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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
64/152


 どうするのが一番いいのか、この時にはもう分からなくなっていた。先生には今、私やなっちゃんに知られたくない何かがある。それはもはや私の中では確信に変わっていた。


 だけど先生自身がそれを悟られないようにしている。私は知らないフリをした方がいいのか…それともあえて尋ねた方がいいのか、もうどうするべきか分からなくなっていた。




「飯食いに行くか。今冷蔵庫何もねぇし」

 スーツを着替えた先生は、部屋から出てきながらそう言う。小さく頷いた私に、先生はふっと微かに笑った。

「なんだよ、神妙な顔して」

「……ううん」

 何でもないかのように笑う先生。それも無理して作っている表情なのかと思うと、胸のどこかがキリと痛んだ。



「何食いたい?ちょっと遠出するか」

 お財布やら携帯やらをズボンのポケットに入れながら、先生は私に尋ねる。「何でも」と答える代わりに、私はリビングで座ったまま先生を見上げた。

「ねぇ先生」

「ん?」

 先生は、目線を逸らしたりはしない。むしろ私を見下ろす目は優しいと思う。でも…何かを隠したい余り気づいていないんだろうか?それはそれで先生らしくないのに。



「今日泊まっていい?」

「………」

 私の問いに、先生は一瞬黙った。少しだけ目を細めてから、苦笑いを浮かべる。

「他のクラスの補習でやった小テストの採点しなきゃなんねぇんだ」

「…邪魔しないから」

「そういうわけにいかねぇだろ、テスト類置いてあるところにいさせらんねぇよ」

「……うん」

 それは確かにそう…だろう。先生は前からそういうところはきちんと線引きする人だから。



 でも…やっぱりいつもなら、もっと意地悪い言い方をしたりするのに。説得して諭そうとするなんて先生らしくない。




 小さく吐息を漏らして、私はゆっくりと立ち上がった。

「先生、私ラーメン食べたい」

「そんなんでいいのか」

「都内のおいしいとこのやつ」

 ワガママっぽくわざと言ってみたけれど、先生はやっぱり「分かった」しか言わない。なんだかそれが、やけに悲しかった。






「お前体格の割にあんまりカロリーとか考えないよな」

「そうですか?」

 札幌から暖簾わけされてきたという有名店のラーメンを食べ終えて車で帰る頃、先生がそんなことを言った。

「お前らくらいの年のダイエットに精を出す女子高生は夜にラーメンは食いたがらねぇだろ」

 そう言えば智子はそんなことを気にしたりしてたっけ…。智子もどちらかと言うと細い方なのに、なんて思ったことがあった。

「私はダイエットよりおいしいもの食べる方優先です」

 笑って言うと、先生も煙草を片手に微かに笑んでみせた。




 ちょうどその時だった。

「……あ」

 鞄に入れていた携帯電話が、けたたましい着信音を鳴らした。

「…っ」

 その音が車内に鳴り響いた瞬間、私の隣で先生がビクリと大きく肩を震わせる。

「……?」

 確かにマナーモードにすることも忘れ、音量も大になったままだ。だけどそんなに反応するものだろうか…?先生のその反応に目を瞠って、思わず私もそちらを見てしまった。



「……」

 だけどすぐに、先生は無表情に戻る。前の道路を見据え直し、私には手振りで「出ろよ」とでも言うように合図した。




 開いた携帯電話に浮かんだのは、同級生の女の子の名前。

「もしもーし?」

 通話ボタンを押して出ると、向こうからも明るい声が返ってきた。

「うん、うん、いいよー。じゃあメール待ってるね」

 2,3のやり取りをして相手との通話を終わらせる。手にしていたその電話をパタンと二つ折りに閉じた途端、先生が隣で煙草の煙を吐いてから言った。



「なんで今時の女子高生の携帯着信音が普通の家電の音なんだよ」

 苦笑い気味に言う先生に、私は隣を振り返る。

