表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sweet&Bitter  作者: みずの
君だけ
54/152

君だけ side:Yukisada


 昔から教師になりたかったわけじゃない。

 親とは同じ道を歩きたくはないと思っていたし、自分には何かやりたいことが他にあるはずだと思っていた。だけど縁と運命というのは不思議なもので、いくつかの人間との出会いを経て今ここにいる。結局俺は、自分の父親と同じ高校教師の道を選んでいた。



 子どもを相手するのは苦手だし、その対象が高校生になったからといって急に変われるものでもない。貴弘ほど同じ目線で人懐っこく話をしてやることもできないし、苑崎先生のようにただいるだけで癒し系になれるわけでもない。

 一応教師なりに生徒と接しようとは思っているけれど、それは「邪険にしない」程度で優しさ溢れるものではないだろう。だがその反面で、一線引いているようなその状況だからか、生徒の性格はかなり的確に把握できる方だと自負している。



「ユッキー、そんでこの子がさぁ」

 最近、何が変わったのか生徒の方から寄ってくることが多くなった。こうして化学準備室に用事もないのに遊びに来る奴もいる。今日来てるこいつらは1年の生徒で、俺が化学を担当しているクラスの生徒だ。いつも5人組で固まっていて、今日も例外ではなかった。



 くだらない雑談を繰り広げながら、大声を上げて笑う。それが嫌だとか出て行けとまでは思わないが、興味があるはずもなく俺は適当にあしらいながら自分の仕事をしていた。だがこいつらに言わせれば、「ユッキーは素っ気無いとこがいいよね」らしい。…逆効果だ。



「ユッキーさぁ、好きな食べ物何?」

「食えるもん」

「あははっ、甘いものとかは?」

「まあまあ」

「えー、意外っ。絶対嫌いだと思ってた」

「なんだその『絶対』って」

 そんなどうでもいいような話の中、俺はふと部屋の隅に視線をやる。5人組のうちの一人が、さっきからずっと一人でそこにいた。ポツンと椅子に座って、こちらを見向きもせずにいる。




 苗字は…確か、高柳。下の名前までは知らない。

 いつも5人組で来るとは言っても、高柳だけは常にこの調子だった。俺に興味がないのか、はたまたイヤイヤつき合わされているだけなのか…。どちらかは定かではないけれど、いつもこんな感じだ。

 だけど、俺は確信に近い思いで気づいてしまっていた。こいつのこの態度が、何かに対する「反発」ではないことを。…むしろ、自分に気づいて欲しがっている「サイン」だ。




「じゃあさ、彼女はいるー?」

 5人組のうちの一人、一番目立っている奴が嬉しそうにそう聞いてきた。…こいつに至っては、悪いが名前も覚えていない。だけどその質問をした時、一瞬だけあの高柳も視線をこちらに向けたのが分かった。




「いる。だったら何だ」

 あっさり答えた俺に、それもまた意外だったらしく連中は一瞬息を飲んだ。

「へ、へー…」

「そうなんだ…ユッキーってそういうとこ見せないから、いないと思ってた」

「ねー彼女、どんな人?」

 一瞬の驚きを取り繕うようにまくしたてるあいつらに、俺は「さぁ」と曖昧に濁して答える。

「お前らそろそろ帰れ。予鈴鳴るぞ」

 あしらうように言って、俺は再び書類に視線を戻した。



 そもそも、昼休みや放課後ならともかく2限終了後の休み時間という短い時間によくこんなとこまで来るな、と思う。確かに2限の休み時間だけは他より5分ほど長いけれど。



「そだね。そろそろ行こっか」

 時計を確認して言いながら、連中は立ち上がる。

「じゃあね、ユッキー」

「また来るねー」

「用がなきゃもう来んな」

 しっし、と手を振って追い払う仕草をしたけれど、それもまた「きゃはは」と盛り上がりのネタになるらしい。…正直、どうすれば静かに過ごせるのか見当もつかない。





「…何だ、お前は帰んねぇのか?」

 あいつらが出て行った後、同じように立ち上がったはずなのにまだ部屋に残っていた高柳。それに気づいて、俺はそう尋ねた。ポケットから出した煙草に火を点けると、高柳は黙ったまま数歩こちらに近寄ってくる。

