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Sweet&Bitter  作者: みずの
過去の爪痕
24/152


 私の17歳の誕生日は、最悪な一日となって終わった。生まれて初めての告白は、受け入れてもらうどころか…いや、返事をもらうどころかなかったことにされてしまった。

「~っ」

 涙は留まることをしらず、これだけ泣いてもよく涸れないものだと感心させられるほどだった。



 濡れた身体を温めるために、私は帰ってすぐにバスルームへ駆け込んだ。そしてその後は、リビングにいる家族に挨拶だけして自室にこもる。その頃にはなんとか涙は洗い流せていたと思うけれど、母親辺りは私の異変に気づいていたかもしれない。



 何か言いたそうに私を見上げていた祥太郎も、ソファに座ったまま口を開きかけたけれどやがてそれを閉ざした。…恐らく、気を遣ってくれたんだろうと思う。




「……」

 真っ暗な部屋の中、ベッドに横になるとまた視界がゆっくりと滲んでいく。頑なな先生の態度と冷たい声を思い出すだけで、胸が痛んだ。生温かい涙が横に流れ、やがてシーツを濡らしていった。



 眠れるはずなんて、なかった。今までどんなに落ち込んでも一睡もできないことなんてほとんどなかったのに…。結局ろくに眠ることもできずに、私は朝を迎えることになってしまった。




 正直、先生とどんな顔をして会えばいいのか分からなかった。完全に拒絶された私はもうこれ以上近くへ行くことも許されないだろうし、そうする勇気もなかった。だけどサボッてしまおうかという考えだけは、思い浮かばなかった。ここで学校を仮病で休んだりしたらそれこそもう二度とまともに顔を見れなくなる気がしたからだ。



「おはよう」

 朝のSHRの時間になって、そんな挨拶と共に教室に入ってきたのは副担任の相澤先生だった。高いヒールを鳴らして、教壇に立つ。誰もが一瞬、クラスメイトたちの顔を見合わせた。

「出席取ります」

 言って名簿を開きかけた先生に、一番前にいた男子が「せんせー」と声をかける。そちらを見やった相澤先生に、その男子が椅子に横向きに座った態勢のまま尋ねた。

「本城は?休みー?」

 その何気ない問いに、私はそれでも胸がドクンと緊張して悲鳴を上げるのを感じる。名前を聞くだけでもこれなのに、本人を前にしたら私の心臓は破裂してしまうんじゃないだろうか。



「ちょっとした用事があるの。1限目の途中からはいらっしゃいます」

「なーんだ、今日の化学休講になるかと思ったのに」

「それと、『先生』をつけなさい」

 サラッと注意を受けて、その男子生徒は肩を竦めて舌を出した。先生たちが仕事の関係で始業時間に来られないことはたまにだが今までにもあったことだ。どうやら私を避けて休んだりしたわけではなさそうだと思って、内心で少しホッとする。これ以上避けられたら、本当にこの上ないくらい落ち込んでしまいそうだ。



 出席を取る相澤先生の声を頭の片隅で聞きながら、私は小さくため息をついた。




******



「和美、大丈夫?」

 2限目を終えた休み時間、茜が体操着を手にしながらこちらへ近寄ってきてそう聞いてくれた。…そう言えば、3時間目は体育だ。しかもバスケというなかなかハードな種目で、今の私には気が重い。


「顔色悪いよ?保健室行く?」

 尋ねられて、少し私は考える。1限と2限はなんとか耐えたけれど、さすがにここへ来て睡魔はピークに達しているし、睡眠不足と貧血気味のせいで眩暈までしてきていた。確実に体育は出られないだろう。

「…うん…そうしようかな」

 茜や智子、由実にはまだ何があったのか話せていない。それでも私の様子から、良くないことがあったんだろうという推測はしてくれているようだった。気遣うようにこちらを見る3人に、力なく笑ってみせる。


「ちょっと、寝させてもらってくる。…4限には戻ってくるから」

 自分に言い聞かせるように、私はそう言った。教室の前に貼ってある時間割表を見据えながら…。今日の4限のところに『化学』と書いてあるのを確認してから、茜がまた心配そうに眉を寄せた。

「大丈夫」

 そう言い置いて、私はそのまま教室を後にした。





 保健の先生に睡眠不足で気分が悪いと事情を話すと、苦笑いをしながらもベッドを一つあけてくれた。他には誰もいなくて、室内は静かなものだ。先生が何やら書類を書く音がするくらいで、そのリズミカルな音が逆に心地よくて私はすぐに意識を失うように眠ってしまった。





