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Sweet&Bitter  作者: みずの
あなたの傍に
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 先生にお礼と「我儘言ってごめんなさい」というメールをすると、「これから職員会議があるから少し遅くなる」という一言だけのメールが返ってきた。素っ気無いようにも見えるその一文が、それでも私は嬉しい。ニコニコしていると、隣で智子が呆れたように私を見た。



「で、どうすんの?どっち買うの?」

 スパゲティの細いのと太いのをズイと私の目の前に差し出しながら、少しだけ乱暴な口調でそう聞いてくる。「えっと…」と迷いながら細い方を手にとると、智子は残った方を元の場所に戻した。



 部活を終えた智子とは、昇降口で一緒になった。下校時刻が重なったこともあり、先生の家は智子のすぐ近くにあることもあり…一緒にここまで帰ってきたのだ。せっかく先生を待つんだったら夕飯でも作ってようかなと思ったことから始まり、スーパーにまで智子に付き合ってもらっている。メニューは前に茜に教えてもらった15分でできるソースを使ってスパゲティにするつもりだった。



「和美もさぁ、こういうことするようになるもんなんだねぇ」

 どこか感心したように、智子は続いてホール缶のトマトを手に取る。2種類あるそれを見比べてから、安いほうを私の持つカゴに入れた。

「ん?どういうこと?」

「だって、料理とか基本的に好きじゃないし苦手でしょ?それでも彼氏のためには作りたいとか思うんだな、って」

「智子は?そういうのないの?」

「私はないなぁ。裕貴の方が料理うまいもん」

 中学の時から付き合っているという彼氏の名前を出して、智子は肩を竦めた。

 正直、私だって自分で驚いている。自分でもそういうタイプだとは思っていなかったから。



「でも先生って、放っておくと食事しない人だから…っていうのもあるかも」

「何、本城ってそういうタイプなの?」

「うん。食べること自体は良くても、作ったり食べに行ったりする時間がもったいないんだって」

「はー…理解できないわ」

 苦笑を浮かべて、智子は次々とカゴの中に必要なものを入れていく。私がメモした紙を見ながら、品物を選んでくれていた。



「で、和美さぁ。話変わるけど、ミスコンどうするつもり?」

 尋ねられて、私は思わず「…うっ」と返す言葉に詰まる。今ここで聞かれるとは思っていなかったので、自分の中でも整理できていない。

「…正直言うと、迷ってる…かも」

「まぁそうだよね」

 ここまで付き合ったお駄賃だ、と呟きながら、智子は自分が欲しがっているミントガムまでポンとカゴの中に入れた。



「ミスコンなんて出ても優勝できる気がしないし…。皆の期待には応えられないと思う」

「そんなことないと思うけどね、その点に関しては」

「でも、皆がああやって盛り上がってる時に自分だけ『イヤイヤ』ばっかり言って雰囲気を盛り下げるのも…」

「うんうん、和美は結構空気読む子だもんね」

「…でも……」

「本城でしょ?何か言われたの?」

「…ミスコンの話が出る前にだけど……『引き受けるな』って…」

「…はぁーん、なるほど」

 妙な声で納得の意を表しながら、智子は軽く頷いた。それから、「ま、よく話し合って来な」とポンポンと私の肩を叩く。

「そうする」

 短く答えて、私はそのままカゴを持ってレジへと向かった。



 会計を済ませて外に出た頃には、もう大分日が傾いてしまっていた。智子とは道の途中で別れて、私は記憶にある通りを歩いて行った。

 誰がいるわけでもないし、辿り着いたところで先生が待っているわけでもないのに、ドキドキと胸が高鳴る。アパートに着いた時には緊張は最高に達していた。鞄に忍ばせていた鍵を取り出して、その鍵穴へ差し込む。


