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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
69/152


 私の携帯電話は、昨夜から一度も鳴ることはなかった。



 あんな別れ方を自分からしておいて…私も相当身勝手だと思う。だけどそんな簡単に割り切れるものでもなかった。



「……」

 センターにメールの問い合わせをするけれど、受信メールはない。その表示を見て小さく息を漏らした時、目の前で一緒にいたサクラが「何か連絡待ち?」とようやく尋ねてきた。

 おそらく、半ば無意識のうちにも一日中携帯を気にしてしまっていた私に気づいていたんだろう。彼女がそう尋ねたのは、入ったファミレスで夕食を食べる時になってだった。



「…うん…ちょっとね…。ごめん」

 苦笑い気味に答えて、私は今度こそ携帯電話を鞄の中に押し込む。それを見て、サクラの隣でもう一人、一緒に遊びに来ていたモモちゃんが小さく首を傾げた。

「別にいいのに。カズミンは誰かといる時に携帯気にしたりしないタイプだけど、皆結構そんなもんだよ?」

 ドリアをスプーンでつつきながら、彼女はそう言う。



 確かに、本来なら私は人と会っている時にあまり携帯を触る方じゃない。なんだか相手に失礼な気もするし、実際自分もやられてあまり気分がいいものじゃなかったから。それでも無意識のうちに今日の自分がそうしてしまっていることに気づいて、小さく首を振って鞄を脇に置いた。



「彼氏?」

 モモちゃんが、小さく笑って尋ねる。女の子らしいフワフワの髪を揺らして笑う彼女は、こういうわざと意地悪く笑う時はすこし小悪魔的に見える。

「うーん…まぁ…」

 濁して曖昧に笑い返したけれど、モモちゃんは「やっぱり!」とどこか感心したように声を上げた。



「噂は本当だったんだー、カズミンに彼氏がいるらしいってこの前うちのクラスの男子たちが嘆いてたから」

「……そんなバカな…」

「そういえば美術部でもそんな話してる男子いたね」

 モモちゃんの言葉に同意するように、サクラまで付け足すように言う。2人共、クラスも同じなら、部活も同じ美術部に所属している。



「いや、でも…昨日ちょっとケンカしちゃって…」

 肩をすぼめるようにして小さくなって言うと、モモちゃんはまた意外そうに小首を傾げる。本当はケンカじゃなくて一方的に私が怒っただけなのだけれど…便宜上、ここではそういうことにしておいた。

「ケンカ!カズミンも怒ったりするんだー?」

「…私結構怒りっぽいよ?」

 うなだれるように言って、私は小さくため息を漏らした。





 …そう、昨日のはケンカなんて言えるようなものじゃなかった。私が、勝手に怒っただけ。それで先生がただ困ってただけだ。



 ワケの分からないことだけ言われて…ちゃんと説明もされなくて。困惑してるのは、こっちの方だって言うのに。



 自分の身勝手さを反省していたはずが、思い出せば思い出しただけまた腹が立ってくる。でもその憤りも、電話もメールもせずに何の弁解もしてくれない先生に対するものに段々とすり替わってきている気もした。






「…本気でまたイライラしてきた」

 夕飯を食べ終えてサクラとモモちゃんと別れ、家までの帰り道を歩く。さっきまで乗っていた電車は冷房が効きすぎていて、外に出た瞬間にものすごい熱気に眉を寄せた。そんな中、私は恨みがましく小さい呟きを漏らす。その時でも、先生からのメールも着信も何もなかった。



 小さく息をついて、私は携帯電話を閉じる。

 もう今度こそ気にしない!そう心に決めて、再び鞄の中に携帯を放り込んだ。





 家に着こうという時に時計を確かめると既に21時を回る頃で、帰路に着くサラリーマンをたまに見かけることはあったけれどあまり人通りはなかった。もう後5分ほどで家に着くという頃…その時になってようやく、鞄の中で携帯電話が震えたのが分かった。

