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Sweet&Bitter  作者: みずの
あなたの傍に
45/152


 休み時間になっても長い昼休みになっても、相変わらずその日のクラスの話題は先生のことばかりだった。


「髭くらいでそんなに騒ぐもんかね」

 ミルクパンを頬張りながら、由実が首を竦めた。

「女子高生には、男は髭があるだけで気持ち悪いって思う子いっぱいいるじゃん?だからそれがなくなったらやっぱり印象違うんじゃない?」

 いつも自分で手作りしているというお弁当を広げて、智子は笑う。

「本城先生、確かによく見るとカッコイイもんね」

 こちらも同じく自分で作ってきたサンドイッチを手に、茜が頷いた。


「…納得いかない」

 不機嫌そうに眉を寄せて、私はブリックのレモンティーを一口含む。だって、髭がなくなっただけで先生の本質は何も変わってないのに。そう思って少し乱暴に紙パックを机に戻した時、後ろから肩を叩かれた。



「和美、今日部活ある?」

 クラスメイトの女子だった。


「ううん、ないよ」

 買ってきたばかりのパンの袋を開けながら、私はそう答える。

「来週の球技大会、和美バスケでしょ?今日放課後練習しようって話になったんだけど」

「あ、うん、いいよ。…あ、でも私委員会がある!」

「んーじゃあそれ終わったら体育館来て」

「はーい」

 大きく頷いて、それだけ言い置いて去っていこうとする彼女に手を振った。そんな私を見て、「はぁー」と由実が感心したように声を漏らす。

「真面目だねぇ、バスケチーム」

「皆のとこは練習ないの?」

 由実はサッカー、智子と茜はソフトボールに参加するはずだ。

「ソフトは知らないけど、うちのサッカーチームが負けるはずないもん」

 平然と答えて、由実は笑った。



 確かに、由実がいるだけでうちのクラスのサッカーは安泰な気がする。そう思って微かに笑うと、私は手にしたパンをちぎって口に放り入れた。




 今日の6限には2学期にある文化祭の話し合い。そして明日からは三者面談。来週は球技大会で、再来週から期末テスト。……学生も色々と盛りだくさんだ。



 そう思って、そこでふと先生の朝の言葉を思い出した。『引き受けるな』と、言った一言を…。



 その言葉の意味することを知るのは、このもう少し後のことだ。






「…じゃあ多数決で、うちのクラスの出し物はお茶のお店にします」

 6限のLHRも終盤に差し掛かった頃、文化祭実行委員がそう案をまとめた。


 多数決で決まったそのお店とは、中国茶を出すカフェ(?)だった。無論、中国茶なので女子は全員手作りのチャイナドレスを着る予定…らしい。これに喜んだのは一部の女子と多数の男子だけれど。


 それでもそれだけいれば、クラスの多数票にはなる。圧倒的票数で決まったそれに、由実は忌々しそうに舌打ちしていた。由実は確かにチャイナドレスとかそういう特別な女の子らしい格好をするのが嫌いそうだ。



「やっぱ男の夢の一つだよな、チャイナドレスは!」

 私の隣の席の男子が拳を握りながら力説している。…なんなんだろう、この熱さは。半ば呆れながら教室の隅に視線を移すと、クラスの男子とはうってかわって涼しげな感じの先生が椅子に座っていた。LHRの内容は全て実行委員に一任しているのか、ここまで一言も口を挟んでいない。

 盛り上がる教室内をいつもの冷めた目で見渡したり手元のノートに何か書き込んだりしながら、ただ黙って聞いている。



「本城先生も喜ぶかな、和美のチャイナドレス姿」

 タイミングよく振り返った茜が、コソコソと周りに聞こえないように耳打ちしてくる。

「…バカ」

 そのおでこをペシっと叩いて、私は唇を歪めた。…そんなことで喜ぶ先生は全く想像もつかない。




「えぇっと、じゃあクラスの出し物は以上です」

 大体の係も決め終えた頃、実行委員が話をそう締めくくった。HRが終わりそうな気配に、私は小さく首を傾げる。


 …先生が、言っていたのは何のことだったんだろう。係だって滞りなく決まったし、私が引き受けちゃダメそうなことなんてここまで何もなかった。


「……」

 そう思って、再び視線を先生に移す。…ちょうど顔を上げていた先生と、目が合った。それから、ふいと私から目線を逸らしてしまう。

「……?」

 尚更意味が分からなくて、眉を寄せたその時だった。



「えっと、じゃあ最後に提案なんですけどー」

 クラスでもムードメーカーとして人気者の実行委員の男子が、そんな風に言葉を継いだ。終わりかけていた話し合いの空気が、再び引き戻される。ざわざわしながらも教壇の方を向いたクラス中の視線を受けながら、彼は続けた。



