表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sweet&Bitter  作者: みずの
番外編「risa」
35/152


「理沙ぁ、次は一般教養だから総合棟だったよねぇ?」

 授業の時間割表を確認しながら、奈那子がそう尋ねてくる。学部も学科も同じなので、取っている授業はほとんど一緒だった。「うん」と短く答えて、私も自分の鞄を持ち直す。…あの最悪な新歓コンパから、数日がたったある日だった。



「あ、そういえば今日バンド練習の日だ」

 学部棟を出て総合棟へ向かう途中で、奈那子が不意にそう口にする。ジャズ研は数十名の部員がいて、そのうちのほとんどの人がバンドを組んで活動している。たまに楽器はやらずに聴く専門の人もいるみたいだけれど、それは例外に近かった。新入生はとりあえず全員楽器を持たされ、先輩が「最初だけは」とバンドメンバーを振り分けてくれるのだ。

 そこから、バンドごとに部室を練習に使える曜日と時間を指定してくれる。私と奈那子は玲奈さんが気を遣ってくれたらしく、同じバンドに所属することになった。そして今日が初練習日だ。



「3時半だったっけ。忘れないようにしなきゃね」

 奈那子に相槌を打つように言う。バンドメンバーとは一度顔あわせはしたけれど、やはり最初は緊張する。奈那子はあれから自主練習と称して部室の方へ何度も行っているようなので、そこへ行くこと自体にもう緊張もしないようだ。



「昨日もそう言えば部室行った時、あの人たちいたよ」

 少し嫌そうな表情になりながら、奈那子が不意にそう話を変えた。

 …誰のことか聞かなくても分かる。飲み会で奈那子の隣にいた…小塚修司さんたちに絡んでいた人たちのことだ。

「私、あんまり誰かのことを嫌いとか苦手とか思わないタイプだけど…あの人たちは無理だわ」

 ため息まじりに言う奈那子は、本当に珍しい。人のことを悪く言うこと自体がめったにないからだ。



「…そっか。…でも私、あの人たちもそうだけど…あっちの人も苦手かも……」

「え??誰?」

 意外そうな顔で、奈那子がバッと私の方を振り向く。尋ね返されて、私は少しだけ言いづらそうに顔を歪めた。

「えっと、あの……貴弘…さん?」

 おそるおそるその名前を口にしたのには、わけがある。



 ジャズ研では、大体の先輩のことを男女関わらず下の名前に「さん」付けすることが多いらしい。

 崎谷さんのように皆から苗字の方で呼ばれることが浸透している人もいるけれど、それは数少ない例外らしい。…というわけで、新入生もほとんどの先輩たちを下の名前で呼ぶことが半ば義務づけられたのだけれど…。そういったことに免疫がないということに加え、苦手な人なのですんなりと呼ぶには抵抗があった。



「えぇっ、貴弘さん苦手なの?何で?」

 驚いたように奈那子が大声をあげた。慌ててその口を押さえ込んで、「しーっ」と人差し指を立てる。

「『何で』って……ほら、あの飲み会の時…」

「えー、でも、あれは明らかにあっちの男の人たちのが悪かったじゃん」

「……そうなんだけどさ…」

 あの口の悪さに絶句したのだけれど、奈那子はそれほど気にならなかったらしい。…いやむしろ、奈那子としては相手の男達が気に入らなかったから「やれやれー」くらいの気持ちだったのかもしれない。



「…なんか、口悪いし美形で軽そうだし……苦手」

「あぁー、理沙って真面目そうで暗そうな男の方が好きだもんね」

「…暗い人が好きなわけじゃないけど」

「うん、でもあれでしょ。人当たりのいいイケメン見ると遊んでそうで嫌なんでしょ?」

「全員がそうってわけじゃないけど…あんまり好きなタイプではないかな」

 総合棟までの並木道を歩きながら、私は小さくそう答えた。葉桜になってきた桜の木から、最後の花びらが舞い落ちてくる。それらを眺めていると、不意に昔のことが思い出されてきた。



 高校時代に付き合ったろくでもない男のうち最初の一人は、結構なイケメンだった。優しくて誰にでも好かれていて…笑顔のステキな人だったけれど、内面はひどいものだった。気づくと私は三股をかけられていて、しかも本命ではなかったらしい。それから、人気者の美形に信頼を寄せることはまずない。



