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Sweet&Bitter  作者: みずの
七夕
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 化学準備室が視界に入るくらい近づいた頃、急にそのドアが開いた。

「失礼しました」

 その場しのぎのような挨拶をした柴田くんが、中から出てくる。別に表向きにはやましいことなどないはずなのに、私は思わずそのすぐ近くの柱の陰に隠れてしまった。


「お前のせいだからな」

「私!?一真だって自業自得でしょ?」

 柴田くんの半歩後ろを小走り気味についていくハルカちゃんが、眉間に皺を寄せてそう抗議をしているのが聞こえる。



 柱の陰に隠れていた私に気づくことなく、2人はぎゃあぎゃあ口論しながらそれでも並んで廊下を歩いていった。その後ろ姿を見送って、何となく息をついてしまう。

 確かに口論はしているのだけれど、仲は良さそうに見えた。あれじゃ周りに勘違いされても不思議はないかもしれない。ハルカちゃんはいつも笑顔で誰にでも優しい子だから分からないけれど、柴田くんの方は文句を言いながらもふとした時の表情は楽しそうに笑っていたから。

 それは、私や茜の前では一度も見せたことのない顔だった。真帆ちゃんの言葉がなければ、私だって彼はハルカちゃんのことが好きなんじゃないかと勘違いしてしまいそうだ。



「………何やってんだ、お前」

 物陰に潜んだまま彼らの後ろ姿を見送っていた私に、ふと上から声がかけられた。

「せ、先生…」

「挙動不審。変質者かお前は」

 いつの間にそこにいたのか、本城先生が何やら書類の束を持ってそこにいた。



「ちょちょ、ちょっと質問が…」

「……ふーん」

 あ、バレてる。

 先生に用事があって来たわけじゃないことはお見通しらしく、眼鏡の奥の目が意味深に笑っている。

「先生、何で今日眼鏡なんですか?」

 それ以上突っ込まれても嫌だったので、話を逸らす。

「コンタクトの洗浄忘れた」

「…また飲み会から帰ってそのまま寝たんでしょ」

「うるせぇな。意外に苑崎先生がなかなか潰れなかったんだよ」

「いやいや、同僚を潰そうとする時点でどうなんですか」

「白石、コーヒー淹れといてくれ」

「…聞いてます?って、先生どこ行くの?」

「隣にこれ置いてくる」

 私の非難の声は無視して、先生は持っていた書類を掲げて見せた。隣の地学室を見やってから、私は「はーい」と返事をする。とりあえず一旦先生と別れて、私は一足先に化学準備室に入った。






