表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
67/152

7 side:Yukisada


 藤枝由香子に初めて会ったのは、もう何年も前の実家の縁側だった。

 大学時代、夏休みに入って帰省した時ちょうど彼女と友人が俺の実家に遊びに来ていた。藤枝由香子と、その親友・牧野靖子は父親の元教え子だった。もう既に彼女たちは社会人になっていたけれど、たまに長期休みに入ると父に会いに遊びに来ていたんだ。



『君がユキくん?』

 縁側で寝転がっていた俺に、声をかけてきたのは由香子の方だった。

『先生から聞いたの。息子さんが最近とんでもない不良少年だって』

『「少年」て年じゃない』

『そうかもね』

 声を上げて笑った由香子は、そう応じながら断りもなく俺の隣に座った。



『どうしてもっと自分を大事にしないの?どうしてそういう悲しい「人との付き合い方」をするの?』

『……』

 あんたに関係ないだろ、と言いかけた言葉を飲み込んで、俺は立ち上がった。だけどその袖を掴んで引き止めたのは、由香子の方だ。



『かわいそうな人』



 透明感ある清楚な声が、小さくそう言葉を紡いだ。




 その時は、うっとうしい女だとしか思わなかった。だけど帰省を終えて東京へ戻った俺は、そっちで由香子と再会することになる。



 社会人になって都内で一人暮らしをして働いていたあいつは、しばらくそれから俺の周りをうろちょろしていた。最初は本気でそれに嫌気がさしていたはずなのに、あいつの言葉が胸に響くようになったのはいつからだっただろう。多分、付き合うことになるまでそれほど時間はかからなかったように思う。






 俺の前でその由香子との通話を終わらせた貴弘は、怒りのあまり肩を上下させながら携帯の電源ボタンを乱暴に押した。パタンとそれを閉じると、俺に向けて投げ返す。

「………」

 無言のままそれを受け取ると、貴弘の一言が効いたのかそれまでしつこかった着信がパタリと止んだ。




「で、お前はどうなんだよ」

 由香子に対する怒りから、俺への言葉もきつめになる。鋭い口調で尋ねながら、貴弘は不機嫌そうにソファに座り直した。

「事故で自分のことを忘れてしまったはずの女が記憶を取り戻して出てきて…心が揺れたか」

「……本気で言ってんのか」

「本気でそう答えたら殴るくらいの用意はしてる」

 貴弘はそう続けると、顔を顰めて舌打ちをする。




 …由香子とは、もうとっくに終わってる。俺だけの記憶をなくして他の男と結婚した女を、今でも想っているはずもなかった。それは、数年ぶりに声を聞いたって変わらない。恐らく会って直接顔を見ても同じことだろう。

 遺恨の念が残っていないことの方が奇跡なんじゃないか。…それも、白石がいてくれなかったら無理だっただろうと思う。



「お前、もう全部ちゃんと白石に話せ」

 しばらく自分をクールダウンさせようと息を整えていた貴弘が、やがてそんな言葉を口にした。

「普段はポーカーフェイスのお前も、今回ばかりは態度に出すぎだ」

「……だな」

「白石だってかなり不安になってる」

「………」

 本来なら、隠し通せる自信もあったはずなのに。ただここ数日鳴り止まない電話の音に、精神をやられそうで余裕がなかったのは事実だ。

 一度目に誰からの電話か分からずに出てしまった時、「二度とかけてくるな」と怒鳴ったのに効果が得られなかったから余計だ。



「とりあえず、今日はここ片付けて俺の家に行くぞ」

「……何で」

「何でって…お前、さすがに今日はもう電話はこねぇだろうけど、ここじゃ安眠できねぇだろ」

「……」

「理沙なら実家に帰ってるから遠慮すんな」

「………あぁ」

 荒れ放題の部屋に散乱したものを拾い上げながら、貴弘は率先して片づけを始める。それに習うようにビール缶をゴミ袋に投げ入れながら、俺も久々に部屋を片付けた。



「で、引っ越すのは本気なのか」

 手は止めないまま、貴弘がそう尋ねてくる。ちょうど賃貸情報誌を手にしたかららしい。その数冊を束ねて本棚に戻している。

「学校から離れた方が白石が来やすいのも本当だし、ピアノを買おうと思ってんのも本当だ」

「…でも、藤枝由香子がここに来ちまった時に白石と鉢合わせないように…ってのもあるんだろ?」

「鉢合わせないように…っていうよりは…」

 一度言葉を切って、俺は小さくため息を漏らした。



「正直俺は、由香子は今かなり病んでると思ってる」

「…だろうな、あんだけ電話攻撃するのは普通じゃねぇよな」

「矛先が白石に向かうのだけはごめんなんだ」

「なるほど」

 だからしばらく来るなって言ったのか、と、貴弘は頷きながら納得する。

「…それも全部ちゃんと説明する」

「おぅ、そうしろ。あいつ珍しく相当怒ってたぞ」

「…だな」

 多分白石に怒鳴られるのは初めてじゃないはずだ。だけど、あんな聞く耳を持たないような怒鳴り方をされたことはなかったはず。

「…まぁ、俺の自業自得だ」

 明日は会えないと言われたけれど、夜になれば帰ってくるだろう。何とか会う方法を算段しながら俺は自嘲気味に呟いた。




 小一時間ほどして、部屋はいつも通り整頓された。「悪かったな」と貴弘に呟けば、あいつは「全くだ」とニヤッと笑う。

「帰りにちょっと高いビール買ってこうぜ。お前のおごりで」

「……ちゃっかりしてんな」

 貴弘の言葉に苦笑いをして、あいつの車の鍵をテーブルの上から拾い上げた時だった。




「……何だ?」

 部屋のインターホンが、鳴らされる音がした。もうすぐ日付の変わりそうなこんな遅い時間に…と首を捻りかけたが、ある予感が胸をよぎって思わず貴弘と顔を見合わせた。

 あいつも同じことを思ったんだろう。俺を片手で制止してから、自分が玄関の方へと向かう。



「……っ」

 ドアの覗き窓から外を見た貴弘が、一瞬言葉を飲んだのが分かった。そのリアクションに、俺の悪い予感が当たったのかと思った。だけどそれとは逆に、貴弘は次の瞬間にはドアノブに手をかけて勢いよくそれを開く。

 …由香子がここへ来たんだったら、決して開けはしないはずだ。



「……ユキくん、いる?」

 扉の向こうにいた人物は、貴弘を見てすぐにそう言った。

 真夜中なのに色の濃いレンズの眼鏡をかけたその人物は、その眼鏡を外しながらどこかけだるそうに尋ねる。


 その声に、聞き覚えはあった。女にしては長身のそのスタイルも、覚えがある。ただ昔と違うのは、長かった髪がボブに短く切りそろえられていたこと。



「……靖子さん…」

 由香子の親友の名前を、俺はこの時何年かぶりに口にした。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