「そういえばそんな理沙に朗報。今日は崎谷さんも部室の方に来るって言ってたよ」

「うそっ」

「ほんとー。良かったね」

 奈那子がウィンクして私の背中を叩く。それに私も思わず笑みを零しそうになった…まさにその瞬間、だった。



「…へー」

 どこか感心したような、どこか小バカにしたような…不思議な声が後ろから降ってくる。

 驚いて奈那子と同時にそちらを振り返った。そうして次の瞬間、2人して身体を硬直させてしまう。固まった私の目に映ったのは、顔を仰向けて見上げないといけない位置にある…整った顔。


「あんた、崎谷のこと好きなんだ」

 その口から漏らされた言葉が、つまり私たちの会話を聞いていたことを物語る。

「……」

 聞かれてしまった恥ずかしさや何やらから、私は瞬時に顔が赤くなるのを感じた。それから、それをごまかすためにもキッと目線を上げる。

「…っどこから聞いてたんですか…っ」

 尋ねると、貴弘さんはしらっとした表情で答えた。

「『あの人たちもそうだけど…あっちの人も苦手かも……』の辺り?」



 ……めちゃめちゃ初めの方じゃない!

 愕然として、私は首をうな垂れる。…ということは、貴弘さん自身のことを良く言ってなかったのも聞かれているということで…。



「……」

 何か言われるかとか怒られるかと思ったけれど、予想に反して貴弘さんはそのまま私たちを追い抜いていこうとした。それ以上別に何を言うわけでもなく、素通りしようとする。

「…あの…っ」

 思わず、呼び止めてしまっていた。言ってしまったことは本心なので謝るのもわざとらしいけれど、何となく無意識に声をかけてしまった感じだった。


「?」

 振り向いた貴弘さんは、自分の方から話に入ってきたくせに少し面倒くさそうな目をしていた。

「…何で…何も言わないんですか」

 自分の悪口を言っていた後輩を目の前にして、そこに反論はないんだろうか。怒られることも覚悟で、私はそう言葉を継ぐ。



「…?」

 一瞬だけ怪訝な顔をした後、貴弘さんは「あぁ」と何かを思いついたように小さく頷いた。そうして、私の方へ数歩分戻ってくる。

 目線を合わせるように少しかがんだその顔が思いのほか至近距離で…思わず私は目を逸らしたくなった。

「お前さ…」

 失礼な呼び方をされるのはこの際甘んじて受けよう。

 失礼なことを言ったのはこちらも同じだから。



 だけど……。



「男を見る目、なさすぎ」




「……」

 一瞬、何を言われたのか分からずに私は目を丸くしてしまった。



 てっきり怒られると思っていたのに…。




 驚いて固まっている私に、「じゃーな」と鼻で笑って貴弘さんは踵を返す。その後ろ姿を見送っているうちに…私はようやく何を言われたのか理解した。

「…っ何あれ…っ!」

「…ぷぷっ」

 気づいて声をあげそうになったのと同時に、隣の奈那子が堪えきれないといった感じで吹き出す。

「笑い事じゃないよ!奈那子!何あの人!!」

「…いやー、良かったじゃん、悪口言ってたこと怒られなくて」

「怒られたほうが良かったよ!」

「貴弘さんナイスだわー。好きだなー私は」

 笑って言う奈那子に抗議の視線を向けたけれど、気づいていないのか効果は全くなかった。




******



 総合棟での一般教養の講義を終えると、その後は昼前の空き時間だった。このコマに関しては取れる授業がなかったんだ。ランチの時間になればカフェテラスは混むだろうから、早めの昼食にしようと奈那子と話していた。そうしてそこへ向かう途中、学部棟へ一度戻ってその中を通り抜ける時にも私は膨れっ面のままだった。



「まだ怒ってんの?理沙」

 苦笑い気味に言いながら、奈那子は学部棟の重いドアを開く。尋ねられて、私は更に頬を膨らませた。

「…だって、あの人私のこと『見る目ない』って…!」

「あーはいはい。理沙は前からそのこと気にしてるんだもんねー」



 一人目のイケメン彼氏がひどかったせいで、二人目の時は少し慎重になった。

 やっぱり、男は顔じゃなくて内面だと思ったんだ。そうして付き合ったのはルックスは普通だけどとても優しい人だった。だけどその優しさも表向きのもので、付き合っていくうちに「お金を貸してほしい」と頼まれるようになった。