「先生、聞きたいことがあるんですけど」

 本城先生の私物であるコーヒーメーカーでコーヒーを沸かし、私は5分くらいして部屋に戻ってきた先生にそう話を切り出す。

「なんだ、質問があるのは嘘じゃなかったのか」

「……先生、生徒のことは結構お見通しですよね?」

 コーヒーを淹れたマグカップを受け取りながら、先生は小さく肩を竦めた。


「そんなことねぇよ。お前らは理解できねぇことだらけだ」

「たとえば、誰が誰を好きだとか結構分かったりします?」

「…お前、人の話聞いてる?」

「聞いてますよ、もちろん」

 ニッコリ笑って言うと、先生は呆れたようにため息をついた。そしてそれから、少し考えるような仕草をする。やがて机に頬杖をついた態勢でこちらを見やった。



「まぁ、分かりやすい奴なら分かるけどな」

 譲歩するように答えて、先生は座ったまま椅子を後ろへ引く。長い足を組んで、尊大な態度でコーヒーを啜った。…とても教師の態度とは思えない。



「で?誰のことが知りたいんだよ?」

 試しに言ってみろ、と付けたしながら、先生は言う。促されたので、私は自分もマグカップを手に椅子に座った。軽く首を傾けて、先生を見る。

「柴田くんと、ハルカちゃん」

 両手で包み込んだカップにミルクと砂糖を入れながら、そう続けた。

「付き合ってるって噂があるんですけど…本当ですか?」

 先生の性格だから、まともに答えてくれるか分からない。…そう思ったけれど、意外にも先生は私が出した名前に片眉を持ち上げて反応を示した。



「柴田と夏川?…お前それでさっきそこでコソコソしてたのか」

「う…っ、コソコソなんて人聞き悪いです」

「だってそうだろ。…ふーん、柴田と夏川ねぇ…」

 何か納得するような顔をしてから、先生はヒラヒラと片手を振ってみせる。

「ないない。あいつらに限ってそれはない」

 さっき教室での真帆ちゃんと同じようなリアクションを返して、先生はコーヒーを一口飲んだ。

「…ホントに?」

「分かる奴と分からない奴といるけど、あいつらは分かる」

 言い切った先生は、次の瞬間に私をビックリさせるような発言を続ける。

「だから心配すんなって野崎に言っとけ」

「そんなことまで知ってるの!?」

「言っただろ、見てりゃ分かるやつがいるって」

 私は一度も茜が柴田くんのことを好きだと話したことはない。それなのに……先生の洞察力が今日ほど怖いと思ったことはないかもしれない。



「…まぁ、夏川と付き合ってないからって安心できるもんでもねぇか」

「え?何?」

「何でもねぇ」

 首を振って言葉を濁した先生は、もうその時には私から目を逸らしていてそれ以上答えてくれそうにはなかった。



 茜にはとりあえず、柴田くんとハルカちゃんが付き合ってなさそうだということだけ報告しておこう。きっと、先生が言うんだからその点に間違いはなさそうだった。




「先生、そう言えば今週末の土曜日なんですけど」

「んー?」

 足を組んだまま、先生は手近の書類に手を伸ばす。何だかここのところずっと忙しそうで、話をしている間も結構こんな感じが多い。それでも追い出したりせず相手をしてくれるのだから先生は実は結構優しいと思う。

「智子たちと、七夕祭りに行こうと思って」

「へぇ」

 さして興味がないのか、先生はこちらを見ないまま相槌を打った。

 …まぁ、七夕祭りに興味津々な先生もそれはそれでコワイ。


「…土曜日だし…その後行ってもいい?」

 先生の家に行くのは週末だけ。一度例外はあったものの、その約束はここのところ復活させられていた。今は試験前だから余計だ。



 私がそう尋ねると、先生はそこでようやく顔を上げてこちらを見た。

「別にいいけど…って言いたいとこだけど、俺何時に帰るか分かんねぇぞ」

「え、どこか行くんですか?」

「…この前言っただろ。土日の夜はお前ら生徒がハメ外しすぎねぇか七夕祭りに見回りに行くって」

「……あ、そう言えば」

 確か毎年、先生たちは分担して見回りをしているはず。それくらい大きなお祭りだし、うちの生徒が数多く訪れるから。



「土曜は多分、毎年の感じでいくとその後飲み会になるからな」

「打ち上げみたいな?」

「そう。日曜だと次の日仕事だから、大体土曜だな毎年」

 それはもはや打ち上げと言い訳したいだけのただの飲み会じゃないのかと思うのだけれど。あえて言わずに、私は小さく吐息を漏らした。

「じゃあ、その日は大人しく家に帰ります」

「そうしとけ」

 先生だって、私が待っているかと思うと落ち着いて飲めないかもしれないし…。仕方なくそう答えて、私はわざとらしく唇を尖らせた。誓って言うけれど、別に本気で拗ねているわけじゃない。

「じゃあ、先生、来週は?」

「…お前必死だな。もうすぐ夏休みなんだからそんなムキになんなくても…」

「え、夏休みはいつでも行っていいの?」

「来るなっつったってお前来るだろ」

 組んでいた足を外しながら、先生は椅子に座りなおす。パソコンに向かい合いながら、言葉だけをそう投げ返してきた。



「ふふ」

 思わず堪えきれずに笑みを漏らすと、先生は「気持ち悪ぃな」と顔を顰めてみせる。何を言われても今は笑っていられそうな気がして、私はニコニコ顔のまま言葉を継いだ。

「先生、土曜日飲みすぎないように気をつけてね」

「俺は酒に酔ったことは過去に一回しかない」

 そう言えば先生はザルだとなっちゃんが言っていたっけ。その先生が酔ったという「過去一回」を思い出して、私はボンっと顔が赤くなるのを感じた。それを見た先生が、唇の端を持ち上げてニヤッと笑う。


 完全に墓穴を掘ったことを実感して、私は赤い顔のまま手で自分を仰いだ。






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