそのケーキ屋さんは、2人によく似合いのかわいらしい雰囲気のお店だった。私は入ったことがなかったけれど、確か茜もこのお店が好きだと言っていたはず。

 明るい店内の中はほどよく人が入っていて、流れるボサノヴァの音楽が心地よく耳を打った。


 窓側の席に智子と向かい合って座ると、かわいい店員さんが水を運んできてくれる。これもまた安くておススメだというケーキセットを私の分まで注文して、智子はそれから話を戻した。



「それで?今日不動産屋行ってきたんでしょ?どうだった?」

「あぁ、うん。1件いいところ見つけたよ。2LDKで新しめのマンション」

「しかし普通彼氏の家選びに2人で不動産屋行く?夫婦じゃあるまいし!」

「あぁ…うん、向こうの人も微妙なリアクションだったよ初めは」

 笑いながら言うと、智子も苦笑いを浮かべる。不動産屋のお兄さんも、初めは私の扱い…というか何と呼ぶべきかと迷っていたみたいだった。それを思い出しては何となくおかしくなって笑ってしまう。



「それにしても本城、一人暮らしなのに2LDK~?ピアノ置くのと和美が来ることを考慮しても広くて贅沢すぎじゃない?」

「あーうん…私のことはあんまり関係ないと思うけど……。先生、狭いところダメなんだって」

「へ?」

 私の言葉に、智子が思い切り変な声を返す。

「だから、例えば出張の時のビジネスホテルのシングルルームとか…?息が詰まって苦しくなるから嫌だって」

「どんだけお坊ちゃんだあいつは!」

 智子がそう悪態ついた時、ちょうどウェイトレスさんが紅茶とケーキを運んできてくれた。急に声を上げた智子にビクッとしたウェイトレスさんに、私と智子は苦笑いを浮かべながら「すみません…」と謝る。同じように笑った彼女は、「ごゆっくりどうぞ」と言うとクルリと踵を返した。



 運ばれてきたケーキは今日のお店のおススメらしく、レアチーズケーキの上に3種類くらいのベリーが乗っていて見た目もかわいらしい。

 こういうのを、「食べるのがもったいない」とよく女の子が表現するんだろう。ただし、本当にそう言って食べづらそうにしている人を見たことはないのだけれど。



「おいしぃ~」

「でしょ?」

 一口食べて思わず頬をほころばせた私に、智子はどこか得意げにウィンクして見せた。智子と裕貴くんのようなかわいらしいカップルならともかく、私と先生じゃ絶対にこんなお店は来ないだろう。

 何より、先生に似合わない気がする。こんな甘い匂いのするふんわりした空気のお店に先生がいるところを想像しただけで何だかおかしく思えた。

 妙な想像をしたせいで吹き出しそうになった私を、智子が「何、気持ち悪いなぁ」と眉を顰める。



 そんな智子と他愛もないおしゃべりをしながらケーキを食べ終える頃、テーブルの上で智子の携帯電話が細かく振動した。どうやらそれは裕貴くんからのメールらしく、それを開いた智子は文面を読んで大きく目を見開いていた。

「何?」

 尋ねると、少し慌てた様子で智子が画面を見せてくれる。そこには、もう裕貴くんが待ち合わせ場所にいることが書かれていた。



「やばい…!!17時って言われてたのを、私19時と勘違いしてたみたい!!!」

「早く行ってあげなよ…ホントに智子、裕貴くんとのことになると抜けてるんだから…」

 しっかり者の智子にしては珍しいことだけれど、それだけ裕貴くんには甘えられるということなのかもしれない。私のことは気にしなくていいから、というように手で促すと、智子は慌てて紅茶を流し込んで席を立った。



「ごめん!和美!!また埋め合わせする!!」

「いいよー、このケーキで十分だよ」

 伝票を持って立ち上がった智子に、私は笑って言う。それより早く行ってあげて、というと、智子は少しだけ笑ってお店を出て行った。




 …さて、私はどうしようか。



 家に帰れば夏休みの課題はたくさんあるし、読まずに溜まった雑誌も本もある。やりたいことはたくさんあるけれど、とりあえず鞄の中から携帯電話を取り出した。

 右手で残りのケーキをフォークで口に運びながら、左手の指で携帯を操作する。カチカチとボタンを押して呼び出した電話帳の画面から、発信ボタンを押した。




「…あれ、出ないなぁ」

 長めのコール音の後、私は吐息まじりに通話を切る。相手はもちろん先生で、呼び出し音はするけれど留守電設定はされていないようだった。恐らく、あの彼女が先生の携帯にメッセージを残さないようにするためだろう。




