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Sweet&Bitter  作者: みずの
番外編「akane」
42/152


 一時間ほど資料室に隠れていただろうか。

 身を潜めている間も体は時折震え、それを抑えるように私は自分の体を抱きしめるようにしていた。きっともう、いい加減彼女たちも諦めて帰っただろう。手首につけた時計の時間を確認して、私はそろりと資料室のドアを開けた。



 そこに、先輩たちの姿はなかった。ホッと息を漏らし、廊下に一歩踏み出す。もう校舎内には生徒があまり残っていないのか、静かなものだった。



 教室に戻ると、帰宅したか部活に行った生徒ばかりで誰もそこにはいなかった。静かな部屋に、自分の歩く音だけが響く。たまに風に揺られた何かが小さく音をたてると、それだけでビクリと肩を震わせてしまった。



 自分の鞄だけを手に、できるだけ学校には長居をしたくなくて急いで昇降口へ向かう。誰にもすれ違わずにすんだことだけがせめてもの救いだった。



 学校から駅までの道は、分かりやすい一本道だ。だから、誰もがその道を通る。私は校門を出てすぐ、右に曲がって違う道を選んだ。人通りの少ない道だから、先輩たちもここを通らないだろう。



 だけど……。




 自分の考えが甘かったと悟ったのは、駅までの道を半ばほど進んだ頃だった。

「…!」

 私は自分の前方に、人影が4つあることに気がついた。


 まるで何かを待ち受けるかのように…ううん、実際に待っていたんだ。…私が、ここを通ることを予想して…。




「…よく逃げようなんて考えたよね」

 そのうちの一人が、低い声でそう言った。その一瞬で、私はまた足がガクガクと震えだすのを感じる。持った鞄が、手の震えで落ちそうだった。



「山口くんをその気にさせといて、逃げようって?ちょっと調子良すぎるんじゃないの」

「……っ」

「つうかそもそも、どうやって誘惑したわけ?あんたみたいなブサイクな女が」

「言えてるー。どんくさくて何の取り柄もなさそうだしね」

「こいつの友達、見たことある?めっちゃ美人が一人いるじゃん。そいつと一緒にいるから自分もかわいいって勘違いしてんじゃないの?」

「うわー、ありえる。つうかあんたの友達もあんたみたいなのが友達で嫌だろうねー」

 勝手なことをまくしたてながらも、彼女たちは楽しそうだ。私の方に近寄ってきて、そのうちのリーダー格の人が歪んだ笑みを浮かべた。それから、むずっと一つに結んだ私の髪を乱暴に掴む。



「…いた…っ」

 後ろにある壁にドンと押し付けられる……そう思ったその時だった。




「………なるほどね」

 低い声が、辺りに響く。訪れる衝撃と痛みに備えて目を固く閉じていた私は…その声に耳を疑った。



 ……どうして…?



 引っ張られていた髪から、先輩の手が離れたのが分かる。恐る恐る開けた目に映ったのは、先輩の手を捻るようにして持ち上げた一真くんの姿だった。



「…な、何あんた…!」

 彼の手から自分の手首を引き戻した先輩が、唸るように言う。鋭い目で見上げた彼女を、一真くんは「ふん」と鼻であしらった。

「つまりは逆恨みか」

 短い言葉は、彼女たちの行動を指している。言われたその瞬間、彼女たちの顔が怒りと恥ずかしさからかカッと紅潮するのが分かった。



「大体のことは想像ついたけどな。まさか本気でそんな醜い理由だとは思わなかったけど」

 呆れたような声で言いながら、一真くんは先輩たちと私の間にスッと割って入る。大きな体に阻まれるようにして、私はその後ろに自然と隠される形になった。



「あ、あんたに関係ないじゃない…!」

「まぁ、確かにそうなんだけどな」

 悔し紛れに言った先輩の言葉に、一真くんはあっさり肯定の意を返す。それから、彼女たちの斜め後ろを顎で指し示した。

「あっちは関係なくねーんじゃねぇか?」

 言われた通りに振り向いた先輩たちと、同じようにそちらを覗きこんだ私は同時に硬直することになった。そこにいた一人の人物に気がついて…その場にいた誰もが驚きの余り声を失う。