「お邪魔しまーす」

 小声で何となく挨拶をしてしまいながら、私はその扉を引いた。玄関の電気を点けて、靴を揃える。振り返った室内は当たり前だけれどシンとしていて、胸中は少しの寂しさとここに来ることを許された歓びが入り混じった。



 6月中旬の熱気のせいか、室内は少し蒸し暑くなっていた。リビングの窓を開けると、ふわっと涼しい風が入ってくる。部屋の中は相変わらず男の人らしくなく整頓されていて、私がどうこうする隙もなさそうだった。


 持ってきた荷物をキッチンに置いて、早速茜からもらったレシピを取り出す。

 先生はやっぱり料理なんかほとんどしないらしく、道具類も一通りは揃っていそうだけれど使った形跡があまり感じられない。





 茜には15分でできると言われていたそのレシピも、私が作れば1時間は余裕でかかった。それにサラダとスープの準備をしていると、それだけで時間はあっという間に過ぎてしまう。それら全ての準備がひと段落ついた頃には時計は既に8時を回っていた。



 ソファに座って、ふーっと大きく吐息を漏らす。慣れないことをして疲れたけれど、それでもどこか幸福感に満ち足りている感じだった。



 そうして、しばらくそこで休んでいた時だった。



「……?」

 不意に、ピンポーンとチャイムが鳴らされる。

 先生が帰ってきたのかと思って急いで玄関に向かったけれど、その短い間にすら何度も繰り返して鳴らされるそれに少しの違和感を覚えた。…先生だったら、こんなにしつこく鳴らしたりしないだろう。何かに焦っているかのような…そんな鳴らし方だったから。



「…っ!」

 覗き窓で覗いたそこにいた人を確認して、私は思わず息を飲んだ。

 そしてそれから、慌てて鍵をかけてあることを確認する。声を殺して息を潜め、もう一度自分の目を疑うように再度相手を確かめた。



 …そこにいたのは、相澤先生だった。


 職員会議を終えて、すぐにここへ来たんだろうか。

 上下させている肩が、息が切れていることを物語っている。何をしにきたのか…見当もつかなかった。それでも今日クラスの女子たちが、相澤先生が本城先生のことを好きだという噂話をしていたことははっきりと思い出した。



「…本城先生、そこにいますよね?」

 ドアを開けようとしない私に痺れを切らしたのか、相澤先生はふと手を止めてそう呼びかけてきた。…まずい。部屋の電気が煌々とついているのは外の廊下からでも分かるだろう。ゴクリと息を飲んで、私はドアから少し身を離して身動きしないよう意識した。



「開けてください!…話があるんですっ」

 切羽詰まったような声は、懇願するように響いてドアを叩く。声を漏らさないように口元を手で覆った私は、それでもその先生の声がほんの少し前の自分と似ている気がしてどこか切なくなった。



「…私…っ」

「…何してるんですか」

 何かを言いかけた相澤先生の向こう側から、低い声が聞こえてきた。

「…っ」

 本城先生の声だ。



「あ…私…」

 言葉が続かなかった相澤先生は、わずかに息を飲んだようだった。だけどそれも一瞬のことで、すぐに再び凛とした彼女特有の声を取り戻す。

「…中に…誰かいらっしゃるんですか?」

 聞かれた本城先生は、間を空けることなく平然と「いいえ?」と答えた。

「でも…電気点いてますよね」

「消し忘れたんじゃないですかね、家出る時」

「…インターホン鳴らす前、物音がしてたみたいですけど」

 尚も食い下がろうとする相澤先生の言葉に、本城先生は微かに笑ったようだった。その表情は想像できる。どこか相手を揶揄するような…そんな笑み。


「あぁ、最近ネコを預かってるんです」

「アパートなのに?」

「大家には内緒にしてください」

「…ネコが換気扇を点けたりするんですか?」

「最近のネコはジャンプ力がすごいんですよ。ご存知ありませんか?」



 そんな会話を聞いて、ようやく私は換気扇を消し忘れていたことに気づく。…先生、ごめんね。心の中で謝りながら、私は尚も声を出さないように注意した。




「…何か御用ですか」

 先生の声が、どこか冷たく響く。

「……」

 ぐ、と一瞬声を飲み込んだ相澤先生は…それでも再び意を決したように口を開いた。

「…生徒たちのことでお話が」

「学校でできない話ですか」

 畳みかけるように言葉を継ぐ先生は、少し意地悪なようにも感じられる。その迫力に相澤先生が気圧されるのは安易に想像できる。それこそ、この前までの私と同じようだったから…。




