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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
62/152


「結局今一番幸せなのはなんだかんだ言っても和美だよなぁ」

 不意に由実が、そんな言葉を漏らして唇を尖らせた。



 先日先生と映画を見に行ったことと、今日もこれから家に行く予定だと話したことによる言葉だ。それに苦笑した智子が、「まぁまぁ」と由実の肩をポンポンと叩く。

「そうでもないよ、何気に茜だって最近幸せそうだよ」

「えっ!?全然そんなことないよ…!?」

 急に話をフラれた茜が、驚いたように目を瞠った。そして大慌てで手を左右に振って否定する。


「何言ってんのー、柴田とついにメアド交換したらしいじゃん」

 ニヤッと笑って言う智子の言葉に、私と由実は「えぇ!?そうなの!?」と大声を上げた。

「ち、違うよ…!ちょっとたまたま、そういう話題になっただけで…」

「でも交換したんだから進歩じゃんー」

 智子が言うと、茜の顔がみるみる赤くなっていく。それを見た由実が、わざとらしい吐息を漏らしながら言った。

「あーあ、つまんない。誰かに何か起こんないかなぁ」

「ちょっと!不吉なこと言わないでよ!」

 由実が本気で言っているわけではないのが分かっているから、智子も怒るフリをして由実の頭にゲンコツを落とすようなジェスチャーをして見せた。




 ちょうど別れるところだったので、私たちはそのまま互いに手を振って駅で離れた。家の近い由実と茜は一緒に乗り換え駅の方へ向かう。智子はこれから裕貴くんと約束があるらしく、今いる駅の反対口へと歩いていった。




 腕の時計を確認すると、時間はまだ3時過ぎ。先生は今日家にいると言っていたから、このまま散歩がてら歩いて行くことにした。




 20分くらいの距離を進んだ頃、ふと鞄の中の携帯電話が振動したのに気づく。メールかと思って放置しようとしたけれど、少し長めのそれはどうやら着信のようだった。慌てて鞄を開けて、携帯を取り出す。開いた画面に浮かんだのは先生の名前だった。



「もしもし」

『おう。今どこにいる?3時くらいに松浦たちと別れる予定だって言ってただろ』

「もうすぐ先生の家に着くところです。…どうかしました?」

『ん?あぁ、いや…ちょうどちょっと用事ができて、今車で外に出てんだ。今から戻るところだったから、まだ駅付近にいるんだったら拾っていこうかと思ったんだけど』

「じゃあ先にお邪魔してまーす」

 笑って答えると、先生は『了解』とだけ言って通話を終わらせた。携帯をしまいながら鞄の中に先生の家の鍵があることをもう一度確認して、私は軽い足取りで飛び跳ねそうになりながら歩く。



「やっぱり、夏休みはいいなぁ」

 平日でも我慢せずに先生に会えることが多い。部活や補習があるから毎日というわけにはいかないし、両親の目もあるから頻繁にお泊りできるわけでもないけれど…。

 それでも、やっぱり嬉しいものは嬉しい。






 先生のアパートに着いたのは、それから5分ほどしてだった。当たり前だけれど先生の車はいつもの駐車場にはなかった。





「……?」

 いつものその静かなアパートの下に、一人の男の人が立っているのに気がついた。どこかの部屋の誰かを待っているのか、暑い中扇子で扇ぎながらポストの辺りに立ち尽くしている。

「…こんにちは」

 階段へ行くために前を通るので無視するのもおかしい気がして、私はとりあえず挨拶をしてペコリとお辞儀をした。



 4、50代くらいの男の人は、この暑い中スーツを着ていた。低めの声で「こんにちは」と返してくれる。少し浮かべた微笑みは紳士的で、「ダンディー」なんて少し前のはやり言葉はこういう人のためにあるんだろうなと思う。



 その人の脇をすり抜けて、私は階段を上がる。少し高めのヒールがカンカンと古い金属の音を立てた。そうして先生の部屋の前までまっすぐ行って、鍵を取り出す。



「…あの…」

 鍵穴にそれを差し込もうとした時、不意に声をかけられた。驚いて振り返ると、声は下からのものだった。さっきのスーツの中年男性だ。



「…はい…?」

 鍵を手にしたまま、私はそちらを見下ろす。年上の人を見下ろすなんて失礼だけど、この場合は仕方がない。その人は少し目を細めながら、一歩階段に近づいた。



「もしかして…行禎のお知り合いですか」

 男性の口にした言葉に、私は大きく目を見開く。



「……え…?」

 聞き返した声は情けないくらいに小さくて、宙に舞ってすぐにかき消された。




******



 心臓が、鳴り止まない。

 バクバクと音をたてて緊張を掻き立てる。先生の家の鍵を開けて中に入った後も、生きた心地がしなかった。



「すみません、鍵を開けてもらって…。この暑い中さすがに倒れそうでした」

 笑って言う男性に、私はハッと我に返る。この人の前で先生の私物に触れていいのかと少し迷ったけれど、冷蔵庫から冷たい麦茶を出すことにした。



 ソファに座ったその男の人は、スーツの上着を脱ぎながらさして気にした様子もなく「ありがとう」と微笑んだ。

「行禎にこんなかわいらしい彼女がいたなんてちっとも知りませんでした」

 言われて「とんでもないですっ」と首を振る時も、私は手が震えるのを隠すので必死だった。



 この人はつまり…先生の、お父さんらしい。

 出張で東京に来る予定があったらしく、ついでに寄ったんだそう。言われてみると先生と似てなくもない…かもしれないけれど、じっくり観察と考察をする余裕は今の私にはなかった。

