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Sweet&Bitter  作者: みずの
あなたの傍に
52/152


 自分の家でもないので勝手にくつろげるわけもなく、私はちょこんとソファに座って待っていた。テレビをつけるのも何をするのも気が引けて、とりあえず座っているだけ。

「…あ、そうだ」

 ふと修司さんに言われたことを思い出して、鞄の中から携帯電話を取り出した。



 携帯のインターネット画面を開く。こういう時、パケットし放題のプランにしておいてよかったと思う。

「えーっと…」

 さっき修司さんに教えてもらった曲名を声に出して思い出しながら、それを英字で打った。すぐに検索結果が出て、その膨大な量に驚いてしまう。

 …相当メジャーな曲らしい。




「………」

 検索結果で上位に上がってきている中から、日本語訳した歌詞や曲の由来について語っているサイトを探す。そうしていくつかのサイトを調べてみたけれど…いくつか解釈の違いがあるとはいえ、大体の曲のイメージは掴むことができた。



 思い出すのは、ケイコさんに言った先生の言葉。

『曲目変えてくれ』

 当初予定していた曲を変更して、先生が新たに加えたのはこの曲だったのかもしれない。



 その次に思い出したのは、修司さんの言葉。

『ユキはさ、確かに無口な方だし…あんまり肝心なこと言わない方だけど、結構やることは分かりやすいと思うよ』

 そう言ったその意味が、今ようやく分かった気がする。




「あなたのそばに」

 そう日本語訳されるその曲は、英語の歌詞ならではの…少し恥ずかしくなるくらいのラブソングだった。



 この歌詞の主人公は、よっぽど恋人のことが好きなんだと思う。自分の胸を高揚させるのも喜ばせるのも、他の何でもない、恋人がそばにいてくれることだけだという歌詞。

「…キザ」

 ふふ、と笑いながらも、携帯を眺める目に涙が浮かんだ。



 何度も何度もその歌詞を読み返す。ふと、人の解釈の入った訳ではなくいつか自分で訳してみようかなという気にすらなった。




 そうして何十分浸っていただろう。

 やがて、玄関のドアがガチャガチャと音をたてた。鍵を差し込んで、回したのにドアが開かなかったことに焦ったのか、再びそこに鍵を差す音が聞こえる。

 …そういえば、ここへ来て鍵をかけるのを忘れていた。




 少し焦ったようにドアを開いた先生は、当然だけどそこに私がいると思っていなかったらしく部屋の中を見て大きく目を瞠った。

「おかえりなさい」

 涙目になっていたせいで少しぎこちなかったかもしれないけれど、私はそう言って笑ってみせた。

「…お前…」

 驚いた顔をした後、先生は瞬時に表情を厳しくする。

「いるならいるで、鍵くらいかけろ!」

 急に怒鳴られて、私はビクリと肩を震わせた。

「…ごめんなさい…」

「何かあったらどうすんだよ…」

 言って先生は、乱暴に靴を脱いで部屋に入ってくる。そんな先生の言葉に、私は自分の思っていた意味合いと違うものを読み取ってわずかに目を見開いた。

「危ないだろ」

 ソファに座ったままの私のところまで来て、先生はぎゅっと抱きしめる。ふわっとお酒と煙草の匂いがしたけれど、私の目に溢れる涙の理由にはならなそうだった。



「ごめんなさい」

「…何もなかったんならいい」

「…違うの、そうじゃなくて」

 先生の腕の中で、私はわずかに首を左右に振った。



「なっちゃんから…聞いたんですよね?」

「……お前が謝ることじゃねぇだろ」

 そこでスッと私から離れて先生は立ち上がる。ネクタイを緩めながら目を逸らしたのは…バツが悪かったせいなのか。



「…先生、怒ってるの?」

「……いや」

「私にじゃなくて、自分に?」

「………」

 なっちゃんに言われたことをそのまま尋ねると、先生は珍しく黙り込んだ。



「ごめんなさい。先生を疑ったわけじゃないんです。ただ…」

 言いかけた私の言葉を、先生は片手を挙げて制した。



「…昔から…何も変わってねぇな、と思った」

 ポツリとそう口を開いた先生の言葉に、私は「え?」と目線を上げる。だけど先生の方は決してこっちを見ようとはしなかった。窓の外を眺めながら…それでも本当はもっと遠くを見ているようで。