「今日、うちの生徒たちの様子を見ていて気になったんです」

「?」

「…あの…さしでがましいことを言うようですが…あまり生徒たちに無駄な期待を持たせない方がいいのではないかと…」

「……」

「まだ子どもなのに、夢ばかり見て傷つけるだけじゃ…あまりにも可哀想です」

 そう言った相澤先生が何を言わんとしているのか…私は頭を整理させてからようやく理解できた。今日、本城先生を追っかけ始めた女の子たちのことを言っているんだ。



「あの、本城先生…」

 何も答えない先生に、相澤先生が控えめに呼びかけた。その時、喉の奥をクッと鳴らして先生が笑うのが分かる。

「『無駄な期待』…ね」

 相澤先生の言葉を繰り返すその声が、どこか嫌味に響いた気がした。

「それは確かに『さしでがましいこと』ですね」

「!…」

 笑って言う先生の言葉に、相澤先生がヒュッと息を飲む。



「わざわざこんなところまで来たのは、それだけ言うために?」

「…っ」

「話が終わったなら、そこどいてもらえませんか」

 その次の瞬間だった。パン!という乾いた音が扉ごしにも聞こえてきた。

「…!」

 驚いて覗き窓から一生懸命覗こうとするけれど、ちょうど先生たちの姿は角度が悪くて見えない。だけど代わりに、カンカンという高い音がして相澤先生が階段を下りて帰っていったのだけは分かった。



「……」

 それを見送っていたのか、数秒間の沈黙の後で再び部屋のインターホンが鳴らされる。今度は間違いなく先生のはずだ。恐る恐るドアを開くと、先生はあまり隙間を開けずに中に入ってきた。多分、まだすぐそこにいるだろう相澤先生が振り返った時に私の姿が見えないようにだろう。



「…先生…」

 玄関で待っていた私を見て、先生は微かに笑ったようだった。


 軽くキュッと抱きしめながら、「ただいま」と耳元で囁かれた。




******



「…先生、ほっぺ大丈夫…?」

 着替え終えた先生に、私はそう尋ねながら冷えたタオルを差し出す。それを受け取りながら、「音だけ派手で大して痛くねぇからな」と頬に当てた。



「先生…」

「あ?」

 冷やした瞬間はやはり少し痛んだのか、先生はわずかに眉を寄せる。確かにそれほど大したことはなさそうだけれど、ほんのり頬が赤みがかっていた。

「相澤先生は……その…先生のことが好きなんでしょうか…?」

 じゃなきゃ、彼女の行動も説明がつかないけれど…。私は思わず、そんな質問をしてしまっていた。



「…だろうな」

 短く答えた先生は、言って立ち上がる。キッチンへ向かって冷蔵庫を開くと、中からミネラルウォーターのボトルを取り出した。それをコップに注ぎながら、そこに私が下準備しておいた夕飯があることに気づく。

「お前が作ったの?これ」

「え?あ、はい、一応…」

 思わず照れた顔で答えてから、私はハッと我に返った。

「先生っ、ごまかさないでくださいっ」

「…別にごまかしたわけじゃねぇけどよ」

 コップに注いだ水をグッと飲み干してから、先生は顔を歪める。



「気分悪くなる話を飯の前にするのは趣味じゃねぇんだ」

「でも…」

 言いかけると、先生は益々不機嫌そうに目を細めた。それから、リビングの方へ戻ってきてソファにどかっと腰を下ろす。ため息まじりに視線を上げると、傍らに立つ私の手首をグイと引いた。