「かわいくないですか?その辺の変な着メロより」

「全然。音でかいし」

「…う…ちょっとマナーモードにするの忘れてただけじゃないですかぁ」

 答えながらもう一度電話を開き、私はマナーモードにするボタンを長押しした。



 …そうか…先生がさっきびっくりしたようだったのは、やっぱり着信音の大きさのせいだったのかも。



 そう自分に言い聞かせたのは、心のどこかで嫌な予感がしたからかもしれなかった。




******



 胸の内に渦巻く不安と良くない予感は、漠然としすぎていて言葉にするには難しかった。どれも気のせいかもしれないし、一つ一つには取るに足りないことに思えたから。ただ、塵も積もれば…というか、重なりあうとどうも嫌な気分になる。違和感と不安は、深まるばかりだった。



「適当に酒と食うもん持ってきて。それとこいつにノンアルコールの」

 翌日の夜、行き慣れたジャズバーでなっちゃんはメニューも見ずにそうオーダーした。言いようのない不安を智子たちに説明するのは難しく…かといって一人で抱えるには重すぎて、誰かに聞いてほしかった。

 それでなっちゃんなら…と思って声をかけたら、ここに連れてきてくれた。内緒話をするには確かに学校よりここの方がいいだろう……けど。



「お客さん、頻繁に女子高生連れてこられると困ります」

 バーテンダー姿の修司さんが、呆れたような顔でなっちゃんにそう言った。

「私服着てたらこいつ未成年に見えねぇだろ。そもそも俺そんなに頻繁に連れてきてねぇぞ」

 連れてきてんのはユキだろ、と唇を尖らせながら言って、なっちゃんはソファに深く座る。


「大体、親友の彼女連れてくるってどうかと思うけど」

「ユキの許可は取ったから大丈夫」

「理沙は」

「知ってるよ。今日は実家に帰ってる」

「で、お前ら何しに来たの」

「密談。いいからお前は店員らしく仕事しろ」

 しっし、と追い払うように手を振ってから、なっちゃんはポケットにもう一方の手を伸ばした。それから二、三度服の上からポケットをポンポンと叩いて、そこに何もないことを思い出してから手を戻す。

 最近禁煙を始めたせいで、吸っていた頃の癖が抜けないらしい。こうしてここのところなっちゃんはよくポケットに手をやってしまう。



 奥さんが妊娠した途端に煙草を辞めようと決意した辺り、なっちゃんはやっぱりイイ旦那さんだと思う。



「で、どうした?」

 尋ねられて私は、なっちゃんにやっぱり本城先生の様子がおかしいらしいことを告げた。しかもそれを、私となっちゃんには悟られないようにしているんじゃないかということも。

「…何で?」

「……それは…分かんないけど…」

「具体的にお前は何にユキの様子がおかしいって感じたんだよ?」

「言葉にすると難しいんだけど……なっちゃん、笑わない?」

「今更?」

 鼻であしらうように笑って、なっちゃんはニヤッと嫌な笑みを浮かべた。




 取るに足りない小さな違和感を、私は一つずつ説明した。



 まず先生らしくないくらい優しいことと、先生の部屋が今までからは想像もつかないほど散らかっていたこと。そこにあった賃貸情報誌と、引越しを考えているらしいこと。

 携帯電話の着信音にこちらが逆に驚かされるほどびっくりしていたこと。口にしだすと、ポロポロといくつも零れてきた。



「…確かにどれも気のせいかもしれねぇぐらいのことだけど…」

 腕組みをしていたなっちゃんが、それをほどきながら椅子に座り直す。話の間に運ばれてきたお酒のグラスに口をつけながら、肩を竦めた。

「そんだけ重なると気になるな」

「…そうでしょ?」

 小さく応じると、なっちゃんは「うーん」と少し考える素振りをする。おしゃれな黒縁の眼鏡を指で押し上げてから、足を組みなおした。



「あと他に、何かねぇのかよ?最近あった変わったこと。すんげぇ些細なことでもいい」

「他に?……えーっと……」

 こめかみの辺りに指を押し当てて、私は記憶の糸を手繰り寄せる。何か忘れている…もっと小さなことがあっただろうか。そう思った瞬間ふと思い浮かんだのは、ある一人の女の人の顔だった。