「実は…これは極秘で仕入れた情報なんだけど」

 そんな言葉に、ざわめいていたクラスが一瞬静まる。他のクラスには内緒、と前置きした彼が再び口を開きかけた時、先生が不機嫌そうに目を細めたのが見えた。

 多分、他の人には気づかれない程度の変化だったけれど。



「今年も文化祭でミスコンがあるんだけど…去年までと景品の質が全然違うらしくて」

 続いた彼の言葉に、再び瞬時に教室内がざわっとした。

「何がもらえるかはまだ教えてもらえてないんだけど、すっごくイイ物だって聞いてる」

「そこで、うちのクラスでも本気でミスコン校内優勝を狙いたいと思ってるわけ」

 もう一人の実行委員の女子が、ニッと笑って言葉を引き継いだ。



 ミスコン…そういえば、そんなものあったかも。クラスで一人を限度に女子をコンテストに出場させることができる。もちろん、不参加のクラスがあってもいい。

 投票は生徒はもちろん当日訪れた父兄や他校の生徒たちも参加できる。出場者の中から学年ごとに一人ずつ優勝者を発表し、更にその中で一人だけが学校内の最優秀賞に選ばれるというわけだ。


「ミスコンだって」

 茜が肩を竦めながら、こちらを振り返る。

「ね、大変だね出なきゃいけない人は」

 興味なさそうに呟いて、私は尚も質問が飛び交う教室内を見渡した。



「今年はチャンスだと思うんだよね」

 実行委員の女子が、グッと拳に力をこめながら言う。

「ミスコンは、去年優勝した人は出られないことになってるから」

「3年の春日愛海先輩が出られない今年が、狙い目ってわけ」

 説明する実行委員の言葉を、私は半ば聞き流していた。早く終わって、委員会の時間にならないかな…。


 どちらかというと、委員会で先生が喋っているところの方が見たい。



 そんな風に思っていた時だった。



「で、うちのクラスからは白石さんに出てもらおうかと思って!」

 自信満々に言ったその実行委員男子の言葉に、全員がこちらを振り返った。




 ………え?




 ヒマを持て余すように頬杖をついていた私は、その視線に一瞬目を丸くした。



 …わ、たし……?




「どうかな、和美!」

 教壇に立っていたその女子が、懇願するように私に言う。一瞬静まった教室内も、次の瞬間にはわっと沸くように声が溢れた。

「それいい!確かに和美なら優勝できそう!」

「和美ー、引き受けてよ!クラスのために」

「確かに和美と美人具合で競えるって言ったら春日先輩くらいしかいないよねぇー。チャンスかも」

「…っちょ、ちょっと待って!」

 大声で制してみようとしたけれど、湧き上がるクラスの歓声は抑えられない。驚きの余りその場で抗議しようと立ち上がってから…私はハッと我に返った。




 …これだ。先生が言っていた「引き受けるな」という言葉。


 出し物の方じゃなくて…ミスコンのことだったんだ。



「いや、私、ミスコンなんて出られるようなあれじゃないし!」

「何言ってんのー?和美が出なくて誰が出るの?」

「そうだよ白石ー、そもそもなんでお前去年出なかったん?」

 勝手に盛り上がる教室内に、私は正直焦りながら口をパクパクさせた。…何と言えばいいんだろう。横目で盗み見た先生が余りにも無表情なのが逆に怖い。



「まぁ皆、待ちなよ」

 私の代わりに遠くでそう皆を制したのは、他でもない智子だった。その落ち着いているのに響く声に…教室内がシンとする。



「ここはさ、まだミスコンエントリーまで時間があるんだし、和美によく考えさせてあげようよ」

 智子のそんな言葉が、私の唯一の救いのようだった。

「和美だって彼氏とじっくり相談したいだろうしさ」

「ととと、智子!」

 教室の一番端っこにいる智子のそんな発言に、私は慌ててその名を呼ぶ。


 な、何てこと言うんだろう…!視界の片隅に映った先生のポーカーフェイスがやっぱり余計に怖い。



「えぇっ、和美、彼氏いたのっ?」

「初耳!!」

「そんなこと全然言ってなかったじゃん」

「誰誰、どこのクラスっ?それとも他校っ?」

「っていうか、彼氏と相談するようなこと?」

「彼氏がミスコン反対するとか?」

「そんな男いねぇだろー」

 言いたい放題に再び騒がしくなった教室内の声に、智子がニヤニヤと笑う。まさか本気で反対されている(らしい)ということは皆には言えない。…うぅ、近くだったら智子の口を塞いでやったのに…!