 低い振動音と共に着信を知らせるそれを、私は慌てて取り出す。気にしないと決めていたはずだったのに…自分でも苦笑が漏れた。




 だけど取り出した携帯の画面に浮かんだ文字は、その相手が先生ではないことを知らせていた。

「…もしもし」

 不機嫌さを押し殺すこともできず、私は遠慮なく低い声で応じる。電話の相手はその私の声に「機嫌悪そうだなー」とのんびりした口調で言った。



「何?もうすぐ家に着くんだけど」

『あぁ、そうなんだ?姉ちゃん帰ってくるの遅いから一応確認しようと思って。最近物騒だし』

「……なんて言っておいて、本当は頼みごとでもあったんでしょ」

 弟の祥太郎は、私の呆れたような言葉に「バレたか」と笑った。


「何?」

『コンビニでコーヒー牛乳買ってきて』

「は!?そんな用事!?」

『今モーレツにコンビニのコーヒー牛乳が飲みたいんだよね』

「って言われても、私最後のコンビニもう過ぎちゃってるし…」

 言いかけた私は、そこで思わず携帯電話を取り落としそうになった。

「……っ」

 声を一瞬失った私に気づいたのか、祥太郎が『…姉ちゃん?』と低く呼びかけてくる。

「ごめん祥!やっぱり私もうちょっと遅くなる…!」

『え!?…って、姉ちゃん!!?』

 驚いたような祥太郎の声を最後に、私は遠慮なく携帯のボタンを押した。通話を終わらせて、それを握り締めたまま駆け出してしまう。



 角を曲がってすぐに見えたその百メートルほど先に…見知った車が止まっていたから。




「………よぉ」

 邪魔にならないように停めた車の外に出てもたれかかるようにしていたその人は、走ってきた私に気づいて短くそう言った。



「……先生…」

 怒っていたはずなのに全て吹っ飛んでしまった私に、先生は小さく笑う。持っていた煙草を車の灰皿に押し付けてから、細い顎で車を指し示すように合図して見せた。




******



 先生がいつからそこで待っていたのかは分からなかったけれど、恐らく短い時間ではないだろうと想像できた。それなら一度電話でもメールでもくれれば良かったのに…。そう言うと先生は「昨日のお前だったら何言っても聞いてくれそうになかったから」と言って笑った。



 その横顔に、何か吹っ切れたような印象を受けたのは気のせいだろうか。

 …何というか…最近の先生とは違う…いつもの先生に戻ったような感じ。




「まぁとりあえず、今日は遅くなったから明日出直す」

 車を走らせ始めて言った先生の言葉に、私は「えっ」と声を上げた。車に乗ったはいいものの…このまま送ってもらったら、きっと数分もかからずに家に着いてしまうだろう。

「なんだよ、『え』って」

「だって先生…どうして今日ここに来たの?」

「……話をしようと思って来たけど…さすがに高校生連れまわせる時間じゃねぇからな」

 小さく苦笑する先生は、やっぱり教師なんだと思わされる。それはそうだろう、普通の付き合ってる男女じゃなくて私たちは教師と生徒なんだから。



 でも……。



「大丈夫です」

 言うと、先生は前を見据えたまま片眉を持ち上げてみせた。

「今日父親はまた海外出張だし、母親は夜勤だし」

「弟は」

「口止めしておきます」

 ニッコリ笑って言うと、先生は一度ため息をつく。呆れたような…それでもどこか感心したような、不思議な雰囲気で。

「お前の両親はやっぱり多忙だな」

「おかげさまで」

「それと俺は将来娘は育てらんねぇな。こんなんに育ったら心配でしょうがねぇ」

「『こんなん』って何!」

 眉を顰めて言うと、先生は今度は声を上げて笑った。そして、家の方向とは逆にウィンカーを出す。


「弟だけにはちゃんと連絡入れとけ」

 言われて、私はコクコクと頷きながら携帯電話を取り出した。








 先生が連れてきてくれたのは、七夕祭りの日に来た県立公園にある丘の上だった。今日は少し曇り気味で、あの日のようにきれいな星空は見えない。それでも言い合わせたように車を降りて、あの時と同じ場所に立った。




 そこで先生は、躊躇する様子もなく話し始めた。ここ数日に渡って、自分を悩ませるその状況を…。

 私にとっては驚きの連続で、それはどこか恐怖すら感じさせるものだった。まさかここで、先生のあの前の彼女の名前を聞くとは思っていなかったからだ。



「じゃあ、あの日映画館で会ったのが由香子さんの親友で…」

 頭を整理させながら、私は先生の言葉を繰り返すように言う。

「あの日から、由香子さんからの電話が鳴りっぱなしってことですか…?」

 尋ねると、先生ははっきりと首を縦に振った。そしてそれから、昨日のなっちゃんとの会話、その後来た靖子さんという人とのやり取りまで教えてくれる。



「…黙ってて悪かったな」

 そう締めくくった先生に、私は勢いよく首を左右に振る。それは…きっと私でも、すぐには話せなかっただろう。相手のことを思えば思うほど、巻き込みたくないと思ってくれただろう先生の気持ちは痛いほど理解できた。