「…先生」

 やがて、すぐ傍まで来た高柳が小さく俺に呼びかけた。授業以外で聞くことのない声は、思ったより高く控えめだった。



「何」

 目を細めて煙を吐き出し、聞き返す。長い髪を肩の辺りで弄びながら、高柳は無表情のまま口を開いた。

「…教えて。先生の彼女ってどんな人?」

「授業始まるぞ」

「そんなの別にいいよ。どんな人かくらい教えてくれたっていいでしょ?」

「……何で」

「好きだから」

 平然と言われて、俺は思わず座った態勢のまま高柳の顔を見上げてしまった。



 無表情だけど、真剣な目。

 そして言われた言葉の意味を理解すると、こいつの出す「サイン」の意味をようやく正しく解釈できた気がした。



「…私、本気だよ」

 答えない俺に、高柳は先に言葉を継ぐ。

「あの子たちみたいにミーハー感覚じゃない。現に髭剃る前から先生のこと好きだったし」

 あいつらが出ていったドアを少し振り返りながら…そんなことを言った。

「私は、違う。あんなに子どもじみてないし、あんな一時的な気持ちと一緒にされたくない」

「………」




 臨機応変、という言葉がある。

 それと同じように、人間に対してもそいつの性格やら何やらを考慮して対応を変えるのが望ましい。そう思ったから俺は火を点けたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。高柳には真剣に向き合うのが正しいと思ったからだ。

 …多少、傷つける結果になっても。




「俺の彼女がどんなんだか知りたいって言ったっけな」

 椅子から立ち上がって、俺は高柳と目線を合わせる。…と言っても立つと俺の方が2~30センチは高いのでそれでも差はあるのだけれど。

「『普通』。ただそれだけ」

「…っ」

 俺の答えを受けて、高柳は初めて目にカッと感情を露にした。怒ったのか、キッと俺を睨みつける。



「そんなわけない。先生が選んだんだから、他の子と違う何かがあったはずでしょ?」

「…そりゃあ人間だからな。誰しも個性はある。だけど…」

 机に座るようにもたれかかると、軽くかがむような態勢になりようやく高柳と同じくらいの目線になった。



「少なくとも、あいつは自分のこと『特別』だなんて思ってない。普通だって思ってる。自分の友達を『子どもじみてる』なんて言わねぇし、むしろ自分がまだ『子ども』なんだって思ってる。その事実に悩んだり葛藤したりするけど、それを乗り越える強さも持ってる」

「…彼女と私とは違うって言いたいの?」

「お前、自分の友達のことバカだと思ってるだろ」

 言うと、高柳は更に俺を睨みつけた。



「あいつらと自分は違う、特別な存在だって思ってるんだろ。だけどな、もっとよく見てみろ。悩み方が違うだけで、あいつらだってちゃんと考えてる。お前が思ってるほど何も考えてないわけじゃねぇよ」

「…私に説教する気?」

「これを説教と捉えるかアドバイスと捉えるかはお前次第だな」

 話は終わり、というように、俺はもたれかかっていた態勢を直した。再び胸のポケットに手を入れて、煙草を取り出そうとする。



 …いや、正確には、取り出すことはできなかった。



「!!?」

 グイっと強い力でネクタイを引っ張られ、驚いた瞬間にはもう遅かった。高柳の顔がすぐ傍にあり、俺を睨みつけていた目が閉じられるのを見る。



 反射的にマズイ、と思ったその時、俺が行動するより早く部屋のドアがドンドンと勢いよく叩かれた。その音に驚いて、高柳はパッと俺のネクタイから手を離す。



「本城先生、教頭先生がお呼びです」

 ドアも開けずに向こうから、男の声が俺を呼んだ。

「あ、あぁ、今行く」

 高柳の手から離れたネクタイを直しながら返事をすると、そんな俺の横をすり抜けてあいつはそのまま乱暴な音を立てながら部屋を出て行った。



 俺を呼びにきた誰かは、もうそこにはいなかったようだ。走り去る高柳の足音を聞きながら、俺は深々とため息をついた。




******



 俺を呼んだあの男の声には覚えがあったから、教頭が呼んでいるというのは嘘だろうと察しはついた。それでも本当だった時のことを考え、念のために職員室の教頭の元へ向かう。

「私が?呼んどらんよ」

 不機嫌そうに俺に答えるのは、俺とこの人が自他共認める犬猿の仲だからだ。と言っても、嫌っているのは向こうの一方的なものであって、俺からしたら口うるさく言われなければどうでもいい存在だ。



 仕方なく、そのまま化学準備室へ戻る。今日は3限も4限も空きコマなので、部屋で残った仕事を片付けよう。そう思って没頭していたら、すぐに昼休みを迎えた。




「失礼します」

 昼休みになってすぐ、3年の都築が俺の元を訪れた。成績も良く、性格もいい男子生徒だ。

 最近失恋したと専らの噂だが、本人は暗い顔することなくいつも通り明るく振舞っている。周りの空気を読む、頭の回転も速い生徒だった。



「…速過ぎるのも問題だな」

 小さく呟くと、都築は「は?」とこちらを振り返る。

「いや、なんでもない」

 手を左右に振り返して、俺は手にしていた煙草に火を点けた。



 都築は今日の部活の当番だ。当番になった日はその日実験で使う器具の準備と確認に来ることになっている。それでここを訪れたのだろう。



「都築」

 実験器具の棚の前で俺の書いたメモを眺めているその後ろ姿に、声をかける。再び振り返った都築は、「はい?」と返事をした。

「…あー…その…2限の休み時間は助かった。悪かったな」

 言うと、都築は無表情のまま俺を見つめ返す。…俺の解釈が間違いでなければ、こいつは廊下でたまたま俺と高柳の話を聞いてしまっていて…。それで助け舟を出してくれたのだと思った。