「!」

 驚いたけれど引っ張られる勢いに任せて、私はすとんとそこに座らされる。

「…で?じゃあお前は何が聞きたいんだよ」

「~~っ」

 膝の上に乗せられて耳元で低い声で囁かれたら、まともに話なんてできるわけがない。言葉を返す余裕すらなくて、私は赤面して唇を噛んだ。



「相澤が俺のこと好きだとして、だからそれが何だって言うんだ」

 突き放すような言い方は、私にじゃなくて相澤先生になんだろうけれど。それでも冷たい声には、胸がどこかズキと痛む気がする。



「でも…」

「大体、フェアじゃねぇだろ」

 私の言葉を遮るように、先生は重ねてそう言った。

「自分の言いたいこと隠して、生徒の心配してるフリ?いつもやり方が汚ぇんだよ」

「……」

 言いながら、先生は私の長い髪を一筋手に掬う。長くてキレイな指が、梳くように撫でていった。

「恋愛なんてな、本音をちゃんとぶつけた人間だけがちゃんと相手と向き合えるんだ。いつでも遠まわしな態度でしか接してこねぇ奴に真っ向から答えてやる義理もねぇだろ」

 それは…前にどこかで聞いたような言葉だった。


 …そうだ、あれは確か…先生に想いを伝えることをためらっていた私に、祥太郎が言った言葉だ。



「…先生、でも私はちゃんと好きだって言ったのに最初聞き入れてもらえなかった…」

「さて、そろそろ飯食うか」

「先生っ」

 あからさまに話をはぐらかして笑う先生に、私は思い切り頬を膨らませてみせた。拗ねついでに、さっきから少しだけ気になっていたことを言ってみる。

「それに先生、私ネコじゃありません」

 唇を尖らせたまま言うと、先生は今度こそおかしそうに笑った。

「どう考えても犬タイプじゃねぇだろ」

「そういう意味じゃないですっ」

 わざと怒り口調で言うと、先生は笑いながらストンと私を床に下ろす。…もう、どうやったら真面目に取り合ってもらえるんだろう。


 先生こそ本音は大人の余裕で包み隠してしまうから、私には推し量ることすらできないのに。



 連れられるままキッチンへ行って、夕飯準備の仕上げに取り掛かる。先生も手伝ってくれるらしく、パスタを茹でるために大きめの鍋に水を注いでくれていた。



「先生、あと聞きたかったことがあるんですけど…」

 パスタソースを温めるために火を点けながら、私は隣の先生を見つめる。浄水器をつけた水道の水を止めながら、先生は「何?」とこちらを向かないまま返事をした。



「あの…今日のミスコンのことなんですけど…」

 言うと、ようやく一瞬だけこちらを見た。

 一瞥するような視線は流れるように逸らされて、それから先生は「あぁ」と曖昧に頷く。

「先生が『引き受けるな』って言ってたの…ミスコンのことですよね?」

 確認の意味で聞いたけれど、先生は無表情のまま即答はしなかった。手にした鍋をもう一つのコンロに置きながら、同じように火を点ける。


「あれな、別にもういい」

「……え?」

「お前だってああいう空気になったら断りにくいだろ」

 それは…そうだけれど。でも、そんな風にあっさり引き下がられたらどうしていいか分からなくなる。


 ちゃんと話合わなきゃ、と思ってきたのに、半ば拍子抜けだった。




「なんかもうどうでも良くなった」

 続いた先生の言葉に、私は大きく目を見開く。



『どうでもいい』…?



 先生の雰囲気からは怒っている様子も見られなかったけれど…。

 どこか投げやりにも聞こえたそれは、私を突き放すようにさえ感じられた。






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