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Sweet&Bitter  作者: みずの
七夕
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 コインパーキングに車を停めてあると聞いて、飲み会があるのに車で来たのかと一瞬思った。だけど、何かがあった時のために数人の先生は車で見回りに来ていたらしい。

 恐らく今の私のように体調の悪くなった生徒を家まで送ったりするためにだろう。その役がちょうど教頭先生や本城先生だったらしい。先生はもちろん当たり前だけれど、その後の飲み会でもお酒を飲むつもりはなかったようだった。




 実際のところ私は、相澤先生に言い訳をしたように人波に酔ったわけでも具合が悪いわけでもなかった。ただ、やっぱり重い気分が晴れない時に不意に本城先生の顔を見てしまったから、迷子がお母さんに会えた時に急に泣き出すように、私は声を上げて泣きたい気分になっていた。

 会いたかった顔を見られたせいか、安心しきったんだろう。泣きたくなるのを堪えるのが精一杯で、相澤先生の言動は正直ショックだった。ただ、あの時私はどうすることもできなかった。

 「先生と付き合ってるのは私なのに」なんて言えるはずもない立場である自分が、ひどく弱く感じられる。だから、先生がああいう感じでだけれど相澤先生を拒んでくれてホッとしてしまった自分がいた。


 ……自分でも、最低だと思うけれど。




「最低なのは相澤の方だろ」

 私の言葉に、先生は車の鍵を開けながら言う。助手席に乗り込みながら、私は首を捻った。

「相澤先生って…やっぱり私が本城先生のこと好きなことに気づいてるのかな…」

 わざとらしいほどに思えるくらいの露骨さだった気がして、私はそう呟いた。

「付き合ってるとは思ってねぇみたいだけどな」

 答えてから先生は、「煙草吸っていいか?」と尋ねる。

「どうぞ」

 笑って応じると、先生はスーツのポケットから煙草の箱とライターを取り出した。



 最近は先生は、私の前であまり煙草を吸わなくなっていた。だから今日は、よほど先生にとってもストレスを感じる日だったんだろう。




「…で、お前は体調は大丈夫なのか」

 煙草に火を点けてから、先生は車を走らせる。膝の上に乗せた小さな鞄の紐を弄びながら、私は頷いた。

「先生の顔見たら、元気になっちゃいました」

「…そういうとこ相変わらずだな、お前」

 苦笑いを浮かべて、先生は右腕を窓枠に置いて左手だけでハンドルを回す。それに笑って返して、私はシートに身を沈めた。




 茜と智子も、今頃幸せに笑っているだろうか。

 智子はともかく、茜は緊張のあまりパニックになってるかもしれない。そう思うと自然と笑みが零れてきて、こらえきれずに私はふふ、と笑った。

「気持ち悪ぃな」

「『気持ち悪い』って…そんなハッキリ言わなくても」

 先生の言葉に今度は苦笑いを浮かべる。…ちょうどその時、私は「あれ」と目を見開いた。



「…先生…どこ行くの?」

 交差点を右折したその道は、私の家に続く道じゃない。ましてや先生の家の方向でもなく、私は小首を傾げた。

「ちょっと寄り道」

 短く答えて、先生はふーっと煙草の煙を吐き出す。それから先生は、行き先を教えてくれないままただ車を走らせていた。








「うわぁ…っ」

 着いたのは、大きな県立の公園だった。小高い丘のようになっている一部分だけは、夜でも閉鎖されることはない。駐車場に車を停めて、丘の上に上がると街が見下ろせた。遠くの方に、七夕祭りで賑わう駅前商店街が見える。



「キレイ…」

 手すり部分に手を置いて、私は身を乗り出すようにそちらを見た。先生とあそこの場所を歩くことはできなかったけれど…それでも今私は幸せだった。

 先生は、私の気持ちを良く理解してくれていると思う。七夕祭りに一緒に行けないのは仕方ないと分かっていても、それでも寂しい気持ち。ましてや相澤先生と一緒になんて、本当は仕事でもいてほしくないということを…。



「先生、ありがとう」

 何も言わなくても私の気持ちを読み取ってくれていたこと。それと七夕祭りには一緒に行けないけれど、代わりにここに連れてきてくれたこと。

 それらを含めてお礼を言うと、先生は唇を持ち上げて応じただけで特に言葉を返しはしなかった。私とは逆に、手すりに背を預けてもたれる。そのまま顔を仰向けて、空を見上げていた。