「じゃあ白石さん、まだ時間あるから彼氏と話し合ってきてもらえる?」

 終わりの見えないこのHRを何とかまとめようと、実行委員の男の子がそう言う。

「…いや、私まだ出るとは…」

「お願いします!」

 クラス中から合掌されながら頼まれて、私は続きかけた言葉を飲み込んだ。



「…終わりか?」

 とりあえず話がまとまったと判断したのか、そこでようやく先生が立ち上がった。ノートを手に教壇の方へ向かいながら、実行委員に席へ戻るように促す。

「じゃあこのまま帰りのHRやるぞ」

 表情も声音も、全て平常通り。


 先生はそのまま、ノートに書いてあった連絡事項を読み上げ始めた。




******



 委員会が始まっても、もう先生とは目が合わなかった。



 怒ってる…わけではないと思うんだけれど。

 ……いや、もしかしたら智子に対しては怒ってるかもしれないけど。




 ちゃんと話をしなきゃダメだ。そう思ったけれど、この後はすぐに球技大会の練習にも参加しなきゃいけない。次から次へと押し寄せる予定が今日ほど恨めしかったことはない。



 慌てて行った体育館で、もうバスケの練習は始まっていた。


 と言っても部活ではないからお喋りをしながらの緩めの練習だ。シュート練習をしながら話す話題は、おおよそがやっぱり先生のことだった。



「本城ってさぁ、彼女いんのかなぁ」

 誰かが髭のことだけじゃなく、そんなことまで言い出す。

「さぁ、そう言えば聞いたことないよねぇ。…ていうか興味持ったこともなかったかも」

「いやぁ、でも今はいたらショック」

「私もー」

 笑いながら言うクラスメイトたちの言葉に、私は引きつった笑顔で聞き役に徹する。…本気で笑えるわけがない。



「あれ、でもちょっと前に3年の菅原先輩と噂あったよね?」

「あーあれ、ガセらしいよ?うちの部の先輩が言ってた」

「そっかぁ、良かったぁ」

 久々に聞いた名前に、一瞬ドキリと胸が跳ね上がる。すっかり忘れていたけれど…そうだ、菅原先輩とのことも今後頭痛の種になりそうだ。



「でもさぁ、こんなにいきなり女子の注目集めちゃったら、菅原先輩もそうだけど相澤先生も気が気じゃないだろね」

 誰かが、ふとそんなことを言った。



「…え…?」

 私だけが首を傾げてそちらを向くと、皆が意外そうに目を丸くする。

「あれ、和美知らないの?相澤が本城のこと好きなの」

「えぇぇっ?」

 寝耳に水、とはまさにこのことだ。驚きの余り自分でもびっくりするくらいの高い声が出て、私は目を見開く。

「結構前から噂あるよね。1年の時からだっけ?」

「つうかあれは噂っつーか見てりゃ分かるって」

「結構顔に出てるよね、相澤先生」

「……」

 皆の言葉を聞きながら、私は黙々とゴールに向けてシュートを打つ。思ったより動揺しているのか、何度やってもリングに弾かれた。



 そんな話を聞いていて…ようやく色んなことが理解できた気がする。どうして私のCDを没収した相澤先生が、本城先生にあんなことを言ったのか…。相澤先生は、気づいていたんだ。私の好きな「ジャズ好きな人」が、本城先生だということに…。


 それで本城先生が何かしらの反論をしたんだとしたら、あの日私と先生が一緒にいた時に無視するようなことをしたのも辻褄が合う。



「和美?順番だよ?」

「え?あ、あぁっ」

 考えごとをしているうちに再びシュートを打つ順番が回ってきていることに気づかなかった私は、そんな声にようやく我に返った。




******



 先生は、知っているんだろうか。相澤先生や菅原先輩が自分に気があること。


 聞いてみたいけれど、そういったことを聞くのは無神経だろうか。でも、話したいことはミスコンのことも含めて他にいくらでもある。そう思って練習を終えてから化学準備室に行ってみたけれど、そこに先生の姿はなかった。

