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Sweet&Bitter  作者: みずの
夢の終演
61/152


 夏休みを一週間ばかり過ぎた頃、私は都内の映画館にいた。今年は猛暑らしく、中の冷房は冷えすぎなほど風を送り出している。10分ほど前までいた外との余りのギャップに少しだけ身震いしていると、隣にいた先生が持ってくれていた私のカーディガンをパサッと肩に落とした。

「…別のにしろよ」

 放映中の映画タイトルが並んだ画面を見上げたまま、先生はさっきから何度目かの言葉を漏らした。



 映画を見るなんて普通のカップルみたいなことできないと思っていたけれど、先生は私を都内まで連れ出してくれた。確かに県外に出ればそうそう同じ学校の生徒に会うこともないだろう。

 念のため原宿や渋谷といった高校生が集いそうなところは避けている。しかも選んだのは小さめの映画館だから、ここなら恐らくそうそう知り合いに会うことはないと思う。



「でも、先生が『何でもいい』って言ったんですよ」

 映画に行きたいと言った時、確かに先生はそう言ったはず。だから私は前々から見たかったものを選んだんだから。

「一週間前からこれ見ようと思って、楽しみにしてたのに…」

 そう言って私は、さっきそこで配っていた一枚のチラシを先生の前に突きつける。少し涙目で拗ねたように口を歪めると、先生は顔を顰めてそのチラシを振り払う素振りをした。おどろおどろしい長い髪の女の子がこちらに迫り来るそのチラシの絵に、目を背ける。



「大丈夫、怖くない怖くない」

「…ナメてんのかお前」

「…何でもいいって言ったのに」

「まさかお前がホラー映画選ぶとは思わねぇだろ!?」

「私も、先生が怖いの苦手だなんて初めて知りました」

「あのなぁ、俺はホラー映画が怖くて嫌なわけじゃねぇんだよ」

「じゃあ何で?」

「映画なんて娯楽だろ。何で娯楽の時間にまでいちいちビビらされなきゃなんねぇんだよ」

「やっぱり怖いんだ」

「……」



 言うと、先生は「しまった」という表情で一瞬黙りこんだ。それを見て私はニヤッと笑う。

「じゃあ別のにしてもいいですけど…後はそれこそ先生が嫌いそうな砂吐きそうな恋愛ものと、子ども向けの特撮ぐらいしかないですよ?」

「……」

 指差してそれらを示すと、先生は更に眉間の皺を深くした。

「…これでいい」

 譲歩するように言うと、ポケットに両手を突っ込んだまま先を歩きだした。





 お昼ご飯を食べた直後だったので、カウンターでコーヒーだけを買って中に入る。猛暑のせいで涼みたい人が多いのか、そのホラー映画は満員までは行かなくてもかなりの人手だった。大体カップルか友達同士か…若い人が多い。



「ここ数年で一番怖いって評判なんですよねー。見たかったんです」

 笑って言いながら席に着く間も、先生は無言だった。本気で怒ったりしているわけでないことは分かっているので、私は構わずに続けた。

「怖かったら手繋ぎますか?」

「いらねぇ」

 体を斜めにして肘置きに頬杖をついた先生が、子どもが「イーっ」とするように唇を歪めたので思わず笑ってしまった。





 でも結局、映画の間中怖くて手を握ったのは私の方だった。ホラー映画は好きだけれど、決して「平気」なわけじゃない。怖いもの見たさ…というか、興味はあるけど怖いものは怖い。逆に先生は嫌がっていた割には画面から目を背けたりはしていなかった。展開に驚いて腰を浮かしそうなくらいビクリと震えた私のようにもならなかった。…怖すぎて硬直していただけかもしれないけれど。





「あー、面白かったですね」

 2時間半の映画を見終え、散々怖い思いをして満足げに私が言うと先生はまだ難しい顔をしていた。

「あ、先生待って。パンフレット買いたいんですけど」

「…買うのか、あれを」

「映画見たら必ず買うことにしてるんですー」

 映画館の隅にあるグッズ売場に行って、店員さんにさっきの映画のパンフレットを頼む。だけど鞄からお財布を出している間に、脇から先生が店員さんにお札を手渡ししていた。…こういうところが…大人というか、手馴れていると思う。



「いいです、自分で払いますよ」

「いや、いい。その代わりそれはきっちり持って帰れ。俺の家に置いてくなよ」

「…そんなに嫌なんだ…よく見たらこの長い髪の子だってかわいいかもしれないのに」

 ほら、とパンフレットの1ページをめくってそのアップを見せ付けるように差し出す。

「かわいいわけねぇだろうが」

 当たり前なことを言って、先生はまた顔を歪めて呟いた。なんだかいつもクールなはずの先生が今日は子どもっぽく見えて、私はバレないようにこっそりと笑みを漏らした。





「…と、電話だ」

 ふと先生が、ポケットから携帯電話を取り出した。細かく振動するそれを開いて、少しだけ眉を上げる。

「…誰からですか?」

「いや、知らねぇ番号」

 言って、先生は「ちょっと待ってろ」と手で合図をすると電話を片手に少し離れた。立ち止まっても邪魔にならない隅の方へ移動しながら、通話ボタンを押している。



 一応仕事の電話かもしれないし、私があまり聞いていい話じゃないかもしれない。だから私は、さっきのグッズ売場へ引き返した。他の映画のグッズも売っているし、少し時間を潰すのに丁度良かったから。