 それを真似するように私も上を見上げると、そこにはなかなか見られないほどの無数の星。都会の電気いっぱいの街中じゃ普段は見られない。ましてや夜にこんな暗い場所に来たこともないから、こんなにキレイな夜空を見たことがなかった。

「天の川見えるかなぁ」

「さすがにここじゃ無理だろ」

 七夕らしさに浸ろうとしたのに、先生の冷たい一言に一蹴される。確かに、いくら暗めと言っても都会から見上げる夜空ではきれいな天の川までは見られそうにない。

 少し唇を尖らせていると、先生は隣で小さく笑ったようだった。



「俺の地元じゃ結構きれいに見えたけどな」

 先生と同じように、私も手すりを背もたれがわりにして真上を見上げる。隣に立った私の手をキュッと握りながら、先生はそんなことを口にした。



「そういえば…先生の地元ってどこですか?聞いたことなかった」

「長野」

「長野!?」

 てっきり、少なくとも同じ関東圏だと思っていた。驚いて目を丸くした私に、先生は笑う。



「大学はこっちだからな」

「じゃあ高校までは長野にいたの?」

「まぁな」

 今でも実家のご両親はそこに住んでいるらしい。そう言えば付き合って約一ヶ月…。実家の話はあまり聞いたことがなかった。



「長野の田舎だから、街からちょっと外れれば夜なんか真っ暗でよ」

 当時のことを思い出しているのか、先生は少しだけ目を細めていた。

「そこからならここよりもっと星も見えるな」

「へぇ…」

 いいなぁ、という呟きを漏らすと、先生がこちらを見ているのに気がついた。

「…え?」

 その目が少しさっきまでと違う雰囲気な気がしたので、私は首を傾げる。

「いや…」

 小さく言葉を濁しかけた先生が、長い指で後頭部を掻いた。

「ん?」

 先生のいつもと違うその歯切れの悪さに、私は眉を持ち上げる。顔を覗きこむようにすると、先生は横目で私を見るとようやくと言った感じに言葉を継いだ。



「いつか一緒に行くか」

「…え?」

 一瞬、言われた意味が分からなかった。その言葉が嬉しかったせいで瞬間的に頭が真っ白になったんだろう。間抜けな声で聞き返してしまった私に、先生は「嫌なら別にいい」といつも通りのクールな表情に戻ってしまう。



「い、嫌なわけないじゃないですか」

 慌てて言って、私はそのままそっぽを向いてしまいそうな先生の腕に絡みついた。



 先生は、ただ天の川を見たがっている私によく見える場所で見せてくれようとしているだけかもしれない。でも私にとっては、先生の一言はそれ以上に重い意味があるものだった。



 だって、それはまるで…。






「…寒ぃ。帰るぞ」

「えぇぇ!?」

 感慨にふけってしまいそうな私は、一瞬にして先生のそんな一言に現実に引き戻された。大体、夏なんだから夜は涼しかったとしても寒いわけはない。照れ隠しなのだろうか、先生はそのまま車の方へ戻って行こうとする。




 …こういうところが、たまに子どもっぽいと思う。

 いつもは大人な言動で余裕を感じさせるのに、先生は意外に照れ屋だ。



 そんなところも好きだとは、悔しいから言わないけれど。





「で、どうすんだ?家帰るのか?」

「先生の家に帰ります」

「…あっそ」

 私の言葉に吐息まじりに言った先生は、それでも嫌そうには見えなかった。



「…素直じゃないなぁ」

 呟きは聞こえないように言ったつもりだったけれど、地獄耳らしい先生は「あぁ?」と少し凄み気味に振り返る。

「何でもないです。あ、ねぇねぇ先生、私今日浴衣なんですけど」

「見りゃ分かる」

「まだ何も聞いてません、感想を」

「………」

「ちょっとはいつもよりかわいいですか?」

「……死んでも言わねぇ」

「なんでー」

「『素直じゃないから』」

 私の言葉を嫌味に繰り返して、先生は唇だけを持ち上げて嫌な笑みを浮かべてみせた。むぅっと頬を膨らませて、私はその後ろをついていく。小走りに追いかけると、先生は一度だけ確かめるように軽く後ろを振り返ってくれた。




 いつか本当に、天の川を先生と見ることができるだろうか。

 そんな夢を胸に抱いて、私は先生の隣に並ぶともう一度その星空を見上げた。






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