 代わりに、1年生の女子が3人ほど集まっていた。化学部の後輩たちだ。



「いた?本城」

「いないー」

 準備室をノックしたけれど鍵もかかり返事もなかったようで、彼女たちはそんな会話をしている。手にしたノートから恐らく化学の質問に来たということが分かった。だけど彼女たちは、ついこの前まで先生のことを「怖い」と敬遠していたはずだ。



「あ、白石先輩」

 私に気がついた一人が、声をかけてくる。

「こんにちは」と挨拶をされて、私も笑顔でそれに応じた。

「先輩、本城先生知りません?質問したくて探してるんですけど…」

 尋ねられて、私は小さく小首を傾げてみせる。

「さぁ…。私も聞きたいことがあって来たんだけど、いないんだ?」

 ニッコリ笑って応じると、彼女たちは「そうなんですよ…」と明らかにがっかりした感じで答えた。

「ここにいないとなると、職員室かな…」

 彼女たちのうちの一人が、口元に長い指を当ててそう考えるような仕草で言う。

「先輩も、先生見つけたら教えてくださいー」

「うん、わかった」

 軽く片手を挙げて応じて、私は元来た道を戻ろうと踵を返した。彼女たちは正反対の方へ向かって歩いて行ったようだ。



「……さて」

 どこにいるのだろうか、見当もつかない。恐らく、彼女たちの行った職員室にはいないはずだ。三者面談が終わるまで、グチグチ説教してくる教頭先生から逃れたいはずだから。となると、なっちゃんの数学準備室か苑崎先生の美術室に雲隠れしたか…。


 それとも……。



「…!」

 そんなことを考えていた時、ふと視界の片隅に映った影があった。それは窓の外で、旧校舎とを繋ぐ今はほとんど誰も行かないような中庭のベンチだった。

「…先生…っ」

 びたっと窓に張り付いて呼ぼうとしたけれど、ここからでは少し遠くて声は聞こえそうになかった。

「…っ」

 慌てて走り出した私は、先生のいる方へと向かう。途中で何人かにぶつかりそうになって謝りながら、私は中庭へと急いだ。






「…先生っ」

 中庭に辿り着いた時、まだそこに先生はいた。ベンチにもたれかかって、背もたれには右腕を置いている。長い足を組んだその態勢は、およそ学校にいる教師のものとは思えない。

 それでも絵になりすぎていたので、私は思わず微笑んでしまった。



「おぅ、どうした」

 ちょうど口にした煙草に火を点けたところだったらしく、先生はジッポを閉じてポケットに戻す。…良かった。怒ってはいないみたいだ。

 ホッと胸を撫で下ろすと、安堵したのが分かったのか先生は私の顔を見上げてから少し苦笑いを浮かべた。



「…先生、さっきは智子がごめんなさい」

 ミスコンのことなんかはここで話せることではないだろう。代わりに智子の話題を出して、私は謝った。言うと、先生はやはり怒った様子もなかったけれど少しだけわざとらしく顔を歪める。

「俺はお前の友達の中ではあいつが一番怖ぇよ」

「…あはは…」

 乾いた笑いを返したけれど、それは私も同意見だ。多分、一番頭が良い分一番怖い。



「で?なんか話があったんじゃねぇのか?」

 唇から煙草を離して、先生はフーっと煙を吐き出す。煙草の匂いはあまり好きじゃなかったはずだけれど、先生のは嫌いじゃない。花火をする時の火薬の匂いにも似ていて…どこか馴染みのあるものだ。



「…ここじゃちょっと…」

 傍らに立ったまま言うと、先生がそんな私を見上げた。一瞥してから、ふと目線をこちらから逸らすように前に戻す。そんな仕草に、「あ、読まれてるな」と思った。

「先生、今日家に行っちゃダメ?」

「……」

 再び煙草を口に銜えた先生が、少しだけ目を細める。


「…週末だけって約束しただろ」

「そうだけど…でも…」

 先生と、すぐにでもちゃんと話がしたい。メールや電話じゃなく、直接。だけど学校で話して誰かに聞かれるのも困るから…。



 何と説明しようかと考えを巡らせているうちに、先生がもう一度大きく息を吐き出した。煙草の煙を吐き出したように見えたけど…もしかしたらため息だったかもしれない。


 …怒らせちゃったかな…。

 ふと、そんな思いが胸をよぎる。



 学業に支障をきたすといけないし、親の目もあるしで先生の家に行けるのは週末だけという約束は私のためのものだった。それをすぐにでも破ろうとしてしまったから…当然と言えば当然かもしれない。