 いきなりご家族の方に…しかも難易度の高そうな「お父さん」に会ってしまうなんて…。緊張で倒れても誰も責めないと思う。




「行禎は今日は…どちらへ?」

「あ、どこかは分からないんですけどもうすぐ帰ってくると思います…近くにいるようなことをさっき言ってたので」

 答えながら、私は先生早く帰ってきてー!と心の中で何度も叫んだ。

 笑顔が優しそうだし、とても話しやすそうな人だとは思うけれど…彼氏のお父さんとなるとまた話は別だ。


 そう、このお父さん…。とても優しそうなんだけれど、何故か萎縮してしまう。好きな人の父親だから…?ううん、それだけじゃない何かが空気感で漂っている気がして。オーラとでも言えばいいんだろうか。感覚的なものでしかないけれど。




 麦茶を一口飲んだお父さんと目が合って、私はとりあえずニコリと笑ってみせた。こちらのそんな思いを悟られるのはまた別の意味で怖いので必死で押し隠す。するとちょうどその時、玄関のドアがガチャっと開いた。






「親父…!?」

 部屋に入ってきた先生は、私とお父さんが一緒にお茶を飲んでいる不思議な光景に目を丸くした。こんなに驚いている先生なんて、なかなか見られるものじゃない。いつもの無表情が一瞬で崩れ、明らかに声を失っているのが分かった。



「久しぶりだな、行禎」

 どうやら先生は、最近では1年に1,2回実家に帰ればいい方だったらしい。今年にいたってはまだ一度も帰省していないらしく、お父さんは少し責めるような口調で笑っていた。




******



 お父さんは「母さんが心配してるからたまには顔を見せろ」とか「電話くらいしなさい」とお説教をしていた。

 その言い方が普段の先生に似ていて、私は思わず吹き出しそうになる。バレないようにとそれを堪えていると、先生が横目でジロリと私を睨んだ。



「…で、何の用で来たんだよ」

 不機嫌そうに言う先生は、決してお父さんが来たことが嫌なのではなくていちいちお説教されることが嫌らしい。当たり前のように出した煙草に火を点けて、大きく煙を吸う。

「都内まで来たからちょっと顔を見に来ただけだ。元気ならそれでいい」

 まだ少ししか話していないのに今すぐに立ち上がりそうなお父さんに驚いていると、今度は私の方を向いてニコリと笑ってくれた。

「和美さん…だったかな、お茶をありがとう」

「いいえ…とんでもないです」

「行禎が選んだ彼女があなたみたいな人で良かった。最近、若い教師が女子生徒と…なんてニュースが多いから少し心配していたんです」

 お父さんの言葉に私は思わず硬直し、先生は隣で煙草の煙が変なところに入ったのか「げほっ」と咽ていた。なんと答えていいかわからずに曖昧に笑って返したけれど…一体、お父さんには私は何歳に見えているんだろう。



 …まぁ、私服で高校生に見られたことはあまりないのだけれど…。



「もう帰んの」

 話を変えようとしたのか、先生が灰皿に灰を落としながらお父さんに尋ねた。

「あぁ、新幹線の時間もあるし…明日は家で予定があるしな」

 顔を見られて良かった、と続けて、お父さんは本当に立ち上がる。脱いでいた上着に袖を通しながら続けた。

「明日、平野くんが家に来るんだ」

「へぇ」

 短く相槌を打った先生が、どこか感心したように言った。その2人の様子に小さく首を傾げると、先生が説明してくれる。



「親父、長野で高校教師やってんだ。そんで昔の教え子たちが長期休みとかになると遊びに来たりするんだ」

「そうなんですか…!すごく人気の先生なんですね」

 昔の教え子がわざわざ会いに来てくれる先生なんて、今のご時勢なかなかいない気がする。

 でもそれで何となく分かった。このお父さんの「笑顔なのに萎縮してしまうオーラ」の正体が。教師というオーラを、私は何となく本能的に感じ取ってしまっていたのかもしれない。



「そう言えば行禎、それで思い出したけどな」

 鞄を持ち上げながら、お父さんは続けた。座ったままの先生を見下ろして言う。

「この前、何年かぶりに藤枝くんと牧野くんも家に来たんだ」

「!!?」

 先生が、灰皿の中に煙草をポトリと落とした。

「……?」

 それに気づいて、私は小さく首を傾げる。

「……あぁ、そうなんだ」

 違和感を覚えたのは一瞬だけで、先生は小さく相槌を打つと落とした煙草を拾った。そしてそのまま灰皿に押し付けて、火を消す。



「2人共お前に会いたがってたぞ。今仕事で関東にいるらしいから、連絡してみたらどうだ」

 お父さんは、先生の一瞬の様子に気づいた素振りもなかった。笑いながら続けて、お父さんは次に私の方に向き直る。

「それじゃ和美さん、行禎をよろしくお願いします」

「え、はいっ、いえ、こちらこそ…っ」

 よく分からない挨拶をしてしまいながら、私は頭を深く下げた。



「駅まで車で送ろうか」

 言いながら立ち上がりかけた先生を、お父さんは片手で制す。

「いや、近くだから大丈夫だ」

 そう言い置いたお父さんを、揃ってアパートの下まで見送りに出た。手を振って去って行くお父さんは、これから長野まで帰るらしい。



「悪かったな、相手させて」

 部屋に戻りながら、先生が言う。その声はいつもの調子だったので、私はさっきの違和感は気のせいだったのかとさえ思わされた。何より本当に一瞬だったし、お父さんは気づいた様子もなかった。私の考えすぎだったのかもしれない。



「いいえ、緊張したけどステキなお父さんでよかったです」

「お前絶対20歳過ぎに見られてたな」

「私やっぱり老けてるんですかねぇ…」

 がっくりと肩を落として言うと、先生は声を上げて笑った。






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