「全然関係ないことなんだけどね」

 前置きすると、なっちゃんは小さく頷き返した。

「この前都内に映画見に行った時、携帯に電話かかってきて先生が少し離れた時があったの」

「うん?」

 相槌を打つなっちゃんの声を聞きながら、私はその時のことを必死で思い出す。

「確かあの時…私、すごく背の高い女の人に話しかけられて」

「女…?」

「『あなたが今さっき一緒にいた男の人、彼氏ですか』って聞かれた」

「……何だそれ」

 眉間に皺を寄せて、なっちゃんは首を傾げた。…それはそうだろう。私だって未だにこの問いの意味が分からないんだから…。



「ユキにそれ言ったのか?」

「うん…でも背の高い女の人ってだけじゃ誰か分かんないって…」

「まぁそうだろうな」

「昔先生と付き合ってたお姉さま方の一人じゃないかって言ったんだけど」

「そりゃねぇだろ。お前と一緒の時にそんな声のかけ方してくるめんどくせぇ女と遊んでねぇよ、あいつ」

「先生もそう言ってた」

「……あぁ、そう」

 どこか呆れたようにため息をついて、なっちゃんは肩を竦めた。それを見ながら考えていた私は、もう一つのあることを思い出す。

「あ、あと…先生のお父さんに会った」

「へぇ」

 少し意外だったのか、それまでとは声のトーンを変えてなっちゃんが興味深そうにこちらを見た。

「長野で進学校の校長やってる人だから、オーラあっただろ」

「え!校長先生だったんだ…どうりで…」

 萎縮しそうなほどの雰囲気を思い出して、私は思わず苦笑いを浮かべる。



「その時…そういえば先生、一回だけ様子がおかしかったことがあった…かも」

「?何かの話の時に?」

「うん……なんだったかな…」

 思い出そうとして、あの時の会話を頭の中で再現する。かなり緊張していたので正確に思い出せるかは怪しかった。

 でも、確か…。



「先生のお父さんの家に、昔の教え子さんがよく遊びにくるっていう話をしてて…」

 あの日も、翌日に「平野さん」って人が来るからと言って帰っていったはずだ。そしてその「平野さん」の名前が出た後だったと思う。



「……『藤枝さんと牧野さん』…」

 ポツリとその名前を口にしたけれど、正確さは自信がなかった。ただ…お父さんは『何年かぶりに藤枝くんと牧野くんも家に来たんだ』と言っていた気がする。



 そして私の記憶が確かなら、先生が一瞬固まったように見えたのはその直後。

 お父さんがその名前を出した時だったように思う。



「なっちゃん…何か知ってる?」

 尋ねると、なっちゃんは少し申し訳なさそうに眉を寄せて「…いや…」と呟いた。

「それだけじゃやっぱり分かんねぇな…」

「そうだよね…」

「まぁ、何か思い出したら言えよ。俺もちょっとユキに探りいれてみるし」

「……うん…」

 声は弱々しくて、消え入りそうだったかもしれない。それに苦笑いを漏らすと、なっちゃんは私に目の前のグラスを差し出した。



「まぁ、とりあえず食って飲め。どうせ最近色々考えすぎてろくに食ってねぇんだろ」

「…いや…食べるのはちゃんと食べてるけど…」

「………お前意外に神経図太いな」

「なっちゃんもお酒飲んで…車で来たのにどうするの?」

「ん?あぁ、帰りは運転手呼ぶから大丈夫だ」

「……その運転手って……」

「ユキの仕事もどうせあと1,2時間したら終わるだろ」

 …やっぱり。思わず苦笑を漏らした私の前で、なっちゃんは悪びれもせずに笑っていた。






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