「昔から口数が足りなくて、変に誤解させたりしてた。それで離れるような女を追う気もなかったし、放置してきた」

「……」

「変わったつもりでいたけど、根本的にはやっぱり変われねぇもんだな」

 自嘲するように笑う先生の横顔に、私は胸のどこかがズキンと痛んだのが分かった。きっとそれは先生の痛みに共鳴したんだと思う。



「…放置、しようとしました?」

「…お前を?まさか」

「じゃあやっぱり、先生は変わったんだと思います」

「……」

 私の言葉に、先生はゆっくりとこちらを振り向いた。何の感情も映さないいつもの無表情が…少しだけ揺らいだ気がした。



「…和美」

「はい」

 たまにしか、私を名前で呼ばない先生。真剣な表情で、ようやく私と目を合わせてくれる。ソファの前に膝をついて、私と目線を同じにした。

「一回しか言わないから、よく聞け」

 こんな時でも俺様口調。でもそんな先生らしさが少し嬉しくなって、私は小さく頷く。そんな私の肩から流れ落ちた髪を一掬いして、先生は少し深めに息を吸った。


 深呼吸のようなそれを吐き出した後、低い声が囁く。



「好きだ」



「…せん…」

 どれほど望んでいた言葉か分からない。

 気持ちを疑うわけではないけれど、それでもその「言葉」にはとても重みがあるからだ。



 一瞬で嬉し涙で泣きそうになりながら、私は必死でぐっと堪える。そんな私の瞼に、先生がそっと唇を押し当てた。慰められているかのようなそれに、逆にまた泣きそうになる。



 徐々に下りてくるその唇が、やがて私のそれと重なった。膝の上に置いてあった手を握る指が、温かい。何度か角度を変えてのその触れ合うだけのキスの後、唇を離すと先生は「…でもな」と小さく言った。



「お前も、悪い」

「……え?」

 いきなり言われた意味がよくわからずに、私は目を見開く。握った手を先生が離そうとしたけれど、名残惜しかったので追いかけて掴んでみた。それに小さく苦笑した後、先生は眉を少しだけ顰める。



「俺だってこれでも少しは傷ついたんだ」

「…えーっと…」

 もしかしたら、この前化学準備室で触れようとした先生の手に強張った反応をしてしまったことだろうか。そう思い当たったのが分かったらしく、先生は「違う、それだけじゃない」と見透かしたように答えた。



「今日の話。ホテルのライブに来るかって言おうとしたら、お前遮るように断りやがって…」

「えぇぇ!!あれお誘いだったんですかっ?」

「はぁ?じゃなきゃ何々だよ」

「…私はてっきり…週末断られるんだと思って、それならいっそ先手をと…」

「………おま…っいらねぇんだよ、そういう間違った方向の回転の速さは!」

 絶句するように言葉に詰まった後のツッコミは、すっかりいつもの先生のような気がした。互いの行き違いに茫然とした後、何故か自然と顔を見合わせてしまった。…そして、思わず同時にぷっと吹き出してしまう。



「あとな、お前、携帯のことだけどよ」

 私に手を握られたまま、先生は隣へ移動する。並ぶようにソファに座って続けた。

「電源切れてる間にかかってきた着信も後で知らせてくれるように、設定くらいちゃんとしとけ」

「……はい?」

「この前、一晩中電源切れてただろ。何回かけても出やしねぇし」

 子どもを叱る親のように頬を抓る真似をしながら、先生は唇を歪めてそう言う。

「えぇぇっ?あの日電話くれてたんですか?知らなかった…」

「そりゃ知らねぇだろ、設定してねぇんだろお前」

「…というか、そんな便利機能があるなんて今知りました…!」

「…お前…っ、説明書くらい読め!」

 携帯電話は、無料通話やらに惹かれて先生と同じ機種を先週買い直したばかりだ。先生はもうその機種を長く使っているので、そんな先生がそういう機能があると言うならその通りなんだろう。



 …だからだ。

 先生があの日化学準備室で、「昨日お前…」と何かを言いかけた風だったのは。



「…なんだか色々と申し訳ありません」

 うなだれるように首を竦めて、私は必要以上の丁寧な口調でそう謝ってしまった。




 やっぱりあの日、先生は心配して電話もくれていたんだ。なんだか今まで悶々としていた多くのことが、段々と紐解かれていく。その渦巻いていた不安もいくつかが自分の落ち度によるものだと気づくと、何だか本気で申し訳ない気分になってきた。



