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Sweet&Bitter  作者: みずの
過去の爪痕
27/152


「大学の時、出会ったユキは…もう結構な遊び人だった」

 オープンしたばかりというそのイタリアンのお店は、かなりの盛況ぶりだった。他愛もない話をしながらその列に並び、ようやく席に通された時にはもう辺りはすっかり暗くなっていた。お互いにアルコールは飲めないので、ソフトドリンクで乾杯をする。そうしてからしばらくした後、修司さんはさっきの車での会話の続きをと思ったのか、急にそんな話を始めた。


「でも二股とか三股とか…浮気とかそういうんじゃなくて。相手の女の子たちもお互いが遊びだって分かってる感じっていうのかな…。それぞれ割り切って遊んでたから、修羅場になるような事態はなかったけどね」

 先に運ばれてきた大皿のサラダを取り分けながら、私はそんな話を黙って聞く。

 先生は昔女遊びが激しかった…というのは前から耳にしていたせいか、そこでいちいち傷つくことはなかった。


「誰とも付き合ってないのに周りにはいつも女の子がいるような…そんな感じ」

 苦笑い気味に言った修司さんは、「ユキは一番モテたからね」と付け足した。


 …今生徒たちから「不良教師」と恐れられている先生からは想像もできない。



「そんなユキが、急に由香子さんと付き合い始めた時はびっくりしたよ。遊んでた女の子たちともパッタリと途絶えて、本当に一人と付き合い始めたから」

 サラダの小皿を修司さんの方へ差し出すと、「ありがとう」と言いながらそれを受け取る。それから、小さくため息をついたようだった。

「前も言ったけど、由香子さんとどこで出会ったのか…とか、詳しいことは俺も知らないんだ。ただ…始まりは、由香子さんの一言だったみたい」

「…一言…?」

「そう」

 頷いて、修司さんは昔先生に聞いたという由香子さんの言葉を復唱した。



『かわいそうな人』


『どうしてそんな…自分の身を削るような他人との関わり方をするの?』


『本当は誰かに本気で愛してほしいし、愛したいんでしょ?』





「詳しくは知らないけど、そもそもユキは遊び人タイプじゃないはずなんだ。だけどああなってしまったのは…恐らく、俺と出会うよりもっと前に何かがあったんだと思う。でも多分…自分でもそんな人付き合いの仕方に疑問はずっと持っていて…。そこに由香子さんが、そんな風に言ったんだと思う」

 修司さんは、そこまで言ってサラダを口に運ぶ。私はというと、フォークで野菜を刺そうとした手を…何となく止めてしまっていた。



「由香子さんは俺達より4つ上で、その時もう社会人だった。でもすごく小さくてかわいい人で…男だったら、守ってやりたくなるタイプの容姿っていうのかな…そういう人だった」

 そこで初めて、胸がギュッと締め付けられる感じがした。そこから想像される『由香子さん』が、あまりにも自分とかけ離れたタイプだと思ったからだ。

「…まぁユキは、どっちかっていうとそういう小動物系の女の子はあんまり好きじゃないはずなんだけどさ」

 苦笑い気味に言う修司さんには、もしかしたら私が一瞬傷ついたことを感づかれているんだろうか。



「考え方も、やっぱり社会人だけあって大人だなと思ったよ。色んな面で社会人経験があるっていうのは学生の俺たちなんかとは違うんだ。母性とも言うのかな……由香子さんは、包み込んでくれるような人だった」

「……」

「…と、俺も貴弘も思ってた」

「…え?」

「多分、ユキ自身も」

 続いた言葉に、私は眉を寄せた。そこで、ウェイトレスが大皿のスパゲティを運んでくる。私のリクエストでオーダーしたクリームソースベースのそれは、温かい湯気を立ち上らせていた。



 そのお皿の上を見つめながら…それでも修司さんは別の何かを「見て」いるようだった。頭の中にある過去の映像を…思い出しているのかもしれない。



「2人はすごく仲が良かったけど……由香子さんが変わり始めたのはいつだったかな。ユキの周りのもの全てを憎むようになった。ジャズも、周りにいる女友達でさえも」

「……っ」

「多分、付き合い始めはユキのことを癒してあげたかったんだと思う。さっきも言ったけど、それはきっと彼女の母性本能だったんだ。だけど…付き合っているうちに、自分だって甘えたくなる。でも年上だから…とか色々考えてしまううちに、甘え方が分からなくなったんだろうね」