「…何…してるんだよ」

 驚いているのは向こうも同じらしく、目を丸く見開いて山口先輩が私たちを見ていた。



「お前ら、野崎に何してるんだよ!」

 いつも穏やかな山口先輩が、急に激昂したように大声を張り上げた。その声に彼女たちはビクリと肩を震わせる。私も驚いて、思わず目を瞠った。



 ツカツカとこちらへ歩み寄ってきた山口先輩は、彼女たちに対峙するように立つ。彼のことを好きだという主犯格の一人の前で、厳しい顔をして睨みすえた。


「…違うの、山口くん…これは……」

「何が違うんだよ!」

 彼女たちに有無を言わさない声とタイミングで、山口先輩はそう言葉を遮る。いつからいたのか分からないけれど…彼が既に自体を把握していることは間違いなさそうだった。



「野崎が、いつもと違う道から帰ってるのが見えたからどうしたのかと思ったら…」

 …それで、山口先輩は私の後をついてきたらしかった。至近距離でそんな彼に睨み据えられて…彼女たちは小さく身を竦める。さっきまでの勢いが嘘のように、小さくなっていた。



「二度とこんなことすんな!」

 怒鳴りつけられて、余計に彼女たちは震え上がった。普段怒らない人が怒ると怖いというのは本当のようだ。




「ごめんなさいぃ」

 泣きながら謝る彼女たちの声の向かう先は、山口先輩になのか私になのか定かではなかった。でもそれだけ言い置いて、バタバタと走り去ってしまう。連れ立って去っていくその後ろ姿を眺めながら、山口先輩は肩を上下させていた。怒りの余り、呼吸が乱れたのだろう。



「野崎、大丈…っ」

 ふと山口先輩は、私の方をクルっと向き直った。そしてそう言いながらこちらへ一歩踏み出す。

 けれどその言葉を言い終わらないうちに、再びスッと私の前に一真くんが立ちはだかった。



「あんたさ、勘違いしてねぇ?」

「……え?」

 不意に降ってきた一真くんからの意外な言葉に、山口先輩は眉を顰める。私も驚いてしまって…長身の一真くんの顔を斜め後ろから見上げてしまった。



「誰のせいでこいつがあんなことされたと思ってんだよ」

「……俺だって言いたいのか?」

 ギッと目線を上げて、山口先輩は自分より遥かに身長の高い一真くんを見上げる。それに微塵も怯む様子を見せず、一真くんは冷めた視線で先輩を見下ろした。



 一真くんの言葉は、まるで私の心の内を晒しているかのようだった。山口先輩のせいにしかけて、自己嫌悪に陥りそうだった私の心。



「もちろん、あの女たちが一番悪いのは当たり前だ。だけど、あんたが余計なこと言わなければこんなことにはならなかったんじゃねぇの?」

「『余計なこと』?俺はあの子に告白されたから…正直に野崎のことが好きだって言っただけだ」

「それが余計なことだっつってんだよ」

 私のせいで険悪な雰囲気になりそうな2人を止めようと、私は後ろで口を開きかけた。だけどその気配を読み取ったのか…一真くんが再び背中で私を隠してしまう。まるで、出てくるな、とでも言うように。



「それって言う必要のあったことか? それを言うことで、お前のこと好きな女がこいつに良い印象を持つわけねぇってことくらい分かるだろ」

「……」

「それでもあんたがこいつの名前を出したのは、自己満足以外の何物でもない。ただ、『俺が好きなのはお前じゃない』って、あの女に言いたかっただけだろ。告白された立場として優越感に浸りたかっただけじゃねぇの?」

「…そんなこと…」

「違うって言えるか?それ以外にこいつの名前出す理由なんてねぇだろ」

「…俺は…ただ自分の気持ちに正直になりたかっただけで…」

「正直になる相手、間違えてんだろ。あんたのしたことは思いやりのかけらもない。本当にこいつのことが好きなら、自分がした発言がどんな迷惑をかけるかまで考えるべきだったな」


 何とか言い逃れようとする山口先輩と、まくしたてるように言葉を継ぐ一真くん。


 互いに一歩も引きそうにない睨み合いをしていたけれど…先に目線を逸らしたのは先輩の方だった。



 唇を噛み締めながら、わずかに視線を落とす。それから、意を決したように今度は顔を上げて私をまっすぐに見た。



「野崎…」

 改めて呼ばれて、私は「はい」と小さく答える。一真くんの背中から少し顔を出すようにして…先輩の続く言葉を待った。



「ごめん、悪かった」

 頭を下げて謝る先輩の姿に、私は思わず「いえ!」と大声で首を振る。だけどそれ以上フォローの意味の言葉を継ぐこともできず、それきり互いに黙り込んでしまった。



 やがて、先輩の方が先に踵を返す。去って行く背中が寂しそうにうなだれていて、何とも言えない複雑な気分に駆られた。




 一真くんも、私の隣で先輩の後ろ姿をただ見送っている。鋭い目線は睨むほどではなかったけれど、怒りの感情が垣間見えるようだった。……私の代わりに、怒ってくれているんだ。



