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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
70/152

10 side:Yukisada


「やけに機嫌良さそうだな、今日は」

 書類を持ってくるフリをして化学準備室に来た貴弘が、どこか呆れたような口調でそう言った。

「…は?どこが」

「なんとなく」

 眉を顰めて返した俺に、貴弘は肩を竦めながら応じる。単なるヒマ潰しに来たらしいあいつは、当たり前のようにその部屋の椅子に偉そうに座った。



「昨日白石と話できたんだろ?その様子じゃ」

「礼は言わねぇ」

「いや言えよそこは、人として」

 勝手知ったるようにここのコーヒーメーカーでカップにコーヒーを注いだ貴弘は、一口それを啜って熱さに眉を顰める。戸棚にファイルを戻しながらそれを横目で見やってから、俺も同じように肩を竦めて返した。



「で?今日は休みじゃなかったっけ?」

「あー、午前中不動産屋回ってる間にやり残した仕事思い出した」

「何だそれ。引越し先は見つかったのかよ」

「何とか」

 午前中に行った不動産屋で、紹介された中で希望に合致しそうなのは2件しかなかった。そのうちの一つを白石がやたら気に入っていたので、不動産屋にも強く勧められた。断る理由もなかったので、その部屋で審査が通るか待ちの状態だ。2LDKのマンションで今より広めだし、場所も駅からそれほど遠くなくて申し分ない。何より学校からは遠くなるので、白石が来やすくなるのも事実だ。



「で、そういや白石は?」

「ちょうどさっき友達から呼び出しがあってそっち行った」

「あいつ結構顔広いよな」

「まぁな」

 その中で、俺とあいつが付き合ってることを知っている人間はどれだけいるんだろう。ふとそう思ったけれど、あいつのことだ。いつもの3人以外にはほとんど話していないに違いない気がした。




「…で、あっちはどうなった?」

 不意に貴弘が、少し遠慮がちに再び口を開く。恐らく、本当は一番聞きたかったのはそこだったんだろう。尋ねる貴弘の言葉にわずかに眉を持ち上げて、俺は首を振った。



「今んとこあれから何もねぇな」

「俺が怒鳴ったから引いたのか…?やけにあっさりだな」

「だといいけど…こうぱったり止むと逆に不気味…」

 俺が、そう言いかけた時だった。



 机の上に放り出してあった携帯電話が、低い振動を伝えた。その小刻みな震えのせいで、少しずつ机の上で携帯が動く。いつも通りのそんな何てことはない光景も、今の俺にはどこか不気味に見える。



 今日はそもそも、ケイコから今度のライブについて電話があるはずだった。だから電源を落としはしていない。てっきりその電話だろうと思って携帯を拾いあげた俺は、画面に映った文字に思わず硬直した。



 ……申し合わせたかのようなタイミングだった。


 俺の携帯に登録していないその番号は、嫌でも覚えている。あいつのものだ。着信拒否してもすぐに番号を変えてくるので、今はもう面倒くさくて拒否もせず放置していた。




「藤枝由香子か」

「……」

 無言で俺は、携帯を再び机の上に放り投げる。今日は、さすがに貴弘もそれを取り上げようとはしなかった。2人して厳しい顔つきで、それを睨むように見据えてしまう。



「仕事中までこれじゃたまったもんじゃねぇな」

 不機嫌そうに言って、貴弘は辟易したように顔を歪めた。ため息まじりに小さく頷いた俺のすぐ傍で、その携帯は途切れたり着信を受けたりを繰り返す。



「警察…に行っても無駄だしな、この段階じゃ」

「だろうな」

「何なら俺がもう一回怒鳴ってやろうか」

「…いや、いい」

 恐らく貴弘に何を言われても…由香子に効果があるようには思えない。昨日のようにその時は泣き崩れたとしても、きっとすぐに矛先は俺に戻るはずだ。



 何とかしなきゃいけないのは、俺自身だった。今までは無視するのがベストだと思っていたけれど、ここまできたらそうもいかない。何より俺は…昨日の白石の言葉に救われたから。



『私は負けませんよ、こんなことで』

 俺の勘違いかもしれない。でも、2人でなら立ち向かえると言われた気がした。そんなあいつの強さに救われた今、そう言ったあいつのためにももう由香子を無視するのは得策ではないと思う。