 私が動くより先に、今度は修司さんが先にパスタのトングを手にした。脇においてある取り皿に取り分けてくれるけれど、さっきから食事は互いに進んでいない。


「我慢していたものが爆発してからは、ユキは大変だったよ。一番引き金になったのは理沙だったかもしれない。貴弘の彼女だったから、ユキの近くにもいたから」

「…理沙さん…」

「理沙とメールでもしようもんなら、手がつけられなくなるんだ」

「……」

「泣いて叫んでユキを責めて……家の中の物を投げたりして」

「……浮気したわけでもないのに…ですか?」

「うん。女友達でもダメ。だって、ユキの趣味だった『ジャズ』だってダメなくらいなんだから」

 そう言って、修司さんは由香子さんが『ジャズ』に先生を取られてしまうんじゃないかと思ったんだろうと続ける。


「元々遊び人だったユキを知ってるから…余裕を装って付き合い始めたけれど、いつか捨てられるんじゃないかと不安だったんだろうね」

「……そんな…」

「前に和美ちゃんに言ったよね。ユキは…自分の趣味のジャズの領域に女の子を踏み入らせなかった、って」

「…はい」

「それは本当なんだ。でも由香子さんの時の場合は…、自分の領域に踏み入られたくなかっただけじゃなかったと思う。由香子さんがジャズに嫉妬して狂うと思ったから…近寄らせたくなかったのもあると思うんだ。由香子さんは、段々とユキの目に映るものが自分以外にもあることが許せなくなっていってた。それは…他人の俺から見てもかなり病的だったよ」

「……」

 そこで一度だけ、修司さんはわずかに目を伏せた。



『今日もライブ!?どうして、ジャズばっかり…ピアノばっかりなの!どうして私と一緒にいてくれないの!?』

『来週の休みに一緒に出かけるんだからそれでいいだろ』

『じゃあ私も今日そのジャズバーに行く』

『いい加減にしろよ!ジャズが嫌いなら来なきゃいいだろ!他の連中も迷惑だ』

 そんな言い争いはしょっちゅうだったと、修司さんは続ける。

 そうか…そこでたとえば本当に由香子さんがバーに来て、何の罪もない女友達を敵視したりすることを懸念したのかもしれない。


「だけど一度だけ本当に由香子さんが勝手にそこに来たもんだから…ユキの怒り方は凄まじかったよ」

 …それが、前に修司さんが言っていた話だったんだろう。




「俺も貴弘も、別れた方がいいって何度も言った。貴弘は特に…理沙のこともあって、由香子さんのことを良く思ってなかったから」

 由香子さんの束縛が原因で…2人は更にケンカが増えていったらしい。その時のことを思い出しながら、修司さんは苦い表情を浮かべる。

「ユキもさ、我が強いところあるから…言い争ってることなんてしょっちゅうだった」




「でも、ユキは別れなかった。由香子さんの束縛が激しくなっても。これは俺と貴弘の予想だけど…本気で彼女のことが好きだとかいうよりは…それはもう情のようなものだったんじゃないかと思うんだ」

 そこで一度言葉を切った修司さんが、まっすぐにこちらを見つめてきた。

「…なんでか分かる?」

 尋ねられて、私は小さく首を横に振った。

「ユキが女遊びばかりしていて自分を省みなかった時…由香子さんに救われたことは、事実だから」

 そう言って、修司さんは手にしていたフォークを一度お皿の上に置く。ドリンクの入ったグラスを手にして、ストローから流れるそれを口に含んだ。潤すように飲み込むと、再び吐息まじりにコースターに戻す。



