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Sweet&Bitter  作者: みずの
降っても晴れても。
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3 side:Kazumi


 その日は一日、なんだか落ち着かなかった。シュークリームを無事受け取ってもらえて満足だったはずなのに、その一大イベントが終わっても過度な緊張からか胸がドキドキしたままだ。

 息苦しくなりそうなほどのそれに何度か大きく深呼吸をしていると、目の前にいた智子が意味ありげに笑った。こちらの胸の内はお見通しなんだろう。



「和美はさぁ、本城のどこが好きなの?」

 放課後になって教室で雑談をしていた時、智子がふとそんなことを聞いてきた。HRを終えてからかなりの時間が経ってしまっているため、教室にはもう他に誰もいない。誰に遠慮することもなく、智子の声のトーンは通常通りだ。

「『どこ』……?うーん…」

 一口に言えと言われても、きっと言葉になんてできない。困ったように眉を寄せて、私は首を傾げて見せた。



 声が好き、長い指が好き。たまに見せる笑った顔が好き。

 けだるそうに煙草を吸う仕草とか、生徒にこわがられている割には実は生徒思いなところとか。そして何より……。



「キレイに泣く人だなぁ、と、思ったんだ」

「……え?」


 小さく呟くように答えた私の言葉を聞きとがめて、智子が眉をひそめる。

「泣いたの?本城が?」

 驚いたような声に尋ね返されて、私は苦笑いを返した。

「結果的には、『泣いてるように見えた』だけだったんだけどね…」

「いつ?」

「去年の入学式前の春休み」

「そんなに前から好きなの?」

 意外そうに、智子は今度は目を見開く。恐らく、私が先生のことを好きになったのはそれほど前ではないと予想していたんだろう。



「うん。入学式前に…春休み中に、学校が見てみたくなったの。どんな風に部活してるんだろう…とか、少し覗くだけの気持ちで見に来たんだ」

「へぇ、知らなかった」

「制服も着てなかったし、学校の外側からグラウンドとかを覗いて…それから、帰ろうと思って学校の裏手にある公園の前を通った」

 桜並木のキレイな、少し広めの公園だった。遊具もなく、ベンチが数個しか置いてないために遊んでいる子どもはいなくて…。そこにいたのは、吸われないまま燃え尽きそうな煙草を指に挟んだままの…哀しそうな顔をした男の人だった。



「哀しそうなのに不謹慎だけど…泣いている横顔がキレイだと思った。それで…気づくと、声をかけてたの」

「それが本城?」

「……うん。振り向いた先生は実際は泣いてなくて…私にそう見えただけだったんだけど…」

 切なそうな目で桜を見上げていた先生は、ゆっくりとこちらを振り返った。泣いていると思い込んでいた私は…相当的外れなことをたくさん言ったと思う。だけどそれでも…何とかしてこの人を慰めたい、と思ってしまったんだ。


「訳のわからないことを言って励まそうとする私に、先生は苦笑してた。それから、少しだけ話をして…そのまま別れたの。だから、先生は私のことなんて覚えてないと思う。私も、まさかここの教師だなんて思ってなかったから…」

 それでも、私は覚えていた。…いや、覚えていたというよりは…そんな一瞬で、私は彼に堕ちてしまっていたんだ。

 もう一度会いたい、という想いは叶ったけれど、あの日のことを本人に確かめる勇気はなかった。



「何で?本城も覚えてるかもしれないじゃない」

「制服着てなかったし、ここの生徒だと思ってなかったと思う。それに…入学してから見た先生は全くあの日とは違ってて…」

 かなりの美形だけれど強面で、冷たそうな雰囲気からか生徒には怖がられている。あの日見た先生が、先生自身の弱い本当の姿だったんだとしたら…彼はそれを見た私に会いたくはないかもしれないから…。