 俺を無言でしばらく見つめ返した後、都築はフッと表情を崩す。微かな笑みを浮かべて、再び棚に向き直った。

「学校でああいう会話、気をつけた方がいいですよ」

「…あぁ、そうだな」

「まぁ、先生が悪いわけじゃなくてあの女の子の方が一方的に食い下がってたみたいですけど」

「…いや、俺も言い過ぎたのは事実だから」

「先生からそういう言葉が聞けるなんて、正直びっくりです」

「お前、俺を何だと思ってんだよ」

 軽口を叩くように言い合って、互いに思わず笑ってしまった。



「まぁ、俺もちょっとムッときたので助けただけですから」

「…お前が?」

「だってあの子、自分と白石が違うっていうのか、って食い下がってましたよね?」

 …あぁ、それでか。

 失恋したとはいえまだ都築が白石のことを好きなのだと、俺はこの時再認識した。



「で言い合ってた感じなのに急に静かになるからこれはマズイな、と思ったんですけど…。キスでもされました?」

「バカかお前」

「ってことは未遂かぁ」

 笑って言いながら、都築は棚の中から必要な器具を出し始めた。




「先生、あれからちゃんと話してませんでしたけど…白石と付き合ってるんですよね?」

「……」

「あんなに先生のこと好きだった白石が最近明るくてフラれた感じはしないし、先生も彼女がいるっていうし。間違いないと思ってるんですけど」

「……あぁ」

 こいつに隠しても無駄だと思ったので、俺は小さく頷いた。


「大丈夫ですよ、俺誰にも言いませんから。いくら白石にフラれたからって、そんな仕返し意味ないし」

「……悪ぃな」

「先生のためじゃないですよ。俺のためです」

「……お前の?」

「確かに他人に言いふらしたりはしませんけど、俺…」

 そこで一度言葉を切って、都築はニッと笑う。



「諦めてませんから、白石のこと。いつか先生から奪えるんじゃないかと画策中です」

「……そりゃ手強いな」

 肩を竦めて言ったけれど、それは嘘じゃない。都築も本気で強引に奪おうと思っているわけではなさそうだが、だからこそ余計に怖い存在だ。



 俺の返した言葉に、都築はどう思ったのか今度はその表情に苦笑を浮かべた。




******



 その日から、高柳が俺のところへ来ることはほとんどなくなった。ただその代わりたまに見かける時の様子から、俺の言葉に反発しながらも何かを感じ取ってくれたのは間違いなかった。いつもつるんでいる…あいつがバカにしている連中との距離が、少しだけ縮まっているように見えたからだ。



「先生、何か今日嬉しそう」

 放課後の化学準備室で、実験器具を片付けながら白石がそう言った。

「そうか?」

「うん。何かイイことありました?」

 俺の機嫌が良いと同じように嬉しいらしい白石は、ニコニコと聞いてくる。



「別に、大したことじゃねぇ」

「えー、教えてくださいよー」

「強いて言うならお前の古文の小テストが赤点をまぬがれたことか」

「う…っ、そういうこと言います?しかも赤点はまぬがれたどころじゃないですよ、15点は上でしたから」

「どっちにしろギリだろ」

「15点も差があったらギリじゃないですよー」

 頬を膨らませながら言う白石に、俺は思わず笑ってしまう。




 高柳も…きっと、そのうち気づくだろう。

 今あいつが守ろうとしている自分のプライドより、大切なものがあることに。『特別』なんてものは自分が自分を評価するものじゃなく、他人に思われるものだってことに。




「なぁ白石、俺にとって特別なものって何か分かるか?」

 不意に、聞いてみた。珍しく俺から話を振られたことが嬉しかったのか、白石は目を輝かせながら少し考える。

「えーっと…ピアノ?ジャズ?あ、でもこの前買ってたCDも気に入ってましたよね…」

 一生懸命考えているのは分かるが、全部的外れだ。

「先生、答えなんですか?」

「さぁ」

「『さぁ』って!話振っておいてそれ!?」

 口をポカンと開ける白石に、俺はもう一度笑う。





 …しばらくは絶対、教えてやらない。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