「以後気をつけます…」

「そうしてくれ」

 …いつの間にか立場が逆転してしまった気がしなくもないけれど。まぁいいか、と思って、私は自分でもゲンキンだと思うほど明るい笑みを浮かべてしまう。



「先生、好きです」

「はいはい」

 すっかり立ち直ってしまったらしい先生は、軽く私の言葉を受け流す。でも先生はこの方が「らしい」気がした。ニコニコ笑っていると、先生もふっと笑う。

「お前、立ち直り早ぇなぁ」

 自分のことを棚に上げて言う先生の眉を下げて笑うその顔は、学校じゃ滅多に見られるものではなくて何だか余計に嬉しかった。



「…あ」

 だけど、ふと思い出す。解決していないことが…後一つ残されていた。




「先生、ミスコンのことなんですけど…」

 その単語を出すと、先生がピクリと反応する。感情を映さないあの目に射抜かれそうになりながら、私はそれでも続けた。

「初めに、『引き受けるな』って言ったのは…私が先生にとって自慢できるような彼女じゃないから…?」

 なっちゃんと修司さんの答えでは、先生はそういう考えをするタイプじゃないという話だった。それを確認するために、あえてそういう聞き方をした。

「…んなわけねぇだろ」

 短く答えて、先生は吐息を漏らす。

「じゃあ、独占欲?」

 小首を傾げて覗き込みながら修司さんの言葉を借りると、先生は本格的に呆れた顔をした。

「んなこと聞くか?普通」

「違うの?」

「……」

 どうあっても答えてはもらえないらしい。仕方なく、私は質問を変える。



「じゃあ…その後急にミスコンのこと『どうでもいい』って言ったのは…何で?」

「『どうでもいい』なんて言ってねぇだろ。『もうどうでも良くなった』って言ったんだ」

「同じですよ」

「違うだろ、全っ然。お前、なんか最近拓巳に毒されてきてんじゃねぇか。似てきたぞ言動が」

「理沙さんは心の師匠です」

「…最悪」

 本気で眉を寄せて、先生は呟いた。それでも手は離さないでいてくれるらしい。



「…ねぇ、先生」

「あーもう、何でもいいじゃねぇかよ、んなこと」

「…ちゃんと説明してくれないと…私変に勘違いしてまた傷ついちゃうかも…」

「……お前たまに本気で俺を脅すよな」

 はぁーっとため息をついた先生が、降参したようにソファにもたれかかる。背もたれの一番上に後頭部を置いて、天井を仰ぎながら目を閉じた。その上につないでいない方の手の甲を乗せる。



「…最初は、確かに『余計なもんに出るな』って思った」

「……」

「だけど考え直した。ミスコンに出ようが出まいが…どいつがお前に惚れようが…関係ねぇ、って」

「『関係ない』?」

「…お前、また変な方向に誤解しようとしただろ」

「……先生の言葉の選び方が問題なんだと思います」

 小さく反論すると、先生は痛いところを突かれたのか一瞬言葉を失った後再び目を閉じた。



「…つまり、だ」

 言いにくそうに、言葉を途切れ途切れ発する。



「お前がどうしようと、誰に注目されようと…俺の傍にいてくれるならそれだけでいいって思ったんだ」



 言われた言葉は、どこかで聞いたような…覚えのあるものだった。

 …そうだ、さっき穴が開くほど眺めた日本語訳の歌詞。あの一曲のフレーズに、少し似ていたんだ。



「だから…ミスコンは『どうでもいい』?」

「言葉が足りなくて悪かったな」

 不機嫌そうに言った先生は、言いたくないことを言わされたせいかプイと顔を背けた。珍しく耳まで真っ赤になっている気がしたのは気のせいじゃないだろう。




「先生」

 全ての私の勝手な誤解が解けて、口元が思わず綻んでしまう。繋いだ手はそのまま、私はもう片方の手で先生の腕にしがみついた。

「好きです」

「それはさっき聞いた」



 呆れたようにこちらを向いた先生の素直じゃない一言に、もう一度私は笑ってしまう。そうして少しだけ身を乗り出すと、今度はこちらからその唇にキスをした。






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