「…そういうものかなぁ」

 解せないというように、智子はわずかに首を捻る。それに苦笑いを返して、私は今でもはっきりと思い出せるあの日の先生の横顔を反芻していた。




******



「あれ、白石?」

 バイトの時間が近くなった智子とはそのまま教室で別れて、私は昇降口へ向かって廊下をトボトボと歩いていた。

 後ろからふと声をかけられたのは、階段を下りようとした頃だった。振り返ると、そこにはいつも部活でお世話になっている都築先輩がいた。今日は部活がないのに遅くまで残っていたんだなぁ、と、自分のことを棚にあげて彼を見上げる。


「さっきはありがとう、うまかった」

暗に昼休み中に渡したシュークリームのことを指して、先輩はそう言ってニッコリ笑った。相変わらず爽やかな笑顔だった。

「いいえ、いつもお世話になってますから」

 笑って返すと、先輩はふと私が手にしている鞄に視線を落とす。

「白石、今帰るとこ?」

「え?あ、はい」

「じゃあ駅まで一緒に行っていい?」

「え?…あ、はい…」

「やったぁ。待ってて、鞄取ってくる」

 子どものように無邪気な顔で笑うと、先輩はこちらの返事を待たずに踵を返して走り出してしまった。


 断る理由も特になかったので、仕方がない。ふぅ、とため息を漏らしながら、待っているしかないので近くの壁に背をもたせかけた。



 もうほとんどの生徒が下校したか部活中で、校舎は静かなものだった。吹奏楽部の楽器の音だけが響くだけで、それ以外に音はほとんどしない。

「でさぁ、実際はどうなわけぇ?」

 …だからこそ…あの人たちの声が響いて聞こえてきてしまったんだ。



「何が?」

 階段の下から、何人かの足音と声がする。何事かを尋ねられた女子生徒が、とぼけるように聞き返しているのが聞こえた。

「あの噂よぉ。あんたが化学の本城と付き合ってるって噂!実際はどうなの?」

 出てきた名前に、私は思わず顔を上げる。それでピンときた。そこにいるのは…「あの」菅原先輩だ。


「またその話ぃ?」

「だって、舞ってば全然教えてくれないんだもん。友達でしょー」

「でもーぉ、本当のこと話しちゃうとユッキーにだって迷惑かかるかもしんないし」

 続いた菅原先輩(舞という下の名前は初めて知った)の言葉に、私は思わず目を見開いた。


 ……それって…つまり……。



「なになにっ?じゃあやっぱりホントなのー??」

「本城ってとこが微妙だけど…教師と付き合うなんてやるじゃん、舞」

「もっと早く教えてよねー、友達なのにさぁ」

 3人ほどいるらしい友達が、まくしたてるように盛り上がっている。それに「まぁね」と満足そうに笑っている菅原先輩の顔が…見えた。階段を上ってきて、私の視界に現れたからだ。



「…菅原先輩」

 気づくと、自分でも無意識のうちに呼びかけてしまっていた。後のことなんて考えてない。どうする気かなんて自分でもわからなかった。ただ、そのまま素通りさせるわけにはいかなかった。



「誰、あんた」

 菅原先輩の取り巻きの一人が、目を細めて私を睨む。こちらの只ならぬ雰囲気が分かったからだろう。

「菅原先輩に、お話があります」

 あくまで冷静に、私は菅原先輩を正面から見据えた。



「……」

 私のことを頭からつま先までを無遠慮に眺めて、菅原先輩は後ろにいる友達を振り返る。

「先に行ってて。後から行くから」

「……分かった」

 何かを言いかけた取り巻きたちも、仕方なく譲歩した。私をも追い越して、そのまま階段を上がって行ってしまう。



「……で?」

 残った菅原先輩は、私をまっすぐ睨みすえた。

「怖い顔して…あんた誰?」

 茶色く染め上げられたパーマのかかった髪を弄びながら、菅原先輩はそう言う。

「2年の、白石和美といいます」

 臆することなく名乗って、私は彼女にバレないように深呼吸をした。先輩の方は…その私の名前を誰かから聞いたことがあったのか、少しだけ目を見開いてみせる。それから、「…ふぅん」と意味ありげに笑った。


