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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
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「あーぁ、完全に潰れちゃったねぇ」

 どこか呆れたような声が降ってきたのは、なっちゃんとこのお店に入って3時間ほどが経過した頃だった。

 なっちゃんに先生のことで相談をした後、それからはくだらない話を交えながら雑談していた。なっちゃんはその間結構なペースでお酒を飲んでいて、今ではすっかりテーブルに突っ伏してしまっている。



「ユキ呼んであげるよ。和美ちゃん、もう少し待てる?」

「あ、はい…すみません」

 連れてきてもらったはずの相手がすっかり眠ってしまっていることにあたふたし始めた時だったので、修司さんのそんな申し出は天の助けにも思えた。しかも先生を呼ぶにしても…私はまだいくら彼氏とは言え足に使うために呼びつけるのは気がひける。修司さんにペコリと頭を下げると、彼はニッコリ笑ってグラスを下げながら戻っていった。



「なっちゃん…ちょっとくらいセーブしてよー」

 スースーと寝息さえたてて眠る横顔にピン、とデコピンをするフリをする。私はお酒なんて飲めないから分からないけれど、どうも体調によって酔い方も違うらしい。なっちゃんは確かいつもはそれほどお酒に弱い方じゃないと聞いているので、疲れているのかもしれなかった。



「ごめんね…」

 私がプライベートな時間まで相談に乗ってもらってしまったのも疲れの原因かもしれない。そう思って呟いたけれど、当然返ってくる声はなかった。




 その日はカルテットの演奏が一組入っていたので、私は潰れたなっちゃんの隣で流れるメロディーに耳を傾けていた。そうして数曲の演奏を終えたのは、1時間くらいしてからだったと思う。

「何やってんだ、お前ら」

 さっきの修司さんと同じように呆れたような声が頭上に降り注いできて、私はバッとそちらを見上げた。



「先生…」

「完全に寝てんな、こいつ」

 ベシッとなっちゃんの頭を軽くはたきながら、先生は私となっちゃんを交互に見比べる。それに気づいて近寄ってきた修司さんが、「悪いな、ユキ」と肩を竦めて苦笑いしていた。

「俺まだ仕事あるから、送ってやれないし」

「あぁ、別にいい。悪かったな」

 言いながら先生は、ポケットの財布からクレジットカードを出す。それに慌てて自分のお財布を出そうとしたけれど、先生にも修司さんにも遮られてしまった。



「結構飲んでたのか、こいつ」

「…うーん…そうだな、いつもより少し多めだったかな」

「……ふーん」

 修司さんの言葉に、尋ねたのは自分の方なのにどこか興味なさそうに先生は相槌を打つ。それからなっちゃんのポケットの中から車のキーを取り出して、私に向けて放り投げた。

「白石、先に行って車に冷房かけといてくれ。こいつ運ぶから」

「あ、は、はいっ」

 勢い良く返事をして、私は立ち上がる。言われるままにそれを受け取って、先にお店の入口ドアをくぐった。




 なっちゃんは長身だし、運ぶのも大変だと思う。本人はすっかり眠っていて歩く気もないようだ。仕事中のはずの修司さんと2人がかりで、先生はなっちゃんを運ぶ。指示された通り先に車に戻っていると、2人は後部座席になっちゃんを投げるように押し込んだ。



「悪かったな、修司」

「いや。…和美ちゃん、じゃあ気をつけてね」

 先生には小さく首を振った修司さんが、私に向けてまたあの人懐こい笑みを浮かべる。「ご迷惑をおかけしました」と頭を下げてから、私は先生に促されるまま助手席に座った。




「…先生も、ごめんなさい…」

 運転席に先生が乗り込んだ時に、私はタイミングよくそう謝る。「何でお前が謝るんだよ」と小さく笑った先生は、乗り慣れないはずの人の車をそれでも勝手知ったるように走らせ始めた。