 …そして、夢を見た。



 真っ暗な闇の中を、必死で走っている夢。

 やがてその先には小さな光が灯り、私は何かに追われるように…何かから救いを求めるようにそこをただがむしゃらに目指す。


 足がもつれて転びそうになるほど、死に物狂いだった。何から逃げていたのかは…定かではなかった。



 光が、ごく近くまで近づいてきた。

 そしてその中に、一つの影が立っていることに気がつく。

「…!先生!」

 一生懸命、その名を呼んだ。聞こえることはない、振り返ってくれることはないと知っていながらも…。




 何度声が嗄れるほど叫んだだろう。幾度目かのその声に、やがて先生がゆっくりとこちらを振り向いた。そして、私に気づいて唇を持ち上げて笑ってくれる。それだけで胸がキュっと締め付けられるような感じがした。



「先生…」

 先生は、笑っていた。あの日ピアノを弾いて聞かせてくれた時のような…幸せそうな笑顔で。それから、長い両腕を私に向けて大きく広げる。まるで「おいで」と言われているようで、私はそちらへ向けて涙を流しながら走り出した。




 ……そこで、夢が覚めた。


 ハッと我に返ると、眠りに落ちる前と同じ白い天井が見える。薬品独特の匂いがして、保健室で眠っていたはずであることをゆっくりと思い出した。



「……」

 目尻に触れると、夢を見て泣いていたのか涙の跡があることに気づく。それから夢の内容を再び思い出して…私は、また泣きそうになった。




 夢の中では…振り向いてくれるんだ。現実には、一度もこちらを見てくれることはなかったのに。



 夢は願望を見ると、誰かが言っていたことを思い出した。どうせなら正夢になってほしい。…そう願いたかった。




「…あ、時間…!」

 一体どれくらいの間眠っていたのだろう。現実に意識を戻しながら、私は慌ててベッドから降り立った。


 涙の跡を拭いて、白いカーテンをサッと引く。保健の先生にも寝かせてもらったお礼を言おうとしたけれど、そこに先生の姿はなかった。私がカーテンで仕切られたベッドから出てきた音で、室内にいた一人の男子生徒がこちらを振り返る。誰かが寝ているとは思っていなかったのか、少し意外そうに目を見開いていた。

「…びっくりした、白石いたんだ」

 背の高い、いつでも穏やかな笑みを浮かべた男子だ。去年同じクラスだった…向井くんだった。



「…うん…ちょっと寝させてもらってたの」

 泣いていたことには、気づかれないだろうか。もう一度目の辺りが濡れていないかさり気なく触れて確認しながら私はそう答えた。

「それより、今何時?」

 ぐるりと見渡して保健室内の時計を探そうとしたけれど、私がそれを見つけるよりも向井くんが答える方が早かった。

「12時過ぎたとこ」

「え…っ」

 驚いて、私は大きく目を瞠った。




 どんなに気まずくても、本城先生の化学の授業には出ようと決めていたのに…。どうやら私は体育を通り越して、4限の化学の時間まで眠ってしまっていたようだ。



「具合悪いの?大丈夫?」

 相変わらず誰にでも優しいらしい向井くんは、何やら消毒液を取り出しながらそう尋ねてくれた。

「うん、単なる睡眠不足だから」

 苦笑い気味に言うと、向井くんは「そっか」と少しだけ笑って返す。

その手には、すり傷があった。手のひらを怪我したらしく、かなりの広範囲で血が滲みでている。


「私やろうか?」

 聞くと、向井くんは少し考えた後で「…いや」と答える。

「左手だから、大丈夫」

 ありがとうと付け足して、向井くんは作業に戻った。恐らく、彼も体育の授業か何かで怪我をしたんだろう。



「そういえば…保健の先生は?」

 聞くと、向井くんは消毒液が染みるのか少し眉を寄せながら口を開く。

「俺が来た時にはいなかったよ。不在の札がドアにかけてあったし」

「…ここの先生っていないこと多いよね」

「俺も同じこと思ったとこ」

 今度は声をたてて笑う彼と顔を見合わせて、思わず私も笑ってしまった。その優しい笑顔に、少しだけ癒された気がする。私と先生の事情を何も知らない人とこうして話をしている方が…今はなんだか楽な気もした。




「…あのさ、白石」

 少しの間互いに笑い合った後で、ふと向井くんが表情を戻した。不意に眉を寄せて、何か思案するように呼びかけてくる。

「ん?」

 先を促すように聞き返すと、向井くんは少し言いづらそうに続けた。

「白石に関係ないことかもしれないけど……実はさっき……」

「?」

 小首を傾げた私に、だけど向井くんはそこで口を閉ざしてしまう。

「……いや、ごめん。何でもない」

 何か思うところがあるらしく、それきり再び私に背を向けて自分の消毒作業を続けた。



「……?」

 『さっき』…?何だろう?

 聞き返したい気持ちはあったけれど、向井くんの雰囲気からそれ以上尋ねても答えは得られそうにないと判断した。



「変な向井くん」

 小首を傾げて言うと、向井くんは「ごめん」ともう一度言いながら苦笑いを漏らす。


 結局彼の言おうとした言葉は、聞けないままだった。





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