 だけどそこで、一人の女の人が近寄ってきた。背の高い…ボブの髪が似合う、女性っぽいというよりはボーイッシュな印象の美人。すぐ傍まで来てこちらを見ているのに気づいて、私も手にしていた物をそのまま彼女の顔を見つめ返してしまった。

 私も女にしては背が高い方だ。それでも彼女は170センチちょうどの私よりまだ数センチは高かった。



「あの…」

 何か、と言いかけたけれど、私が先に声をかけたことで彼女の方がハッと我に返ったように目を見開いた。それから取り繕うように、少しだけ微笑んでみせる。

「あぁ、ごめんなさい。ちょっと見入っちゃって…」

「…はぁ…」

 思い切り間抜けな顔をしてしまっただろう私に、その人は更に苦笑いを浮かべた。それから、「あの」と改めて口を開く。

「変なことお尋ねするけど…さっきあなたと一緒にいた男の人なんだけど」

「…はい?」

 先生のことだろうか?それ以外にありえないはずなのに、私はあまりの急な話に当たり前なことを考えてしまっていた。

「…あの人……あなたの彼氏?」

「……?はい、そうですけど…」

 初対面の人に失礼かもしれないけれど、この時私は思い切り不審な目をしていたんだろうと思う。それが分かったからか、彼女はまたあの苦笑を漏らした。



「…そう。ごめんなさい、変なこと聞いて」

 言って、彼女はそれっきりでクルリと踵を返す。

「え、あの、ちょっと…!」

 どうしてそんなことを聞いてきたのか、とか、尋ね返したいことはいくつかあった。だけどその人は、そんな私の声を無視してそのままどんどん遠ざかって行く。



「なんなの…」

 茫然とその後ろ姿を見送ってしまい、やがて見えなくなった頃に「どうした?」と更に後ろから声をかけられた。振り返ると、首を傾げながら先生が私の視線の先を追っている。

「…いえ、今…なんか美人さんに声かけられちゃって」

「お前そっちにも好かれんのか」

「いやいや、そういう意味の『声』じゃなくてですね…」

 呆れ顔で右手をパタパタと振って、私はさっきの女性に尋ねられたことを先生に説明した。



「背の高い美人ねぇ」

「先生の知り合いとか…?」

「んな情報だけじゃわかんねぇよ」

「短めボブで、スラッとした感じの人」

「全然分かんねぇ」

「昔遊んだおねーさんのうちの一人じゃないんですか?」

 嫌味っぽくニヤッと笑って言うと、先生は何のダメージを受けた様子もなく平然と言ってのけた。

「お前といる時にわざわざ声かけてくるようなめんどくさい女と遊んだ覚えはねぇ」

「……あぁそうですか」

 これはダメだ。何を言っても平気でかわされそう。そう思うと思わず苦笑いが浮かんで、私は「そう言えば」と話題を変えた。



「電話、誰でした?知らない番号」

「ん?あぁ、ケイコだった」

 ケイコさん…先生が出したその名前には聞き覚えがあった。確か、前に先生とホテルで演奏した…ジャズボーカルのキレイな人。

「って先生、ケイコさんの番号登録してなかったんですか?」

「あいつとは番号交換した覚えもねぇからな。向こうも修司んとこのマスターに俺のを聞いてかけてきたみたいだったし」

「で、ケイコさんから電話ってことは…またどこかで演奏できるんですか?」

 少しばかり目を輝かせ気味に言うと、先生は手にしていた携帯をポケットに捻じ込みながら小さく頷いた。

「今度はビッグバンドでやってみないか、っつー話だ」

「ビッグバンド!!かっこいい!!」

「とりあえず考えとくって返事しといた」

「えー、迷わず返事すればいいのに」

「ビッグバンドだとまたちょっと勝手が違うからなぁ」

 多分ピアノじゃなくてキーボードになるし、と付け足してから先生は「うーん」と伸びをした。



「まぁとにかく、せっかく都内まで出てきたからついでにどっか寄ってくか」

「はーい」

 歩き出した先生を追うようにして、私もその隣に並んだ。




 先生とのデートが嬉しかったのもあるし、ケイコさんとビッグバンドの話に興奮したこともある。そのせいで、私はこの時もう既に、さっきの女の人のことなんて忘れてしまっていたんだ。



 その時の出会いが、今後の私と先生との運命を大きく変えてしまうことになるなんて知らずに…。







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