「仕事…終わりました?」

「ん?…あぁ…まぁな」

 歯切れの悪い返事をして、先生はウィンカーを出す。それからしばらく何かを考えるように黙りこんでしまったので、私は何となく他の話題を続けるのも気が引けてしまった。



 先生が何かを隠しているんじゃないかと思ってしまった今…何をどう話していいのか分からなくて。どうでもいいようなくだらない話題さえ、なぜかこの時は浮かんでこなかった。




 後部座席では大きな体を曲げて横になったなっちゃんがすっかり眠っている。なっちゃんさえ起きてくれていたらこんなに気まずくはならなかったかもしれないのに…。なんて、そんな八つ当たりもいいところなことを考えながら私はただ流れる風景を眺めていた。




「……白石」

 先生が、重そうに口を開いたのはもうすぐで私の家に着くという頃だった。どうやらなっちゃんより先に私を降ろすつもりのようだった。その声音がいつもと少し違って感じたので、嫌な予感がした。先生にこういう声で呼ばれる時は、大体私が聞きたい話だった試しがないからだ。



「…はい?」

 恐る恐る聞き返すと、先生はそれが分かったのか小さく息をついたようだった。少しためらうように一瞬黙りこんでから…やがてまた何かを決意したかのように言葉を継ぐ。



「…しばらく…うちで会うのはよそう」

 そう続いた声は、決して冷たさを含んでいたわけではなかった。突き放すような言い方でもない。だけど私は自分の耳を疑って、大きく目を見開いた。


「どう…して…?」

「補習のまとめでテスト続きだし、お前も昨日見ただろ。うち今片付いてねぇんだ」

「そんなの、別にいいのに…」

「俺が良くねぇんだ」

 苦笑い気味に言った先生は、赤信号に変わったのを見て静かにブレーキを踏む。そしてそれから、なだめるように私の頭をポンポンと軽く叩いた。

「代わりに、明日どっか遠出しようぜ」

「…はぐらかさないで」

「そんなことしてねぇよ」

 もう一度笑いながら、先生の手は今度はスイッと髪を撫でていく。


 何だろう…言いようのないこの違和感。



 突き放すわけではないのに…それでもこんな底知れない優しさの方が嫌だった。



「この前…勝手に行っちゃったから怒ってる?あの時は…、ちゃんと連絡しようとしてたんだけど…」

「いや、そういうことじゃねぇって」

 手を軽く振って否定して、先生は信号が変わったのに気づいて再びアクセルを踏んだ。

 前を見据えたまま、「ただ」と続ける。

「夏休みらしく、どこかに出かけるのもいいだろ」

「でも…誰かに見られたらどうするの?」

「……その時はその時だ」

 先生らしくない投げやりな言い方だった。




 ふと思い出したのは、いつか見たテレビのくだらないコーナー。

 浮気し始めた男の人は最初は優しくなる、なんて言ってたっけ…。そうだとしたら、家に来るなと言われるのも分かる気がする。でも…先生はそんな人じゃないはずだ。

 浮気をするくらい他に好きな人ができたら、私とはきっぱり別れるだろう。中途半端なことはしないと思う。




「…分かった、鍵返す」

「………だから、そういうことじゃねぇって」

 どこか困ったような呆れたような…少し不思議な表情で先生はため息を漏らした。

「っ、全然わかんないよ…っ、先生の言ってること!」

 思わず叫んでしまいそうになりながら、私はそう大声で言う。

 後部座席のなっちゃんが起きてしまうんじゃないかとチラリと思ったけれど、それに構うほどの余裕はなかった。



 先生は、肝心なことは答えずに「…そうだよな」と呟くだけ。

 それにまたカッとなりそうで、何かを言いかけたけれどそこで車が停車した。気づけばもう車は家の前に着いている。



「明日、10時に迎えに来るから」

「無理っ、私明日はモモちゃんとサクラと約束があるから」

「じゃあ明後日」

「知らないっ!」

 シートベルトのロックを手早く外して、私は勢い良くドアを開けた。それからそのまま、バタンと乱暴にそれを閉める。




 ワケの分からない言葉に振り回され、怒りと不安とで押し潰されそうだった。


 振り返ったら、絶対泣いてしまうだろう。



 それが分かっていたから、私は決して後ろは見ないまま小走りに家の門を開いた。






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