「でも、由香子さんのその束縛は本当にひどかったから…ユキも正直参ってたよ。だけどユキは…そこでどうなったと思う?」

 急に尋ねられて、私は一瞬黙した。言葉を返せないなりに、少し思案する。


「……」

 そうしても得られる答えは自分の中にはなく、小さく首を横に振って返した。



 そこで修司さんは、先刻までよりも少し深く息を吸った。



「自分を、責めるようになったんだ。由香子さんがそういう風になったのは自分のせいだって…」

「!……」

「でもさ、自分のせいだ、自分がもっと彼女に優しくしてあげれば……ってそう思ったとしても、だからと言って急に全面的に彼女を受け入れられるようになれるわけじゃないんだ。ユキ自身だって、束縛に疲れる時ももちろんある。そうすれば彼女に冷たくあたってしまう。でもそうすればそうするほど、狂う彼女を見て自分を責める。…そんな悪循環に陥ってた」

「………」

「まぁその後、別れる時にも色々あって…詳しくは俺が話すことじゃないけど。とにかく、そういう感じだったからユキはきっと……」

 一度言葉をそこで切って、修司さんは少しだけ私から視線を外した。



「自分が人を愛するってことに…ひどく臆病になってるんだと思う」



「……」

 無言のまま、だけど私の方は修司から目を逸らせずにいた。


「多分、ユキは誰のことも幸せにできないと思ってる。そうする資格もないと思ってると思う」

 修司さんの言葉は、どこか切なげに響いた。それは彼が本気で先生のことを心配しているからなんだろう。そう思うと、その切なさが伝染したかのように胸がどこかでキュンと音をたてた。



「俺が話せるのは、これくらい。だからユキは、和美ちゃんの告白をなかったことにしたかったんだと思う」

「……」

「和美ちゃんを幸せにする自信も、和美ちゃんに愛される自信もなかったから」

「………」

「……和美ちゃん?」

 黙り込んだまま返事をしない私に、修司さんは小さく呼びかける。


「……た」

「………え?」

 呟きはろくな声にならず、私の声にならない声を拾おうと修司さんはそう聞き返してきた。わずかに眉を上げて、こちらを怪訝な表情で見やる。




「…頭にきました」

 修司さんの話を聞き終えての正直な感想を、私は思わず口から零れ落としていた。




「………は?」

 思っていたリアクションとは全く異なっていたんだろう。修司さんが、意図せず聞き返しながら口をポカンと開ける。その目を見つめ返して、私は眉を寄せた。素直なその言葉に反することなく、表情も素直に表してみる。



「先生と由香子さんの事情は分かりました。先生が傷つくのも分かります。でも……」

 怒りと悔しさが込み上げてきて、私は思わず一度唇を噛み締めた。そんな顔を、修司さんが意外そうに食い入るようにして見やる。



「私、先生に『幸せにしてほしい』なんて思ってません。先生に『人を愛し人に愛される自信』があるかどうかなんて関係ないです」

 本気で、腹が立つ。

 先生になのか、自分になのかは区別が難しかった。




「私が、先生のことを好きなだけだから…」

 あの人に幸せにしてほしい、なんて思わない。

 あの人を幸せにしてあげたい、なんてうぬぼれたくない。


 …ただ、一緒に幸せになりたいだけなんだ。



 それなのに…先生は私から逃げた。答えも出さず、考えることすら放棄して。そう思うと、先生自身にも…そういう答えしか出してもらえなかった自分自身にも、腹が立った気がした。




「……和美ちゃんは…」

 目を見開いて私の言葉を聞いていた修司さんが、どこか感心したような…どこか呆れたような複雑な声を出した。それから、苦笑まじりにだけれどキレイな目を細めて笑う。

「さすがだね。…本気で由香子さんに聞かせてやりたかった、そのセリフ」

 いつかと同じ言葉を…修司さんは口にした。




 怒りでいっぱいの胸中は、極度の興奮状態からかなかなか冷めそうにはなかった。ただ、自分の今するべきことは分かっていたから、頭の中のどこかでは冷静な判断もできる。そうして、自分が今どうしたいのかも…。



「修司さん、一つお願いがあるんですが…」

 少しだけ遠慮気味に切り出すと、修司さんは少しだけ首を傾げてまっすぐに私を見つめ返した。






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