 もちろん、それが返ってきた試しはない。元々どんなに仲が良い友人でも彼氏でも、金銭的なやりとりはしたくないと思っていたのですぐに別れたけれど。



 三人目に関しては最悪だった。

 お金にルーズじゃなく、ルックスも特別良いわけではない優しい人を選んだ。だけどそれも表面的なもので、付き合い始めるともの凄い嫉妬深い男だった。おかげで、束縛の余り何度叩かれたか分からない。初めは耐えようとしたけれど、しばらくそれが続いたために鳩尾に再起不能なくらいのケリをくらわせて別れた。



「…ホント、見る目なかったもんねー」

 奈那子も同じことを思い出していたのか、苦笑気味にそう言った。

「言わないでよ…自分でも恥ずかしいんだからさ」

 穴があったら入りたいとはまさにこういうことだろう。思い出しただけでもへこむ。



「だからこそ、今回はより慎重なんでしょ?」

 そうなんだ。慎重に慎重を重ねて色んな男の人を見たけれど…崎谷さんは、大丈夫な気がした。美形!というほどのルックスではないけれど、そこが逆に私のツボだった。そして何より、大人な対応のできる人。

「…どっかの誰かさんとは大違い!」

 さっき吐かれた失礼な言葉を思い出しながら、私は毒づいた。



「…あ!」

 不意に、そんな私の隣で奈那子が大きな声を上げる。どうやら私との話の後半は聞いていなかったらしい。通り過ぎようとしていた部屋の前で立ち止まり、そちらを見つめていた。

「どうしたの?」

 同じようにそこを見ると、その部屋のガラス窓から見えたのは奈那子のテンションを上げそうな人物の姿。椅子の背もたれにもたれて雑誌のページを捲っている、修司さんだった。



「ちょっと、寄ってっていい?理沙」

「いいよー」

 肩を竦めながら答えたけれど、奈那子は私が返事する前にもうドアに手をかけていた。講義室ではないようなので、入っても問題はないだろう。そのドアの上を見るとそこには「資料室」の表記。そういえば古い文献とか調べものをするにはもってこいの部屋だって…ガイダンスで説明されていたっけ。もっとも、ゼミとかが始まらないと新入生の私たちにまだ用はないだろうけれど。



「失礼しまーす」

 そっと声をかけながらドアを開けると、中にいた修司さんがこちらを振り返った。私たちの姿に気づいて、ニッコリ笑う。この前も思ったけれど…笑顔がとても印象的な人だ。

「奈那子ちゃんに理沙ちゃん。何か調べに来たの?」

「え、いえ、修司さんの姿が見えたので…どうしたんですか?うちの学部棟で」

 ニコニコして尋ね返しながら、奈那子は中へ入っていく。ドアを後ろ手に閉めてから、私はその後をついていった。



 …そうだ、そういえば修司さんは教育学部じゃなくて法学部なはずだ。この学部棟にいることが意外で、私も少し首を捻った。



「あー、俺は付き合い」

 読んでいた雑誌を置きながら、修司さんは私と奈那子にも椅子を勧めてくれる。資料室はそれほど広くはなく、机と椅子も6人くらいが座れる程度のものだった。奈那子が修司さんの隣に、その向かいに私が座る。「そうなんですかー」と、奈那子が座りながら相槌を打った時だった。



「俺は付き合ってくれなんて頼んだ覚えはねぇな」



 不意に、後ろから声がした。

 低めのバリトンボイス。心地よく耳に届いたその声に、私と奈那子は同時にそちらを見る。資料の並ぶ本棚の影から、一人の男の人が姿を見せた。



 白いTシャツの上にジャケットを羽織ったその人は、かなり背が高かった。180台後半くらいありそうなあの貴弘さんと同じか…それ以上かもしれない。短髪を固め、顎髭を生やし…左耳だけにピアスをしていたけれどそれが似合いすぎている。美形と称されるくらいにはかっこいいのだろうけれど、貴弘さんや修司さんとはタイプが違っていた。どちらかというと…「怖いお兄さん」と言った感じの雰囲気。