 もしかしたら、まだまだ仕事が忙しいのかもしれない。今日のところは諦めることにして、私は残ったアールグレイを飲み干して席を立った。




******



 その翌日はまた補習がある日で、ただし私が楽しみな化学ではなかった。その日は古文の日で、まさに私の苦手科目。これに関しては自主参加ではなく、私の場合成績で強制参加だった。何せ期末テストも赤点ギリギリだったから仕方がない。



「化学は常に90点台なのになぁ。和美って典型的な理系人間だよね」

 補習を終えた後の由実の呟きに、智子がニヤっと笑う。

「それを言うなら理系だからじゃなくて本城の科目だからじゃないのー?実際高校入学したばっかりの頃って、和美化学も成績悪かったじゃん」

「うーるーさーいー」

 古文のテキストで智子の頭をポンと叩いて、私はそのままそれを開いた。見るだけでうんざりしてしまう文字を眺めながら、これはもう体質的に受け入れられないんじゃないかとさえ思う。



 ため息まじりにテキストを鞄の中にしまい始めた私に、智子が大げさに頭を抑えながら「そういえば」と言葉を継いだ。

「結局、昨日あの後和美はどうしたの?本城とまた会ったの?」

「え?あ、ううん。結局連絡つかなくて」

「そうなんだ」

「うん、だからちょっとこれから顔出してくる」

 立ち上がった私に、智子も由実も「行ってらっしゃい」と手を振る。茜だけが同じように慌てて立ち上がり、「あ、じゃあ私も」と言った。

「ちょうど物理の先生に用事があるから、途中まで一緒に行く」

 そう言った茜と並んで、私は教室を出る。




「先生、大丈夫そう?」

 長い廊下に出たところで、不意に茜がそう尋ねてきた。

「え?」

 聞き返して横に並んだ茜を見ると、彼女は少し心配そうに眉を寄せていた。

「ほら…色々大変だって聞いたから」

 由香子さんからの電話のことなんかを言っているんだろう。少し語尾を濁した茜に、私は「あぁ」と頷いた。

「うん…精神的にキツイことに変わりはないと思うけど…」

「そうだよね」

「うん、だから昨日連絡取れなかったのもちょっと気になって…。様子見てくる」

「そうだね」

 ニッコリ笑った茜の笑顔に、「大丈夫だよ」と励まされる気がする。そんな茜はやはり人を気遣える性格らしく、今度は「和美は?」と尋ねてきた。



「ん?」

「和美は、大丈夫?」

 茜の言葉に、私はわずかに微笑み返す。

「大丈夫だよ。私が気に病んでも仕方がないし」

「でも…昔の彼女とか、本当は嫌でしょ…?」

 少しだけ遠慮がちに言って、茜はまた心配そうにかわいい顔を歪めていた。




 私は、先生が昔付き合いが広かったという話を聞いていたから、過去については気にしても仕方がないと思っていた。

 それを承知で好きになったわけだし、付き合うことにもなったわけだし。過去を過去と受け入れて、それに嫉妬をするほど子どもではないつもりでいた。



 だけど…本音を言うと、由香子さんのことは話が別だ。

 先生が、唯一本気で好きだった人。遊びで人と付き合うような人が、他の女の人との縁を切ってでも真剣に向き合った人。

 ……気にしたことがないと言ったら、うそになる。

 ましてや、向こうが接触を図ろうとしてきている今となっては尚更だ。



「うん…でも、大丈夫」

 茜に笑って返して、私はそう答えた。まだ、彼女が先生のことを忘れられずに連絡を取りたがっているだけ。私の知らないところで2人が会っているわけでもないし、今気を揉んでも仕方がない。




 笑って答えた私は、そこで化学準備室の近くまで来たことに気づいて茜と別れた。物理教師のいる部屋はこの奥で、茜はそのまま歩いていく。それを見送ってから、化学準備室のドアをノックした。