「…あの…ありがとう」

 資料室でそのまま去っていったと思っていたけれど、私を心配して後を追いかけてきてくれたんだろう。私が迷惑をかけるのを嫌がっているのがわかったから、気づかないようにそっと…。山口先輩のことすら恨みそうになっていた自分の心はこの上なく醜く感じていたけれど、一真くんがそのことを代弁してくれたおかげで心のどこかでそのドロドロした感情が浄化されたような気さえした。



「……」

 一真くんはというと、そんな私を一瞥した後にふと思いがけない言葉を漏らす。

「何で助けを求めなかったんだよ?あんた、友達だっているんだろ?」

「……」

 思わず声を詰まらせて、私はわずかに目を見開いた。




「…迷惑を…かけたくなかったから…」




 弱々しく答えた声は、風に乗れば掠れて聞こえなくなってしまいそうなほど儚かった。どこかその問いに責められているような響きを感じ取って、意図せず一歩後ずさってしまう。一真くんの方は、そんな私を逸らすことなくまっすぐに見据えていた。




「迷惑?友達がそう思うのかよ?」

「……私の友達…3人ともすっごくイイ子ばっかりで…心配かけたくなかったの」

「……」

「それに…3人共何の取り柄もない私とは違って人気者で、いじめなんかとは無縁なの。…だから、いじめられてるなんて知られたくなかった」

「…そんな自分を知られたら惨めだ、って?」

「……」

 その通りだったので、今度は私が黙り込む番だった。



「…」

 フーっと長い息を吐き出した後、一真くんは眉を寄せて前髪をかき上げる。地毛ではなく染めていそうだったけれど随分落ち着いた色の髪が、夕日に照らされて艶やかに光った。それを見上げた私を、少し呆れたように見下ろす。…呆れてはいるけれど、その眼差しに冷たさは不思議と感じなかった。



「友達でいるのに取り柄や人気があるかどうかなんて関係ねぇだろ。惨めに感じる必要なんてねぇよ。ああいう嫌がらせはする方に問題があるんであって、あんたの責任じゃねぇし」

「……でも…」

「それに」

 言葉を継ぎかけた私に、一真くんは声をかぶせた。遮るように続きを口にする。



「そんな連中じゃなさそうだったけど?あんたの友達」

「……え?」

「昇降口のところで動揺しまくってあんたを追おうとしてたの、友達だろ多分」

「……?」

 私が目を見開いて彼を見上げた…その時だった。



「あ、いたっ茜ぇっ!!」

 半ば悲鳴にも似たような声で、私を呼ぶ声が聞こえた。振り返ると、学校のある方から走ってきたのは息を切らせた由実たちの姿。

「…え、3人共…どうしてここに…?」

 目を白黒させて驚いた私だったけれど、すぐ傍まで走り寄ってきた由実に肩をがしっと掴まれた。

「バカっ!何で言わなかったのよ今まで…!」

 いつも明るく元気な由実が、目にいっぱい涙を溜めながら怒っている。見たこともない彼女のそんな姿に、私はぎゅっと胸の辺りを締め付けられる思いだった。



「ごめんなさい…あの…でも何で…」

 尋ね返すと、由実の後ろで智子がため息まじりに私を見る。でもその吐いた息に、安堵した意味もこもっていたのが感じられた。

「茜が何となく最近元気ないのは3人共気になってたよ。でも原因は分からなくて…。そしたらさっき、校門を出てすぐにいつもと違う脇道に入っていく茜を見かけたって、本城から和美にメールがあって」

「茜が一人でこんな暗くて人通りのない道に行くことなんてないから…何かあったんじゃないかって、先生が…」

 智子の言葉を引き継いだ和美も、どこか泣きそうに眉に力を込めている。



「とりあえずうちら2人は和美に呼ばれて、急いで追いかけてきたってわけ」

 由実が、説明しながらぎゅっと私を抱きしめた。

 あぁ、結局余計に心配をかけちゃったな…そう思った時には、由実は私の肩におでこをくっつけたまま低い声で続けた。

「で、来る途中に泣きながら逃げるように走っていく3年女子と出くわしたから…関係あるかと思って問い詰めてみた」

「…えぇぇ!?」

「ちょっと脅したら最近茜にひどいことしてたって認めたから、シメといたから」

 物騒なことを淡々と言い、由実は顔を上げる。涙の浮かんだままの瞳で、少しだけ不敵に笑ってみせた。

「だから、もう大丈夫だよ!茜!」

「……由実…」

「で、何でこんなことになったわけ?」

 後ろで腕組みをして、智子が首を傾げている。



「あ、実は色々あって…とりあえず一真くんが…」

 説明する前に助けてもらえたことを話すのを兼ねて紹介しようと私が振り返った時…。



「…あ、あれ?」



 彼はもう、既にそこにはいなかった。






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