「またまたぁ、そんなこと言うなよー」

 笑ってそう言う修司さんの言葉に、その人は「ふん」と鼻であしらった。

 そしてそのままこちらへ近寄ってきて…発掘してきたらしい山ほどある資料を、私の隣に置く。椅子を引いて座ろうとしたそんな彼に、修司さんは改めて声をかけた。

「ユキ、この子たちジャズ研の新入生」

 ユキと呼ばれたその男の人は、それからようやく私と奈那子の方を見る。

「来栖奈那子ちゃんと、拓巳理沙ちゃん」

 手で私たちを示しながら紹介してくれると、その人は「どうも」と軽く頭を下げた。…どうやら、修司さんのように話すのが得意な方ではないらしい。

「で、こっちの怖いおにーさんが本城行禎。玲奈さんのお気に入り」

 そう紹介すると、ユキサダさんは「そりゃ貴弘とお前のことだろ」と興味なさそうに呟いた。…というか、玲奈さんは誰でも分け隔てなくかわいがっている感じがする。




 ちょっと強面のユキサダさんにも、奈那子は臆することなく話しかけられるらしい。教育学部、しかも私たちと同じ学科らしいことを知って、更にテンション高く会話をしている。返ってくる彼からの言葉は少ないけれど、あしらうような返事はしなかった。…見かけによらずイイ人なのかもしれない。



「ユキサダさん…って、呼びにくいんですけど」

 ユキサダさんと奈那子の間の会話が盛り上がってる(?)のを私は黙って聞いていたけれど、そんないきなりな奈那子の言葉には驚いて目を見開いた。

「あー、わかる。だから俺も『ユキ』って呼んでるし。『サダ』が呼びにくいんだよね」

 修司さんが、うんうんと頷きながら相槌を打つ。そんな2人の言葉に、ユキサダさん(…確かに言いにくい)は資料をめくりながら目線を落としたまま言葉を返した。

「知るか。俺の父親に言え」

 言葉はぶっきらぼうだけれど、それほど冷たさを感じないのが不思議だ。



「でも『ユキさん』だと女の子みたいだし…」

「あー、確かに」

 いちいち頷いて奈那子に同調してくれる修司さん。意外にイイコンビかもしれない。

「ってことで、『ユキ先輩』って呼んでいいですかぁ?」

 奈那子の続いた言葉に、ユキサダさんは「…勝手にしろ」と答える。やっぱり興味はなさそうだった。

「ね、理沙もそう呼ぼう」

 ニッコリ笑って私を振り返った奈那子に、戸惑いながらも「…う、うん」と頷いた。



「…そう言えば理沙ちゃん、今日大人しいね」

 不意に気づいたように、修司さんが私の顔を覗きこむ。「具合悪い?」聞かれた隣で、ユキサダさ…もとい、ユキ先輩もこちらを振り返った。



「え、いえ…そういうわけじゃ…」

 手を左右に振って否定するけれど、修司さんはどこか心配そうに私を見る。前に会ったお酒の席では頑張ってテンションも上げていたため、ギャップがあるのかもしれない。…それに…さっきの出来事が未だムカついているせいもあるし。

「あー、理沙はちょっと今ご機嫌ナナメなんです」

 私とちょうど同じことに思い至ったのか、奈那子がそんな風に修司さんに答える。

「ちょっと、奈那子…!」

 余計なことを言いそうだったので、私は慌ててその名を呼んだ。



「え、何?何か嫌なことでもあったの?」

「いえ、何でもな…」

「それがさっき貴弘さんがぁ」

 言いかけた私の向かいの席で、奈那子が平然とその名前を出す。修司さんとユキ先輩にとっても出てきたその名前が意外だったようで、少し目を見開いた。

「奈那子っ」

 たしなめるように呼んだけれど、もう手遅れだった。修司さんたちだって、自分の友人の名前が出てきたせいで興味津々の顔。机の上に乗り出しかけていた体を、私は諦めて椅子に戻す。それを受けて、奈那子がさっきまでのやり取りを話し始めた。