「どうぞ」

 いつも通りの低めの声が返ってきて、私はそのドアをゆっくりと開けた。




「…誰もいない?」

「あぁ、今はな。もうすぐ相澤が来ると思うけど」

「……何しに?」

「何か打ち合わせしたいことがあるって……って、お前、何変な想像してんだ」

 仕事だ仕事、と付け足して、先生は苦笑いを浮かべる。



 そりゃあ私のクラスの担任をしてる先生と、副担任をしている相澤先生では仕事上の絡みも多いだろう。だけど、相澤先生が本城先生のことを好きだと知っているからこそ面白くないと思っても仕方ないと思う。



 それでもそれを先生に言ったって、どうしようもない。

 だから話を変えようと、私は再び口を開いた。



「先生、昨日何回か電話かけたんだけど…忙しかった?」

 尋ねると、先生は書類に落としていた目線をわずかに上げる。

「あー…マジで?昨日は帰ってそのまま寝ちまったから…気づかなかったな。悪ぃ」

「ううん」

 疲れていたのかもしれない。

 あと、由香子さんからの着信にうんざりするようになってから着信履歴をチェックしたりはしないのかも…。

「何か用事だったか?」

「ううん、大丈夫。かけてみただけだから」

 言って、私は鞄を持ち直した。それを見た先生が、わずかに眉を上げる。

「帰んのか?」

 聞かれて、私は曖昧に笑って返した。



「うん…だって相澤先生と鉢合わせるのも嫌だし」

 それで何か勘ぐられるのも嫌だ。ただでさえ、相澤先生は私が本城先生のことを好きなのに気づいているし。



「夜メールしまーす」

 笑って手を振ってから、私はドアの取っ手に手を伸ばす。それに片手を挙げて先生が応じてくれたのを見てから、来たばかりの廊下へと再び躍り出た。




「…さて、じゃあ帰ろうかな」

 明日も古文の補習はあるし、課題も残ってる。帰ってそれを片付けることにして、私はそのまま昇降口へと向かった。




 8月上旬のその日は雨が降らない記録を何年かぶりに更新中で、うんざりするほど暑かった。途中で校内にある自販機で買ったミネラルウォーターを頬に当てると、ひんやりとした冷たさが心地よい。ただし、それもすぐにぬるくなってしまうのだろうと思う。




 一刻も早く駅にたどり着きたいと思うのは、この時期の学生なら誰もが思うことだろう。冷房の効いた電車に飛び乗りたくて、私は少しだけ小走りに校門を抜けた。

 だけど、そこで足を止めてしまう。駅へ続く道の歩道に、この暑い中立っている人がまっすぐにこちらを見つめていたからだ。



「……?」

 この暑さの中、汗もほとんどかいていないように見えるその人はどこか異質だった。炎天下の中立っているはずなのに、涼しい顔でこちらを見ている。



「…あの…」

 何か、と言いかけたその瞬間、私は思わず息を飲んだ。




 言葉では言い表せない…けれど、直感的に気づいてしまったからだ。



 私を見つめるその人は…この真夏に不似合いなほど真っ白な肌をした透明感ある女の人。背はそれほど高くなく、多分私と15~20センチくらいは差がありそうだった。

 美人というよりは、すごくかわいらしい人。どこか儚げで…男の人なら、守ってあげたくなるような。




 …だからだろうか、名前を聞いてもいないその女の人が「誰なのか」分かってしまったのは。



 息を飲んだ私を見て、彼女は日傘の下でニコリと笑ってみせた。

 この世の穢れも何も知らないような…純真そうな、清楚な笑み。少し上目使いの目線は、私じゃなかったら誰もが魅了されるに違いない。




「少し…お話したいんだけどお時間もらえますか?」

 確か今は30歳くらいのはずのその人は、どう見ても20歳くらいにしか見えないかわいらしい雰囲気だった。それでも高いその声は、とても落ち着いている。

 その声に返す言葉がなかなか出てこないまま、私は思わずゴクリと唾を飲んだ。



 私の緊迫した空気を破るように、彼女はもう一度笑う。それから、「はじめまして」と首を傾けながら言った。

 甘く優しいその声が、私の予想通りの言葉を継ぐ。




「藤枝由香子です」






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