「ごめんね、先生」

「……え?」

「昨日…知らずにひどいこと言っちゃって」

 私に謝られるとは思っていなかったのか、先生は少しだけ目を見開いた。それからフッと表情を崩して、小さく笑う。何か答える代わりに、隣に並んだ私にその大きな手を伸ばした。ぐいっと引き寄せられて頭をかき抱くように抱きしめられる。



「本当は、昨日貴弘とも話してたんだ」

「…え?」

「正直由香子が、お前に何をしてくるか分からないだろ?そんな状況だったら…」

 一度言葉を切った先生は、私の首元に顔を埋めるようにして続けた。

「本当に俺がお前のことを想うなら、別れた方が正解なのかもなって」

「…っ!?それは……っ」

 先生の言葉に驚きの余り、声を失う。瞬時に反論する言葉がうまく出てこなくて、私は喉を詰まらせた。



 だけど先生は、分かってるという風に首を横に振る。それから顔を上げて、今度は私の目を至近距離で見据えた。



「だけど、それでも俺はお前と別れるなんてできねぇんだ。このままだとお前を巻き込むって分かってても」

 大きな手が、私の頬を滑るようになぞっていく。私は硬直したように動かないまま、正面から先生のその目を見つめ返した。



「……悪ぃな」

 続く言葉に、私はようやく大きく首を横に振る。私のために私と別れるなんて…そんな思いやり、望んでなんていなかったから。謝られることでもない。むしろ…その道を選べないと言ってくれた先生の言葉に嬉しくて涙が出そうになったほどだった。






「…先生」

 答える代わりに、私は低く先生に呼びかける。

「私は…こんなことで負けません」

 相手が見えない何かなら怖いかもしれない。それでも今回のそれは、明らかに生身の人間なのだから。大抵のことには耐えられるし、抵抗も反撃もできないほど大人しい性格でもない。



「…たくましいな、お前」

 苦笑いを浮かべるようにした先生が、どこか感心したようにそう呟いた。





 …そう、だってきっと、辛いのは私じゃない。



 辛いのも苦しいのも先生の方だ。だからむしろ、その由香子さんの矛先が少しでも私に向けばいいとさえ思う。2人なら、きっと立ち向かえるという気がしたから。





「明日不動産屋に行ってくる」

 そう言って話題を変えた先生が、「帰るぞ」というように踵を返して駐車場の方へ向かう。

「……」

 それについていきながら、私は言葉も返せずに先を行く先生のシャツの裾を引っ張った。

「なんだよ」

 答えもせずにグイと引っ張った私を、訝しげに先生が振り返る。その目に覗きこまれるようにして、私は言いにくいことを言うように、小さく首を傾けてみせた。



「……一緒に行っちゃダメですか?」

「不動産屋に?行ってもおもしろいことなんて何もねぇよ」

 首を捻りながら答えて、先生は前を向く。さっさと歩き出してしまうそんな先生から自然と手を離してしまい、私は少しうなだれるようにしながら数歩遅れてついていった。



 やっぱり先生は分かってない。面白いことがあるかどうかじゃなくて、こんな時だから一緒にいたいだけなのに…。



「……」

 肩を落として後ろを歩いていると、いつの間にか車の前までたどり着いた。助手席側に回りこもうとした時に、ドアを開けようとした先生がわずかに下を向いたまま再び口を開く。

「明日11時に迎えに来る」

 続いたそんな言葉に、私はわずかに目を見開いた。

 だけど、先生はいつもの無表情で。むしろ私とは目線も合わせないまま、運転席に乗り込んでしまう。



 その言葉に瞬時に気分が浮上した自分は、本当にゲンキンだと思う。パァッと顔を輝かせて、何度も大きく頷いて返した。

「やっぱりいつもの先生だっ」

 助手席に乗り込んで嬉しそうに言うと、先生は「はぁ?」と顔を歪めただけだった。




 やっぱり、先生にはこういう態度でいてほしいと思う。

 そしてこんな先生とだからこそ…私はこの先に降りかかるかもしれない現実にも、立ち向かえる気がしていたんだ。





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