 ささやかな心遣いのつもりか、崎谷さんの名前の部分だけは伏せてくれていた。




******



「あっはっはっ!!」

 …笑いごとじゃない。

 話を聞き終えて豪快に声をたてて笑った修司さんを、私は先輩だということも忘れて軽く睨みつけてしまう。じと、と上目遣いに睨む私に気づいて、慌てて咳払いでごまかしたけれどもう遅い。再び頬を膨らませた私に、修司さんはもう一度吹きだしかけて寸でのところで堪えた。


「…いや、何があったのかと思ったら……」

 膨れっ面の私が面白いんだろうか。それとも貴弘さんの発言が容易に想像できたからだろうか。

 おかしそうに笑う修司さんに、私は更に「むー」と眉を寄せた。



「ごめんごめん、笑って。いやぁでも、それは貴弘もちょっとショックだっただろうなぁ」

「そうですか? 悪口言われてるのに全く気にしてない風でしたけど…」

 なんといっても自分が言われたことより、私の男の見る目のなさを指摘してきたくらいなのだから…。

 そう思って言ったけれど、修司さんは「いやいや」と苦笑いを浮かべながら首を振った。

「貴弘がショックだったのは、理沙ちゃんが悪口言ったことじゃなくて理沙ちゃんに好きな人がいるってところ」

「……はい?」

 意味が分からず、私は思いっきり首を横に傾けた。同じように同じ向きに首を傾げて、修司さんはニッコリ笑う。

「あの飲み会の時、貴弘のやつ理沙ちゃんのこと気に入ったみたいだったから」

「……はい!!?」

 思わず、大声をあげてしまった。狭い資料室に、私だけの声が響く。他に誰もいなくて良かった、そう思うくらいに大きな声だった。隣でユキ先輩が思わず耳を塞いだほどだ。



「えぇっ、それって…!」

 瞬時に、奈那子の目が輝く。…どうせ、面白くなってきたとか思っているに違いない。



「…でも私、あの飲み会の時確かに隣にいましたけど…ほとんど話してませんよ」

 どこをどう気に入ってもらえるのか全く心当たりがない。言ってみたけれど、修司さんは肩を竦めて笑った。

「あんまり関係ないんじゃない?話したかどうかとかは」

「え、じゃあ理沙の顔が気に入ったってことですかねぇ」

 奈那子の問いに、ユキ先輩が資料に目を落としたまま口を開く。

「バカな奴らがバカな発言した時に、反論しようとしたからだろ」

 飲み会の時にはいなかったはずのユキ先輩が、そう言った。修司さん辺りから聞いたのだろうか。彼らを悪く言うあの人たちに耐えかねて、私が立ち上がりかけたことを。

「貴弘、そういう正義感の強い女の子に弱いんだよねー」

 笑顔のステキな修司さんだけれど、この時のニヤニヤ顔は嬉しくない。



「で、でも…!いくらなんでもあの発言は失礼だと思いますっ」

 奈那子まで修司さんにつられるように嫌な笑みを浮かべてきたので、私は慌てて話を戻した。大体、気に入っていたと言ったってほとんど話をしたこともない私に「見る目ない」発言は失礼すぎる。



「うーん…ま、そこは俺は何とも言えないけど…。理沙ちゃんの好きな人が誰かわかんないし」

 修司さんは首を傾げながらそう言った。

 私に気を遣って、奈那子が名前を伏せながら話したのだから当然と言えば当然だ。だけど、ユキ先輩が隣で顔を上げないまま呟く。

「崎谷だろ」

 不意に出てきたその名前に、私と奈那子は驚いて椅子から腰を浮かしかけた。


 そんなこちらのリアクションを横目で確認して、ユキ先輩は言葉を継ぐ。

「貴弘が『見る目がない』って言うってことは、あいつも知ってる男…つまりうちのサークルの人間だろ。で、まだ飲み会にしか参加してない1年のお前があの場で惚れそうな奴って言ったら崎谷くらいしかいない」