「……あの…」

 ふと後悔の念にかられると同時に不安になってきて、私はもう一度先生に呼びかけようとした。

「あ、ユッキーいた!!!」

 だけどその瞬間、後ろから華やかな声が聞こえてくる。驚いて振り向いたそこには、クラスの女子が4,5人いた。



「探したよユッキー!何でこんなとこにいんのぉ?」

 朝まで「本城」と呼び捨てにしていたグループも、放課後の今ではこの呼び方だ。…本当に、髭の一つくらいでここまで先生に対する女子の態度が変わるとは思ってなかった。


 それと同時に、先生がどうしてこんなところにいたのか理解できた気がした。化学準備室に訪れていた後輩たちに加え、このクラスの女子たち。黙っていれば囲まれそうな境遇にうんざりしたからここに潜んでいたのかもしれない。



「あのさぁ、今球技大会の練習してんだけどユッキーちょっと見に来てよぉ」

「…何で俺が…」

 面倒くさいと言わんばかりに顔を歪めたけれど、担任教師の態度としては正しくない気がする。

「えーだって、F組なんてなっちゃんがパス出しまでしてるよぉ!?」

「なっちゃん気合入ってるよねー。打倒A組って言ってたよ!負けちゃうよ!?」

「…面倒くせぇな」

 言いながらも、先生は携帯している灰皿に煙草を押し付けた。…確かに、行かないわけにはいかないだろう。先生だって、態度はともかく生徒の面倒見が良くないわけではないから。



「お前ら何の競技だ?」

「バレー。ユッキーできる?」

「…いや」

「えー、ユッキー運痴!?」

「面倒くせぇからやらねぇだけだ」

 先生のぶっきらぼうな一言一言にさえ、彼女たちはキャハハと楽しそうに笑う。昨日までは本当に見られなかった光景だ。



「…あ、ごめん、和美もユッキーに用事だったんだよね?」

 先にここにいた私にようやく気づいたのか、彼女たちのうちの一人が私を振り返った。そう尋ねられて、私は慌てて首を左右に振る。

「あ、ううん。部活のことでちょっと聞きたいことがあっただけで…もう終わったから」

 そうでも言わないと、怪しまれるかもしれない。私が化学部に所属しているのはクラスの皆が知っていることなので、咄嗟にそんな嘘をついた。



「そっか、じゃあね和美ー」

「うん、またね」

 手を振って笑顔で応える私を置いて、先生は彼女たちに腕を引っ張られながら連れて行かれる。



 …結局、今日も話せないままか。教師と生徒だったら、おおっぴらにできない分こんなものなのかもしれないけれど…。




 それでも、やっぱり少し寂しい。






「…あぁ、そうだ」

 グイグイと引っ張られながら連れて行かれかけた先生が、数歩先でピタリと足を止めた。彼女たちもそれにつられるように止まる。やんわりと絡められた腕を引き抜きながら、先生は私を振り返った。



「白石、これ」

 ポケットから取り出した何かを、私にめがけてポンと投げる。宙を舞ったそれは空中で一瞬きらめいた。…金属のようだ。



「……?」

 私の手に収まるように落ちてきたのは、一本の鍵だった。キーホルダーもストラップの類も、何もついていないシンプルな鍵。

「さっき化学室に落ちてた。お前のだろ?」

 私が何か言うよりも早く、少し強めの口調でそう言う先生。勢いに押されながら、私は訳が分からないまま「あ、はい」と答えてしまっていた。


「えー、和美、それ家の鍵じゃないの?」

「落とすなんて危ないよー。気をつけなよー」

「…うん、そうだね。気をつける…」

 笑いながらそう言ってくれる彼女たちの言葉に相槌を返して、私は手の中のそれを見つめた。



 私、鍵なんて落としてない。

 しかもこれは私の家の鍵じゃない。

 そう、これは……。




「……」

 ぎゅっと鍵を握りこんで、先生の後ろ姿を見つめる。引きずられるようにして行くその背中がやはり乗り気ではないようで、少し笑ってしまった。



「…ありがと、先生…」

 聞こえないように呟いて、私は両手でそれを包みこむ。先生の部屋のその鍵を、大事に鞄にしまいこんだ。






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