「………」

 目の前の携帯電話が、しつこく鳴り続ける。それを見下ろしていた俺の頭上で、ちょうど校内放送が流れた。電話だかなんだかで、貴弘を呼び出す放送だ。

 由香子からの着信と俺の様子を気にしながらも腰を上げたあいつは、ためらいながらも部屋を出て行った。




 それを見送って、俺は尚も鳴り続ける携帯にゆっくりと手を伸ばす。




「……はい」

 これまで無視し続けてきた通話ボタンを押して、俺はいつもより低い声でそう応じた。




******



 ずっと出なかった俺が電話に出たことが意外だったのか、携帯の向こう側で由香子が一瞬声を失ったのが分かった。

 でもそれも刹那のことで、すぐに持ち直す。

『ユキ…』

 呼びかけてくる声は数年前より少し疲れているようにも聞こえた。



 そのせいか、ちょうど思い出す。由香子の声を当時最後に聞いたのも、あいつが俺を必死で呼ぶ声だった。呼び方すら変わらないそれに、どこか寂寥感に似たものを感じたのは当時の胸の痛みを思い出したからだろうか。



「…もう、電話してくるなって言ったよな」

 着信地獄に苛まされた一番初め…一度だけ出た電話で、俺は確かにそう言った。ただあの時はここまでひどくなるとは思っていなかったし、今更何だという思いだけだったから由香子の話を聞こうという姿勢は全くなかった。

 話し合おうという気もなかった。ただ、無視するのが一番いいと思っていたからだ。



『でも、出てくれたじゃない』

 どこか甘えるような声は、あの頃と変わらない。ただ違うのはひどく冷え切ったこの心が互いの距離を感じさせるだけだった。

「それはお前が全く電話かけるのをやめてくれないからだ」

 怒鳴るだけなら誰にでもできる。今の由香子にそんなものは通用しないと知り、俺はできるだけ冷静に言葉を選んだ。

『だって、ユキが私の話を聞いてくれないから』

「…じゃあ言ってみろよ。話ってなんだ」

 譲歩するように低い声で言うと、由香子は少しだけ向こう側で笑ったようだった。俺の頑なな態度と声に、苦笑を漏らした感じだ。



『会って話がしたいの』

 …来ると思った、そのセリフ。だけどさすがの俺も、そこまで譲る気は毛頭なかった。会う必然性が感じられない。…いや、むしろ会えば事態は悪化すると分かっていたからだ。



「…悪ぃな、会ってまでお前と話をする気はねぇんだ」

『……ユキ、いつからそんなに優しくなったの?』

「……え?」

 由香子の言葉の意味が分からず、俺は眉間に皺を寄せて思わず携帯を握る手に更なる力をこめてしまっていた。



『私に会わないのは、彼女に悪いから?随分大事にしてるみたい』

「……」

『私と付き合ってる時は、ユキはそんなに優しくなかった』

 少しだけ硬くなる、由香子の声。「そんなことない」とはさすがに、白々しすぎて言えなかった。



『…分かった。じゃあ会わなくてもいい』

 やがて、今度は由香子の方から譲歩したような言葉が漏れる。静かな声は穏やかというよりもやはりどこか不気味だった。



 随分と、あっさり引き下がったように思う。手近の椅子に座り直しながら、俺は由香子の言葉の続きを待った。




『ユキの彼女、とっても美人さんね』

「……?」

 あいつは、そう急に話を変えた。映画館で見かけた、と靖子さんが言っていたから、俺はその時のことを言ってるんだと思った。一瞬首を傾げかけた俺の耳に、由香子の続ける言葉が響く。



『青系の服が似合うのね。私は似合わないから羨ましい』

「………おい……?」

『うーん、でも今日のスカートだったらピンク系のTシャツでもかわいかったかもね』

 その言葉に、俺は目を見開いた。慌てて記憶を遡り、不動産屋に行った後別れた白石の私服を思い出す。




 確か、短めのスカートに淡い青系のTシャツ…だったはずだ。



「由香子、お前……」

『大丈夫よ。今同じ店内にいるだけ』

「!……っ」

『…早く会いたいなぁ』

 一度言葉を切った由香子が、クスッと電話の向こう側で笑みを零した。




『ねぇ、ユキ?』




 どこか甘えるような声に、俺は逆に背筋をゾッとする何かが走るのを感じる。ゴクッと息を呑むと、乾いた喉から返す声はなかなか出てきそうになかった。







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