「はー、なるほどねー」

 ユキ先輩の向かい側で、修司さんがポンと手を打った。

「そっか、崎谷かー。崎谷ねー」

 何かを考えるように、うーんと唸りながらその名を連呼する。


「で、どうなんですか?」

 バレてしまったので開き直ったように態度を改めて、奈那子がふとそう尋ねた。

「崎谷さんって、イイ人そうに見えましたけど…貴弘さんが言うように『見る目ない』って思われるような人なんですか?」

「うーん…」

 腕を組んだ修司さんが、眉を寄せて首を捻る。

「俺はそんなに悪い奴だとは思わないんだけどなぁ。…ユキは?どう思う?」

「黙秘」

 事情聴取を受ける容疑者か何かのように、ユキ先輩は短くそう言い放った。でも「答えない」ということは、ユキ先輩は修司さんのように崎谷さんを良く思っていないのかもしれない。

 …結局、どっちの言い分が本当なのか全然わからない。



「貴弘さんが、ヤキモチやいて意地悪でそう言ったってことはないんですかね」

 奈那子が更に、そう尋ねる。

「うーん…そういうことするタイプじゃないけどなぁ、あいつ」

 首を傾げた修司さんが、解せないと言わんばかりに唇を歪める。でもそれも一瞬のことで、やがて彼は「そうだ!」と何かを思いついたらしく顔を上げた。

「理沙ちゃんさ」

 まっすぐに私を見る。その笑顔はいたずらを思いついた子どものようにどこかキラキラしていた。



「俺と貴弘とユキだったら、誰と付き合う?」

「は!?」

 思わず、大声で声を上げてしまう。

 …何を言い出すのかと思ったら…驚いて、私は目をこれ以上ないくらいに見開いた。

「3人同時に告白してきて、誰かと付き合わなきゃいけないってなったら誰にする?」

 ニコニコ笑いながら尋ねる修司さんに、ユキ先輩が「趣味悪い質問だな」とため息まじりに呟く。



 誰かと付き合わなきゃいけないとしたら…?



 修司さんに尋ねられた問いを、今度は胸の中で自問する。




 …まず、貴弘さんはない。

 ああいう口が悪くて子どもっぽいケンカの買い方をするタイプは好みじゃないからだ。その上、女遊びの激しそうな軽薄な感じのルックス。美形だから女の子は寄ってくるだろうけれど、私はそういうのが好きじゃない。



 次に、修司さん。

 彼もかなりの美形だし、本当なら近寄りたくないタイプだけれど…。話してみたら優しいし話しやすいし、嫌いなタイプじゃない。でも…奈那子に遠慮するわけでもないけれど、付き合えるかと聞かれると疑問が残る。



 多分…硬派そうで、大人な考え方を持っていて…。私の理想に一番近いとなると、迷いはない。

「ユキ先輩…かな」

 答えると、一瞬だけ空気がしんとなった。



 奈那子は、意外そうに目を見開く。修司さんは、「…残念、俺じゃなかったか」と言ってニッコリ笑った。



 …ユキ先輩は…。



 隣を振り返ると、ちょうどユキ先輩の携帯が机の上で音を立てた。誰かからの通話着信を意味するランプが点滅したかと思うと、ユキ先輩は長い指でその携帯を拾い上げる。

「…はい」

 低い声で応じた後、相手の声に何度か軽い相槌を打っていた。それを黙然と三人で見守っている中、すぐにごく短い通話を終わらせてそのまま立ち上がる。

「悪い、用事ができた」

 机の上に広げていた資料を集めながら、ユキ先輩はそう言った。帰り支度を整え、最後に携帯をズボンのポケットに押し込む。そのまま椅子を机の内側に押し入れて、資料室を出て行こうとした。


「…そうだ、お前さ」

 私の横を通り抜けようとした際、ピタッとその場で足を止める。座ったまま見上げると、ユキ先輩は今まで見たことがないような笑みを口元に浮かべていた。そして、続ける。



「やっぱり男見る目ねぇよ」



「……」

 言われて、私は思わず目を瞠った。フラッシュバックする、数時間前の貴弘さんの言葉。

 だけど今回は、あの時のように怒りというよりも…。



「ユキ、今日はどこのお姉さんの呼び出し?」

「うるせぇ。じゃあな」

 修司さんの揶揄するような声を真顔であしらった。そしてそのまま、今度こそ本当に資料室を出ていく。




「…どうして…?」

 小さな呟きが、それを見送った私の唇から漏れた。



 貴弘さんにもユキ先輩にも、指摘された私のコンプレックス。



 この時の私には、どうして崎谷さんを好きになったら見る目がないのか、全くわからなかったんだ。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