「で?何の用?」

 短いスカートから伸びた彼女の足が、不機嫌そうに床をトントンと突く。ぐ、と改めて気合を入れなおして、私は「さっきのお話ですけど」と前置きして続けた。

「どうして、あんな嘘つくんですか?」

「…嘘?」

 思い切り眉を顰めて、先輩は繰り返す。

「本城先生と付き合ってる、なんて嘘です」

 言うと、先輩は再び私のことをジロジロと嘗め回すように眺めた。その視線に一歩も退かない決心をして、私は両足をわずかに開いて踏ん張るように立つ。

「…なるほどね」

 やがて何かを納得したように呟いた先輩は、長い髪を後ろへかきあげながら続けた。


「カムフラージュだったのは都築の方か…」

「……え?」

「何でもない、こっちの話」

 嫌味な笑みを口元に浮かべて、彼女は私を見据える。

「で、なんだっけ?ユッキーと付き合ってるなんて嘘つくなって?」

「はい」


 大きく頷いて返すと、先輩は今度は声をたてて笑ってみせた。それから、ふっと厳しい表情に戻って私を睨む。

「なんであんたに嘘だなんて分かるのよ」

 意外な言葉が返ってきて、私は思わず声を返すのを忘れて絶句してしまった。



「なんであんたが、嘘だなんて言えるの?あんたユッキーと私の何を知ってんのよ」

「……だ…って…」

 ここまで開き直るように強く言われると思っていなかったので、私は思わず口ごもる。それでも、負けたくない。…負けられない。その一心で、私は再びキッと顔を上げた。



「先生が!…そう、言ってましたから!」

 菅原先輩とは付き合ってないって……先生が私にそう言ってくれて…私はそれを信じたんだから。それを聞いた菅原先輩は、この上ないくらいに人を馬鹿にした表情をして、鼻で笑った。腕組みをして横柄な態度で…こちらを見下ろす。

「あんた、何言ってんの?」

「………え?」

「何でユッキーが、あんたなんかにホントのこと話さなきゃいけないわけ?」

「………」

「生徒と付き合ってるなんて、おおっぴらに言えることじゃないのはわかるよね?

だったら、あんたに何を尋ねられてもホントのことなんて言うわけないじゃん」

 ガラガラと、何かが音をたてて壊れていく。あの時、先生は私の言葉を…私は先生の言葉を信じたはずのなのに。それでも、あの時の先生の珍しい笑顔ですら、音をたてて崩れ去っていってしまう。



「ユッキーさぁ、高級マンションに住んでるんだけど、男の人らしいっていうか…部屋が超汚くてさぁ」

 階段の手すりに両手を置いて、菅原先輩は笑いながらそんな話をしだす。

「私が毎週末通って片付けてあげないと、大変なんだよねー」

「………」

「意外に寂しがりやだし、いっつも離してくれないし。エッチの時だって……」

「やめて!」

 気づくと左手で、思い切りガンっと手すりを叩いていた。それに一瞬目を見開いた菅原先輩が、すぐにまたニッと笑ってみせる。

「知ってる?甘い物も超嫌い。シュークリームなんてもらって、迷惑そうにしてた」

「嘘…っ」

「嘘じゃないわよ。本人に聞いてみれば?まぁ、あんたなんかに本当のこと言うわけないけどねー」

 ケラケラと笑って、菅原先輩は立ち尽くす私の横をすり抜けた。そして、横切るその瞬間…彼女はもう一度私の耳元で囁くように言う。



「あ、お願い。私とユッキーが付き合ってるって話は、内緒にしといてね」

 ニコッと笑って嫌味を言う彼女は、もう悪魔にしか見えなかった。私の心を引き裂いて、最後の最後にダメ押しをする。



「……っ」

 返す言葉なんて出てくるはずもなく、私は自分の唇を噛み締めた。


 痛みすら感じることもないほど鈍った神経で、そこにただ立ち尽くすしかなかったんだ。






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